2 主と看取り
その場に座り、相手の胸から短刀を抜くと、ぶしゅりと大量の血液が跳ね飛んだ。
とはいえ、相手の血を浴びるような愚を犯さない僕にその血が付くことはない。
短刀が刺さってれば止血になるが、それが抜かれたことで、リッツ・ノバルティ――リッツは大きく吐血した。
「俺が……あいつらみたいに一撃で殺してもらえない理由は、個人的な感情によるものですか」
「僕がそんなに愚かだとでも?」
ごろりと転がったその体を仰向けにして、着込んだシャツを引きちぎると、想像通り、あえて狙った心臓の真下付近に、どくどくと血を流す傷の付いた状態の術印が見えた。ナイフの傷跡によって無残に壊れた状態であっても、僕なら元の原型の想像もつく。
それが小姓契約と同じように命にかかわる禁忌と呼ばれる魔術をいくつか掛け合わせたものであること――その中でも最悪なものであるという僕の想定は全て当たった。
そしてそれは、フレディに報告したある最悪の状態が確実な未来になることも意味していた。
無意識のうちに苦々しく舌打ちしてしまった。
「グレン様、俺のコレまでご存知だったんですか……あぁ、傷で紋が壊れてる。これなら、俺ももう……こいつらを解放してやれる……」
リッツが、徐に体を横に倒すと、傷口に震える指を寄せ、滴るほどの血を人差し指につけてから、その震える指で地面にある紋を書いた。
同時に、がさりと周囲の草むらが揺れ、その場からたくさんの生き物が去っていくような気配が広がる。
それをし終えたリッツは、そのまま力なく腕を下ろし、ただどくどくと自分から流れる血を見て、声を漏らした。
「あぁ俺、まだ赤い血が流れるんだなぁ……。まだ、俺、ヒト、だったんだなぁ……」
赤い液体は、その体の下に広がり、急速に広がっていく。
僕はただ黙って目の前の男の魔力の流れを見通した。
くそっ、予想通りぐちゃぐちゃだ
「グレン様……なんで俺に、解呪する時間をくれたんですか」
リッツは、目だけ僕に向けて問うた。
僕が答えないままじっと見下ろしていると、じゃあ、と吐息の声を漏らした。
「違う、質問、していいですか。グレン様、俺が裏切者だって――動物使いだって、気付いた理由、教えてもらえませんか」
「僕が敵に情報を渡すとでも思っているの?」
動物使いの一件については、大分前から内部犯――つまり、学園内に犯人がいることは分かっていた。
それが教師なのか、生徒なのか、掴みかねていた頃もあったが、何度も現れる操られた動物たちのおかげである程度の候補は絞れていた。
そこに残っていた名前に、リッツ・ノバルティの名前もあった。
僕は、時間をかけてリストに残った人物の背後関係を調べていたが、その中でノバルティ家を探った時に違和感を覚えた。
ノバルティ男爵家には、かつて子供がいなかった――それが過去の記録だったのだ。
それが、途中から、子供が2人以上できた記録に変わっている。長男、次男、長女。そのどれもが養子だ。長男は、男爵夫妻が40歳のとき、次男と長女は、50歳のときの養子だ。その次男がリッツ・ノバルティ。次女が修道女となっている、アイシャ・ノバルティだった。
いずれも同じ年――すなわち双子として登録されている子供だ。
子供のいない貴族が養子をとることは珍しいことではない。問題は、その養子がどこから来た子供か、ということだ。どこかの誰かと同じ男女の双子、というところに引っかかりを覚え、僕は更に詳しく調べた。
ノバルティ男爵夫妻が、子供に恵まれず、跡取りとして養子をとったことと、長男の出自については、比較的早く確認が取れた。この長男は、あまり出来はよくなく、魔力量も少なく、凡庸な人間だった。
自領の存続や今後を憂いたためだろうか、長男の補助になるようにとられた養子が次男である、リッツだった。
リッツは、魔力量はさておき、学力や領主としての経営感覚にも優れることを窺わせる片鱗があったらしい。
これに加え、男爵家である以上、一定の魔力のある子供であることが必要になるが、リッツは、男爵家としては十分な、平均的な魔力を持ち合わせていた。
これは裏を返せば、必然、リッツが貴族の血を引く子供であるということも意味する。僕のような先祖返りで魔力量が多くなっているという場合はあるとしても、家系上全く貴族の血を有していないということはありえないので、根気よくしらみつぶしに可能性のある所を探った。
追っていくのに幾分時間がかかったが、最終的に、かなり下位の――ノバルティ男爵家よりも下位の男爵位の家から、不自然な出生届がなされていた。
