1話
トラックに轢かれた。転生した。なんやかんや異世界で生きてる。
「すんません、同じのもう一杯」
ウェイターの子に頼むとイヤな顔された。新人だろう。俺が何者なのかわかってない。
待てど暮らせどおかわりはやってこない。「あの」と同じ子に声をかけると今度は睨まれた。こわい。でも、おかわりまだだし。
「えっと、さっき頼んだのは……」
「………ちっ」
舌打ちされた。非常にこわい。大きくため息をついたその子は肩を怒らせてこっちにむかってきた。
「あの、忙しいの見てわかりませんか?」
わかる。酒場はとても混んでる。ドワーフにエルフにハービー。異世界住民の見本市だ。この子もみたとこ猫人っぽい。かわいらしい猫耳がイカになってる。
「忙しいのに貴方の注文だけ特別扱いしろと?大体なに?いっぱい飲んでは注文いっぱい飲んでは注文。だったらまとめてしなさいよ!」
うわ、すごいわかる。居酒屋でバイトしてた初めのころ同じこと思ったわ。
「でも、先に頼んだら温くなっちゃうし……」
「知るか!」
うわ、すごい。俺も先輩にそうやって諭されたとき同じこと思った。でもさ思っただけだよ。それを口に出しちゃうようならさ、
「仕事、向いてないんじゃない?」
言い終わると同時くらいに手に持ってた酒をかけられた。顔面に。目に染みる。とても痛い。
「アンタみたいな浮浪者に言われたくない!!!」
服で顔を拭うと彼女の真っ赤な顔が見えた。賑やかな酒場が静かになった。
「アンタ臭いのよ!髪も髭も伸びっぱなしだし、服も黄ばんでる!生理的に無理!アンタの接客するのなんて罰ゲームものだっていうのに、チップの一つもないし!アンタ絶対金なんて持ってないでしょ!なのにこんな酒飲んで!どさくさに紛れて飲み逃げしようってんでしょ!」
酒の次は本音をぶちまけられた。悲しいことに言い返せない。髭も髪も半年は手をつけてない。服もこの一着だけだ。風呂は2日前に入ったけど、そうかそれでも臭いか。金をもってない浮浪者というのも当たり。さてはこの子エスパーだな。前の世界なら99%ありえないけど、ホントにエスパーの可能性もあるのがこの世界の愉快なところ。
が、しかし、彼女はエスパーではないのはわかった。一つだけ間違っている。
「お嬢さん。俺は金を払うつもりなどないが、飲み逃げなどするつもりはないよ」
「はぁ!?」
彼女は心底、ほんとに心底軽蔑した目で見てきた。とても心が痛い。
「なにをしているんだ」
騒ぎをききつけて厨房の方から店長がやってくる。
「店長!こいつが金を払わないって!」
半巨人族の店長はギロッとこっちを見下ろすと大きく目を見開いた。
「大変申し訳ございません!ロト様!」
店長は大きな身体を可能な限り低くして謝った。猫娘は驚いている。
「は?店長なんで!?こいつは無銭飲食を―――」
「バカ者!この方はこの店の恩人だ!かつてワイバーン8000匹の群れに店が襲われたとき、それを撃退してくれたのがこの方だ!」
「う、うそ。こんな奴が?」
「こんな奴とはなんだ!いいか、この方はその戦いで負傷をおってこんな姿になってしまわれたんだ。お代を貰うなんてもってのほか!ホール長から聞かなかったのか!」
彼女は「でも」とか「だって」とかしどろもどろになっている。良心が痛む。悪いのは俺なわけだし。
「いいよ店長。俺も間が悪かった。そんなに怒らないであげてくれ。ほら仲直りの握手」
右手を差し出す。彼女はすごくイヤな顔をしてる。うん、わかるよ。ムカつくよな喧嘩してる相手に寛容な態度とられるの。接客態度以外、君が正しいよ。
けれど、君は握らざる負えない。可哀想に。でも、それが社会ってやつだ。異世界といえども社会っていうのがあるっていうのはなんだかすごくゲンナリするよな。
可哀そうに。君がここで店長に反抗すれば、こんな店辞めてやるなんて言って出ていけば君は正しいままでいられたのに。君の反抗はイヤな顔をするだけに留まってしまった。心の中で罵詈雑言を吐き散らして、形式的に仲直りをしようとその手が俺の手に触れた瞬間、正しいのは俺になる。嫌悪感でいっぱいの心は塗りかえられ、形式的だった仲直りは一方的な哀願になるのは、ああ、なんとも可哀想。
猫耳が眼下にある。異世界にも社会があるように、異世界にも土下座はある。
「ごめんなさい。私はなんて大それたことを。私めのこんな命で宜しければ差し出しますから、非礼をお許しください勇者様」
「そんな、命だなんて大袈裟な。顔をあげてくれよ。さっきも言ったろ。俺も間が悪かったんだ」
猫娘が涙ながらに顔を上げた。俺は仏のような笑顔で言った。
「身体でいいよ」
「え?」
