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11 小姓はようやく向き合ったのです

 

「――それで、追い払われたお前はすごすごとここで引き下がっている、というのか」


 小姓契約の内容だけを伏せ、ありのままをぶちまけると、キール様は低く抑えられた声音で僕に迫った。


「僕が憎いですか?……って、愚問ですね。キール様の大好きなグレン様をこんな目に遭わせたのは僕ですもんね」


 キール様が今僕を殺したいほど憎んでいるだろうことは、想像に難くない。


「――目障りだ」


 キール様は立ち上がると、一向に目を合わせようとしない僕の傍から離れた――かと思いきや、急に背中を蹴飛ばしてきた。

 不意をつかれた僕は、抵抗することすらできずに無様に上半身を仰け反らせて土と草の上に倒れる。

 キール様は、そんな僕に跨がるようにして僕の胸ぐらをつかんで上半身を起こしてから怒鳴った。


「それがお前の目指した小姓の姿か!」

「……なんと言われても、僕に申し開きはできません」

「それはお前のせいでグレン様がああなったからか!」

「それもあります」


 キール様は怒鳴りながら僕の上半身をがくがく揺さぶってくるが、抵抗するつもりはなかった。


 僕のせいで、グレン様が瀕死の状態にあることそれ自体も辛くて、みじめで、みっともない。小姓として情けない。


 でもそれ以上に、グレン様ともう二度と会えなくなるかもしれないと考えると、周囲が絶望で灰色に染まる。

 グレン様がいなければ宮廷獣医師を目指して毎日勉強に専念できるし、もっと自由に楽しく学園生活を送れたのにと何度も思ったけれど、いざこうなってしまえば、とてもじゃないけどそんなこと思えない。いっそ領地に引きこもってしまいたい。

 小姓を命じられなければ、きっと今頃楽しくひっそりと、動物さんたちと触れ合って、学園を卒業していたのだろうと思う。

 でも、現実はそうじゃない。今更グレン様のいない人生なんて考えられない。


 リッツもいない。グレン様もいない。そんな未来で、僕が一体何をできるというのだろう。


 もう、なにもかもがどうでもよかった。

 あとは家族さえ、特に姉様さえ幸せになってくれれば、自分のことなんてどうだっていい。


 どんなに意地悪されていたって、どんなに外道だって、どんなに最低の鬼畜野郎だって、グレン様、あなたはもう僕の人生に欠かせない存在なのに。



 キール様は、僕の無気力さに舌打ちして、その場に叩き付けるように丁寧さも思いやりもへったくれもない手つきで僕の貫頭衣の胸元から手を放した。

 それから、重力のままに倒れた僕の上半身を蹴飛ばし、うつ伏せにさせた僕の肩あたりを片足で踏みつけた。


 もっと酷くなぶられるのだろう、それでも構わない――そう思っていた僕の背中あたりに、ほわりと、覚えのある柔らかい感触がした。


「キール様……?」

「動くな。俺は今、俺自身の感情と戦っているところだ。本当なら、このままお前を踏みつぶして、蹴り倒して、お前を二目と見られないくらいにボロボロにしてやりたい。憎いし、許せない。そういう気持ちでいっぱいだ。いっぱいだが――グレン様に命じられた俺の職務を全うすることの方が俺の中での優先度は高い」


 キール様は、自身に言い聞かせるように早口で言った後、僕の背中に布越しに触れる。すると、定期的にグレン様がセクハラまがいに僕のシャツをはぎ取ってやっていたものと同じ……少しだけぎこちないけれど、なんていうんだろう、同じような感触のする魔術の気配を本格的に感じた。


