第四十五話 勇者の力
ラピス迷宮の二階は、リザードマンだ。
ウンディーネ迷宮で戦ったリザードマンに、角が生えたものだ。
鬼魔リザードマンになり、ウンディーネ迷宮のときよりもずっと強くなっている。
状態異常にも耐性があったため、ステータスで殴りあうしかない。
リザードマンの動きは、規則的だ。慣れてくれば対応は難しくなかった。
二階層から三階層へ繋がる階段はすぐに見つかった。
一時間もかからない。クラードは額に浮かぶ汗をぬぐいながら、階段を下りていく。
水の都のラピス迷宮はそれほど大きくはないのだ。
うまくいけば、すぐに次の階段を見つけることもできる。大岩や木々を目印にすれば、移動は容易だ。
一階層のときは、ゴブリンとの戦闘も多く、またラピス迷宮の構造がまるでわからなかった。ようするに手探り状態で進んでいたために、時間がかかった。
二階層で、この迷宮の攻略の仕方を理解すれば、後は問題ない。
三階層、四階層と、問題なく降りていく。
霧による視界の悪さは当然のようにあった。それでも、クラードもフィフィも危険な事態に陥ることはなく、進んでいく。
四階層から五階層に繋がる階段をおり、そこで一呼吸をする。
土の都にあったラピス迷宮と同じであれば、次の階が最終階層となる。
当然二人とも僅かに緊張していた。今度は一体何が待ち受けているのか。
クラードとフィフィは第五階層に下りた。
たどり着いた五階層は、何の変哲もない大地だ。
クラードは空を見た。紫に近い色の不気味な空だ。
ここは迷宮内だ。あの空だって作り物だ。けれど、それでもあまり見ていたいものではない。
大地を進んでいく。
「なにもないね」
「……そうだなぁ。ボス部屋みたいに、中央に行けば何かあるかな? あってくれたらいいんだけど」
「また、何もわからないのかな……」
フィフィの表情が曇った。彼女は自分のことをより深く知りたいと思っているのだ。勇者、というのはわかっても、それで一体何をすれば良いのか。結局のところ、フィフィは何もわかっていない。
クラードは彼女の手を握った。それで、少しでも不安をぬぐいたかった。
五階層を進んでいくが、魔物は出現しない。
周囲をざっと観察し、しばらく探索を続ける。
しかし、一向に魔物が出る気配はなかった。
いよいよクラードはフィフィと顔を見合わせた。
「魔物……でないね」
「それもそうだけど……なんか先もねぇんだよな」
六階層に繋がる階段はなかった。水の都のラピス迷宮も、土の都と同じで五階層が最下層ということだ。
「やっぱり、この迷宮って鬼魔や鬼神の恐ろしさとかを教えるものなのか?」
「……土の都のラピス迷宮もそうだったの?」
「ああ。機獣は鬼神たちに操られてしまったもの……だったからな、確か」
「覚えてない?」
「歴史はちょっとだけ苦手なんだ」
「……ちょっと?」
「ちょっとっ!」
フィフィがくすくすと笑う。からかわれたクラードは頬をわずかに膨らませる。
それからクラードとフィフィはラピス迷宮を見回した。こういう過去があった。それを、竜神は残したかったのだろうか。
クラードは腕を組む。レイスがいれば、何かわかったかもしれない。もちろん後で手紙を送るつもりだ。ここで得た情報をレイスに伝えることで、彼が気づくこともあるかもしれない。
頭を使う仕事はレイスに任せる。これは昔から徹底していることだ。
「……ここで終わりなのかな?」
フィフィが顔を伏せた。また何も知ることができなかった、それによる悲しみは大きいだろう。
クラードはぎゅっと握る手に力をこめる。
「まだ何もわからなくてもさ……あー、わかったとしてもさ。フィフィはフィフィなんだ。勇者とか関係なしに、まずフィフィはフィフィ。……なんかごめんな、あんまりうまく言えねぇや」
「クラード……なんとなくわかる」
フィフィが笑顔を浮かべる。まだ完全に晴れた顔はしていない。
だからクラードは、ぐしゃぐしゃとフィフィの頭を強くなでた。
「まだ、別のラピス迷宮もあるんだ。そっちに行けば、きっと何かわかるはずだ」
