5 小姓のヒーローはご主人様なのかもしれません
「ヨンサム……なんで黙るの?」
ヨンサムは僕の質問に一向に答えず、ただ足を早める。
リッツになにかあった?
まさか、教皇が言うとおり、あの化け物がリッツの妹で、本当にリッツはあの化け物の――いや、彼女の双子の兄で、奴隷みたいになってて、それで……
グレン様がリッツを殺した?
そんなことがありうるの?
「外出るぞ」
ヨンサムは、僕を抱えたまま、ドアを蹴破るようにして飛び出した。久しぶりの外の空気と、湿気をたっぷり含んだ森の匂いが顔にかかってくる。
ヨンサムは、大聖堂から少し離れたところまで僕を運ぶと、そこに僕を下ろし、相変わらず僕の質問などなかったかのように、ふぅ、と額の汗をぬぐう。
「先輩方のおかげでなんとかなったぜ。道中の教会士、一人もいなかったもんな。全部なんとかしてくれるとか、ほんとすげぇなぁ」
と、言うものの、ヨンサムだって人一人抱えたまま全速力で走っていたというのに息を切らした様子がない。
「俺、中に戻って応援に行かないと」
「ヨンサム、無視するなよ」
立ち上がり、わざとらしく僕を無視しようとするヨンサムの腕をつかんで止めた。
「大事な話なんだ。確認させてほしい」
「……リッツのことなら、今は話せねぇよ」
僕の顔からさっと血が引いていく感覚がする。
「どうして?なにかあったの?まさか……グレン様やイアン様から何か聞いてたりする?」
僕が震える声で尋ねれば、ヨンサムは、しまった、と言うように舌打ちして、「とにかく、後だ」と話をぶった切って、そのまま踵を返して大聖堂に戻ろうとするから、僕は、ヨンサムの前に立ちはだかった。
「なんでだよ!?ヨンサムもリッツが心配だろ!?」
「話せねぇもんは話せねぇんだよ!」
「教皇が、グレン様がリッツを殺したって言ってたんだ。そんなの、嘘だよね?」
僕の言葉に、ヨンサムは一瞬息を止めてから、無言になる。
「ねぇ、嘘だよね?」
嘘が下手くそなヨンサムは、僕に腕を掴まれたまま、僕から視線を外し、斜め下の地面を向いて、ものすごく痛いところがあるように眉をしかめた。その顔が、僕の嫌な予感を加速させていく。
「ヨンサム、嘘だって言ってくれよ!」
「……答えねぇ」
「なんでだよ!僕は真実が知りたい!」
「知ってどうするんだよ?」
ヨンサムは苦いものを吐き出すような低い声で怒鳴った。
「真実を知りたいって言うけどよ!もし本当にグレン様がリッツを殺してたとして、お前はそれでどうするんだよ?友達を殺したからって理由でご主人様を裏切れんのか?復讐すんのか?それとも受け流せるのか?許せるのか?」
「そ、そんなこと言われてもっ――」
「そんな、腹も決まってない状態で聞いたっていいことなんか一個もねぇだろ!?今の危機的状況を更にまずい方向になるようなこと、してどうすんだ?」
ヨンサムの正論が刺さるからこそ、胸の中にあるもやもやを吐き出したくて仕方なくなる。
なんでヨンサムはそんなに冷静でいられるんだ、と言おうとしてヨンサムを見上げ、僕ははっとなった。
しばらく見ないうちに、ヨンサムはぐんと成長した。それは、筋肉が増えたとか、元々高かった身長がまた伸びたとか、そういう物理的な成長もあるけど、それだけじゃない。
本戦も終わっていないのに、事実上イアン様の隊から内定をもらったも同然の扱いを受けているヨンサムは、騎士たるべく努力している。騎士として、冷静であろうと努めるのは当たり前だ。
同時に、根っからまっすぐで、実直さをも持ちあわせるヨンサムは、その心根どおり、嘘偽りも言えなければ、ポーカーフェイスもできない男だ。
今だって、言葉には出さないものの、眉を寄せ、口を真一文字に引き結び、目を伏せ気味にして、手を拳の形で握りしめていて、その拳は、何かを堪えるようにブルブルと震えている。