「命なんてそんなそんな。一晩だけでいいよ。店長、これからこの子借りてもいいかな?」
「もちろんでございます。それでご容赦いただけるなら」
「え?え、一晩って。え?」
困惑している猫娘の肩を抱く。
「じゃあ、行こうか」
半獣人特有の大きな目が困惑からだんだん蕩けてゆく。
「はい♡行きましょう、勇者様」
そういって身体をこすりつけてくるのも半獣人特有のモーション。とてもキュート。店に入ったときから目をつけていたんだ。どうやって接近しようかと思っていたら向こうから近づいてきてくれたのはラッキーだった。
好奇の視線を浴びながら酒場をあとにする。もう慣れたもんだ。けど、その中に一つだけ慣れない視線を感じた。イヤな予感を拭うように俺は猫娘の尻尾をなでた。
ホテル街は活気づいていた。ここは前の世界とは大きく違う、と思う。なんたって童貞を卒業したのはこっちに来てからだ。あっちのホテル街の雰囲気なんてよく知らないけど地元のこういうところはもっとしっとりしていた気がする。対してこっちはとてもオープン。野菜のたたき売りのように娼婦が売られて、路地裏をみれば誰かが致しいてる。なんなら路地でも致してる。男女二人の緊張なんて吹っ飛んですぐその気になる。隣の猫娘だってさっきから腰をくねらせてる。
「ねぇ、勇者様。私、あそこ行きたい。遊園地みたいな」
彼女が指さす方には遊園地みたいなというか、ほぼ遊園地があった。遊園地の3倍近い値段がするラブホ。うーん、と費用対効果を計算する。
いいや、誤魔化して別のとこ入ろ。
「いいね、行こうか。でもその前に一つお願い。勇者様って呼ぶのやめてほしいにゃ」
「なんで?勇者様は勇者様でしょう?」
「俺はそんな大層な奴じゃないからさ。ロトって呼んでよ。敬称略でいいからさ」
「えー?まぁ、いいよ。じゃあロト行こ」
猫娘は不思議そうな顔をした。この世界の人間は勇者と呼ばれたがる。ちょうど前の世界で社長さんと呼ばれたい男が多いみたいに。
勇者って呼ばれるとすごく萎える。日曜日に月曜の学校を思い出すのに近い。だからって本名を呼ばれるのも微妙だ。どうもこの世界に馴染まない。ロトって名前は雇い主に名前を聞かれたとき咄嗟にでた名前だった。まぁ、すぐに偽名ってバレたけど。
「ヒビノケイ」
だから、そう呼ばれたとき雇い主だと思った。この世界で俺の本名を呼ぶのは彼女しかいない。
振り返るまでの一瞬。すぐにそれは違うと直感した。彼女が俺をフルネームで呼ぶことはない。なによりこの時間に一人で外に出るなんてありえない。
思い出すのは酒場での妙な視線。イヤな予感。
無視が最善だった。しかし、すでにコマンドは入力し終えてて、キャンセルには遅くて、体は忠実に振り返ってしまう。
「やはり貴方がヒビノケイでしたか」
凛と見抜くその目は蕩けたこの雑踏さえも素面にさせる。綺麗な女だった。美が売り物になるこの場所で誰も彼女に値段をつけようとしないだろう。巨大な氷山をみたときみたいな荘厳な美しさだった。
恐ろしさも感じた。彼女というよりもその背後にある事情が息を浅くさせる。
逃げられるはずもない。彼女が身にまとうのは国王直属部隊<国部>の隊服だ。
だったら腹を決めるべきだ。上手くいけばこのあとこのまま猫娘と一晩を過ごせるかもしれない。しかし、それに気づくのは少しあと。彼女の一言が冷静さを奪った。
「勇者ヒビノ。女神カテーテの神託により貴方を勇者として――」
猫娘のことなんて忘れて、本能的に駆け出していた。
逃げても逃げても彼女の視線を背後に感じる。少しでも視線を遮れる方へ逃げていたらいつの間にか袋小路。路地裏の行き止まりに追い込まれていた。
バカ野郎、逃げ切れるわけねーじゃん。つーか逃げるなら人ごみに紛れたほうがよかったろ。ちくしょう、気持ち悪い。
いろんな後悔と一緒に吐いた。この瞬間はいつも二度と酒なんて飲まんと思うんだけどな。
「なぜ逃げるのですか?」
振り返ればやっぱりアイツがいた。綺麗な顔をみたらまた吐き気が込み上げてきた。
「いや、ほら、国部に話しかけられたらやましいことしてなくても、逃げたくなるじゃないっすか」
高2のとき職質されたのを思い出す。疚しいことはないのに、びびって警察の前でUターンしたらつかまった。
「私たちを見て逃げるのは疚しいことがある人だけだと思いますが」
「そうっすかねぇ?というかヒビノ?誰それ?俺はロトっていう親に貰った立派な名前が」
「貴方はあの雑踏のなかで一人だけこの珍しい名前に振り返りましたよ」
「それは、たまたまっていうか。何の気なしに振り返ったらお姉さんがいたっていうか」
「写真もあります」
