第四十話 素直
ウンディーネ迷宮での戦闘は、問題なく終了した。第五階層の魔物相手でも、まったく苦戦することはなかったのだ。
その先の階層に行くかどうかの話しも出た。しかし、迷宮に入ることを提案したラニラーアが満足したため、その日の戦闘は終わった。
ウンディーネ迷宮から脱出し、水の都に戻る。
冒険者たちも続々と帰還している。もう夕方だ。
水の都の中央にある塔から流れる滝が、夕日を反射してきらきらと光っていた。
まるで妖精が飛び交っているかのような幻想的な景色を、しばらく眺めていた。たまにはこういう日も悪くはない。
水の都のギルドへと向かい、ウンディーネ迷宮で獲得した素材を売り払う。
ついでに、ゴーレムの魔石もだ。
十階層で回収したこの魔石は、レアゴーレムのものだ。ウンディーネ迷宮で稼いだ金額よりずっと多く、正直驚いた。
クラードは金をアイテムボックスに収納し、笑みをこぼした。ウォリアソードを購入した分の代金なら、これで十分だ。おつりも戻ってくるほどだ。
大量に手に入れた金はすべて袋にまとめてある。金の管理をするのなら、これが一番安全でわかりやすい。
クラードたちは宿へと向かって歩いていく。クラードの先を歩いていたラニラーアが、振り返った。
「わたくしは、ブレイブ様のもとへ行ってきますわね」
「そうだったな。……あんまり失礼なことしないようにな?」
そういうと、ラニラーアは地団駄を踏む。それから腰に手をあてる。わずかに頬を膨らませていた。
「わたくしをなんだと思っていますのよ。クラードよりも礼儀正しいですわよ」
「俺のほうがおまえよりは礼儀正しいってのっ」
ラニラーアがますます頬をくらませた。クラードにも譲れないものがある。
宿と騎士の詰め所の方角は同じだ。途中まで一緒に向かっていく。
騎士が二名、あるいは三名で街を歩いている。恐らく、巡回だろう。
「鬼魔」が出たから、騎士も警戒している。
鬼魔の出現に騎士はもちろんだが、市民が怯えている。水の都には緊張した空気が流れていて、クラードもそれを察することができた。
中央区画に近づいたところで、騎士の集団を見つける。
騎士たちはみな鎧をつけている。騎士の鎧は、立場によって変わってくる。
他とは質の違う鎧をつけた男がいた。
青色の鎧を身にまとった、背の高い男は、騎士たちに指示を出している。
その騎士はクラードもよく知っている人物だ。
騎士団長、ブレイブ。
師匠とブレイブは、同じ騎士団で仕事をしていた。
師匠に並ぶ実力者であり、師匠が行方不明になってからは、一人で騎士団を支えている人だ。
わずかに生えた髭が良く似合う男性だ。独身らしく、彼の妻になりたいとう女性はわんさかいる、と聞いた事を思い出した。
「ブレイブ様いましたわね」
ラニラーアが軽く息を吐いた。
ブレイブが顔をあげ、ラニラーアを見て目を見開く。
「ラニラーアじゃないか。どうしたんだ?」
「ブレイブ様、わたくしはブレイブ様の部隊へのお誘いを受けることにしましたの。それを伝えるために、水の都に足を運びましたわ」
その場にいた騎士たちが声をあげる。目を見開き、驚愕していた。
ラニラーアを見て、ひそひそと小さな言葉が生まれる。歓迎されていないのは、彼らの表情から明らかだ。
勇者スキルを所持しているラニラーアは、多くの人間に知られている。ラニラーアの容姿や、吸血鬼という点も彼女を有名にした理由だ。
――吸血鬼なのに、勇者スキルを所持している。この事実が、普通の人間からすれば気に食わない。
ブレイブはラニラーアの言葉に一瞬目を見開く。 けれど、彼はすぐに微笑んだ。
「受けてくれるとは思っていなかった。感謝する、ラニラーア」
「……わたくしこそ、まさか誘ってもらえるとは思っていませんでしたわ」