「……まだ騎士にも命じられていない俺が、お前を助けに来る条件としてイアン様に命じられたことが、私情を捨てて任務に全うすること――騎士として動くことなんだよ!だから、今、俺の立場でお前に話せることは何もねぇんだよ!」
今にも泣きそうになるのを必死で堪えているヨンサムの様子から、答えが、僕が想像しているとおりだってことくらい分かる。
それでも質問を重ねずにいられないのは、僕がそれを信じたくないからだ。明確に答えてもらえるまで、それは僕の中で疑惑に過ぎなくて、最悪の可能性には至っていない希望を持てるからだ。
そして、根が優しいヨンサムなら、僕への影響も考えて、その答えを決して教えてくれないだろう、と僕は期待している。だから安心して、答えを聞きたがっているふりをしてヨンサムに突っかかれる。
つまりこれは、僕の八つ当たりであって、甘えだ。
「ごめん」
頭の冷えた僕が力なくヨンサムの腕を放すと、ヨンサムも「いい」と低い声を返した。
きぃんと耳鳴りがしている。
あぁ。そうか。あの話は本当だったのか。リッツは、きっともうこの世にいない。
そしてその引導を渡したのはきっと、僕のご主人様だ。
「……僕、グレン様に会いに行くよ」
「あの方はこの状況で問い詰めたってもっと答えてくれねぇよ」
「そうじゃない」
グレン様の言葉で語ってもらおうなんてハナから思っちゃいない。この状況でなくても素直に答えてくれる人じゃないんだから。
真実を最初にヨンサムに言わせようとした僕は、酷い友達だ。
そして、それを知ってなお、グレン様を心配してしまう僕は、友達失格だよな、リッツ。ごめんな。
目をつぶって深呼吸し、大きく息を吐き出すと同時に、頭を切り替える。
「ヨンサムがイアン様の指示のとおりに動くのと同じで、僕は、小姓として、これから何をすべきなのか、グレン様の指示を仰がなきゃいけない」
正直、グレン様の口から真実が語られた時、自分がどんな反応をしてしまうかは分からない。
リッツが死んでしまったことに対するショックで泣き叫び、もしかしたらグレン様をなじってしまうかもしれない。
きっとグレン様のことは一生許せない。
でも同時に、僕は、今頃どうしようもなく心がズタズタになっているだろうグレン様を心配もしている。
実は繊細で、強がってはいるけど孤独で寂しがりなグレン様が、教皇の話したとおりの境遇で生きてきたあいつに直接手を下したのだとすれば、グレン様は、今、誰より傷ついているはずだ。
ごめんなリッツ。
例えグレン様がお前を死に追いやったんだとしても、僕はきっとそれに理由があるんだろうと思ってしまうんだ。どうしようもない状況だったんだろうと思ってしまうんだ。
そして、どうしようもない状況にせざるを得なかったことに対して、一番自責の念を感じているのはきっとグレン様だとも思うんだ。
だから僕は、グレン様に会いたい。会いたくてたまらない。
僕とヨンサムの間に沈黙が落ちたのは、そう長い時間ではなかった。
轟音と共に大聖堂の天井が吹き飛び、僕とヨンサムが防御魔法で瓦礫から体を庇っていると、大聖堂の中から、多数の悲鳴と共に教会士たちが逃げて来る。
「ばっ、化け物……!助け――」
どこかから響いてきた声が、くぐもって消える。
そうして、破壊の後に立った埃の中から黒いシルエットが浮かび上がってきた。
壊れた天井から這い出るように、ぬるりと天井付近から黒い影が出てきて、その後、どん、と下に落ちてくる。その高さは、教会の3階ほどにも相当し、横幅も同じくらい大きい。
飲み込んだはいいが、消化しきれなかった、と言わんばかりに身体の至る所に分断された教会士の顔やら手足やらを生やし、何千もの人間の指をうごめかせながら、人間の足と昆虫の足で体を支えて、お尻のあたりに数多の動物たちの顔や尾を生やして、それはそこに現れた。
さっきよりも一回り大きいのは、ここに来るまでにたくさんの教会士の命を吸い取ったからか?
