私との結婚を尊重してくれていたはずの優しい恋人が、裏の顔がありすぎた!
【1】
ヒラリー・オブライン伯爵令嬢は少し緊張していた。イケメンで噂のデニース・レーマン侯爵令息とデートをするからだ。
デニースは肩くらいまであるふわふわの金髪の巻毛を後ろで一つに束ねた美丈夫である。
ふんわり&色白なので、ヒラリーが最初に彼の絵姿を見たときは「ホワイトアスパラみたい……」と評してしまったが、実物に会ってみると、思ったより肩幅があり、なよなよしていなかった。むしろ鋭い観察眼をお持ちの油断のならない人物なのであった。
ちなみに初めてのデートではない。お茶会や夜会以外でデートをするのはこれで5回目。
5回もデートしておきながら、いまだに彼からの婚約のお願いに返事をしていないヒラリーである。
デニースが気に入らないというわけではない。
むしろ、嫁き遅れヒラリーにはもったいないくらいの物件だ。デニースの方が三つほど歳上で、家柄もしっかりしており、性格はわりと寛容でありつつも、なかなか責任感が強い。
ヒラリーの母はすっかり気に入っており、婿気分で接している。
ただ、ヒラリーには、元婚約者の浮気で婚約破棄をしたという嫁き遅れた理由があり、慎重にならざるを得ない……のだった。
デニースもそのことは了承しており、ヒラリーに婚約を急かすことはなかったため、ヒラリーもその状況に少し甘えてしまっていた。
甘え……には、「政略結婚の必要性も理解してはいるが、できるなら、自分が好きな人と結婚したい」という願望も含まれる。
デニースは優しい。ヒラリーを尊重してくれる。それはよく分かった。あとヒラリーに必要なのは、どんな困難も彼となら一緒に乗り越えていける、という覚悟だけだ。
政略結婚上等!な貴族社会にあっては、贅沢な望みである。でも、それをデニースは待ってくれると言った。
「まさか、他の男と私を天秤にかけてるわけじゃないんでしょう? さすがにそうなら、私も悠長に待つわけにはいかないけど」
とデニースは笑った。
天秤だなんてとんでもない!
今ヒラリーが真面目に将来を考えるのはデニースだけだ。
微笑みかけられれば、照れて目を伏せてしまう。
デニースにエスコートされるとき、手が触れるとドキッとする。どれくらい強く握り返していいんだっけと頭がまっしろになり、手を触れ合っていることしか考えられなくなる。
デニースとダンスをすれば、身体が密着するたびに、生々しい感情が湧き上がる。あたたかい体温や、心臓の鼓動や、逞しい胸板や……。彼の身体に添わす自分の手が、緊張で震える。こんなこと、他の人とのダンスでは起こらないのに。恥ずかしくてデニースの目を見ていられない。
好き、だと思う。
だけど、この気持ちに素直に従っていいものかは分からない。
この恋が失敗したら……? どうしても過去の婚約破棄が思い出され、嫌な考えが頭を過ぎる。
ヒラリーは不安を取り繕って聞き返した。
「悠長に待たないって、何かするつもり?」
「そりゃ、いろいろできることはあるからさ。聞きたい?」
「うっ……やめとく! 手の内聞いたら身構えちゃって、身動き取れなくなる自信ある。私、自慢じゃないけど恋愛経験は前の婚約の一度しかないの。初心者すぎて、あなたからしたら赤子の手を捻るようなもんでしょうからね」
ヒラリーが苦笑しながら言うと、デニースも苦笑した。
「私のこと遊び人だと思ってる? ホワイトアスパラ呼ばわりしてたくせに、ひどくない?」
それからデニースは、
「前の恋愛ね……待つしかないのかな」
と呟いた。
そして今に至る、といった感じだ。
それで、どうして今日のデートでヒラリーが緊張しているのかというと、少し前にデニースが、
「一泊で出かけませんか」
と誘ったことに端を発する。
「! いや、そんな、さすがに婚約もしていない二人が、宿泊伴うデートなんかしちゃダメかな〜」
ヒラリーが半笑いでやんわり断ろうとすると、デニースは言葉を遮った。
「変な想像はしないでください。今度、王太子殿下が北方の避暑地の離宮に滞在されるでしょう? 向こうで親しい人向けに夜会を催すというので、あなたと一緒に参加したいと思ったんですよ。宿泊はもちろん部屋分けるし」
「はあ、あーそういうこと……。でも婚約前でしょ? 宿泊はさすがに人が聞いたら眉を顰めるんじゃないかなあ……」
「おっけー、じゃ、今すぐ婚約しましょうか。それなら問題ない?」
「え……! やだ、何さらっとすごいこと言ってるの!」
ヒラリーはドギマギした。顔を真っ赤にして、べしっとデニースの肩を叩く。
嫌じゃない。嫌じゃないんだけど、もうちょっとだけ時間がほしい。そんな簡単に未来決めれるか! いや、デート5回目、そろそろ決めなきゃだけど。
デニースは、ヒラリーが首を横に振るので、少しがっかりしたようにため息をついてから、
「オブライン伯爵夫人は、避暑地の件、諸手を挙げて了承してくれたんだけどなー」
と恨みがましさの滲む声で言った。
それを聞くと、ヒラリーは露骨に嫌そうな顔をして、
「え、えええっ!? なに了承してんの、おかあさーん! 既成事実の一つでも作ってこいって勢いでしょうね。早く私を片付けたくて仕方ないのよ」
と言ったので、デニースは慌てた。
「やましいことはしないって!」
「ただでさえ最近は、サロンに出てもあなたのことで揶揄われること増えたし……嫁き遅れもようやく光浴びましたか、みたいな。特に年配男性のセクハラと思ってない発言がヤバい。宿泊がバレようもんなら絶対ニヤつかれる。こっちがわざわざ言い返さないからって調子に乗るんだ、あの人たち」
ヒラリーが不快感全開で言うと、
「……」
デニースは黙った。それから少し頭を掻いた。
「では、やめましょう。無理強いしたいわけじゃない」
それを聞くと、ヒラリーは、デニースの誘いを断ってしまったことで後ろめたさを感じつつも、しかし、ほっとした。
「アルベルトとも宿泊込みの旅行はしなかったわ。分かってくれてありがとう」
デニースは「またアルベルト?」と心の中で思ったが、それは口に出さず、
「では、代わりに我が家でお茶を。母にも紹介していいですか」
とやや強引な口調で提案した。避暑地の誘いを断られた意趣返しの気持ちもあった。それに、婚約まであと一歩、少しでも話を進めたいという気持ちもあった。
「えっ!」
デニースの母と聞いてヒラリーは飛び上がった。まだ婚約を了承していないのに、どんな顔してデニースの母に会うというの?
だが、避暑地の件を断っておいて、こちらにも文句を言うのはなんだか申し訳なく思った。
それで、困惑しながら「ええ……まあ……」と小さな声で承諾したのだった。
そんな話になっているので、ヒラリーは、今日のお茶の日を迎え緊張している。
今までは、デニースとの距離を縮めるためのデートだった。だが今日は親が出てくるとなると、なんとなく婚約に向けて一歩踏み出してしまう感じがする。
「これでもう婚約から逃げられなくなるのでは」と足踏みする自分がいる反面、デニースのことは好きなので彼の母にも気に入られたいと思う。
ヒラリーは、いつものモード系のテイストを取り入れた大人っぽいドレスは選ばず、ごく普通の流行に左右されない淡い色のドレスを選んだ。
知的さを強調する化粧は避け、ほんのりした色味を選んで、柔らかくラインを引く。
「媚びてるなー」
思わず自分で突っ込むが、こんな自分にもなれるじゃんと満足もする。
5回目のデートか。そろそろ本当に決めなきゃな。結婚するのかしないのか。
ちょうど準備ができた頃、デニースが馬車で迎えに来た。
そして、ヒラリーの様子を見て目を見張った。いつもとだいぶ印象が違ったからだ。尖ったおしゃれのヒラリーはどこにもいない。年配女性に好かれそうな、爽やかで、素直そうな女性がそこにはいた。
「見違えました」
デニースが感嘆の声を上げると、
「あなたもこーゆータイプの方が好きだったのね」
とヒラリーは意地悪そうに笑って言った。
「いや。あなたらしくないので、正直なんだかやりにくいよ」
デニースが笑ったので、ヒラリーは、いつもの自分を肯定してもらったようで嬉しく思うと同時に、今日のミッション気合を入れないとと思い直す。
「あなたのお母様はどうかな。私気に入ってもらえそう?」
「気にしてくれてるんですね。それは嬉しい。うちの母も朝からソワソワしてましたよ。今日はうまくやれるかしらって、居間と客間をうろうろ、うろうろ。悪い人じゃないとは思うんで、うまくやれるでしょう。ごめんね」
「ごめんだなんて。でも、『外堀を埋めに来たな』とはしっかり思ってる。先に言っておくけど、強引な手は通じませんからね」
とヒラリーは笑いながら牽制すると、
「あれ? 外堀はとっくに埋めたと思ってたんですが。あとは奥座敷のお姫様が降伏するの待つだけ」
とデニースがすっとぼけて言った。
ヒラリーは赤くなった。
「降伏とか!」
「え、だって私のことはまあまあ好きでしょう?」
「すす……すっごい自信ね」
ヒラリーはドギマギして言った。いつもオトナぶった余裕ある自分を演出していたのに、きれいにバレてた。まあ、私なんて、見かけだけの若輩者だからね、仕方ないか……。恋愛経験だって乏しいわけだし……。
「気づいてますって。そうでもなきゃ、こっちだってこんな積極的に色々誘えませんて」
デニースが笑いながら追撃をかましてきたので、ヒラリーは恥ずかしくなってぽりぽりと頭を掻いた。耳まで真っ赤だ。心臓が早鐘のように鳴っている。
「気づいても言わないでおいてよ。そんなふうに面と向かって言われたら、なんて答えたらいいわけ?」
「わざと言ってるんですよ。ご自身の気持ちにはっきり気づいてもらおうって魂胆。策士でしょう?」
「最初っから思ってたけど、あなたって口説き文句が明け透けね」
ヒラリーが恨みがましく言うと、デニースは笑った。
「はい。あなたみたいな正直者タイプにははっきり言う方が効果的と思ったので。あ、照れてますね?」
「そりゃー照れるわ! 口説かれ慣れてませんからね。アルベルトはそんなこと言わなかったもの」
ヒラリーのその言葉を聞くと、途端にデニースはムッとして黙ってしまった。
いちいちアルベルトが出てくるのは、どうにも気分が良くない。
「前から思ってたんですけど……」
と思わず言いかけて、なんだか男なのにそれを口にするのも違う気がした。ヒラリーは悪気があって言っているわけではない。過去たった一度の恋愛しか比較対象がないだけで……。
「え、何?」
無自覚なヒラリーは無邪気に聞き返す。前から思ってたって、何のことだろう?