未来への希望だけを口にするしかない。
正しいかどうかはわからないが、元気づけるための唯一の手段だ。
そして、フィフィは、その応答にこくりと頷く。
「そうだ。夕飯はどこかに甘いものでも食べに行こうぜ」
「ほんと?」
目をらんらんと輝かせる。食事で喜んでくれるのなら、安いものだ。
クラードとフィフィが背中を向けたところで、目の前を人が過ぎていった。
クラードは急いで剣を構える。フィフィを守るように、僅かに後ろに押しやり、その人間と対峙する。
「誰だ!?」
クラードは焦りながらも、様子を観察する。気配を一切感じなかった。
目の前にはさらに人が増えていく。彼らは声をあげる。
「鬼神の封印は、恐らくいつかは壊れるだろう」
その人は、突然そんな独り言を呟いた。
思わず顔を向ける。
半透明の人間が五人、その場にはいた。
「あんたたち、いきなりなんだ!?」
声をかけたが、五人の男女は、クラードに一切反応しない。まるで、そこに人がいないかのようだった。
クラードは警戒を強め、剣を構えながら後退する。フィフィも魔法の詠唱を終え、いつでも放てる状態で待機していた。
五人は、全員黒髪黒目のものたちだ。
服装は少し古いものだ。さらに顔たちなどは自分たちとは大きくかけ離れている。
「そりゃあそうだが、だったらどうするんだよ? 俺たち勇者の寿命なんて人間と変わらないだろ? それで鬼神が復活したらどうするんだよ?」
「それは未来の勇者に託すしかないだろう」
クラードは五人の男女たちの会話に目を細める。まるで、クラード達には気づいていない。
そこに人間がいるとは思えなかった。
クラードは意を決し、彼らに手を伸ばす。伸ばした手は何に当たることもなく、そこにいる人々を通過した。
ゴースト系の魔物のような存在だ。
フィフィも手を伸ばし、振れようとしたが結果は同じだ。
男たちは、クラードたちの挙動を一切気にした様子はなく、そのまま話を続ける。
「未来の勇者……ねぇ。つまり、ここにいる五人、俺たちの子孫ってことか?」
大剣を背負った男が、そう聞くと、刀を持った男が首を振った。
「必ずしもそういうわけではないだろう。俺たちが召喚されたときのように、竜神が選ぶかもしれないしな」
「……だとしたら、それこそ周りくどいやり方じゃねぇか」
男がそういって笑った。
それから、一度、その五人は消える。
そして、次には服装ががらりと変わった。
大剣、刀の装備は同じだが、そこには先ほど話していた二人の人間がいた。
顔も僅かに老けている。時間が変わったのだ。
「俺たち勇者で五つの都を作ったはいいが、『勇者の迷宮』はどうするんだ?」
「各都市に一つずつでいいだろう。……それほど別に、伝えることもないしな。鬼神について、それから崩壊してしまった世界について、あとは――まあ適当にだな」
勇者の迷宮と、男は言った。それがもしかしたらラピス迷宮なのかもしれない。
それに、五つの都は恐らく聖都を含めた、五つのことだろう。
「了解だ。それとついでに、この世界にいくらか俺たちの世界の影響も残そうぜ」
「……何だ? すでに、だいぶ文明のあたりで影響を与えているだろう?」
クラードはその言葉にうなずく。今この世界にある文字や、言語、物の名前などは、異世界から召喚された勇者たちによってつくられたものがほとんどだ。
五百年前に機獣の影響で崩壊した。
とはいえ、それでも生き残った人間や、過去を記録した本などによって、今この五つの聖都によみがえった。
「いやいや、それもそうだけど。この世界の人間が簡単に強くなれるように、ステータスの力を与えようぜ。この世界の人間は自分の才能に気づいていない奴ばっかりだからな。自分の力を視覚化できたほうがいいだろ?」
「……ゲームみたいなものか。竜神と協力して、どうにかしてみたらどうだ?」
刀を持った男が笑みを浮かべる。大剣男がぐっと拳を固める。
「ああ、やってやるぜっ。楽しくなってきたな」
――げーむ?