「おい、エル、あそこ見ろ!」
その全容を見て絶句していたヨンサムが(これを間近で見て気絶していないのはなかなかの精神力だと思う)、僕を引っ張って指示した方向を見て、僕すらも言葉を失った。
化け物の体から突き出している――刺さっているとも言っていいかもしれない――教会士たちの一人の中、本体の顔付近に、さっきまで見ていた顔が見える。
「き、教皇……!」
絶望なのか、驚きなのか、白目を見開き、口を開けたまま、「おうおう」と謎の言葉を発し続けているその存在は、まさしく先ほどまで僕を襲うように指示していた人物であったはずだ。
「く、食われたのか……!」
「そうみたいだね!」
「やべぇな、来るぞ!」
化け物は、身体を僕たちのいる方に向け、猛然と突進してきた。僕たちは全速力で教会から離れるように走りだしたが、化け物の接近速度は、より体の軽そうだったさっきより断然速い。
「追いつかれる!」
「エル、ヨンサム、どけ!」
化け物たちが僕たちに伸ばす無数の手は、僕たちに届く前に、上から振り下ろされた剣に一掃された。
「イアン様!」
大聖堂の上の階から飛び降り、僕たちと化け物の間に立ちふさがったイアン様に、すかさずヨンサムが駆け寄る。
イアン様の全身は切り傷で血だらけになっており、額からは血が流れている。特に足の負傷は酷く、例の酸のせいなのか、火傷のようになっている箇所が散見された。
「イアン様、治療を!」
「そんな暇はない。ヨンサム、大聖堂に残された教会士の捕縛と保護、住民の避難を」
「ですがっ!」
「命令が聞こえなかったか?」
「はっ!」
騎士において上官の命令は絶対だ。ヨンサムは、後ろ髪を引かれるようにしながらも、剣を構えたまま、言われたとおりに、行く手を邪魔する手足を切り飛ばしながら走っていった。
驚いたことに、その途中、二、三の首がヨンサムの方に向いたものの、化け物の本体はこちらに残ったままだった。
目というべきか、はたまた顔というべきか――とにかく化け物の注目は僕に向けられている。
「イアン様……酷いお怪我です」
「気をつけろ、エル。こいつは厄介だ」
剣を構えたイアン様は、らしくもなく息を少し乱していた。
僕がイアン様の近くでできることといえば、治療くらいしかない。
できる限りの場所を治そうと、イアン様の怪我に回復魔法を施していく。
「あの後一体何があったのです?皆様はご無事ですか?」
「俺たちの隊はひとまず誰もあの化け物の一部にはなっていない。だが、大丈夫とも言えないな。俺が追い詰めたせいで、教会士たちが犠牲になって、より面倒なことになった」
「面倒なこと、とは?」
「最初に見たときは動きも鈍く、不完全なようだったから一気に片付けようと思ったんだが、一部を破壊すると、すぐに起き直って、壊れた部位をその辺りから補充する」
「えぇと、あの教会士たちは補充されたやつらってことですか」
「あぁ」
「そういえば、教皇は、あの化け物が神だって言っていましたが……決して死なない、っていう意味だったのかな……?」
「あれが神だというのなら、国民が泣くな」
「教皇はあれの手綱を握っていたんじゃないんですか?」
「俺もそう思っていたんだがな。途中、突然教皇を狙って襲いだしたんだ。そのおかげで隊のやつらの避難も間に合った。教皇は油断をつかれたからか、見事に食われてあぁなったわけだが」
イアン様は、化け物から来る無数の鉤爪攻撃や酸をその剣一本でさばきながら答えてくれている。その会話には余裕があるようにも見えるが、後ろにいる僕を庇っているせいか、防ぎきれなかったいくつかがまたイアン様の体に切り傷を作っていく。
「教皇を食ったところで、こう、雰囲気が変わってな。動きも能力も一段と高くなったし、再生能力も早くなっている。ほら見ろ」