「あー、何でもないです」
「いや、気になる!」
そうやってヒラリーにずいっと身を乗り出されると、余計に口にできなくなるデニースだった。
「他の男と比べるな」なんて、比べている自覚のないヒラリー相手に、恥ずかしくてよう言わん。
しかし、ヒラリーの方は、何か言いたいことがあったのに言ってくれないという状況に、不安そうになった。
「何か怒ってる?」
「怒ってませんよ」
「じゃあ何?」
「何もないです。私の意識の問題」
「ほら、問題って!」
「あ、問題じゃないです。いや、本当に。気にしないでください」
なんだか低レベルな押し問答になってしまった。
ヒラリーは困ってしまって、じっとデニースの目を見つめた。
「気にしないでって言われたら余計に気になるわよ。私に悪いところがあるなら言ってほしいんだけど」
「悪いところなんて……。本当にそういうのじゃないんですってば」
「先にはっきり言っておくと、あなたのこと好きだわ。でも、私の問題があって……私の問題よ、全然あなたのせいじゃないんだけど。婚約なかなかエイヤッて決心つけられなくて。そんな状況で、こんなモヤモヤは……ありがたくない」
「そのへんは分かってるよ。うーん、困ったね。私が不用意すぎた。あなたの婚約破棄のことはよく理解しているつもりだし、だからこそ、より誠実でありたいと思ってはいるんですが……」
かといって、デニースはほんの愚痴にしか過ぎないことを言う気にもなれないのだった。アルベルトへの嫉妬だと自分で認めるのも嫌だったし、ヒラリーに嫉妬と思われるのも嫌だった。だって、現在進行形でヒラリーを巡って争っているならまだしも、アルベルトの件は完全に終わっていることを分かっているからだ。ヒラリーはアルベルトの浮気のことを未だに全く許していないため土俵にも立っていない。それはヒラリーからひしひしと伝わってくる。だから、アルベルトに嫉妬心など抱く必要はないのだ。
ただ、なんとなくヒラリーの口からアルベルトの名前が出ると不快……それだけのこと。
しかも、その不快感をなんとかヒラリーに説明できたとしても、だ。真面目なヒラリーのこと、「嫉妬させちゃダメじゃないの」と自分を罰し、一切アルベルトのことを口にしなくなるだろう。それはそれで嫌なのだ。そんなふうな気遣い……言っていいこと悪いことがあるみたいな空気感は、二人の仲にあってほしくない。夫婦になる上では、良いことも悪いことも何でも話し合える仲をデニースは望んでいた。
「困ったな……」
デニースは頭を掻いて思案した。
「ちょっと、今日のところは母には遠慮してもらって、二人で過ごしましょうか。こういうズレがあるのは良くない気がする。まずはあなたに安心してもらわないと」
デニースは真面目な顔で、提案した。
それを聞くとヒラリーはハッとした。
自分の要求が事態を大きくさせていることに気づいたからだ。
「いえ! 大丈夫! ごめんなさい! えっと、本当に大丈夫! そんな、お義母さまの予定を変更するには及びません。言いにくいことを『言ってほしい』なんて、私もわがまますぎたわ。『何でもない』のよね。気にしすぎだよね、言わなくて大丈夫! 予定通りレーマン侯爵家でお茶しましょう」
デニースは、ヒラリーが慌てて取り繕った様子になったので、余計に困った顔になる。
「全然大丈夫じゃないでしょう。はっきり言うけど、母には後で適当に説明できます、私にとって今はあなたの気持ちが一番大切」
「いえいえ! お義母さまに『お茶をすっぽかして』なんて思われるのは嫌よ。気に入られたいって言ってるじゃないですか」
ヒラリーは泣きそうになった。
自分の迷ってる気持ちもあるけど、いい歳だもの、外面だって良くありたい!
ヒラリーは、デニースが母とのお茶の約束よりも、ヒラリーのモヤモヤを解決させることを優先してくれたことを痛いほど理解していた。感謝した。
十分に優しく、私に対して誠実だ。これ以上困らせるのは絶対に違う!
まだ腑に落ちない様子のデニースの腕を取り、ヒラリーは顔を覗き込む。
「ごめん、お義母さまだけじゃないのよ、あなたの気持ちも尊重したいの。要求ばっか口にしてごめん。私だって無理強いはしないから」
そして、馬車まできびきびと歩いて行くと、御者に「レーマン侯爵邸までお願いします」とはっきりした声で言ったのだった。
【2】
それから数日経ったある日。
ヒラリーは親友のマデレーン・ギャストン伯爵令息夫人とお茶をしていた。
相変わらず二人して、華美ではないがおしゃれなデザインが光るドレスを纏い、凝った結い方で髪をタイトに編み込んでいた。そしてお揃いの帽子! 最近王都で店を構えた若手デザイナーの特徴ある帽子で、以前二人で見つけて一気に心奪われ、飛びついたのだ。
それがなんとも洗練された雰囲気で、中身はともかく、外見は非常に目を引く素敵なご婦人方という印象を与えるのだった。
今日はマデレーンのお誘いで、風光明媚な丘の上にあるカフェまで足を伸ばした。
この丘を少し下ったところに小規模な滝が百も連なる場所があり、この地域の観光名所になっていた。
マデレーンは「滝で心を癒されたいのよ。全て洗い流してくれ」とかぼやぼや言いながら、ヒラリーを誘った。ヒラリーもなんとなくモヤモヤが晴れずにいたので、その誘いにすぐ乗った。
癒されたいのだから、話題はもちろん愚痴っぽくなるのは織り込み済みだ。
「ヒラリー。私ジェームズと喧嘩しちゃって」
案の定、マデレーンはため息をつきながら言うのだった。
「珍しいわね、愚痴を言うほどってのは」
マデレーンとジェームズはおしどり夫婦で、またおしどり夫婦であり続けるための努力もお互いに惜しまない関係であるので、派手なケンカは基本しないのだ。
「うん。仕事が絡むとどうしてもね。家の中のことはいいんだけど、仕事となるとあんまり女の意見は聞きたくないみたいで」
「ああ。それはそうなんじゃないかしら。実際、私たちが、仕事のことよく知りもしないのに口を出すのは違うでしょう? ジェームズに任せなさいよ。今度の仕事はサポート体制もしっかりしてるんだし、ジェームズ一人で暗礁に乗り上げることはないでしょ」
「サポート体制があるからこそ、私も口出したくなるわけよ!」
マデレーンは吐き出すように言った。
マデレーンの夫ジェームズは、今は、少しややこしい事業を手がけている。ジェームズの実家ギャストン伯爵家と、ジェームズの母の血縁に当たるコルベル侯爵家、そして、ヒラリーの実家オブライン伯爵家と、ヒラリーの元婚約者アルベルトの実家フィーシャ伯爵家が共同で出資する事業なのだ。
ジェームズが前の事業に失敗し都落ち寸前だったところを、ヒラリーが親友と離れたくない一心で打診した事業である。つまり、ジェームズにとっては妻マデレーンのコネ。