いまいちその言葉が理解できなかった。
例えば、何かしらの遊びをゲーム、と呼ぶことがある。かくれんぼなどが、そうだ。
それと一体ステータスなどがどう関係しているのだろうか。
クラードは顎に手をやり、首を傾げる。
そこで人々は消え、また静かな五階層へと戻った。
「……クラード、さっきのって何?」
「……過去の、勇者じゃねぇかな?」
クラードは首を捻る。クラードでも知っている絶対の歴史がある。
それは、世界を救った勇者は四人という話だった。
少なくとも、学園で学んだ歴史の授業ではそうだった。
クラードは顎に手をやる。もう千年も前の話だ。一人二人増えようが、減ろうが、さして変わらないだろう、と。
「さっきの五人が過去の勇者?」
「たぶん、そうだと思うぜ。どうやってあんな風に記録を残したのかとかはわかんねぇけど……他のラピス迷宮にも残すって言っていたよな?」
「未来の、勇者のために……それってわたしやラニラーアのことなのかな?」
クラードは口をつぐんでしまう。
フィフィとラニラーアは、確かにどちらも勇者としての素質はある。
フィフィは勇者として、ラピス迷宮を開けたし、ラニラーアは勇者スキルを所持している。
だが、ラニラーアはラピス迷宮を開けることは出来なかった。ラニラーアに、勇者の力はない、のかもしれないのだ。
「たぶん、フィフィは勇者の力をもった子、なんだと思う。……けど、ラニラーアはどうなんだろうな」
「違うのかな……?」
フィフィが胸に手をあてるようにして、顔をしかめる。自分の中にある力に、明確な答えを出せない。多くの不安が彼女を苦しめているようだった。
「わたしは勇者……かもしれないんだよね。……さっき言っていたけど、鬼神の封印が壊れるって」
「ああ、そうだな。……さっきの勇者の言葉を信じるなら、鬼神の封印がそう間もないうちに壊れるのかもしれない」
水の都に鬼魔が発生したというのも、それが原因なのかもしれない。
鬼神の封印が緩み、鬼に力が戻ったことで、鬼魔になる魔物が出てきてしまったのかもしれない。
実際、五百年前に、鬼神の封印に一部歪みが出て、それをもう一度修正している。
機獣が暴れてしまったのは、その歪みによって鬼神の配下が出てきたからだ。
「鬼神の封印が壊れるのが近いから、勇者であるフィフィも生まれたのかもしれないな」
「……そう、なんだ」
フィフィの手がわずかに震えた。
クラードは彼女の前で膝をつき、顔を覗き込む。
「……怖いのか?」
「……なんだか、良く分からない。わたしに、そこまでの力はないと思う」
鬼神の封印がとかれれば、再び竜鬼戦争が始まるかもしれない。そうなったとき、鬼神と表立って戦うのはフィフィなどの、勇者の力を持つものたちだろう。
クラードは拳を固め、笑みを浮かべる。それから彼女の頭をぽんぽんと、叩く。
「俺がどんだけの力になれるかわからないけどさ。フィフィ、絶対俺はおまえの近くにいて助けるよ」
「……クラード、ほんとう?」
「ああ。だからそう不安にならなくても大丈夫だぜ。もしも、鬼神が復活したとしても……俺が今みたいにお前の盾になって、おまえは魔法をぶっ放せばそれでいいんだ。そうすりゃ、みんな解決だ! 俺に任せろってっ」
虚勢もある。――そこまでのことができるのだろうか。
だが、小さな体にたくさんの不安を押し込んでいるフィフィを、見捨てるつもりはなかった。
「友達、なんだからな。困っていたら助ける、当然だろ?」
「……クラード、ありがと」
フィフィが勢いよくクラードに飛びつく。突然の行動にクラードは慌てたが、彼女を受け止める。
子どもができたらこんな感じなのだろうか、などとクラードは少しばかり考えていた。
「フィフィ、他のラピス迷宮はどうする? たぶん、どこにいっても……フィフィの記憶には関係していないと思うんだ」
レイスに頼まれたのは現在聖都が何をしているのかを調べてほしいというものだった。
「……うん。けど、記憶よりも今は勇者のことを知りたい。それに、レイスにも頼まれた。友達、に」
「……そうだな。よし、何日か休んだら、次は火の都に行くか!」
「火の都……? もしかして、街の中火がたくさん? 燃えちゃってる?」
「いーや、あそこは違うぜ。けど、楽しい場所だよ」
フィフィが笑みを浮かべる。すっかり元気になったフィフィにクラードも胸をなでおろしながら、ラピス迷宮から脱出した。