第六十三話 帰還
ラピス迷宮から戻り、馬車の乗り合い所に向かう。
街を歩きながらクラードは隣に並ぶフレアを見た。主に彼女が抱きついている腕だ。
ラピス迷宮を出てからというもの、フレアの過剰な接触がさらに増えたのだ。
前はある程度時間が経てば、彼女が疲労あるいは飽きて、離れていた。
しかし、今は魔物に襲われない限り、フレアが離れることはなかった。
通りすがる人たちも、クラードたちを見ては、じっと視線を向ける。こういうのは一生慣れない気がした。
「クラード、今日はこのまま宿にでも泊まっていくか?」
上機嫌なフレアがそんな提案をする。
クラードはようやくついた馬車の乗り合い所で、馬車の出発時間を確認する。もうすぐに出発だ。
「いや……ちょうど馬車出るんだし、乗っていけばよくないか?」
「えぇー、クラードはオレと一緒にいたくないのかよぉー」
「……そういうわけじゃないけどさ。その……恥ずかしいからいい加減離れてくれって」
「我慢しろって!」
「根性でどうにかできる問題じゃないんだってっ!」
クラードも同じように声を荒げる。彼女の感触は非常に素晴らしく、嬉しい。けれど、それ以上に人の注目を集める。
「うー、仕方ねぇなぁ。そんじゃ、また馬車に乗ってからだな」
一度宿に戻ろうか、と思ったクラードだったが、それはまた別の彼女の誘いが出るだろう。クラードは短く息を吐く。フレアの中で、何か心境の変化があったのは間違いない。
クラードはしかし、何がきっかけか分からなかった。
心当たりがあったのはラピス迷宮だ。しかし、あそこで何かをしたつもりはなかった。ホムンクルスも人間も関係ない。そう伝えただけだ。当たり前に思ったことを口にしただけだ。
一つだけ、クラードは考え付いた答えがあった。ホムンクルスといわれるのが嫌だったのかもしれない。だとすれば、多少は納得ができた。
そのうち落ち着くだろう。クラードはある程度、受け入れる覚悟を持った。
馬車の乗り合い所で料金を支払い、聖都行きの馬車に乗り込む。
到着予定時間は午後七時過ぎだ。この時間にもなると、聖都に向かう人間は少なく、馬車の中は落ち着いた雰囲気があった。
クラードはフレアと並んで腰掛ける。当たり前のようにフレアが手を組み、体を寄せてくる。まるで犬か猫のようだ。
馬車はゆっくりと出発し、聖都へと向かって移動していく。
フレアと適当な会話をしながら、クラードはラピス迷宮での一件を整理していた。こういうとき、レイスに会いたいものだ。
そして、思考の行き着く先はアリサだ。アリサは何が目的で、ラピス迷宮を見せたのだろうか。クラードはそこまで考えたが、答えは出てこなかった。
「なぁクラード、旅は楽しかったか?」
「ああ。火の都なんて久しぶりだったからな。いいスキルも手に入ったし」
「なんだよオレとの思い出はないのかよぉ」
ぶーっとフレアが言葉をもらす。クラードは苦笑し、先ほどの思考を一度中断する。
彼女の他愛もない話に、笑みを返す。こうしてのんびりと話していられるのはなんとも幸せだと思った。出来るのならば、ずっとこんな生活も悪くない。
聖都に到着し、城へと歩いていく。空はすっかり暗くなり、星がいくつも輝いていた。
クラードとフレアは空を見上げながら歩いていく。時々フレアが、感動したような声を上げる。
フレアは星についても詳しい。読書が趣味であるため、あの星はどうたら、こうたらと、彼女はぽんぽん薀蓄を話していく。
「物知りなんだな」
「本を読むくらいしかやることがなかったんだよ」
しばらく歩くと、城の門が見えてきた。
「あーあ、旅も終わりかぁ」
「……そう、だな」
「またいつか、やれたらいいな」
フレアがそんな風に呟き、寂しげな目を城へと向けた。
城の入り口には無骨な騎士が二名、立っていた。
彼らはクラードたちに気づくと、小さく敬礼をする。クラードも同じように返してから、門をくぐった。