コネなので、ジェームズにとっては好条件の案件だった。しかも、半自動的にサポート体制が付く。サポート体制とは、上記の有力出資者が信頼できる有能な従事者を事業に就かせているため、ジェームズの独断で間違った方向に進むことは基本的にないようにしてある、ということだった。一度事業を失敗しているジェームズであるので、リスク回避の手段の一つだった。
だからこそ、ヒラリーは、
「なんでよー。私なら口出ししないな」
と首を傾げた。責任あるプロが何人も携わっているのだ。ヒラリーの実家オブライン伯爵家も関与しているとはいえ、ヒラリーは首を突っ込む気にはさらさらなれないのであった。
マデレーンは困ったようにヒラリーを見た。
「だって、なんか変な契約先を見つけてきたって言うのよ。十分な出資者がいるのに、別の家の者がお金を出そう、手伝おうって言ってきてるんですって。ジェームズもそんなん断ればいいのに、なんか歯切れが悪いのよね」
「え? それは確かに不穏な空気。何だろう、その出資希望者、安定したところに割り込んで甘い汁を吸おう的な? 気になるわね」
「でしょ? だって、うちの親戚筋だけじゃなくて、ヒラリーんちやアルベルトんちまで手を差し伸べてくれて、今があるわけじゃない。なんか不義理をしてるみたいで」
「ジェームズだって分かってるでしょ? なんて言ってるの?」
「うーん。話してくれないのよね。『別に何もない』とか言って。何もないわけないじゃんね」
ヒラリーは、先日のデニースの態度にも共通のものを感じて、妙に納得してしまった。
「うん! 『何もない』とか絶対ないよね! 何かあるのに、言えない言わない。何なんだろうね? でも、頑なに言おうとしない感じを見ると、聞いちゃいけないのかなとか思うし。聞くこっちが悪いのかな、みたいな」
「そうなのよ! 挙句、ジェームズったら『野暮なこと聞くな』とか逆ギレっぽくなって、口を閉ざしちゃうの。野暮なことって何? 仕事に野暮もクソもある?」
マデレーンはよほど腹に据えかねたのか、口汚くなっている。
「なんか、隠し事があるのかな。ジェームズの弱みでも握ってるのかしら」
とヒラリーが首を傾げると、マデレーンは弾けるようにヒラリーの方を見て、
「借金でもこさえてんのかしら! それとも女性関係? そんなん発覚しようものなら半殺しにしてやる!」
と叫ぶ。
「まあまあ、マデレーン。でもその出資希望者調べてみましょうよ。ジェームズを騙そうとしたり脅そうとしてるなら、問題だもの。うちのお父様とかにも聞いてみるわ。それからまたゆっくり話そ?」
ヒラリーの一般的な提案に、マデレーンは少し自分を落ち着かせた。それから、気分を変えるようにヒラリーに言った。
「それで、ヒラリーが癒されたいってのは何なの?」
ヒラリーは「あ」と思った。
マデレーンの話の後だとどうも自分の悩みがちっぽけに思えて気後れする。
少し間を空けてから、ヒラリーは苦笑して答えた。
「うん。なんか、デニースとの婚約決めていいのか、まだ分かんなくってね。一人で考えるとモヤモヤしちゃって……気分転換したかった」
「そか。大事なことだからゆっくり決めなよ」
「うん……。呆れてる? マデレーン」
「なんで呆れるの」
「さっさと決めちゃえば、的な? だって、家柄悪くないし、いい人だし、保留にしとく理由がないから」
「自分で言うの、それ。そこまで分かってるんなら、さっさと婚約しな」
「……うぇ!?」
ヒラリーが情けない顔をするので、マデレーンは笑い出した。
「ははは、そんな顔しないで。うそ、ゆっくり決めなよ、ヒラリー。将来が決まる大事なことだよ。デートはうまくいってる?」
「まあまあ、うまくいってる」
「まあまあ?」
「うーん。デニースも、言いたいこと全部は言えてない気がするから」
ヒラリーはため息をついた。
それも、少しヒラリーを心配にさせる要因の一つだ。
「デニースは、私の性格的なことに不満があるのかな?」
「性格的なことか。うーん、言ってくれたらいいのにね」
「うん……でも、言いたくなさそうだったから。強くも聞けなくて。それに、私がそれを気にしてるってのは分かってくれて、フォローはしてくれようとしてたから、誠実ではあるんだけど……」
ヒラリーは、なんだかスッキリしない口調でモゴモゴと状況を説明しようとする。
しかし、デニースの『言いたいけど言えないこと』の内容が分からないだけに、自分でもどう説明したらいいか分からなくなっていた。
そのヒラリーの困っている様子を見て、マデレーンは優しく言った。
「あら。フォローしてくれようとしてたんなら、私なら気にしないでおくかなー。気を遣ってくれてるんでしょ? 詮索し過ぎないようにしとく」
「そっかー」
「デート何回目?」
「5回目」
「あ、じゃあ、いいかげん返事しなきゃいけないって、ヒラリーも焦ってるのね? でも決心つかなくて、困ってるのかな? でも焦んないで。デニース様が待ってくれるなら、焦ってもいいことないよ、きっと」
マデレーンはヒラリーを落ち着かせるように言った。
ヒラリーはホッとしたように頷く。
それから、もう一つの懸念事項を報告した。
「あと、デニースのお母様に会ったのよね……」
マデレーンの目が見開かれた。
「え、は? ちょっと、何そんな大事なこと黙ってたの!」
マデレーンは驚きつつ、急展開に笑った。
「どんな人だった? いい人? 意地悪なこと言われなかった? おしゃれ? ヒラリーに好意的? デニース様はマザコン?」
矢継ぎ早に質問する。
「うん。いい人だったよ。結婚のことは本人に任せてますから、みたいな感じで、あんまり圧もなかったんだ」
ヒラリーがそっと微笑むと、マデレーンもにこっとした。
「そーゆーの、助かるね。じゃあ、婚約に向けて一歩進んだんじゃないの? 今頃、ヒラリーのお母様が、デニース様のお母様に挨拶の礼状くらい届けてるかもね」
「それなんだけど……。お義母様がポロッと言ってたんだけど、もうそれどころじゃなくなってるらしくて……」
ヒラリーが困ったような顔をしたので、マデレーンは戸惑った。
「それどころじゃないって何?」
「うまく説明できないけど……。家同士でだいぶ話が纏まっちゃってるらしくて」
「あー、外堀埋められたね」
マデレーンはヒラリーの不安を吹き飛ばすように、わざと明るく笑った。
しかし、ヒラリーは首を横に振る。
「あ、そーゆーことじゃなくて……。もっとお金的な話で……。結局、政略結婚からは抜け出せないんだ、みたいな?」
ヒラリーはまだ自分でもどう捉えていいか迷っているようで、言える範囲の言葉を吐き出す。
「お義母様は朗らかで何の悪気もない方なの。もう少し自分の考えが纏まったら話す。でも、モヤモヤしてる」
お金? 政略結婚?