ブレイブの柔らかい笑みに、ラニラーアは頭を下げる。
ラニラーアは、有名になって吸血鬼の立場を改善したいと思っている。
これが、彼女の夢への第一歩となるはずだ。
クラードは羨ましい、と思った。騎士への憧れがあるわけではない。聖都で仕事ができるのならば、それだけ実力をアピールする機会がもらえるということだ。
――負けていられない。
クラードが拳を固める。
ブレイブがぴくりと眉尻をあげる。それから彼はクラードに視線を向けた。
「キミは確か、アステルの弟子の……クラードだったか」
「……ええ、まあどうもです」
クラードは名前を呼ばれたことに驚いた。クラードは覚えていたが、ブレイブまで覚えているとは思わなかった。
アステルとは、国内最強といわれた、クラードの師匠だ。
学園に通っていたとき、ブレイブとアステルが一度だけ、冒険者学園に来たことがあった。
その際に、アステルを通して、ブレイブとは少しだけ話したことがあった。
「そうか。キミもあれから強くなったのだな。確か、学園の訓練生時代では、ラニラーアに並ぶ力をもっていたな」
「えーとまあ、そのときはそうなんですけど……」
隠す必要もなかったが、それからの人生は悲惨なものだ。
と、騎士の中から一人の女性がやってくる。
見たことのある顔だ。
髪をかるくかきあげた彼女は、ふっと笑みを浮かべた。
「久しぶりじゃないか、クラードにラニラーア。落ちこぼれと天才……これはまた、真逆の二人が一緒だとはね」
「ロロ! おまえ、こんなところで何をしているんだ?」
クラードは懐かしい顔に笑みをこぼす。
学園時代に、時々一緒に行動していた女性だ。
「何を? 騎士としての仕事をしているに決まっているだろう」
自慢げに彼女は鎧を見せつけてくる。
彼女はクラードたちの同期だ。
訓練生時代は三位の実力を持ち、加護を受けてからは、学園二位の力を持っていた。
彼女は腕を組み、片腕をあげるようにして髪をかきあげる。
「彼女は水の都の騎士をしている。まだ、正式のではなく、従騎士ではあるが」
ブレイブがそう訂正する。
ロロは一度だけ体を硬直する。それから同じように髪をかきあげた。
「ま、まあ、そういうわけだ。ブレイブ様の従騎士になれなかったのは残念だが……今はここで騎士としての勉強をしているというわけだ」
ふっとロロは髪をかきあげ、小馬鹿にした笑みを浮かべる。
「落ちこぼれのキミとは違うんだ」
「そっかそっか……そういえばおまえ騎士になりたいって言っていたもんな。よかったな、すげぇじゃねぇか」
「うへへ……す、凄いか? って褒めたところで、わ、私は貴様のような落ちこぼれに何かをするわけではないからな」
ロロはふんっといつもの馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
ロロはびしっと指を突き出し、ラニラーアを睨みつける。
「ラニラーア、貴様もだ。私は学園時代からずっとそうだったが、貴様のことが好かないんだ」
「それはわたくしもですわよ」
ロロとラニラーアが視線をぶつける。ばちばちと火花でも散りそうなほどのにらみ合いだ。
いつも通りの喧嘩だ。だが、今は状況が違う。
クラードは二人の間に入りながら、ブレイブを見た。彼の前でこのままいつもの子どものような言い合いを始めさせるわけにはいかない。
「二人とも、とにかく一度落ち着けっての」
「平民に口出しされるいわれはないのだが」
ロロがきっと目を鋭くした。
「クラードがそういうのでしたら、わたくしはもう何も言いませんわ」
「……ふん、今だけは受けいれてやろうか」
ラニラーアに対抗するように、ロロは静かになる。クラードはほっと息を吐いた。
