『シルヴィアの傷』
それから程なくして、ギルベルトが会食の許可を取りにエーレンフリートの部屋を訪れた。その時にはもうシルヴィアは部屋を出ていたが、カップと菓子はまだテーブルに残っており、ギルベルトは目敏くそれを見つけた。
「どなたかいらっしゃっていたのですか?」
「ああ。シルヴィアと少し話していた」
「シルヴィア殿と?エーレンフリート様もですか」
「俺も?どういう事だ?」
「騎士団の者たちがシルヴィア殿と話したいと。貴族の者たちには機会があって自分たちにないのは不公平だと言ってきたので、会食の席を設けてはどうかと思いまして。その事についてエーレンフリート様に許可をいただきに参りました」
「…………」
「いかがなさいました?」
「許可をいただきにって事は、お前は賛同したというわけだろ。それが意外でな」
「ロイスにも、私が直々に許可するとは思わなかったと言われました」
「そりゃそうだろう。内乱以降のお前を見ていると特にな」
「…………私自身も意外に思っていますから」
言いつつ、ふとカップと共に置かれている菓子が目に留まる。見慣れない菓子だ。甘い物は特に好きでも嫌いでもなく、たまに食べたくなる程度だが、部屋にほんのりと漂うバターの香りに食欲が刺激されたのか何なのか、ともかくそれが気になった。
「その菓子は?」
「珍しいな。お前が菓子を欲しがるなんて」
「別に欲しがっては……」
言っている途中でエーレンフリートが焼き菓子の入った籠を差し出した。
「食えよ」
「いや、しかし昼食前で」
「あいつと同じ事言うなよ。いいから食ってみろ」
更にずいっと目の前に差し出され、仕方なく一つ手に取って齧った。
「!?これは……美味ですね。どこに売られているものなのでしょうか」
「シルヴィアが作ったそうだ」
「シルヴィア殿が?」
「アルヴァナの菓子らしい。彼の国は食にこだわりがあって、あいつも最初は驚いたと言っていた」
「そうですか……」
ギルベルトは手にある焼き菓子を眺めた。料理が出来ると聞いてはいたが、これほど美味な菓子も作れるのかと。アルヴァナでは寝る時と食事を取る時以外は剣を握っているとの事だが、たまにはこんな風に菓子を作る事もあったのかもしれない。クリストフ王のために。
何となく複雑な心境になり、残りを一度に口へと放り込んだところで、エーレンフリートの「丁度いい」という声が耳に入った。
「まずは会食の件だが、勿論俺はいいと思う。見張りとして俺とお前、それにロイスかアヒムが同席すればいいだろう」
「は。他にも何か?」
「この際ハッキリと聞く。お前はシルヴィアに惚れてんのか?」
「……唐突にどうなさったのですか?」
「大事なことだ。答えろ」
ただ真面目にと言うより何か深刻な様子で、嘘やごまかしは効かない雰囲気だった。先刻までシルヴィアと話していたという事だが、その中で何か言われたのだろうか?いや、シルヴィアはそういった色恋の話をするタイプではない。エーレンフリートもギルベルトには色々言うが、「実はギルベルトがお前に気があるらしい」などとシルヴィアに言う人物ではない。では何が……?
「…………惚れて、という表現が正しいかどうかは分かりません。が、好意はあります。彼女と戦場で敵として会う事があったとして、戦えるかどうか迷う程度には」
「あいつはクリストフ王の命令なら、お前にも俺にも剣を向けると思うがな……まあ、それはいい。俺が聞きたいのはあいつを抱きたいと思うかどうか、という事だ」
「極端な話ですね。そんな目で彼女を見た事はありません」
「本当か?チラッとでもか?」
「…………」
実際にはシルヴィアが熱を出してギルベルトの部屋にいた間、何度か危ないと思う事はあった。が、彼女は恋人ではない男とそういった事は出来ないタイプだろうし、そもそも熱がある女性に手を出すのはどうかという自制心を働かせることが出来る程度だ。
「彼女の意思を無視して何かしようと思う事はないのでご心配には及びません。が、それがどうかなさったのですか?」
「……あいつ、ランズウィックが侵略された時に、恐らくはアルヴァナの騎士に襲われている。それも、かなり酷く。そこをクリストフ王に救われた……と。だからクリストフ王はあいつを異常に大事にするし、あいつは王を神の様に崇めている」
「それは……彼女からお聞きになったのですか?」
「直接的な事は聞いていない。が、そう考えると色々辻褄が合うだろう。肩に手を置かれた時の過剰な反応、シルヴィアとクリストフ王の妙な関係性、あいつが一生結婚しないと……特に王との結婚はあり得ないと言い切る理由も」
実際にはもっと酷い事があった……レイナルドが言っていたのはそういう事かとギルベルトは思った。国が襲われ、両親は殺され、自らは犯されて…………。