前の婚約破棄から、政略結婚は嫌だと言っていたヒラリー。好きな人と結婚したいんだと心から泣いていたヒラリー。何か分からないが、本人の中で折り合いがつかないことがあるようだ。
マデレーンは、親友が新たな一歩を踏み出せるように祈るしかなかった。
さて、その日の夕方。
屋敷に帰宅したヒラリーは、両親と夕食を共にしながら、さりげなく父に聞いた。
「ギャストン家のジェームズのことですけど。事業のことは何か聞いていますか?」
その言葉に、父は露骨に顔を顰めた。
「聞いているよ。カッシーノ伯爵家があーだこーだ言ってきてる件だろう? 状況について報告は受けた」
「カッシーノ伯爵家?」
「ああ。まあ、おまえは別に知らなくていい。カッシーノ伯爵家の提案に何がそんな魅力があるのか知らないが、ジェームズがふらついているだけだ。そのうち収まるところに収まる」
「大丈夫なの? お父様」
「大丈夫だろう。まあ男として気持ちも分からんでもないが、そういう話だけじゃないこともそのうち分かるさ」
ヒラリーは、父の言葉の中に理解できないフレーズが出てきたので目を上げた。
「男としてって何?」
しかし、父は、ジェームズを慮ってかどうか、真正面から答える気はないようだった。
「おまえには分かるまいよ」
そして、この話題を打ち切った。
【3】
さて、それからある日のこと。
ヒラリーとマデレーンは、王宮の夜会に一緒に参加していた。
マデレーンはいまだに夫ジェームズとギクシャクしているらしく、会場に来るまではエスコートしてもらっていたが、ヒラリーを見つけるなり、さっさと離れてこっちへ来てしまった。
「ちょっとマデレーン。ジェームズ放っておくの良くないわよ。まだケンカ?」
「そうよ。何を意固地になっているのか、すこっしも聞く耳もたないんだもの」
「だったら尚のこと夜会くらい一緒になさいよ。どこに仲直りのきっかけがあるか分からないし」
「まあ、ヒラリー! もしやデニース様と約束があるの? それならジェームズにかこつけないで、デニース様と約束してるからって素直に言いなよ」
マデレーンがイタズラっぽく笑って言うので、ヒラリーは苦笑した。
「ちょいちょいっ! デニース様とは会う約束はしてるけど、そんなんでマデレーンを追い払うわけないじゃない」
「あはは、うん。ごめん、揶揄ってみたくなっただけー! しばらく一緒にいさせてよ」
「ジェームズとのケンカはそんなにひどいの?」
「んー。ごめん、ちょっと大袈裟に言った。ケンカは仕事のことだけね。家のことでは別に大丈夫よ」
「仕事……カッシーノ伯爵家のことか」
ヒラリーが思案すると、マデレーンは笑顔を取り繕った。
「うん。まあ、お義父様から指導は受けているみたいだから、私はあんまり口を出さないようにしてるわ。でも、ヒラリーんちも関わってるし、完全スルーってわけにもいかなくてね? そのことでジェームズに話しかけると、ジェームズは不機嫌になって黙るし、あんまいいことないんだけど」
するとそのとき、背後から可愛らしい声がしした。
「あら、ヒラリー様じゃありませんこと?」
ヒラリーは突然名前を呼ばれて振り返った。しかし、見知らぬ女性だったので戸惑った。
「えっと、どちら様?」
するとその令嬢は、
「あら、マデレーン様もいらしたの。お二方はいつも一緒ですのね。私はカッシーノ伯爵家のドレシアですわ」
と挨拶した。
カッシーノ! 例の!
タイミング良すぎ。まさか今の聞かれた?
ヒラリーとマデレーンはドキッとして顔を間合わせたが、ドレシアは別に聞こえてはいなかったようで、微笑んでいる。
ドレシアはヒラリーよりだいぶ若く、まだ13〜14歳に見える。ヒラリーやマデレーンより5歳くらい若く、キャピキャピした様子がキラキラ眩しい。
なんとはなしにドレシアの全身を眺めてしまったヒラリーだが、大ぶりなリボンや、フリルをふんだんに使ったふっくらドレスを纏うドレシアは、お人形さんのように可愛らしい。金髪を縦ロールできっちりセットし、はっきりした青い目も、とても印象的だ。さぞかし男性からモテるだろう。
ヒラリーは、おとなしいドレスを着てきてよかったと心から思った。こんな子とは勝負にならないわ。同じ未婚令嬢だが、そもそも同じ土俵に立ってもない。若さも男性ウケも、圧倒的にドレシア嬢に軍配があがる。
そう思うと、ヒラリーは、不謹慎にも、デニースのことを大切にしなきゃと思うのだった。ここはおとなしく婚約しといた方がいいかもしれない。ドレシア嬢のような可愛いお人形さんが、笑顔を振り撒き夜会会場をひらひらと渡り歩けば、独身男性たちの視線はみんな彼女に釘づけだろう。ヒラリーなんて視界に入らないに違いない。
そんなふうに、なんだか打算的なことを思わされるくらい、ドレシアは魅力的だった。
「何かご用かしら?」
ヒラリーは冷静に聞いた。
「うふふ。お話してみたかったの。ヒラリー様、今公開婚活中ってお聞きしましたから。たくさん応募があったんですってねぇ? どんな気分なんだろう、と」
ドレシアがいかにも興味津々に聞くので、ヒラリーは困惑した。
「公開婚活って言われてんの? 恥ずっ!! でも、あなたのような若くて瑞々しいお嬢さんとは、ちょっともう、立場が違うって言うか。なりふり構わずよね」
ヒラリーは、一応愛想よくドレシアを持ち上げ、自虐も入れて明るく言った。
しかし、ドレシアはその気遣いに気づいてか気づかずか、
「あはは! ですよねぇ! 友達の間で話題なんですぅ! ヒラリー様くらいの歳になると、婚活も大変なんだなーって。公開でひろぉーく募集しないと求婚者が集まらないんでしょう? お気の毒だわぁー」
と、きゃははと笑いながら言った。
あれ? ディスられた? こっちはわざとそちらさんを立てて言ってあげたのに?
ヒラリーは額に青筋が浮かびそうになるのをぐっと堪えた。
隣のマデレーンも拳を握っている。
ジェームズのことで話題のカッシーノのご令嬢がこんなに無礼で、怒り収まらずといった様子だ。
「でもぉ、ヒラリー様、無理して若作りとかはしてないから、そこは潔いですよね! 若作りしてたらイタくて目も当てられないものぉ〜」
ドレシアが嫌味ったらしく言う。
ヒラリーは、「逆に、若いあなたには、まだ私のオシャレは着こなせないだろ」と心の中で毒づきながら、もちろん顔には出さず、笑顔を貼り付けて、
「もう若い子には敵わないわよ。本当完敗。早く結婚しておけばよかったわ。こうならないように、あなたは早く素敵な人を見つけてね」
と適当に激励しておいた。
すると、ドレシアの目が鋭く光った。
「ヒラリー様は、今はデニース様と話が進行中と聞きましたわぁ。どんな様子ですの?」
何か探りを入れる目だ。
「あなたに何か関係が?」
ヒラリーは、適当にやり過ごすつもりだったのに、具体的な話をぶっ込まれたので警戒し、冷たく突き放すように言った。
しかしドレシアは怯まない。
「あら、うちのカッシーノ伯爵家はレーマン侯爵家と親戚ですのよ。気にしちゃだめかしら?」
親戚と聞けば、まあ、関係なくはないか。ヒラリーは少し態度を軟化させて、
「あ、ああ、親戚筋だったの。デニース様とは親しくさせていただいてるわ。うまく行くといいなと思ってるので、今後ともよろしく」
とぺこりとお辞儀をした。
すると、ドレシアはうっすらと面白くなさそうな顔になって、
「ふうーん。うまくいきそうなの。なんかデニース様が苦戦していると聞いたから、どんなもんかと思ってたんだけどぉ」
と残念そうに言うと、
「それじゃ失礼しますわ。せいぜい頑張ってくださいまし。あ、そうそう。私の友人の独身男性陣は『有力伯爵家の令嬢が家柄問わずの婚活してるから興味あったけど、あんなに歳いってるとは思わなかった』って言ってましたわぁ。もうおばあちゃんなんじゃありません? デニース様にも相応しくないと思いますよ」
と悪意まみれの捨て台詞を残して去っていった。
ヒラリーとマデレーンは、呆気に取られてドレシアの後ろ姿を見送った。
「何あれ」
「何が言いたかったんだろう?」
ヒラリーとマデレーンは不思議そうに顔を見合わせた。
「で、あれが例のカッシーノ伯爵家の娘?」
「みたいね。今の変な挨拶と、ジェームズの件って何か関係あるのかしら?」
「あったらどうする? わざとってことだよ、間違いなく悪意あるよ」
「だね」
ヒラリーとマデレーンはため息をついた。
すると、そこへ、
「あら〜! やっぱ二人一緒だ〜」
と親しげな声が聞こえた。
振り向く前からヒラリーとマデレーンには分かる。
仲の良いアデラ・ベントレー子爵夫人だ。
アデラはちょっと考えが足りないところはあるが、面倒見がよくて陽気。楽しいことが大好きな気さくな性格だ。最近子供を産んだばかりだが、社交は主戦場とばかりに精力的にこなしている。
「なによ、二人して浮かない顔して」
アデラが辛気臭いヒラリーとマデレーンを揶揄うと、
「いやー、若いキャピキャピ女子にケンカ売られちゃって」
とヒラリーは鼻の頭を擦った。
「誰?」
「ドレシア・カッシーノ」
「あー! 知ってる。あの世代の女番長よね。ケンカ売ってきたんだ。やりそー! でもなんでヒラリーに? なんて?」
「歳とって婚活って惨め、みたいな感じかなあ?」
ヒラリーが苦笑して答えると、アデラは爆笑した。
「あはは、言いそー! ほっとけほっとけ! まさか自分はそんな目に遭うことはないだろうって思ってバカにしてんでしょ。ケツの青いお子ちゃまだ、まだ何も分かってないわね。人生紙一重なのに」
