表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
115/133

15 小姓はご主人様をお慕いしております

 ピギーが降り立ったのは、王都から少し離れたところにある山の中腹あたりだった。

 山小屋があったのであろう場所には、今は轟轟と炎が燃え盛っていて、ピギーの背中から降りた僕とヨンサムにも否応なしに火の粉が降りかかってくる。


「あつっ!山火事か?!」

「……違う。これ、グレン様の炎だ」


 炎は小屋と思しき場所をぐるりと囲むように上がっていて、木も少し離れたところにあるからまだ無事だ。木が山小屋から離れているのは明らかに人為的な手段で周囲の木が刈られているからで、辺りにはまだ切り口の新しい倒木が無数にある。

 なにより、僕はこの火の粉に当たっても()()()()()()。周囲の木々が燃えることによって舞い上がっている煤が目に入って沁みるし、服の焼け焦げはできるのに、火傷はしない。僕にとってご主人様にあたるグレン様の魔力は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、魔力反発を失くした小姓である僕を傷つけたりしない。だからこそ、これは純粋魔法による炎――グレン様の魔力によってできた炎だと分かる。


「まぁ、ピギー……と、えっと、チコがここに連れてきたってことはここにグレン様がいらっしゃるのは間違いないんだろうけどよ」


 僕の肩に乗ったチコが、忘れられそうになったことでヨンサムに向けてちっちゃな牙を見せつけて威嚇したことで、ヨンサムが慌てて言い足している。


「……僕、この光景を見たことがある」


 目の前で燃え上がる炎に包まれた小屋。あたり一面を覆いつくした炎が、何人をも受け入れないかのように立ち塞がって僕の行く手を阻んでいる、この光景を見たのはいつだったっけ。あれは――そうだ、国教学の教授の部屋で爆睡したときの夢ととてもよく似ているんだ。

 あの時のことが現実でなかったことに何度ほっとしたことか。それぐらい怖い夢だった。

 あの時の夢はまるで現実のようだったんだ。火の熱さも、煤も、火傷も。それが今、正夢のようになっている。そのことが怖くないと言ったら嘘だ。

 でも、今はあの時と違って火傷なんてまるでしていない。夢のようでいて、こちらが現実だ。あれは夢でこっちが現実。あの時とは違う。


 あの時、僕はグレン様を助けられなかったけれど――今度は。


 僕は、火の粉を遮るために手を掲げ、目を眇めているヨンサムに言った。


「ヨンサム、僕、今から中に入ってグレン様を迎えに行くよ」

「正気か!?悪い冗談はよせよ」

「正気も正気。ほら、見てよ。火傷してないでしょ?」


 僕が腕まくりをし、自分でも情けなくなるくらい細っこくて真っ白のやわな腕を見せつけると、ヨンサムがぎょっとしたような顔で僕の腕を見て気味悪そうな顔をする。


「なんでお前は大丈夫なんだよ?」

「わ、分からない。でもこれなら、僕ならこの中に入っても火傷しないでしょ?僕がグレン様を助けに行くから、ヨンサムはピギーとチコを連れて殿下にグレン様を見つけたって報告に戻って」

「でもよ!」

「こんな中にヨンサムが入ったら全身大火傷だよ?この一向に衰える気配のない火を長時間防ぐ高度な魔法が使えるなら別だけどさ」

「う……」

「チコもだめだよ。こんな中に入ったら、その立派な毛がちりちりになるどころか、見事な焼肉になっちゃう。今度こそグレン様に美味しく食べられちゃうよ」


 気配を察したのか、僕の肩から離れるもんかと言うように、僕の肩に爪を立てたチコの全身の毛が、僕の言葉と共に恐怖でぶわりと広がってまんまるの毛玉のようになった。


「チコ、ヨンサム、僕、別に死ぬつもりはないから」


 毛玉のまま固まってしまったチコを抱き上げてヨンサムに渡すと、ヨンサムが疑り深い目で僕を見てくるもんだから、僕はにっと笑って見せた。


「……本当なんだな?」

「僕、人生で最高に幸せな瞬間を堪能して、とろけるような笑顔を見せる、最高に綺麗な姉様を見ないうちにこんなとこで死ぬ気はないんだよ。……他にも、死にたくない理由はいーっぱいあるしね」