クラードたちに気づいたメイドが、一礼の後歩き出す。「アリサ様の部屋へご案内しますね」。
クラードたちはすっかり静かになった城を並んで歩いていく。フレアは外を見ながら、ぽつりと呟いた。
「……クラードと旅ができてよかったぜ。本当、ありがとな」
「なんだよ、そんな最後みたいに言うなっての。そりゃあ、勇者祭とか、そのうち鬼神も復活しちまって色々忙しくなるだろうけどさ。全部終わったら、また一緒に世界でも旅しに行こうぜ」
「……ああ」
フレアはどこか寂しげな表情を浮かべている。
クラードは疑問で首をかしげていると、アリサの部屋にたどりついた。
「いいわよー、メイドでしょ? 入ってきなさい」
メイドが「失礼します」といって扉をあける。
薄いシャツ一枚で、下着のままのアリサがいた。
クラードは目を見開く。それはアリサもだ。そんな格好で優雅にコップに口をつけていた。
アリサはコップに歯をぶつけ、「あちゅいっ」と悲鳴をあげる。アリサはいよいよ顔を真っ赤にして、近くのベッドにいってあわてて全身を隠した。
ふしゃーっと獣のように鳴いた。
「め、メイド! クラードたちが戻ってきたのなら、そう伝えなさい!」
「す、すみません……っ。だっていいって言いましたので……」
「ああもう……っ。一度扉を閉めてくれるかしら?」
顔を朱に染めながら、きわめて冷静な口調で言い切った。
クラードはこくこくと頷き、ゆっくりと扉を閉めた。
クラードは背中を向けながら、息を吐く。
胸こそなかったが、彼女の容姿も非常に整っている。
そのしなやかな体が脳裏に焼きつき、クラードは首を振って追い出した。
「アリサお姉ちゃん綺麗な体してるよな」
部屋から一緒に出ていたフレアが、その口角をつりあげる。、
「……あんまり余計なこと言わないでくれるか?」
思い出しちゃうだろ、とクラードが視線を向けるが、フレアは口元を緩めるばかりだ。
やがて、落ち着いた服に身を包んだアリサが扉を開けた。
メイドは隅のほうで両脚をぺたりと床につけていた。クラードと入れ替わるように外へと出た。
「クラード、さっきのことは忘れなさい」
「……わかったよ」
真っ赤な顔で、それでも精一杯の威厳を見せるように彼女は髪をかきあげた。
「フレア、思っていたよりも早く戻ってきたわね。どうだったの?」
「ああ、楽しかったぜ。なあ、クラード?」
アリサに元気良く返事をし、フレアは慣れた動きで腕を絡める。
アリサがじろっと見ていたが、頬を緩めた。
「そう。仲良くなれたのならよかったわ。クラード、火の都のラピス迷宮を見てどう思った?」
「どうって……その、まあ色々と考えたけどさ。聖都はなんか色々と隠していることがあるんだなぁって思ったよ」
「……そうね。決して綺麗事だけで平和は作れないわ。まあ、そういう事実があったってことよ。ありがとね、調査に協力してくれて」
「えっ、今のでいいのか?」
何かしらの手段でまとめてから、アリサに提出するのだとクラードは考えていた。あまりにも拍子抜けなほどにあっさりと終わってしまった。
「ええ。……あたしはね、あんたに聖都の真実を見せたいのよ。だから、そのためにラピス迷宮の調査をお願いしているのよ」
アリサの言葉を理解しながらも、クラードは首を傾げる。アリサの目的がいまいち見えてこない。
「うっし、そんじゃここからは女の子だけの話し合いだぜ。クラード、本当に楽しかったよ。ありがとなっ!」
「あ、ああ。アリサ、もう部屋に戻ってもいいのか?」
「……そうね。詳しい話はフレアから聞くとするわ。……クラード、最後に一つ忠告よ」
アリサが真剣な目で睨む。
「あちゅい、って言ったこと。絶対に誰にも言うんじゃないわよ?」
その頬をやっぱり僅かに染めながら、アリサは鋭くクラードを睨みつける。
「わ、わかったよ。……フィフィはもう寝ちゃったか? 戻ってきたから一度顔を見せておこうと思うんだが」