「大金持ち子爵夫人がケツとかゆーな。それに、私もまだ若いつもりだし、未婚だから、どっちかってゆーとドレシア側」
「あはは! なわけない。婚約破棄の地獄を生き延びたのに? 夢いっぱいキラキラ娘とどこが同じよ。でもさ、しょーがないじゃん、アルベルトっていう地縛霊に取り憑かれてたんだから。真面目に生きてきた証拠! これからだよ、歳とったなんて言わせとけ」
「あーあ。婚約破棄して酸いも甘いも経験済みってとこを売りにして婚活やってんだけどなー。年齢のことは大目に見てもらおうと思ってたんだけど!」
ヒラリーは大袈裟に嘆いた。
そのとき、マデレーンが横から口を挟んだ。
「それより、アデラ。カッシーノってどんな家? なんか悪い噂とか聞かない?」
「ん? 別に普通の伯爵家じゃない? カッシーノ伯爵が娘のドレシアに激甘ってのは聞いたことがあるけど。でもそれくらいかなあ? そんな変なウワサは聞いたことないわよ」
「レーマン侯爵家とは親戚?」
とヒラリーが確認すると、アデラは顎に手を当てて思案した。
「えーっと待ってね。うん、一応親戚かな? デニース様の従兄の奥さんが、ドレシアの従兄の奥さんと姉妹だったような」
「え、あ、そうなの? じゃ血筋は関係ないじゃない。デニースの親戚ってドヤ顔されたんだけど」
ヒラリーが困惑気味に言うと、アデラはきらんと目を光らせた。
「はは〜ん。そりゃ何かあるんでしょ」
「何かって何が?」
「ドレシア嬢はデニース様が好きとか。あんなお人形さんが考えることなんてそんなもんじゃない?」
「えっ! 好き? ライバルってこと?」
「こら、狼狽えるな! 適当に言っただけだし。それに、ヒラリーはデニース様と付き合ってるんでしょ? 婚約秒読みって聞いたわよ。自信持って堂々としてたらいいじゃない。……で、婚約秒読みって本当なのよね?」
興味津々でアデラが聞く。
「あ、うん、たぶん……?」
ヒラリーが言葉を濁すと、歯切れの悪いヒラリーの横で、マデレーンが助け舟を出した。
「ヒラリーったら。デニース様のお母様ともお茶したらしいわよ」
それを聞くと、アデラは目を輝かせた。
「そーゆー話が聞きたかった! 詳しく!」
しかし、ちょうどそのとき、大広間の出入り口辺りで、ジェームズが恰幅のよい白髪の貴族と歩いているのが見えた。
マデレーンの顔色が変わる。
「ちょっとごめん、ヒラリー。あの人よ、カッシーノ伯爵。私、ちょっとジェームズの様子見てくるわ」
ヒラリーの耳元でそう囁くと、マデレーンはアデラにも手を振って離れていった。
アデラは女子トークの途中だったので少し残念そうにマデレーンを見送っていたが、そのマデレーンのところにも慌てた様子の夫ベントレー子爵がやってきて、
「挨拶行きたい人がいる! 珍しく夜会に顔を出しているようだ。アデラがいてくれた方が会話が弾む、悪いがこっち付き合ってくれ」
とアデラの腕を子どもっぽく引っ張った。
ヒラリーがアデラに「じゃ、また後でね」と手を振ると、アデラは残念そうにヒラリーの方を何度か振り返りながら、夫について行った。
一人になったヒラリーは、そういえばデニースと会う約束をしていたのを思い出し、デニースを探しに行くことにした。
キョロキョロ辺りを見回したが、大広間にはいない。どこだろう。
適当にうろうろ歩いていると、バルコニーから見下ろせる中庭に、目的の人がいるのが目に飛び込んできた。
「あっ!」と嬉しく思った次の瞬間、腹から湧き上がる強烈な不快感に襲われた。
デニースの隣に、さっきのドレシア・カッシーノ嬢がいたからだ。
遠目にも、ドレシアが目一杯甘えた仕草をしているのが分かる。
さっきのアデラの「ドレシア嬢はデニース様が好きとか」と言った言葉が蘇る。
ヒラリーはズキンと胸が痛むのを感じた。
デニースのことは信じてるけど、やっぱり見てしまうと穏やかでいられない。やめてほしい。
私と会う約束してたよなー?
自分こそさんざん女友達を優先しておきながら、デニースが他の女の人といると嫉妬のような感情を向けてしまう。頭では嫉妬するほどのことではないと分かっているが! ドレシア嬢が厭味なことを言ってきた張本人だからというのもあるのかな?
とにかく、ヒラリーは言い得ぬ不快感をドレシアに抱いたのだった。
【4】
ヒラリーは、嫌な気持ちで胸がいっぱいになり、思わずバルコニーの手すりにもたれて蹲ろうとしたとき、
「どうしたの、ひどい顔だけど」
と声がした。
ヒラリーがビクッとして顔を上げると、案の定元婚約者のアルベルト・フィーシャ男爵だった。フィーシャ伯爵家の息子だが、国王陛下の覚えめでたく男爵の地位を賜ったとのこと。本人や周囲の者はアルベルトを有能と勘違いしているようだが、ヒラリーにはそんなふうには欠片も思えない。昔は確かにこの人が好きだったけど、この人の浮気を知ってしまい、絶望に突き落とされた。その謝罪の席でアルベルトが放った「たった一度の浮気くらい大目に見ろよ」のセリフは一生許さない。ゆきずりの浮気だと言い張るが、それで許してもらえると思うのは自分に甘すぎる。
無視するのも変なので挨拶は交わすし、今でも問題が起これば心配するくらいにはお互いを思い遣ってはいるが、ヒラリーがアルベルトと話すとき、必ず嫌悪感が付き纏う。それはアルベルトもよく分かっていた。
「大丈夫よ」
とヒラリーは冷たく拒絶するように言ったが、今にも崩れ落ちそうなヒラリーの様子に、アルベルトは「大丈夫」は信じられなかった。
アルベルトはため息をついて聞いた。
「マデレーンやアデラは?」
「彼女たちにも外せない用事があるわ」
「じゃあ、新しい婚約者は?」
ヒラリーは、アルベルトがデニースのことを言っていると思ったが、まだ婚約者ではないとは訂正しなかった。
「約束はしているけど、まだ合流してない」
「呼んでこようか?」
アルベルトがそう提案したので、ヒラリーは先ほどのデニースとドレシアの姿をまた思い浮かべてしまう。慌てて、
「いや、もう少し後で」
と言った。
デニースは私に求婚してるんだから、堂々とあの二人を邪魔しに行ったっていいはずだけど。婚約の返事がまだな後ろめたさもあってか、ヒラリーには邪魔するまでは思えなかったのだ。
「そうか。でも気分が悪そうだから、一人にしておけないな。医務室行く?」
「いや、いい。ただの立ちくらみ」
ヒラリーがアルベルトに掌を向けると、アルベルトはふうっと息を吐いて、
「そう。じゃあ体調が戻るまでここで付き合うよ」
と言った。
アルベルトは、別れた後も、なんだかんだヒラリーに気を留めているのである。
とはいえ、ヒラリーが自分を未だに許していないことはしっかりと肝に銘じている。一歩離れた距離でヒラリーの横に立った。
「別にいらないけど」
とヒラリーが突き放すように言うと、アルベルトはまた一つため息をついた。
「世間話だけ。マデレーンの夫のジェームズのことだよ。彼が何か新しい事業を画策してる」
「それは知ってる。マデレーンからも聞いたし、私のお父様からも聞いた。カッシーノ伯爵家でしょう?」
「そうだ。ジェームズの事業にはうちも出資しているからね、うちの父も心配している。なぜ急にカッシーノの名前が出てくるのかと」
「さっきもジェームズがカッシーノ伯爵と歩いてるのを見たわ。マデレーンが顔色変えて飛んでった。それに、カッシーノ伯爵の娘のドレシア嬢にも会ったわ。なんかすっごい厭味を言われたけど」
ヒラリーは、先程のデニースとドレシアの二人きりのシーンを思い浮かべて、また胸の底がドロドロと深く沈んでいくの感じながら、それを取り繕って言った。
「アルベルトはカッシーノ伯爵家のこと、何か聞いている? うちの父はおまえは知らなくていいと全然教えてくれないのよ」
「僕自身が事業に関わっているわけではないから、そんな詳しい事はわからないし、ジェームズの考えていることなんてもっと分からないけど……」
アルベルトは、そう前置きをした上で、
「事業拡大の話だと聞いた。カッシーノ伯爵家がお金を出す。それで新しい事業を立ち上げる。その事業は、うちやヒラリーんち、ジェームズの実家筋とは完全に独立の事業だそうだ。そういう提案だそうだ」
と言った。
「なぜわざわざジェームズに話を持ってくるの。良い話なんだったら、カッシーノ伯爵家は自分たちだけでやればいいじゃない」
「そういうのがあるから、みんなが胡散臭いと思ってるんだ。だから僕の筋でも聞き込みをした。カッシーノ伯爵自体は別にジェームズには興味もないんだそうだ。だが、娘のドレシア嬢に何かジェームズとの接点を作ってと頼まれたんだとさ」
「どういうこと? ドレシア嬢がなんでジェームズの事業に関心があるのよ。あんなお人形さんみたいなご令嬢が」
「ドレシア嬢の意図までは、まだ分からん。今調べてるとこ。でも、ヒラリーは今日ドレシア嬢と絡んだんだろ? 何か分かったらうちにも教えてよ」
「絡んだって言っても……厭味言われただけだけ。直感では、話し通じる相手じゃねーなーって感じだったよ。まあ、ドレシア嬢は訳わかんない感じだからこの際置いといてさ。問題はジェームズよ。なぜその話に乗るわけ? 騙されてるとは思わないの? それに、うちやアルベルトんちはともかく、実家筋を蔑ろにしてるとは思わないのかな。もしカッシーノ伯爵家との事業がうまくいかなかったら、どうするつもりなんだろ」
ヒラリーの問いかけに、アルベルトは少し声のトーンを落とした。
「それは何。ジェームズの気持ちの話?」
「そうよ」
「ジェームズが何を考えてるか誰にも分からないさ。だけど、まぁ男として気持ちはわからなくもないかな」
アルベルトがそう言うので、ヒラリーはハッとした。
