第三十三話 そちらの方はなんですの?
「傷の具合はどうだ?」
体を起こしたクラードは、嫌に薬品臭い部屋に顔を顰める。
白いカーテンが揺れている。
ここは病院だろうか。部屋には、仮面の男がいた。
仮面の男は、町の人たちが身につけているようなシャツとズボンだ。
簡素ないでたちでありながら、可愛らしい前掛けをしている。
怪しさ満点である。
どこか見覚えがあったが、まだ頭がぼーっとしていて、思考がままならない。
男はクラードのいるベッドの横に腰掛けている。
近くから引っ張ってきたのだろうテーブルに、瓶を並べている。
瓶の中には液体が入っていて、仮面の男はそれを混ぜ合わせていく。
「……医者とかですか?」
思いついたことを聞いてみる。
「ポーションの調合師だ。ほら、ポーションだ」
仮面の男がコップを向けてくる。
コップの中には緑色の液体が入っている。
多少どろっとしていて、仮面の男が傾けるとコップにわずかにこびりついている。
「……って、ああ! ここって学園ですか!?」
「ああ、そうだ」
ようやく意識がはっきりしきて、クラードは彼が誰かを思い出した。
時々ポーションの講師としてくる人だ。
土の都ではそこそこ有名なポーション店の店長だ。
彼の作るポーションは良く効く。
ただ、非常に苦いという問題点がある。
仮面の男はずいずいっとコップを向けてくる。
クラードはそれを全力で拒否する。
「もう……大丈夫です。だから、飲まなくてもいいですか?」
「このポーションは体の調子を整えるためのものだ。飲め」
「……うへぇ」
仮面の男に無理やり押し付けられ、クラードは渋々とそれを口にする。
口いっぱいに広がる苦みに、表情をゆがめる。
仮面の男は立ち上がり、カバンに荷物をしまっておく。
これで終わり、ということだろう。
仮面の男はカバンを肩に担いだ。
「もうそれで大丈夫だろう。あっちの少女――フィフィだったか? そちらも魔力を消費しすぎて疲労しているだけだ。一日、二日、しっかりと休めば問題ない」
男が隣のベッドを指差す。
隔てられたカーテンをずらすと、気持ち良さそうにフィフィが眠っていた。
もにょもにょと口元を動かし、心地良さそうに寝返りを打つ。
「……そうですか。ありがとうございます」
「私は学園側に依頼をされただけだ。仕事を受け、報酬をもらっているにすぎない。感謝の言葉は必要ないさ」
言い終えた彼はそそくさと部屋から立ち去っていった。
クラードは短く息を吐き、手を頭の後ろで組み合わせるようにして、ばふんっとベッドに沈みこんだ。
ここは学園の保健室だ。
部屋のカーテンが風で揺れているのを見ながら、あくびをかく。
まさか、もう一度ここにくるとは思わなかった。
あのときの状況が思い出せてきた。
保護したのがラニラーアで、おまけにクラードが助けた子が、学園の生徒だった。
そのために、そのまま学園で様子を見ることになった、というところだろう。
「そういえば……寝る前にもポーション飲まされたな」
保健室に置かれていた、仮面の男が作ったポーションをいくつか飲まされた記憶も思い出す。
ラニラーアが無理やり口にぶっさしてきたのだ。
恐らく意識を失うように眠ったのは、それが原因だ。
部屋の時計を見れば、もうすぐ昼だ。
夕食ももちろんだが、朝食も食べていない。
もうすぐ一日ぶりの食事になってしまうため、腹がぐーっとなった。
そんなときだった。
部屋の扉がばーんと開かれる。
病人なんて関係ない、とばかりの力強さだ。
騒々しく登場したのはラニラーアだ。
満面の笑顔のラニラーアは、どこか興奮しているかのように紅潮している。
左手には弁当箱が握られており、その両目はわくわくといった顔をしている。
黙っていれば、その金色の髪もあいまって、どこかの貴族の令嬢様のようにも見える。
だが、口を開けば騒がしく、その行動に関しては思いつきも多く、獣のような奴である。
にこりと笑うと、吸血鬼自慢の八重歯が美しい。
「クラード! 元気になりましたのね!」
「おう、まあな。昨日はサンキューな」
「そんなことはいいのですわ。ほれっ、昼食を持ってきましたのよ!」
「……昼食? どこで手に入れたんだその弁当は!」
「わ、わたくしの手作りですわよ……」
照れた様子でラニラーアが頬に手をあてる。
それからととと、とクラードの前に移動する。