「……彼女なら、別の部屋で休んでいると思うわ。しばらく加護に異変がないか調べていたから、疲れているとは思うけど」
「そうか……わかった」
「場所はメイドにでも案内してもらいなさい」
「了解だ」
クラードは軽く手を振り、アリサの部屋を離れた。
○
メイドに案内をしてもらい、クラードはフィフィの自室に到着した。
こんこんとノックをし、名前を名乗る。
だだだっと扉まで激しい足音が響いた。
「クラード久しぶりっ」
元気良くとびついてきたフィフィを受け止める。
軽く頭を撫でると、心地良さそうに目を細めた。
「なんだか、父親と娘みたいですね」
メイドがポツリと漏らした言葉に、クラードはがくりと肩を落とす。
「……俺そんなに老けていますかね?」
「ち、違います! 素直な感想だったんですっ。あっ、えと……兄と妹みたいですね」
メイドは頬を引きつらせ、軽く笑みを浮かべる。
メイドの言葉にがくりと肩を落としていると、フィフィがぷくーと頬を膨らませた。
「わたしとクラードは、別に血の関係はない」
「し、知っています。申し訳ありません……もう何も言いません、失礼します!」
メイドは必死に頭を下げ、部屋から立ち去った。
フィフィはしばらく鼻を動かした後、クラードのほうをじっと見てきた。
「クラード、なんだか別の人の臭いがする」
「おまえ犬か!?」
「……フレアにもくっついていたの?」
「俺が、じゃなくて……まあフレアがな。なんていうか、妹みたいな感じだったな」
先ほどのメイドの言葉を借りてそう口にする。なぜか言い訳をしているような気分になった。
フィフィはむぅっと口を結び、それでも一応納得はしたのか、何も言わずに中へと歩いていく。
フィフィの部屋はアリサの部屋よりかは小さい。客が利用する場所で、クラードが使っている部屋と造りは同じだ。
「ラピス迷宮、どうだった?」
クラードの頬が引きつる。答えにくい質問だ。フィフィに素直に打ち明けてもよかったが、フィフィがどのように受け取るかわからない。
フレアはホムンクルスであることを嫌がっていた。
「そうだなぁ……また昔のこととか色々見てきたよ。勇者の力とかそういうのだな」
「……そうなんだ。フレアはどうだった? 強かった?」
「ああ。あいつは強かったよ。火魔法しか使えないけど、かなり得意でさ。もうめちゃくちゃ強かった」
「……ふーん」
「あ、あれ? フィフィちょっと怒ったか?」
「別に。わたしがいなくて困らなかったんだね」
「……ま、まあ、それなりには」
クラードが小首を傾げると、フィフィはますますむくれた顔を作った。
それでもだからといってフレアを貶めるようなことも言えず、正直に答えるしかなかった。
「クラードは次は風の都に行くんだっけ」
「ああ、まあな」
「……アリサが、わたしはしばらく休んだほうがいいって言っていた」
「そうなのか?」
「うん。短い間に魔法をたくさん使って、魔法を使う臓器? みたいなところが疲れちゃってるんだって。だから、しばらく休んだほうがいいって」
「……そっか。悪いな、俺が無茶させすぎちまったからだよな」
クラードは迷宮や鬼魔と戦ったときを思い出していた。いつも彼女に頼りきりだった。
「ううん。わたし、クラードがいなくてもきっと同じように魔法を使っていたと思う。クラードのせいじゃない」
「……そっか」
クラードは短く息を吐く。そういってくれるのなら、ありがたかった。
「だから、風の都の仕事が終わって、それから聖都でお祭りが開かれた後に、また一緒に冒険しようね」
「……そうだな。そのときは火の都と風の都に行こうぜ」
「ほんと?」
「ああ。フィフィはまだ見てない場所がたくさんあるんだしな」
フィフィの笑顔に、クラードも頬を緩める。久しぶりにフィフィと話をしていて、戻ってきた、と思う程度には居心地がよかった。