「その男としてって何? 同じことうちのお父様も言ってたわ。私にはさっぱり分からないんだけど」
「うん、分からないんじゃない?」
アルベルトが苦笑したので、ヒラリーは目を剥いた。
「説明してよ」
「気が進まないなぁ。でもまあ一言で言うと、男のプライドってやつかな? 知らんけど」
「何それ?」
急に男のプライドとか言われて、ヒラリーは困惑した。
アルベルトは予想通りのヒラリーの反応にまた苦笑した。
「ジェームズは妻の前で自分の力を見せつけたいんだよ。単純にそれだけだと思うけどな」
「は? 自分の力を見せつける? 以前事業失敗しておいて、自分の力もクソも……。毎日顔つき合わせて夫婦で暮らしてるのに、まだ何をかっこつけることがあるわけ?」
「男はさ……あ、全ての男がってわけじゃないよ、でもまぁ僕が思うところには、男はやっぱ、家族を守るんだとかさ、仕事でうまいこといきたいとかさ、そういうのがあるんだよ。少なくとも僕はそういうのあるしね。だから、ジェームズの立場を考えたときに、同情するところもあるってこと。彼は前の事業を失敗した。だから、確か、最初は彼の親戚筋の方で細々仕事をもらう話だったんだろ? 一応ジェームズは自力でマデレーンとの生活の立て直しを計画したわけだ。だけど……ヒラリーが今の事業の話をジェームズんとこに引っ張ってきて、そっちの方がいい話だったから皆がそれに乗っかった。つまりジェームズからしてみたら、妻のコネだ。ジェームズの実家筋はいいとして、うちやヒラリーんちまで事業に関わってるって、ジェームズからしたらモヤモヤするとこあると思うよ」
「別に妻のコネでいいじゃない。夫婦は共同なんだから。何が悪いの? 今の事業だって上手く言ってるじゃない、何の文句があるの?」
「だから、男のプライドってヤツだって言ってるじゃん。もうちょいジェームズを立ててやれよ。みんなして、寄ってたかってジェームズを無能扱いしてさ。それが嫌なんだと思うよ。だからジェームズも自分の力を見せたかったのかなって思うけどね」
「……」
ヒラリーはほんの少し思いあたる節があったので、黙ってしまった。
「で、モヤモヤしてたところに、ちょうどカッシーノ伯爵が話を持ってきたって感じじゃね? マデレーンやヒラリーの息のかかっていない新しい仕事だ。これを成功させてみんなを見返してやりたい、そんな感じなんじゃない? だからジェームズは、カッシーノ伯爵の提案にぐらついてるのさ」
「そう。ジェームズはそういうふうに考えていたの」
「僕の想像ね。でもオブライン伯爵も、男として気持ちが分かるって言ったんだろ? じゃあ、あながち間違いでもないかも」
アルベルトは首を竦めて見せた。
ヒラリーはなんとなく分かった気になったが、それでも納得はできなかった。
「でも、今マデレーンはすごく不安に思ってるわ。マデレーンを不安にさせてまで突っ走るっていうのはどうなの? それは家族としてありなのかな」
「そりゃ理想とは違うんじゃない? 僕ならもう少し上手にやる」
そうアルベルトが言ったので、ヒラリーはかなりイラッとした。何その上から目線!!! 浮気男が偉そうに何を言ってんだか! そーゆーとこやぞ!
しかし、お調子者のアルベルトはヒラリーの苛立ちに気づかない。
「男の気持ちは、女には分からないだろうさ。それでいいけどね」
とまで宣った。
ヒラリーは完全に呆れ返ってしまったが、アルベルトと余計な言い争いをする気はなく、顔に笑顔を張り付けて、
「ありがとー。参考になったわー」
とお辞儀して見せた。
ヒラリーの裏を読めないアルベルトは、
「どういたしまして。同じ婚活仲間としてのよしみとして助言させてもらったよ」
と微笑み返す。
「婚活してるの?」
「してるよ。子ども欲しいし。ヒラリーより先に結婚するかもね」
「どうぞお先に」
すっかりアルベルトを別な生き物認定したヒラリーは、同じ土俵に立つ気はない。
「なんで他人事? デニース・レーマン侯爵令息の婚約聞いてるよ。いい話じゃないか。おめでとう……って、あれ?」
不意にバルコニーから中庭のほうを見たアルベルトは、中庭の例の2人を見つけてしまい、押し黙った。
少しの沈黙の後、アルベルトは気の毒そうに低い声で言った。
「もしかしてフラれた?」
「なんでフラれたことになってるのよ」
「だったらアレは何だよ」
「それは……」
ヒラリーは口籠る。
アルベルトはため息をついて言った。
「まぁ大丈夫じゃね? ヒラリーの母上様がそこんとこはうまいことやるだろ。嫁き遅れ娘を何とかするために恥を忍んでいろいろやっているんだろ? デニース殿に土下座するなり脅すなり、何でもするんじゃね」
だーかーらー! 嫁き遅れてんのは、誰のせいだよ!? そもそもは、あんたが『ゆきずりの浮気』とやらをぶちかましたせいでしょ!?
ヒラリーはまたイラっとして、今度こそ、アルベルトの足を蹴ってやった。
さて。
そうやってヒラリーとアルベルトが話しているのは、中庭のデニースからもしっかり見えていた。
自分がドレシアに付き纏われているのをヒラリーに見られたことにも気づいて、早くフォローに行かねばと思っていたのだが。アルベルトまで登場したとなると、本当にさっさとドレシアを引き離さねば。
デニースは心の中でひどく焦った。
と同時に。
「またアルベルトか」
デニスは心の中で呟いた。
【5】
デニースは、先ほどから同じ話を繰り返して付き纏うドレシアに、うんざりしながら言った。
「ドレシア嬢。もうマティアスの話は結構。私の方からもマティアスにちゃんと言っておくから」
ドレシアは、デニースとの唯一の接点であるマティアス氏の話を持ち出し、付き纏っているのだ。
デニースの従兄マティアス氏の妻が、ドレシアの従兄の妻と姉妹なのだが、このドレシアの従兄の妻の金遣いが荒いと訴えている。あちこち金の無心をしに回っているというから、マティアスにも気をつけるよう伝えてくれ、と忠告するのだった。
「本当にちゃんと分かって下さいました? 私の従兄の奥さんは相当な悪女なんです。マティアスの奥さんも財産目当てで結婚したに違いありませんわ。姉妹ですから、本当に気をつけていただきたいの」
「うん、何度も聞いた。ご忠告をありがとう。では」
とデニースが離れようとすると、ドレシアは媚を売る上目遣いで、
「ちょっと待ってくださいな! せっかく夜会で会ったんですもの。ダンスを1曲踊ってくれてもいいでしょう?」
と、デニースの袖を引っ張る。
デニースはやんわりその手を外しながら、
「すまない、気が乗らなくてね。婚約者と会う約束をしているんだ」
と単刀直入に断る。
「あら、婚約してましたっけ? まだでしょう? ヒラリー様がデニース様を特別に思っているなんて、多分嘘ですわ。あの人いろんな男の人にいい顔してるのよ。だって公開で婚活してたじゃありませんか! たくさんの応募があったと聞いたわ。デニース様以外にも何人かの男性を同時進行で付き合ってるんです。デニース様は騙されてるんです!」
「そうかなぁ。そうは全然思えないけど」
デニースが苦笑しながら否定すると、
「そりゃデニース様には隠しますよ。隠すのだって上手よ。私よりもだいぶ歳上で、人生経験が豊富ですもの。嘘をついたり、騙したり、取り繕ったり。そういう恋愛の駆け引きがずっと得意ですわ。ただでさえ女の人は、男のよりも上手に嘘をつくというのに」
とドレシアは流れるようにヒラリーの悪口を言う。
デニースは、ヒラリーが自分は恋愛経験が乏しいと嘆いていたのを頭の中で思い出して、可笑しくなった。少なくとも歳下のお嬢さんには、それはバレていないようだぞ。
デニースがずっと他人事の態度なので、ドレシアはプンスカ怒った。
「もう! 親戚のよしみでご忠告差し上げてるのに!」
そうじゃないだろ、私の気を引きたいだけだろ、とデニースは心の中で突っ込んだが、もちろん顔には出さない。
いいかげん、この不毛な時間から解放されたいと、タイミングを見計らいながら、ちらりと王宮の2階のバルコニーに目をやる。
さっきから気が気でない。なぜヒラリーはアルベルトと一緒にいるのか。
あの2人は婚約破棄をして、もう完全に終わったはずなのに。夜会で話し込むほどの関係が続いていたとは。
今すぐヒラリーの元に駆けつけて、アルベルトとヒラリーを引き剥がしたい。
元婚約者って、本当に厄介な存在だよ。ヒラリーがアルベルトに恋をしていた事実は一生消えないんだから。
今の二人は何でもないと頭では分かっているのに、どうにも落ち着いていられないんだ。
デニースが黙りこくったので、おかしいなと思ってドレシアが目を上げてみると、ドレシアの瞳にもヒラリーとアルベルトが二人で話している様子が映った。
その瞬間、ドレシアは勝ち誇った顔をした。
「まぁ、見てください!!! デニース様、ほら私の言った通りじゃありませんか! ヒラリー様には他にも男が!」
興奮して声が上擦っている。
「あれは元婚約者だよ。もう終わっている」
「元婚約者とどうして今でも話してるんです。おかしいじゃないですか。ヨリを戻したんだわ!」
「そういう話は聞いていない」
「おかしいわ、おかしいわ! デニース様は騙されているのよ!」
ドレシアは嬉しそうに、何度も何度もその言葉を繰り返した。
ドレシアはほくそ笑んでいた。
明日にでも知り合い中に、ヒラリー嬢とアルベルト殿が二人きりで話をしていたことを噂して回るんだ。何ならキスをしていたとか、ちょっとばかし噂に尾鰭をつけても構わない! それでデニース様の結婚を邪魔できるのであれば!