 僕の言葉に、僕の真意を見定めるようにヨンサムの眉根が寄り、アップルグリーンの瞳が細まる。


「嘘だったら、許さねぇぞ」

「本当だよ。大事な人に大事なこと伝えてないしね」

「大事なこと?」

「うん。……今、一番伝えたいこと、かな」


 僕の言葉に、ヨンサムは少し考えるような顔を見せた後、渋々僕からチコを受け取った。

 そして、はっとしたような様子で暴れ始めるチコに噛まれないように、チコの鼻面(マウス)と体を抱えながら、ピギーの背中に飛び乗った。


「無理すんじゃねぇぞ。すぐになんとかできる人を探してくるから!」

「うん」


 再び上空に舞い上がるピギーとヨンサムを見送ってから、僕は燃え上がる炎に向き直った。


 僕の体は燃えないけど、僕の服は燃えちゃうだろうから、服を守るためだけの透明な薄い水の膜を体にまとって炎の中に足を踏み入れる。

 一瞬、生きた心地がしなかったけれど、僕の予想通り、この炎は、僕の体を傷つけなかった。


 とはいえ、炎によって炙られた空気は熱いし、手をかけた山小屋――というにはもう少し立派な一軒家のドアは熱せられて変形し、一部が黒こげて崩れていた。

 肺の中の空気まで奪っていくような熱さの中、僕は、精一杯声を張り上げる。


「グレン様、いらっしゃるんでしょう!?」


 空気が熱せられて周囲の光景が歪むくらい熱い。呼吸が苦しい。燃えた柱が倒れて来る。

 それらを風の力で押し飛ばしたり、時に水の泡で周辺の温度を下げながら、僕は一歩一歩前へ、部屋の奥へと足を進める。

 火の粉を振り払い、歩み進んだ先の燃え盛る炎の奥――ああそうだ、あの時の夢の時と同じ場所に、その人が見えた。


「グレン様!グレン様!グレン様!」


 周囲が焼けただれて黒く煤けている中で、その部屋の寝台と思しき台のようなところに背をもたれかけさせ、頭を垂れ、顔を伏せたまま、木の床に腰を落としていたその人は、僕の声に、徐に顔を上げ、その瞳の中に僕を認める。

 そして、口の端を上げ、呆れたように笑った。


「……やっぱり、お前は来ちゃったんだね」

「あったり前でしょう!」


 夢とは違う、本物のグレン様の声に、思わず出そうになった涙の水分は熱気であっという間に奪われていく。

 あちらこちらで起こる小さな炎の小爆発に今度こそ飛ばされないよう、僕はグレン様の傍に駆け寄った。


「早く、ここから出ますよ」


 そう言いながら近くに来て、グレン様の現状を目にして、思わず言葉を失った。

 寝台の傍、床の上にはどうしてだか金色の砂のようなものがたくさん積もっていて、そこに埋もれるようにして座っているグレン様を立たせようと砂を払いのけた瞬間に見えたグレン様の足が焼けただれたようになっていた。


 足を投げ出した気だるそうな姿なのは、足が立たないからだと分かった僕がすぐに跪いて足に回復魔法を施せば、その火傷は徐々に癒えて元の白い肌に戻っていくのに、足の他の部分が焼け落ちて無残な姿になっていく。


「そんな……そんな、そんな!なんで?!」

「器としての身体が壊れていってるんだから、それじゃ焼石に水だよ。無駄な魔力を使うな」

「む、無駄じゃないかもしれないじゃないですか!」


 僕が同じことを繰り返すとグレン様は鼻を鳴らした。


「こうなることは分かってたし、ほら、見なよ。ここにある砂の山。一応、魔封じの道具を着けてここまで来たっていうのに、()()()()()()()()()()()


 グレン様の足元に広がっているキラキラした砂粒は、どれもこれも魔封じの道具の残骸らしい。グレン様の足が埋もれるくらいの量の砂だ。一体どれだけの魔封じの道具を使ってここまで来たんだろう。どれだけの魔力がこの人の体の中で外に出ようと暴れているんだろう。


「お前で色々実験したやつ、ぜーんぶ無駄になっちゃった」

「……グレン様、これまで僕で試してたあれやこれやの魔封じの道具は……僕へのお仕置きとか、拷問用じゃ、なかったんですか」

「あんなもんで拷問だなんて手ぬるいなぁ。子供の遊具(おもちゃ)みたいなもんでしょ」

「地面に固定して動けないままに磔にする器具のどのあたりが子供向けなんです?そんなもの、全国のお母さんが泣いて訴えますよ!そうじゃなくて……固定式だったのって、まさか」


 僕が声を震わせると、グレン様は僕を見て、あからさまに面倒くさそうにため息をついた。


「こんな、歩くだけで自然を破壊して生き物を燃やし続ける人間兵器みたいなのが、死ぬ間際にとち狂って暴れまわったら誰も止められないでしょ。全身こうやって溶けていくだろうから、脳もいつまで無事か分かったもんじゃないし、どこまで正気でいられるか分かんないし。ま、どれもほんっとに役に立たなかったけど」


 そう言って、なんてこともないことのように言いながら、足元にある砂を手ですくっては、さらりと零し、グレン様は笑う。


「あーあ。こんなみっともない姿見られたくなかったからここまで来たってのに。お前は本当にいつまで経ってもご主人様の考えが読めないよね」


 ……どうしてそんなになってまで笑えるんです?本当は怖いくせに。


「それで、お前はここに何しに来たの?……フレディに何か言われた?」

「……殿下には特に。あなたを助けてほしいとは言われましたが、特に指示は受けていません」

「……ふぅん。フレディも相変わらず中途半端だなぁ。甘っちょろくて、心配になる。じゃ、お前は何しに来たの?」

「グレン様に言いたいことがあって参りました」


 それを聞いたグレン様は、何がおかしいのか、ふっと目を細めて馬鹿にしたように口の端を上げる。


「なに?諦めるなって?今お前もやってみてわかったでしょ、無駄だって。分かったらさっさと出てってくれないかな?僕もあんまりのんびりしてられないんだ。最期のときくらい一人で静かに逝かせてほしいんだけど」