「グレン様がキール様にお命じになった……?」

「……お前は、本当に、なにも分かっていない」


 強い負の感情を理性で無理矢理ねじ伏せるようにしながら、キール様は、それでも這いつくばった僕の背中への魔術の行使を止めない。

 僕をなぶり殺しにしたいほどの怒りと憎しみと悲しみは、キール様の口から言葉に乗せられて僕に降ってきた。


「あの方が、どれだけお前のことを考えていらっしゃったのか……!あの方に、どれだけ大切にされていたかも、どれだけっ……!どれだけ、その気持ちを一心に受けていたかも!お前は!何にも分かっちゃいないんだ!」

「あの方が俺に望んだのは、お前に関することだけだ!一度だって、あの方自身のために求められたことなんてない!」

「あの方に教えられたことで役立たなかったことはあるか!?」

「お前の話が本当なら……っ、あの方は、自分の命すら代わりにして、お前を庇ったんだろう!?」

「それにもかかわらずお前は……!俺は……お前が妬ましい!」


 事情聴取が終わり、病棟から出入り禁止を食らった後も、風呂にも入らないままぼうっとしていた僕の顔は、化け物と戦ったときの汚れが全然落ちておらず、泥だらけで、髪はぼさぼさ。服には至る所に化け物の体液やらグレン様の血やら僕の鼻水やらがくっついたままの、家のない貧民と同じような凄まじく汚れた状態になっていても、なお、何もやる気が起きなかったはずなのに。

 師匠に突き放された後、涙も激情すらも浮かばず、ぽっかりと心が穴が開いたようになっていたはずなのに、キール様の慟哭のような言葉に、感情が溢れて、涙が止まらなくなった。



「だったら……!だったら、僕にどうしろって言うんですか!?何にもさせてもらえない!近づくことさえできないのに!」

「だからなんだ?それでお前は諦めるのか?俺と戦った時のうざったいほどの熱意は、執着は、誇りはどこに消えたんだ!?それで諦めるくらいの覚悟であの聴衆の前で啖呵を切ったのか!?お前にとってグレン様はその程度の存在なのか!?」



 グレン様は変態だ。

 グレン様は最低だ。

 グレン様は鬼畜だ。


 でもグレン様はヨシュアを助けてくれた。


 グレン様は寂しがりだ。

 グレン様は甘えん坊だ。

 グレン様は見栄っ張りだ。


 記憶が美化されているのか、苦しかったことと怒ったことと恨んだことと一緒に、同じくらい、楽しかったり、笑ったり、ふざけたり、口げんかしたり、じゃれたりしたことだって思い浮かんでくる。


 グレン様は僕が作ったイチゴ牛乳を飲んでくださる。

 グレン様は僕が作ったクッキーを召し上がった。


 照れ隠しでちょっぴり頬を赤く染めながら僕を睨みつける子供っぽさも、その実、結構喜んでくださっただろうことも、僕は知っている。


 グレン様は僕に誰より大切な方の最期に会わせてくれた。

 グレン様は自分から己の過去を教えてくれた。

 グレン様は僕には弱いところをたまに見せてくれる。


 僕の傍で安心して子供みたいに眠るグレン様の愛らしい寝顔と、時たま見せる、おかしなくらいに甘ったるい優しい顔ばかりが、歪んだ視界に浮かぶ。


 グレン様は回りくどい。

 グレン様は天邪鬼だ。

 でもグレン様は嘘をつかない。



 グレン様は、僕に好きだと言った。



 グレン様は――僕を。



「僕だって!僕だって!グレン様が死んじゃうのなんて嫌だ!」

「そうやって駄々をこねているだけで何かできるとでも思っているのか!」

「でも……っ」

「ダメだと言われて、もう無理だと言われて、()()()()()を繰り返して、駄々をこねて――それを済ませれば、お前はグレン様が戻っていらっしゃらない未来を受け入れるのか?」



 グレン様がいなくなっちゃう。それを受け入れるなんてこと、本当に僕にできるの?