イアン様が化け物を切るたびに、そこから小さい鉤爪のついた指が生え、さらに大きく成長してまた攻撃を加えてくる始末だ。
「しかも再生する直前、切った傷口からは毒と酸の霧をまき散らしている。最初気づかなかったのは俺の鍛錬不足だが、気付いた時には俺の体の動きが鈍くなっていてな。鈍ったところで、吐き出された液体の毒にやられた」
「防御魔法も間に合わなかったのですか?」
「厄介なところ、というのはそこもでな。俺の防御魔法でも防げなかった」
「イアン様でも……!」
「単騎の俺では少々相性の悪い相手だな」
イアン様は、攻撃するたびに疲労し、傷つく。
相手は傷ついても再生するし、いくらでも大きくなれる。そして例えイアン様が天才的な剣士であっても、負傷したまま、僕を庇っていれば、隙はできる。
下手な攻撃が千あれば、一、二は当たり、それが確実にイアン様を削っているのだ。
加えてイアン様レベルの防御魔法でも防げない強毒まで使うとなれば、普通の騎士ですらも対応できるか怪しいし、一般の人なら太刀打ちどころか一瞬で化け物の栄養と化すのだろう。
イアン様が一方的に不利だ。
「エル、あれはどうやらお前を狙っているらしい」
「僕を?」
確かに、僕が動いていないからか、化け物は僕とイアン様の周囲を囲むように移動しただけで、それ以上遠くに行こうとはしていない。
イアン様の陰に僕がいても、どうも僕の方に攻撃が来ることが多く、イアン様はそれを捌いてくださっている。
イアン様の怪我は控えめに言って重傷だ。未知の毒、僕の所感では、既存の毒の混合物なんだろうけど、それを取り除くのにも時間がかかる。僕の回復魔法一つでなんとかできる代物ではなく、専門家の治療と専門的な解毒薬が必要だ。今僕が行っている治療もとても効き目が悪い。
このままではイアン様が倒れてしまう。
「それなら、ここは僕が囮になりますのでイアン様は騎士様方の指揮を!」
「ここで俺が離脱すればお前は囮になる前にあれの餌になるだろうが!」
さしもの化け物も、今の状態に焦れたのか、突然大きく膨らみ、僕とイアン様を囲んでそのまま飲み込むようにしてくる。
「イアン様、毒煙です!」
僕が、例の透明な空間を作る魔術を発動させ、それを遮ったものの、僕の乏しい魔力ではあとどれだけ持つのか、想像に難くない。
この最中にも、触手が槍のように変形し、僕たちを突き刺そうと襲ってくる。
「なんとしても僕を食べたいみたいです!僕は美味しくないのに!」
「軽口をたたいている場合か!それともあいつに食われたいのか?!」
「そうしないと恐怖で発狂しそうなんですよ!あいつの一部に仲間入りは僕だって御免です!」
もうほとんど頭上まで覆われそうだというのに、イアン様の目からは闘志は消えず、僕を攻撃から守る剣戟は止まるところを知らない。それどころか、呆れたような笑いまで漏らした。
「それにしても、お前は、本当に、おかしなやつらに好かれることが多いな」
「化け物に好かれるなんて縁起でもない。というか、そのおかしなやつらって、ご主人様も含んでますよね」
「どうだかな……!――伏せろ、エル!」
イアン様が僕に覆いかぶさるようにして僕を庇ってくださった瞬間に、熱風が、僕の顔を焼かんばかりに襲ってきた。
瞬間的に閉じた目を恐る恐る開けると、さっきまで暗かった視界が開けている。
「失礼しちゃうなぁ。僕をこんなモノと同列扱いなんてさ」
抉られた化け物の体の空洞から、ゆらゆらとゆらめく炎によって、さらさらの髪が黄金色に輝くのが見えた。
炎が映ったルビーの瞳はいつもよりもっと赤く光っていて、その瞳が僕たちの方に向けられた途端、天使の様なお顔の口元だけに笑顔を浮かべたご主人様が言った。
「ほら、英雄の登場だよ」
 