(ご両親はシルヴィアの目の前で惨殺されたと言っていなかったか?つまり殺されたご両親の側で彼女は……)
いついかなる時も高潔であろうとする騎士はいるだろう。少なくともシルヴィアはそうであるし、自分もそうでありたいと思っている。しかし内乱の時のノイエンドルフの騎士はどうだった?罪もないメイド達を斬って、それが当然という顔をしていた。集団心理とは救い難いもので、皆がやっているなら自分もやらなければ損、自分だけが悪いのではないと悪事に対する罪悪感が薄れたり無くなったりする。酷い殺され方をしたと、そう話した時のレイナルドの表情から、シルヴィアの両親は余程直視に堪えない殺され方をしたのだと想像がつく。彼女の目の前で。しかも彼女を連れて行かせまいと止めようとした結果。
そうして惨殺された両親の側で彼女は襲われた。恐らくは勝利に酔った複数の騎士達に面白半分で。
「なんという……事だ」
あまりの怒りにギルベルトの表情が歪む。侵略された国ではそのような事は珍しくもないと情報では知っている。殺された親の前で襲われた女性も彼女に限った事ではないだろう。だが、だからといって「お前だけが辛いと思うな。よくある事じゃないか」と誰が彼女に言えるのか。触れられるだけで恐怖を覚えるのも無理はない。それ以上の行為に及ぼうものなら、彼女の脳裡には両親の惨殺体が同時に浮かぶのかもしれない。だとすれば結婚をしないという理由も納得できる。世継ぎを作る行為が出来ないのだから。特にクリストフ王には現場を見られているのだ。二人共にその時の事が頭に浮かぶのは想像に難くない。もう少し時間が経てば、いずれは乗り越えられるのかもしれないが、クリストフ王は熱狂的に支持されている国王で、世継ぎの誕生も早くと望まれているだろう。王の治世が優れているのであれば尚更。
だからシルヴィアはノイエンドルフに来たのか。王と距離を置くのに慣れる為。自分の存在がクリストフ王の治世の妨げにならない為に。
「……そういう事ですか。エーレンフリート様は、私がシルヴィア殿を愛してしまい、触れたいと思うようにならないよう注意喚起したかったのですね」
「まあ、そうだ」
「まあ?」
「お前を怖がるようになっちゃ守るに守れねえだろう。が、惚れるのは止められるもんでもない。考えてもみろ。まだ十六歳だった女がそんな目に遭って、どういった経緯か自国を滅ぼした国に行って、恐怖と憎悪の対象にしかなり得なさそうな騎士になって、被害者でありながら加害国であるアルヴァナで危険視され、なおかつ商人の娘があそこまでの強さを身に付けるまでの苦労……並大抵の精神力では保たないぞ」
「…………」
「なのに、あの騎士としての誇り高さ。アルヴァナに対して恨みはないと言い切れる強さ。アルヴァナの菓子の作り方を覚える事一つとっても、何故そんな事が出来るんだと俺なんかは思う。いくら同じアルヴァナの騎士に助けられたのだとしても、彼の国はシルヴィアにとって仇だろうに。あいつの心の中はとても量れない。かなり無理をしているのかもしれない。守ってやりたいと……幸せになって欲しいと思うだろう。クリストフ王でなくても。それを止められるもんじゃない。惚れたら抱きたくもなるだろう。だから覚悟しておけよと言いたかった」
「エーレンフリート様もそうお思いなのですか?」
「今は分からないな。明らかに今まで誰にも抱いた事がない感情は覚えているとは思う。それがどういう感情なのか、明確になるには日が浅すぎる。ただ……」
「ただ?」
「俺だって守ってやりたいと思う。あいつ自身だけでなく、あいつの誇りもな」
「……そうですね」
戦場でのシルヴィアを思い出す。返り血を浴びて不敵に笑む彼女の姿は強烈な印象を残した。あれは己を奮い立たせていたのか。それとも血の匂いを嗅ぐとランズウィックの惨劇を思い出して、敵として前に立つ人間を殺す事で復讐心を昇華させているのか。間違いないのは彼女は決して殺戮を楽しんでいるわけではないという事だ。そして迷いもない。
十六歳から二十一歳までの五年間。クリストフは彼女にどう接したのか。ただ優しくするだけではダメだろう。ただ守るだけではダメだろう。騎士として鍛える為には厳しい訓練も課したはずだ。彼女を鍛えている時、どんな思いでいたのか。ギルベルトはそれを知りたいと思った。内乱までは公爵家の息子として大きな問題もなく育ってきた自分などが、おこがましくも彼女を守りたいなどと言えるものなのかと。
「……エーレンフリート様は……」
彼女を守るという意味について聞こうとした時、「失礼します」と一人の騎士がエーレンフリートの部屋へやってきて、レイナルドが来訪した事を告げた。事前連絡もなかった上、「また様子を見にくる」とは言っていたとはいえ、再訪までの期間が短いこともあり、エーレンフリートとギルベルトは顔を見合わせた。