「まあ、さっきの話もありましたけど、俺は……与えられた加護がそうでもなかったんです。だから、今はロロの言うとおり、落ちこぼれですね」
ロロの言葉を借りてクラードが説明をする。
と、そこでロロははっと声をあげる。ああ、いつものか、とクラードは苦笑する。
「お、落ちこぼれは……別に悪いことではない。い、いや……平民の貴様には良くお似合いだ……じゃなくてえーと……ああもう、なんでこうなんだ……」
いつもの彼女に、クラードは苦笑する。学園時代からロロは「素直になれない」人間だった。本気で他人を嫌っているわけではなく、それは防衛本能に近い部分がある。素直になれない、と自覚しているのだから、十分素直だ、と思ったことがある。
ブレイブはロロとクラードの話を聞き、口元に手をやる。
「……そうだったのか。竜神様も、酷いことをするものだな。クラードの剣の腕ならば、ステータス次第で、私の上をいったかもしれないのにな……」
クラードはブレイブの言葉に驚く。多少のお世辞は入っているにもしても、純粋に嬉しかった。
「まあ……別にすべてが終わったわけじゃないですし、いつかは一流の冒険者になってみせますよ」
「……そうか。頑張るといい。……ラニラーア、少しみなに紹介したい。私についてきてくれ」
ラニラーアはこくりと頷く。
「ロロ、今日の仕事はひとまず終わりで大丈夫だ。私から、キミの部隊の隊長には伝えておこう」
「わか、わかりましたっ。ありがとうございました!」
ロロが綺麗に頭を下げる。
ブレイブはそれを見届けてから、歩きだす。その後ろに、ラニラーアもついていき、小さく手を振った。
「ばいばいですわ、クラード」
「ああ、頑張れよ」
ラニラーアの背中を見送ったところで、フィフィがひょいと姿を出す。ずっとクラードの背中に隠れていた。
「……先ほどから気になっていたが、その子は誰だ? ま、まさかラニラーアとの子どもか!? あ、ありえないっ、そんな馬鹿な! いつの間に二人は子どもを……うらやま――ふざけるなっ、私に黙っていたなんて、酷い!」
「どんな発想だよ。この子は今一緒にパーティーを組んでいるフィフィだ。強いスキルを持っているんだ」
ロロが耳までを真っ赤にして、両手をばたばたと振った。
「は、初めから私は知っていたさ」
こほんと咳ばらいをする。
ロロは腕を組み、視線を外に向ける。
「ロロ、騎士としての仕事はどうなんだ?」
「ふん、私には簡単なことだ」
「……そうか。夕食でも食いに行くか?」
「行くわけがないだろう。平民と同じ席に私が座るわけがないだろう……」
「よし、そんじゃ行くか」
「……」
ロロは小さく、本当に小さく頷いた。
ロロが先頭になって歩いていく。いつもよりも足を高くあげて歩いている。それは彼女が嬉しいというときの感情表現だ。
「……クラード、ロロ嫌がっていたよ?」
「違うんだよ。あいつ、むちゃくちゃ素直になれないだけなんだよ。今頃前向いてにやにやしているぜ。ささっと回り込んでみろ」
「うん……っ」
フィフィがすっとロロの前に行く。
ロロがわっと声をあげる。
フィフィが驚いたように目を丸くする。
「……笑って、いるっ」
「う、うるさいっ。平民の子が私をからかうのか!」
ロロが周囲を照らすかのように真っ赤になった。
ふんと前を向いて歩き出し、彼女は常に持ち運びをしているメモ帳を取り出す。ささっと何かを書いていった。
書き終えた紙を引きちぎり、クラードに投げた。
ひらひらとまった紙をクラードはつかんだ。ああ、いつものね、とクラードは笑みをこぼす。
フィフィが覗き込むが、文字が読めないため首を傾げている。クラードが、彼女のために読み上げた。
「『一緒にご飯食べられて、嬉しいから』だってよ」
「そうなんだ」
ロロがびくりと肩をあげた。