 それを考えれば、当然涙がとめどなく流れる。苦しい。頭がおかしくなりそうだ。

 同時に、胸の奥がひどくきゅっと絞まり、口の脇が苦くなる。――これはきっと、後悔の味だ。



 グレン様は時折思い出したかのように、悪ふざけのように、僕に好意を伝えてきた。


 最初は冗談だと思った。その次は新手の嫌がらせだと思った。それからは手の込んだセクハラだと思った。

 でもいつからだろう。途中から、そうじゃないかもって半信半疑で――いや違う。


 半信半疑なんじゃなくて、僕がその気持ちに向かい合ったときに来るであろう最悪の結末を予期して、それ以上、何も考えないようにしていただけだ。


 そこを突き詰めて考えたら、グレン様と僕の、ご主人様と小姓の――男であるご主人様と、男装した女の小姓の、微妙な、綱渡りのような危うい関係が崩れてしまうから。


 いや、それすらも「逃げ」だ。


 その気持ちも嘘じゃない。でも根本はもっと違うところにある。



 底辺男爵家の次女に過ぎず、貴族簿の登録すら「男性」となっていて、女性としての魅力を欠片も有さない、傷物ですらある僕が、アルコットの嫡男であり、宰相補佐であり、筆頭の宮廷魔術師になる煌びやかな経歴を持つグレン様の隣に()()()()立つことなんかできやしないと、いつごろからか、思っていた。


 極めつけは、あの、偽婚約者お披露目パーティーだ。

 あそこで僕は、グレン様が本来生きるべき世界と、そこにある貴族のご令嬢たちのあるべき姿を見た。

 グレン様が、いかに魅力的な地位と(外見上)魅力的な姿を持っているか、それを改めて思い知らされた。

 今はあれだけども、将来、グレン様が心を開いた時、その未来の奥方になるお相手はきっとグレン様の素顔を見て、まるで砂に埋もれに埋もれて隠されまくった砂金のような状態になっている、隠されたあの人の内面の輝きにすら気づくのだろうと思った。

 そうすれば、そのお相手は、きっとグレン様をいなしつつ、深い愛情をあの人に向け、愛と優しさに飢えてひねくれまくったグレン様も徐々に心の傷を癒やし、きっと素敵なご夫婦になられるのだろう。



 悔しいけれど、ご本人が言うように、地位も身分も能力も人並外れて高く、国の中枢を担っていくことが確定しているグレン様は、今はふざけていようとも、いずれ、そうして、ふさわしい身分の、ふさわしい能力を持った、ふさわしいご令嬢とご結婚なさる。

 そして、僕は、グレン様と未来の奥方様のお近くで、一生「小姓」としてグレン様を支えていくのだ。


 そんな僕が、もし、グレン様に、親愛以上の気持ちを持ってしまったら?


 異性として愛する人が、別の人を愛し、愛され、幸せになる姿を間近でまざまざと見せつけられる。自分への関心などなくなっていく。

 そんな残酷で、苦しい状況に、僕は耐えられないんじゃないか。

 もしそんな気持ちになれば、いずれは、小姓としてのグレン様からの信頼すらも裏切ってしまうんじゃないか。

 そんな僕は、その時こそ、グレン様にとって本当にいらない存在になる。


 僕は怖かったんだ。


 女性としての魅力を欠いた、どころか、まるまるどこかに置いてきたような僕が、グレン様を男性として意識してしまうことが。


 そうして、もし仮に、「恋心」なんかが生まれてしまったとしても、そんな身の程知らずの恋がこの世の中で報われることはない。

 板挟みになった僕は、どこかでお役目を放棄してしまいたくなるかもしれない。

 グレン様と、その未来の奥方様の不幸を祈るような、最悪の状態になりかねない。


 グレン様に見捨てられるかもしれない。


 だから、僕は、途中からその可能性をずっと頭の隅のさらに奥に追いやって、無意識にも、意識的にも、そんな自分の「女性としての芽」のようなものを摘み取って潰してきた。


 そして、あの人から向けられる()()を、少し変わった()()()()で、あの人が珍しく信じられると思えるようになった存在に対する()()()のようなものだと、思い込もうとした。