こういう不自然な出生届の原因は、大抵、出自を明かせない生まれ故のもの。それを、親などが、金や何らかの取引により、生粋の貴族の子供としての登録をさせたという可能性が高い。そして、出自を明かせない子供には、様々な要因がありうるものの、大抵のところ、本来異性との関係を断っているはずの教会士が生ませた子供であるということが多い。
教会士の子供――それも、男爵家程度の魔力を持てる子供が生まれているということは、それなりに高位の教会士の子ということになる――そうして、リッツの出自がつかめ、その背後関係から、裏切り者であるという可能性が色濃くなっていった。
最終的な決め手になったのは、僕が問い合わせたヤコブ医師からの回答書だった。
『動物使いが一度に使える魔物や動物の数や操作内容については、その術者の力量によって変わりうるが、効果が及ぶ範囲については、せいぜい20エム以内が限度である』
『これまで動物使いが使っていた動物たちには、一定の魔術による治療痕がある』
『傷の治り方からして新しいものである』
『若い術師によるものの可能性が高い』
『動物使いは、学園の生徒――獣医師科の者である可能性が極めて高い』
明言は避けたものの、ヤコブ医師は犯人が誰か気づいてたのだろう。
これまで調べた経緯や、フレディやエルが襲われたときの位置関係、そういった色んなものを総合して、犯人はもう少し早い段階から絞れていた。
それから後、探っていたのは、「なぜリッツ・ノバルティが動物使いとして教会のために動いているか」という動機だった。その動機こそが本当に僕たちが知るべきものだからだ。
そして、ある一つの仮説が、外れてほしいという空虚な希望を嘲笑うかのように、どんどん信ぴょう性を帯びていった。
今日、エルと出かけたときに襲われた状況――相手の集団が女装のエルを小姓だと気づいたこと、その時にも動物使いがいたこと、事件後にこいつが瓦礫の中に倒れていたことは、最後の確認に過ぎない。
「君に確かめたいことがある」
「俺の質問には答えてくれないのに、ご自分は質問されるんですね……つくづく、傲慢なお人だなぁ」
「君、どのくらい命を吸われている?」
僕の質問に、力なく笑っていたリッツは、初めて目を大きく見開いた。
「……半分です。俺、あいつとは対――蓋になれる人間ですから、残りは最後の仕上げになるはずだったんですよ」
「僕が台無しにしなければね」
「……グレン様、俺、答えたんで、一つ、教えてもらえませんか」
多量の吐血によって血だらけになった口からまたもごぼりと血の塊を吐き出しながら、リッツは言った。
「俺が、エルに告白したり、エルを祭に連れ出したことを止めなかったのは、俺が、教会の手先か確認したかったから、じゃないですよね」
僕が無言でいると、ごぼごぼと血の泡を吹きながら、リッツは続ける。
「全てはエルのため。そうですよね。俺が教会の手先だって、動物使いとして、たくさんの動物たちを無残に殺したやつだって、知ったら、あいつが悲しむから、それも知らせないまま、ですよね」
「さぁ」
「あなたが、俺に、とどめを、刺した理由も、あいつには、教えないつもり、なんですかね」
「あれに言ってなんになるの」
「あなたは、エルに、恨まれてもいいと、思っている、んですね。俺が、あいつに、ちょっかいをかけて、だから、殺したと、そういう、汚名を着ても、いいと思っている、そうなんじゃないですか」
「仮にそうだとしてそれでなに?」
リッツは、ははと乾いた笑い声をあげて、再び仰向けになって薄目のままで言った。
「『無慈悲』も、甘く、なりましたね。俺、この世で、知った、事実の中で、一番、びっくり、してます。死後の、いい、土産話に、なりそう、です」
「僕が裏の世界で何と呼ばれていたかなんて興味がないね」
リッツは、はぁ、と息を吐いた。
血を流し過ぎたのだろう、顔は真っ白だった。
裏切者に僕が何を考えているのか、勝手な意見を言わせっぱなしで終わるのも、分かったような顔で笑われるのも癪に障ったので、僕は片膝をつき、近づいてから徐に口を開いた。
「お前も、あえてエルに接触したんでしょ」
リッツのぼんやりした目がこちらを向いた。
「お前の立場なら、必要以上にエルに近づかないで同じことをできたはずなのに、あえて近づいている。それはお前が、エルに近づきたかったということのほかに、エルに――ひいては僕たちに、教会のことを伝えたかったからじゃないの」