噂が大きくなれば、デニース様だって、デニース様のご両親だって、疑わざるを得ないだろう。きっとヒラリー嬢に愛想をつかす! そうしたら、私がデニスの恋人に立候補するのよ!
なに、そんなの簡単だ。私はヒラリー嬢より若いし可愛らしいし、男性の庇護欲を唆る、そんな女なのだから!
見てこの金髪! 見てこの澄んだ青い瞳! 私に惚れない男はいないのだ。あんな可愛げのないヒラリー嬢など、敵ではないわ!
こんな調子で、ドレシアは自分が一番の令嬢だと信じて疑わなかったのである。
また、デニースへの一途な愛も信じていた。
ずっと見てきたのよ、デニース様を。従兄の結婚式のときに、レーマン侯爵家からも広く親戚が呼ばれていた。デニース様も来ていた。私はそのときにデニース様に一目惚れをした! こんな素敵な人がいるのだろうかと目を見張った!
遠い親戚、それがデニース様と私の繋がり。薄い繋がりだったけど、これを最大限利用する。
だけど、デニース様は違う女と婚約しようとしている。私はいつも可愛く装って、きれいなお化粧して、お人形さんのように振る舞っているのに、デニース様の目には留まらなかった。なぜデニース様は、あんな可愛くもない嫁き遅れ女と婚約するのだろう? ヒラリー嬢は可愛いドレスを選ばない。彼女はいつも少し尖った、男ウケのしないデザインのドレスを着る。
かっこよさなんて女には必要ない、女は可愛く男に守られていればいい、という価値観のドレシアには、ヒラリーの価値観が全く理解できなかった。
ヒラリー嬢の辺りで漏れ聞く噂を聞けば、やれサロンで年配の公爵夫人相手に啖呵を切っただの、男の言いなりになりたくないだの、そんな話ばっかり。変な女だと思った。そんなんだから、前の婚約だって破棄されたんだと思った。そんな女に、なぜデニース様が引っかかるのか全くわからない。
デニース様とヒラリー嬢の仲は必ず邪魔してみせる。これまでもいろいろ噂を流しているけど、今回のアルベルト殿とヒラリー嬢の逢瀬はきっと瞬く間に王宮中に広がる。暇な貴族たちは、別れたヨリを戻したの話が大好きなのだ! 話題に上らないはずがない。
ヒラリー嬢の親友マデレーン夫人の家の事業だって、私が掻き乱してやる。あそこがゴタゴタすれば、ヒラリー嬢は絶対にマデレーン夫人の相談に乗り、そっちにかかりきりになるはず。そもそも、ヒラリー嬢が持ってきた事業だというのだから、放っておくわけがない。そうすれば、ほっとかれたデニース様は寂しがるわ。しかもマデレーン夫人の家の事業にはアルベルト殿だって関わってると聞く。ヒラリー嬢とアルベルト殿の接点も増すわ! そうしたら、デニース様だって余裕ぶってはいられないはずよ! 最高のシチュエーションじゃない!
これでデニース様は一人除け者だ。孤独感を募らせて、ヒラリー嬢との仲は自然消滅すればいい。そうしたらついにデニース様は私のものになる!
……これが、ドレシアの企みだった。
「デニース様には私がいますわ」
ドレシアは熱っぽくデニースに訴えた。
しかし、デニースは、ドレシアの言葉には耳を貸さず、
「あっちがあんな状況なら緊急事態ってヤツでしょう? 失礼しますね、ドレシア嬢」
と穏やかに微笑んでみせ、デニースはヒラリーの元へと速足で歩き出した。
【6】
ヒラリーとアルベルトの前に、デニースが息せき切って現れたので、ヒラリーは驚いた。
「デニース様! お連れ様と一緒じゃないの?」
お連れ様? ああ、ドレシア嬢のことか。
デニースは面倒くさそうな顔をして、
「そんな厭味はいらないね」
と不快そうに否定した。
「そちらこそ、なぜアルベルト殿と一緒にいるんですか? お二人の仲は終わったはずでしょ」
それを聞くと、アルベルトは腰を折り曲げ、
「くくく」
と堪えきれないように笑い出した。間違いなく嫉妬だと思ったから。
デニースがアルベルトに睨むような鋭い視線を向けたので、アルベルトはこれは本当に嫉妬だと思った。しかし、きっと嫉妬など、ヒラリーにバレたくないだろうな?
