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 チェシャ猫から合格をもらえたアリスは、帽子屋の案内で、森の奥の魔女が住む館へと着いた。

 茨がひび割れた館の壁に沿うように生え、恐ろしさを感じさせるものだ。帽子屋の後をついて庭園へと回れば視界に入るのは、緑が風に揺れ色とりどりの鮮やかな花。館と庭のどこかアンバランスな風景にアリスは何度か瞬きをしつつ、見えてきたのは館のテラスだ。屋根は館から突き出すように隣接し、日陰を作り出している。よくよく見るとイスやテーブル、手すりは繊細の彫刻が施されていた。そんならテラスで優雅にティーカップを傾けるのは他ならぬ魔女だ。リンゴの木が見える。

「ふむ……ようやく合格点のようだね、アリス。準備しておいたよ」

「リンゴ、約束通り、分けてもらえるんですよね?」

「もちろんさ。けどね、アリス、そのリンゴも必要だけど、それだけじゃダメなんだよ」

 魔女はティーカップを置いた。

 案内してきた帽子屋は、少し離れて控えているつもりのようだ。特に何か口を出す様子もなく、二人の会話を聞いている。

 黒衣を纏い、顔も半分しか見えない。同じ黒でも、魔女の場合裾に細い金色の線が入っており、本当に真っ黒の帽子屋とは違いもある。魔女と人間は敵対していない。リンゴだけに限らず、魔法の品物や王様への助言などもしているはずだから、王と親子であることを除いても危害を加えるような真似はしないはずだ。

(そう聞いてても、やっぱり怖いものは怖いわね)

 それでも魔女から視線を外さず、アリスは落ち着いて問い返した。

「まだ何かあるんですか?」

「ああ、目覚めのキスも必要だ。アリス」

「……キス!? けど、王様はここには……!?」

 これにはさすがにアリスは目を丸くした。

「知らなかったのかい? ほら、あれ、そこで眠っているんだよ。下手な場所より私の傍のほうが安全だからねぇ」

 リンゴの木の下、王家の紋章が彫られた天蓋つきのベッドに眠る人。人相などが分かる距離にないが、人が寝ていることは見える。アリスには疑いようがない。王の顔は知らずとも、紋章が彫られたベッドであることが重要なのだ。簡単に出回るものでもないし、何より王族しか使えない。

 魔女の傍のほうが安全というのも、貴族であれば分かる常識だ。敵対こそしていなくとも、気味悪がって一部の人間しか近寄らない。

 アリスはそのベッドと、魔女を交互に見やった。

(――ここまで来て、諦めたくない。でも……)

 ふとよぎる。彼の言葉が、彼の顔が。心に突き刺さる。

「生活費も掛かってるんだろう? さあ、アリス、どうするんだい?」

 畳み掛けるような魔女の言葉に、アリスはふらりと足を進めた。

 ただ、明日のことばかり考えていたが、突然こんな状況になれば戸惑いもある。けれど、ここまで来て止めることも出来るはずもなく。

 アリスは唇を引き結ぶ。明日のことばかり考える生活に戻りたくない。だけど、これでいいのかと問う自分がいるのも本当だ。

 目をぎゅっと閉じ覚悟を決めたアリスは、レースのカーテンに手を掛ける。

 それとほぼ同時に、帽子屋はカーテンに手を掛けたアリスの手をとった。

「――待った」

「何よ、帽子屋さんには関係な」

 彼の手を振り払おうとするも、強く手を握られ動けない。アリスが言い終わるより前に、帽子屋は面白そうに此方を見る魔女へと顔を向けた。

「母上、また余計なことをしないでいただけますか」

「何だい、おまえがこの子を嫁にというから、ならその代わりにと条件を出してやっただろう。その余興にこの程度なんてことないだろう」

 続いた言葉にぎょっとして、アリスは魔女と帽子屋の顔を交互に見返す。帽子屋と手を繋いだままの状態だが、驚きが勝ってしまい今はそれどころではないのがアリスの現状だ。魔女を母と呼ぶのは、この国にひとりしかいない。

「えーっと……どういう、こと? 帽子屋さん?」

「思い出せないか? そりゃそうだな。何せまだガキの頃のことだし。俺はジャック・フィル・ワンダーランド。本当の帽子屋はこいつだ」

 被っていたシルクハットを取れば、彼が投げてもいないのに地面へと跳ねた。シルクハットのつばから、小さな黒い靴のようなものが見え隠れし丸い目と口が開いた。

「あー、長かったですねぇ。本当もう、人の頭の上はやっぱり居心地悪い。では、我輩は失礼しますよ」

 やれやれとばかりに嘆息したシルクハット――もとい、本当の帽子屋はボールが跳ねたような音と共に煙を立て消えた。

(魔女の森だもの……このくらい、当たり前なのかもね)

 どこに消えたのかはもちろん、どういう魔法なのか、アリスにはさっぱり分からない。けれど、この場から消えたことに驚かない程度には、この森での生活に慣れていた。

 それよりも、とアリスは目を点にしたままジャックへと顔を向ける。

「え……あなたが、王様……?」

「ああ。慣れない喋り方、結構しんどかったんだぜ。ついでに、これもな」

 ジャックが首にかけていたらしいネックレスを取り出し外した。服に隠れて分からなかったそれは、三日月にしては少し歪な飾りがついている。

「嘘。それ、あの時の――!?」

 アリスの目の前に差し出された歪な三日月形の飾り――十年前に男の子がくれたハートの片割れだ。

「言っただろ? 必ずこの国で一番の花嫁にしてやるって」

「それは、そうだけど。でも子どもの口約束だと思ってたし、じゃあベッドの上にいるのは……?」

 頭がパンクしそうなほど、アリスは慌てて自分が首に掛けているネックレスを外す。

 その様を眺めながらジャックは口の端をあげ微笑む。

「あれは人形。口約束か、そう思われても仕方ないが……もう一度、おまえの作った菓子が食べたかった。何人も作らせた。けどアリスの作ったものが一番だったんだ。それに――」

「ジャックは妾と人の間の子、妾が育てたリンゴを定期的に口にしないと魔法が使えなくなるのさ。眠り病はさすがに嘘だけどね」

「だから、このリンゴを一番美味しくできる奴を探してた。そして思い当たった、おまえに」

「そんな、そんなの」

 脳内は真っ白ながらアリスは、自分のネックレスの飾りと差し出されたそれを合わせれば、ちゃんとしたハート型になった。

 どこかで期待していた。どこかで、待っていた。

(でも、あんなの子ども頃の話だって思ってたのに)

 アリスの傍でジャックは片膝をついた。互いのネックレスごと、アリスの手を握りそっと手の甲へ請うように口付ける。

「黙っていたことは謝る、アリスの気が済むならいくらでも、土下座でも何でもする。けどその代わり、俺のそばで一生、俺のために菓子を作り続けてくれないか?」

 アリスの視界が涙で滲む。羞恥と嬉しさと驚きで頭がいっぱいだ。それでも、これだけは言える。

「……――はい! ジャック、喜んで」


 これは不思議の国の物語。さあ、お茶会しましょう。今日も美味しいお菓子と、たくさんの魔法でお待ちしています。


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