「……嘘つき……!」

「は?」

「グレン様の嘘つき!独りぼっちが寂しいくせに!僕が来てくれて嬉しいくせに!」


 僕が、蒸発に負けず、目に涙をいっぱいに溜めてグレン様を睨むと、グレン様も不機嫌そうに僕を睨んだ。


「グレン様、仰ったじゃないですか!嘘はつかないって。でも今嘘つきましたよね」

「……せっかく僕が優しさってもんを見せてあげてるのにそこまで反抗的だと思い知らせたくなる。お仕置きができないのは本当に悔しいね」

「答えてください。どうなんですか、グレン様は僕に会いたくなかったんですか?」

「さぁ?」

「僕は会いたかったです。ずっと、ずっと、会いたかったんです。……色々、聞きたいことも、伝えたいこともあるんです」


 目から零れる涙を拭いもせずに噛みつくように僕が言い切ると、グレン様は一瞬真顔になった後、ふ、と笑った。


「ここまできてようやく鈍いお前も僕の魅力が分かったってわけだ。でもざーんねん。もう時間もないから、お前で遊んでやることはできないよ?」

「時間なら、作れます。……僕がグレン様の魔力をいただきます。小姓である僕なら、グレン様のその過剰な魔力を受け入れられます。そうすれば、グレン様は生きられますよね」


 僕の言葉に、グレン様の目がすぅっと細められた。


「エル。それは誰に聞いた?」

「誰にも。僕自身で気づきました」

「……そ。でも僕はそれを了承するつもりはない。さっさとここから出ろ」

「嫌です!」


 僕がグレン様の命令に逆らった瞬間、目に見えない巨大な手に握りつぶされるかのような強烈な痛みが心臓に走った。

 思わず前のめりに崩れ落ちるほどの、強い痛みに、くふっと口から空気が漏れ、生理的な涙が零れ落ちる。


 砂の上に倒れた僕に、グレン様の冷たい言葉が落ちて来る。


「分かってるよね?小姓は主に逆らえない。僕がここから出ろと言った以上、お前は今すぐここを出ていかないと、死ぬよ?」

「い……え、死ぬ、つもり、は、ありません……!僕は、あなたと生きるんです……!」

「馬鹿なこと言ってないでさっさとここから出なよ。それとも、なに?僕と心中でもするつもり?」

「僕、一人で、生きる、くらい、なら、その方が、まし、ですね……」


 まだずきんずきんと心臓が痛いけれども、無理矢理体を起こす。


 胸のあたりを押さえながら、溶けて崩れていきそうになるグレン様の足への回復魔法を施しながら、僕は、上体を起こし、グレン様のルビー色の瞳を向かい合う。


 炎が反射して、グレン様の長い睫に縁どられた形のいいルビー色の瞳はどんな宝石にも負けないほど輝いている。

 足がこんなにも無残な状態だと言うのに、こんな状況だというのに、それでも、グレン様は、見入ってしまうほど美しい。


「そう。なら一緒に墓でも入る?」

「何十年も生きた後ならそれも考えます」

「へぇ。僕と最初に会ったときとはえらく違うことを言うじゃないか」

「僕も、あなたとずっと一緒にいて変わったんです」

「とうとう僕に調教されちゃったって認めた?」

「調教はされていませんが、僕は、あなたの隣で生きていきたいと思うようになりました」

「それ、小姓の主としての完全な調教ができたってことと何が違うの?」

「違います、全然違います。それは断固として拒否します」


 僕は、すぅっと息を吸ってから、感情のこもらないグレン様のルビー色の瞳と目を合わせる。

 グレン様、さっきからどんどん口調に余裕がなくなってることに気付いてますか?


「グレン様、ずっと以前に、僕のことが好きだって仰いましたよね。僕をグレン様に夢中にさせるとも仰ってましたね」

「そんな綺麗な告白したっけな」

「変態で人外な言葉を僕はそういう風に解釈しました」

「お前にそんな乙女思考があったとは驚きだ」

「そうなんです、僕、女の子なんですよ、これでも。自分でも都合よく忘れてましたけど、グレン様といるうちにそのことを段々忘れられなくなっていって、僕、あえて記憶と感情に蓋までしてたみたいなんです。でもそれが最近とうとう壊れまして」

「それで?」

「僕、グレン様のことが好きです」


 ずっとはぐらかそうとしていたグレン様は、僕が直球でぶん投げた言葉に今度こそ完全に表情を失った。


「もう一度申し上げましょうか?僕は、あなたのことをお慕いしてます」

「……なにそれ?家族愛?同情?今さらそんなの僕はいらない――!」

「そういうことを仰るなら、証明してご覧にいれます」


 驚き、わずかに腰を引こうとした様子が分かったけれど、そんな動きも見えなかったふりをして、僕はグレン様の顔に手を添え、その薄い形のいい唇に自分のそれを押し当てた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