 それに対して、小姓としての忠誠をもって答えようと決めた。



 でもね。僕、気付いたんだ。

 必死になって芽を摘み取ろうとしてる時点で、恋心が生まれてしまったとしたら。なんて仮定はとっくの昔に意味をなさなくなっているんだってこと。


 グレン様がいなくなったら、と考えて、自分がこんな数奇な運命をたどることになった最初の夢すらも色あせて見えてしまうなんて、その時点でどうかしてる。


 リッツに言われた時とは明らかに違う、心臓がどきどきして、体温が上がって、目を合わせていられなくなった、あの妙な感覚が――あの時の自分の気持ちが何なのか。

 僕は、とっくの昔に分かっていたのに、ずっとはぐらかし続けていた。


 グレン様のお世話を必死になってしていたのが、小姓としての親愛と敬愛によるものなのか、そうじゃないのかなんてどうだっていい。

 きっとどっちも正解だから。


 ただひとつ、真実は、僕はグレン様をかけがえのない存在だと思っていること。グレン様に生きてほしいと常に思っていること。

 僕が、グレン様を、愛していること。



 グレン様からの想いに正面から答えず、はぐらかしたまま、このまま二度と会えなくなっていいわけない。

 投げられたボールは全力で打ち返すし、売られた喧嘩は3倍払って買いたたく。それが僕のこれまでの生き方だった。

 命すらも投げだして向けられた気持ちに、どちらであっても自分なりの答えを全力で返さないのは、もやもやして気持ちが悪い。

 小姓だろうと女だろうと傷物だろうと、僕は僕。それでいいじゃないか。


 諦めるのは大っ嫌いだし、不誠実なのも、僕の主義に反する。


 だから僕、もううじうじ悩むのはやめる。


 グレン様。あなたを諦めるのは、僕が絶対に許せないことのようだから、僕は、あなたがどう思おうと、僕の気持ちを貫かせてもらいます。





 僕が無言のまま徐に起き上がって、背中に添えられたキール様の手を払いのけると、キール様は一瞬びくりと驚いたような雰囲気を漂わせる。


 そんなキール様を尻目に立ち上がって、ボロボロになった顔を服の袖で拭いた。

 拭いたつもりが、土やらなにやらが混ざったドロドロが顔中に広がったに違いない感触がした。


 その顔のままでにっこりキール様に笑いかけると、キール様が3歩くらい後ろに下がった。


「せっかくですが、キール様」

「な、なんだ!?」

「僕、あなたの魔術だとぎこちなくて、なんか嫌です」

「……このっ……」

「僕の背中に触れるなら、グレン様じゃないとダメなんです」


 キール様の眉が一瞬恐ろしく跳ね上がり、全身から殺意が飛んできたけれど、僕がすっきりした表情でそう答えると、キール様は、今度は苦いものを噛み潰したような顔をして、それから汚いものを触ったように手でパンパンと払い、ぷいと顔を横に背けた。


「――例えグレン様からのご命令であろうと、こっちからも、二度と願い下げだ」

「なら、グレン様にそのお許しを得なければいけませんね」

「……そうだな」


 キール様の雰囲気がほんのちょっとだけ和らいだところで、


「じゃ、僕、強行突破してきます」


 と王城に向かって体を向けると、キール様に後ろからがっしり肩を掴まれて止められた。


「待て。お前、風呂だけは入っていけ。あと、着替えろ。そのままじゃ王城に入る前に衛兵に止められて牢獄に入れられるぞ。俺が何かする以前の問題として、今のお前は既に二目と見られない姿だということを覚えておけ」


 冷静な忠告をどうもありがとう、キール様!




誰得少年漫画展開オンパレードで連続投稿して参りましたが、ストック切れのため、暫しお待ちください。

それほどお待たせさせない(予定)です。

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