彼女の手に魔法陣が光ってホログラムのように顔が浮かび上がる。幸いなことにそれは俺がこっちに来たばかりの頃のものだ。何も知らないバカそうな子供が写ってる。
「えーそれ別人じゃないっすか?そいつこんな髭生えてないでしょ」
「正体を隠す人間は髭を生やすことが多いです」
酔いなんてとっくに醒めていたけど、やっぱり少しだけ酔っていたのかもしれない。口数が増えるだけ怪しいっていうのに、口が止まらない。
「大体、勇者?そいつも、目の前の俺もそんな強そうに見えます?魔王どころかそこらへんのチンピラにも負けまっせ」
「人を見た目だけでは判断しないようにしています」
「素晴らしい。見た目なんて大事じゃない。例え、この髭の下がそっくりでも、俺が別人といえば別人だ」
「……よしましょう。屁理屈で動くほど簡単な話ではないのです。この件に関しては実力行使を許可されています。貴方がその髭を落として、別人ならそれで終わりです」
「もし同じだったら?」
「本部で身元を確認します。それで間違いなくヒビノケイだとなれば、先ほど申し上げた通り勇者として王都に仕えてもらいます」
協力なんて実力行使をちらつかせといてよく言うよ。強制だろ。
俺を逃がす気がないのはよくわかった。ならば、腹は決まった。
「わかったよ。髭を落とせばいいんだろ」
ハンズアップすると、彼女は慇懃に頭を下げた。
「ご協力感謝します。では、本部の方へ」
「本部にはいかないよ。ここだ。ここで髭を剃る。別人なら、わざわざ本部に行く必要もないだろう?」
視線が交錯する。とても怖い。なんたって国部だ。そこいらの街部とは違う。エリートが実践を経て成る王都の最高戦力だ。一挙手一投足が命取りになる。
「………わかりました。しかし、髭は私が剃ります」
彼女は懐からナイフを取り出した。え、マジ?
「剃刀は?ナイフで剃れるの?」
「努力します」
「シェービングクリームとかは?」
「残念ながら持ち合わせはありません」
マンマミーア。レベル3くらいの拷問じゃないこれ?
しかし、想像していたよりもずっとシェービングは滑らかだった。
「上手っすね。男の髭を剃ったことが?」
「ありませんね。ただ、戦場ではこのナイフを様々な場面で使います。ハサミ代わりにしたり、料理に使ったり。髭を剃るのは果物の皮を剥くのに似ている気がします」
話している間も彼女に笑顔はない。剃るのに集中しているのか、さもなくば俺がなにかしないか注意しているのだろう。
「もし俺が別人だったら、このあとどうですか?」
「あんまり喋っていると危ないですよ」
ぐっと気持ちつよくナイフが口元に押し当てられる。こわい。でも、ちょっと笑える。
「……なぜ笑っているのですか?」
「ああ、すいません。ちょっと面白くて。だって国部の人間が俺みたいな浮浪者の髭を剃ってるんですよ」
彼女の目つきが鋭くなる。ナイフがもみあげに滑る。
「国部といえばエリート中のエリート。しかも、勲章を見るにアンタはその中でも特に優秀な人だ。そんな人間をちょろまかせるんだ。面白いったらありゃしない」
髭はすべてそり落とされた。同時に彼女がナイフをのど元に突き立てる。
「貴様は何者だ」
「逆に聞くけどさ、俺って何者?」
素顔は晒された。彼女は間違いなく俺の顔を見たはずだった。
「あな、たは……………誰ですか?」
「やだなあ、さっき自分で言ってたじゃないですか。俺は日比野慧ですよ」
「ヒビノケイ?」
「そう、国部が探している勇者が俺だってお姉さんが言ってたじゃないっすか」
「え?……あれ。いえ、たしかに勇者様を探してはいましたが、それはそんな名前じゃなくて。マツダイラ……そうです、マツダイラケンを探しているのです」
「ああ、そういえばそんな名前でしたね。で、どうっすか?俺、マツケンっぽい?」
彼女は魔法でホログラムを映し出す。驚くほどマツケンだった。魔法は便利だけど、こういうときにボロが出てくれるから助かる。
「いいえ。どうやら人違いのようでした。申し訳ありません、髭まで剃らせてしまって」
「いいっすよ。あ、でも、申し訳ないと思うならお姉さんの名前、知りたいな」
彼女が下げていた頭を上げる。真面目な人なんだろう、眉がハの字になっていた。
「レインです。この度はご迷惑をおかけしました」
「そんなそんな。俺も怪しい動きしてたし。困ったときはお互い様ってことで。じゃあ、もう行っていいっすか?」
「はい」と言われてその場をあとにしようとする。が、
「レインさん。もし次同じことがあったら、髭は自分で剃らせた方がいいっすよ」
そんな余計なことを言ったのは、たぶんまだ酔っていたからだ。