先ほどまで仮面の男が使用していたテーブルに、弁当箱を置いた。
「迷宮から生きて戻った俺にトドメをさすつもりかよっ!」
「なんて酷い言い草ですの!? そ、そりゃわたくしは料理は苦手でしたわよ!? けれど、わたくしだって成長していますのよ!」
ぶんぶん腕を振り回した彼女は、それから見せ付けるように弁当箱を開いた。
「おっ!? おぉ……」
米が敷き詰められたその中央には、梅干がどんと乗っていた。
隅のほうに、わずかに卵のような物体があった。
クラードが面倒なときに作っていたような料理だ。
料理、というほどのものでもなく、驚きは中途半端なものになる。
それでも、ラニラーアが作ったものだと考えれば、上出来だ。
「まだまだだけど、確かに前進してるな……」
以前は焦がしていた卵焼きが、少なくとも食べられそうな見た目になった。
それだけで前進している。
「えへへ、ですわよね? これからもっと頑張りますわね!」
「料理ができたら、そりゃあいいもんな。頑張れよ」
ラニラーアが持ってきてくれた料理をぱくぱくと食べていく。
卵の味付けは悪くない。
というよりもどちらかといえば好みのほうだ。
クラードの食事にたかりに来ていたため、ラニラーアの味付けは自分のものにそっくりだった。
それをさっさと食べ終えたクラードはまだ空腹を少し感じながらも、とりあえずは満足した。
そうしていると、ラニラーアがもじもじと体をゆする。
また、頬が赤くなっている。
「それで、ですわね。わたくし、ちょっとお願いしたいことがありますのよ」
「……なんだ?」
「少しだけでいいんですわ。血を、すわせてもらってもいいですの?」
久しぶりだ。
ラニラーアはあまり人間の血を飲もうとはしない。
少なくとも、クラードは自分以外の相手から飲んでいるところを見たことがなかった。
「別にいいけどよ、今まではどうしていたんだ?」
「トマトジュース、ビーツ草で我慢していましたわ」
「……ビーツ草は知っていたけど、トマトジュースでもどうにかなるのか!?」
ビーツ草は吸血鬼の吸血衝動を抑える野菜といわれている。
ラニラーアは、常にアイテムボックスに入れ、持ち運ぶようにしているそうだ。
「味はぜんぜん違いますけど、目で見て脳がわずかに満足する、とかなんとかレイスがいっていましたわ。食事って目でもするものといいますでしょ?」
「……まあ、そうだな」
味が同じ料理だとして、見た目がゴミのようなものと綺麗に整ったものではやはり後者のほうが印象がいい。
とはいえ、食べてしまえばどちらも同じともクラードは思っている。
「ですから、一応どうにかなりますのよ。それでも、やっぱり時々飲みたくなりますのよ」
目を輝かせたラニラーアに、クラードは嘆息する。
首元をラニラーアのほうにむける。
ラニラーアの目が爛々と輝く。
大好物の料理が夕食に並んだかのような顔だ。
「ほら、どうぞ」
「ありがとうですわクラード!」
「あんまりすいすぎるなよ。一応、こっちは病み上がりみたいなものなんだからな」
「わかっていますわ。少し、少しだけですの」
そしてラニラーアの整った顔が首元に近づく。
僅かに良い匂いがした。
息が首元にかかってくすぐったい。
普段はあまり彼女を女性として意識しないが、こういうときばかりはやっぱり女なんだと思う。
ちくりと首元に一瞬の痛みが襲う。
それからじわりと、心地よさが全身を包む。
吸血鬼は、血を吸う際に毒を入れる。
人間の体に、痛みではなく快楽と誤認させる毒だ。
吸血鬼は人間に忌み嫌われる存在だ。
吸血されることが快楽と感じられるようにすれば、人間側から求めてくる可能性も出てくる。
人間が進化していったように、吸血鬼もより人間に好かれるために進化していったのだ。
クラードは軽く息を吐き、体内から何かが抜ける感覚を理解する。
ラニラーアが血をすっていたのは十秒ほどだ。
いつものくせで、首筋に手を触れる。
血がだらだらと流れていることはない。
吸われた場所は、触れてわかる程度の感触があるだけだ。
「ありがとうございましたわっ。おかげで、調子出てきましたわ!」
途端にラニラーアの肌がよみがえったように輝いている。
「そりゃあよかったよ」
ラニラーアはニコニコとした顔で、クラードの隣を指差す。
「それで、そちらの方はなんですの?」
また、答えづらい質問をしてきたものだ。