こいつに、エルに惹かれる気持ちがあったことは否定しない。
そして、自分の意図や現状を伝えられない状態で、エルの側にいたのは、それだけこいつが、エルや、その他の友人や、自分の置かれた状況を――あの、ぬるま湯の様な学園生活をそれなりに気に入っていたから。そして同時に、このままいけば確実な未来になる最悪の状況によって、それを自分の手で終わりにするのが嫌だったからだ。
エルの近くでエルにちょっかいをかければ、僕が気にするはず。こいつはそんなことを思ったんじゃないか。それくらい、エルたちを守りたかったんじゃないか。
こいつにとっての、エルやヨンサム・セネットは、僕にとっての、フレディやイアンと同じような存在なのかもしれない。
リッツは、僕の追及に答えずにふっと笑みをこぼした。
「さぁ。俺のことを、あなたに、知ってもらおうとは、思いません……」
生意気なことを言った後に、リッツは、よろよろと懐に手を伸ばす。
「できれば、これを、あいつらに――エルとヨンサムに、渡して、もらえませんか」
しかし、懐に入れた手は出てこない。もう懐に入れた何かを抜き取る力もないのだろう。
「あなたは、俺と、似てます」
「なにが」
「死が、救いに、なることを、知ってる人、だから………だから、エルに――決して死に逃げないあいつに、太陽みたいなあいつに、惹かれるんだ……」
僕の目を見たリッツは、細い息を吐いた。
その頃から、リッツに変化があった。
足先が急速に灰色の砂状になって、それが周囲の血と混ざり、血色の泥のようになってその形が崩れていく。
「あー……俺、やっと、死ねる、んですね」
こいつの体は呪いの影響で既に人でない状態だ。人としても死ねないまでになっているということでもある。
心臓を外してやった。最初にこいつの姿を見たときは、まだ望みはあるかもしれないとそういう予想もしていた。
それでも、半分も命を吸われているとなれば、助けるにはもう手遅れだった。
魔力の流れを見ても、その余地はなかった。
そのことは、僕と同じように、リッツ自身が一番よく分かっているようだった。
「最期の、お願いです」
リッツは、指の先が灰色の砂から血色の泥へと急速に変わっていく様を見て、吐息を漏らした。
「あいつらに、楽しかった、って、言ってもらえませんか」
「僕にそれを言う時間はないよ」
「……俺は、そうは、思いません。……なんたって、あんたには、あいつがいる。しぶとくて……あんたのことが、誰よりも好きでたまらない、あいつが」
下半身から上半身へ、指先から上腕へ、急速に砂へと変わっていくリッツの目元に、乾いた体に見合わない水が浮かんだ。
「……へぇ。恋敵にそんな塩贈っていいの」
最期に会うのはエルだろうと、そう期待していたくせに。
なんだったら、エルの手で殺されることを期待していたくせに。
「永遠に、生き続けなければならない、恐怖を、なくしてくれたのは、あなた、ですから。ちょっとした、お礼……って、言っても、あんたたち、もうとっくに、お互いの気持ちに気付いてる、のに、頑固、だからなぁ……」
はは、と状況に見合わない笑いを乗せた吐息に安堵が混ざっているように聞こえるのは、僕の都合のいい思い込みなんだろうか。
その顔には、人間としてありえない状態へ変わっていくことや、死への恐怖は浮かんでおらず、ただ混じりけのない笑顔だけがあった。
ぽろりと零れた涙だけが、友人に謝れずにいなくなる自分への悔しさのようにも見えた。
「俺を……化け物になる前に、これ以上、あいつらを、悲しませる前に、殺してくれて、ありがとう」
「どうか、妹を、助けて、ください」
それが最期の言葉だった。
浮かんだ笑顔のまま、全身が真っ赤な泥状となって、その形が崩れる。その場に残ったのは、真っ赤な血の海に浮かぶ大量の泥と、そいつが元々来ていた服だけだった。
僕は、立ち上がると、小さくぱちんと指を鳴らした。
同時に僕の作った炎が、人の形をした泥と血をぼうっと囲んで燃やしていく。
ぱちぱちとはぜる音が弔いのように響き、明るい光が煌々と辺りを照らす。
燃やし尽くしそうになるその頃、ちょうど吹いてきた風が、わずかに残った灰の残骸を吹き飛ばして、さらさらと空に舞わせていった。
灰は風に乗って、きらきらと夜空で光っていた。
「……お前なんかに僕を分かられてたまるか」
最後にその場に残った一冊の本を手に取り、僕は森を後にした。
森は、何もなかったように元の静寂を取り戻していた。