「余計なことは言わないでおきましょう。でも、一つ聞きたいことがあるのですか」
「聞きたいこと? 何ですか。でも、その前に――」
さっきはヒラリーと何の話をしていたんだ、と問い詰めたくて声を荒げたデニースに、アルベルトはうっとうしそうな視線を投げた。
「話の腰を折らないでください。ヒラリーに余計なこと言いますよ、あなたが嫉妬――」
「アルベルト殿!」
デニースは慌てて遮った。
アルベルトはニヤッと笑った。やっぱり嫉妬のことはバレたくないんだな。男だもんな。
「カッシーノ伯爵家のドレシア嬢をただちにおとなしくさせてください。遠い親戚なんですってね。ジェームズの事業に何やら首を突っ込んできてる。仕事に、わがまま女のヒステリックな嫌がらせが持ち込まれると碌なことがない。それに、ヒラリーも心中穏やかでないはず。僕の要求はそれです。そうしたら、今のあなたのソレ、ヒラリーには内緒にします。男の約束」
そう言ってデニースに目配せすると、これ以上ここにいるのは野暮だろうと、くるりと向きを変え大股で去っていった。
ヒラリーはボカンとした。
「怒涛のように喋って去っていったけど、あの人何? 私に内緒ってのも何よ、気持ち悪い。男の約束って何? ま、ドレシア嬢のことはマジでどうにかして欲しいけど。マデレーンも夫婦関係の亀裂で参っちゃってるし」
まさか嫉妬心を交渉材料に使われるとは思ってもみなくて、デニースは頭を掻いた。いや、だがしかし。そもそも自分は嫉妬などとは思っていないのだから、ヒラリーにバレようが何だろうが構わないんじゃないか? あいつ、鬼の首とったような言い方してたけど……。とはいえ、それを自分の口からヒラリーに説明するのは、どうにも気が進まない。
そんなとき。
「ヒラリー!」
王宮の大広間からバルコニーを覗くようにして、マデレーンが顔を出した。アデラも一緒だ。
「マデレーンとアデラ、一緒だったんだ。ジェームズはもういいの?」
「全然良くない! あのカッシーノの伯爵って人、本当にやる気がないったら! あんなにやる気がないのに、なんでジェームズに話を持ってきたのかしら。それなのにジェームズの方は真に受けてるんだから、アホらしくて仕方がなかったわ」
マデレーンは本当に腹が立っているのか、随分と辛辣だ。
ヒラリーは半信半疑でマデレーンの方を見た。
「アルベルトがね、ジェームズは男のプライドのために新事業をやりたいんだろうって」
しかし、マデレーンはよくわからない。怪訝そうな顔をして、
「男のプライドって何?」
と聞き返した。
「男は家族を守るものだとか、仕事で評価されたいとか、そういう感じのものだってアルベルトは言ってたけど」
「ははあ〜」
聡明なマデレーンは、ヒラリーの一言でピンときたようだ。
「あぁ、ジェームズは確かにそういうとこあるわ」
「アルベルトもあったよ」
マデレーンとヒラリーは顔を見合わせた。
「またアルベルト?」とデニースが心の中でため息をつくと、
「アルベルトはどうでもいい。ってゆか、どーゆー話? 説明して?」
アデラが真面目な顔で話に入ってきたので、マデレーンとヒラリーは、今ジェームズが陥っている状況を、デニースとアデラにも簡単に説明した。
横でおとなしく聞いていたデニースも苦笑した。
「なるほどね。アルベルト殿の言う通り、カッシーノ伯爵の方は私が何とかしましょう。どうせドレシア嬢絡みなんだろうから」
「ドレシア嬢絡みって、どういう意味?」
さっきの中庭の二人を思い出しながら、恐る恐るヒラリーが聞くと、デニースは困った顔で答えた。
「私の気を引きたいみたいなんで。ヒラリーの悪口も止まらなかった。だから、ジェームズ殿の件も嫌がらせでしょうね。カッシーノ伯爵がやる気がないのが全てを物語ってる」
すると、アデラが笑った。
「ジェームズの男のプライドってヤツの方は、マデレーンが何とかするのよ」
「何とかって何よ。男のプライドだなんて、そんなの知ったこっちゃないわよ。周りを心配させて、私ほんとに呆れてるんだからね」
マデレーンが露骨に顔を顰めると、またアデラが笑う。
「男のプライドも全部受け止めて、うまいことコントロールしてやるのが女のプライドってやつなんじゃないの?」
「そんな女のプライド聞いたことないけど!」
「そう? 私は夫の心の支配者であることにプライドかけてるわよ。ねえ、デニースさん」
アデラがわざとデニースに振る。
「そういうのは聞きたくないね。女だけでやってよ」
デニースは降参するように軽く両手を挙げたが、ちらりとヒラリーの方を見て、
「もうとっくに支配はされてますけどね。ヒラリーのことを考えてばかりだから」
と付け加えた。
言わせておきながら、アデラは「きゃーっ」と歓喜に頬を染めて、手で口元を覆った。
「それをドレシアの前で言ってやればいいのよ! そしたら一気に全部解決だわ」
大満足の顔で力強くアデラは言った。
「ちょっとちょっと! それはやめてあげて」
ヒラリーは思わぬ遠隔攻撃に真っ赤になっていたが、慌てて止めに入った。
「そんな身も蓋もないやり方で、ドレシア嬢の心を傷つける必要はないでしょうよ。あの子まだ若いんだし! 違うやり方があるって」
「――あなたってほんとにお人好しね。どうでもいいじゃん、あんな子。ヒラリーの悪口言ってるし、普通にフラれたらいいと思う。全部解決」
アデラは呆れて言い返す。
「何とでも言いなさいよ。まだたいして恋とか分かってないのよ、きっと。一応、私もひとかけらの優しさくらいは持ち合わせてるつもり」
ヒラリーがわざとらしく取り澄まして言うと、マデレーンがヒラリーの頬をむにっと摘んだ。
「まーた大人ぶってる」
「ぶってない」
「いーや、大人ぶってる」
それから、マデレーンはヒラリーに聞いた。
「どうやって解決するつもり? 恋敵のヒラリーが真正面から行ったら、向こうも警戒するでしょ」
「それは今から考えるけど。デニースが行くよりはマシにやれると思う」
ヒラリーがデニースを見てそう言うと、デニースは訝しげに反論した。
「直接振ってあげる方が優しくない?」
「うわ、モテるヤツが言うと超残酷。死ね! たぶんドレシア嬢はそーゆー次元じゃないから。ちゃんと分からせてあげた方が納得すると思う。納得すれば、ジェームズの事業とかへの嫌がらせも、すんなりやめてくれるんじゃないかと思うし」
ヒラリーはデニースを軽く睨むと、マデレーンを連れてドレシアを探しに行った。
ドレシアは王宮の夜会会場の一部屋で、若い男性数人に囲まれ、金髪の縦ロールを揺らしながら、女王様のようにふんぞり返っていた。
ヒラリーが近づくと、ドレシアは「げ」といった顔になった。それから後ろめたそうに肩を竦めた。失礼なことを言った自覚があるのだ。
しかし、ドレシアがどう思っているかは、ヒラリーは興味がなかった。
「ドレシア嬢。ゲームをしない?」
いきなり誘われて、ドレシア嬢は戸惑った。
「ゲームですか? しません。私、彼らとのおしゃべりに忙しいの」
相変わらず、つんけんした物言いだ。
「彼らもゲームに入ったらいいわ。どう?」
ヒラリーが微笑んでもう一度誘うと、ドレシアの周りの男性陣は興味を惹かれたような顔をした。
反応を伺うようにちらりとドレシアを見る。
ドレシアは疑り深い目でヒラリーを睨んでいる。
さっき意地悪を言った自覚があるので、報復があるはずだと警戒しているのだ。お人形さんのわりには、そっち方面には頭がキレる。
ヒラリーは苦笑した。
そんなにトゲだらけで身を守って。そんなんなら最初から意地悪なんか言わなきゃいいのに。
「ドレシア嬢。私あなたに怒ってないわよ。嫁き遅れた惨めな婚活はその通りだし、だからその分、こっちもなりふり構わずやらせてもらってるの。でもさ、あなただって、本当は望んだ婚活はできてないんでしょ? 好きな人と結婚したいと思わない?」
ドレシアはビクッとなった。
それから唇をとんがらせて横を向いた。
「あなたが邪魔をしてるんじゃないの」
私からデニース様を盗ったのはあなたよ!
「だからゲームをしましょうよ。あなたが私に勝ったら、私はあなたが望む人を手に入れるのを全力でサポートするわ」
ヒラリーははっきりした口調で宣言した。
「えっ……」
ドレシアはまじまじとヒラリーを見た。驚きの色が滲んでいる。
「どういうつもり? 本気? もし私がデニース様を欲しいと言っても?」
ヒラリーは大きく頷く。
「本気。女のプライドをかけて」
「分かったわ……。で、ゲームって何をするの?」
ヒラリーは近くのテーブルの上の、見事なバラをたくさん生けた花瓶から、薄ピンク色の控えめな、小ぶりなバラを1本そっと抜き出した。
それから、ドレシアのそばにいる男性陣にも声をかけた。
「あなたたちもやる? やる人は手を挙げて」
男性陣はお互いに顔を見合わせ、それからその中の数名がやると挙手をした。
ヒラリーはにこっとした。
「マデレーン、紙とペンを配ってちょうだい」
それから説明した。
「ゲームは簡単よ。この花瓶の中から1本薔薇を取ってちょうだい。そのバラ花びらを数えるの。枚数が多かった人が勝ちよ。勝負自体は私とドレシア嬢で決めるけど、男性陣の中は男性陣の中で1番を決めたら」
「それだけ?」
とドレシアは聞いた。
「いいえ。もう一つルールがあるの。薔薇の花びらをむしるでしょう。1枚ごとにあなたが結婚相手に望む特徴を紙に書くのよ。優しい人とか、公爵以上の身分とか、ハンサムとか――固有名詞はなしね」
「それだけ? わかったわ」
ドレシアは了承した。
「じゃあ始めましょう。花びらの枚数が多かった方が勝ちね。」
そう言いながら、ヒラリーは説明のために抜き出した小ぶりなバラの花びらを、一枚ずつ外して数え始めた。
ドレシアはそれを見て変な顔をした。
花びらの枚数が多い方が勝ちと言うことは、幾重にも花びらが重なる大振りの花の方が勝つんじゃないかと、単純に思ったからだ。それなのに、ヒラリーはこの小ぶりの花を選んでいる。
ドレシアは何か騙しているのではないかと疑った。
「騙してないわよ。ルールはあれだけ」
ドレシアが疑わしそうに自分をじっと見ているので、ヒラリーは苦笑した。
「女のプライドをかけて?」
とドレシアは確認した。
ヒラリーは大きく頷き、微笑んだ。
ドレシアは黙ってヒラリーを見つめていたが、信じることにした。もしかしたら、ヒラリーは勝ちを譲ってくれる気なのかもしれない。アルベルト殿とヨリを戻したっぽかったもの……。
ドレシアはヒラリーのより大振りな薔薇の花を選んだ。花びらの重なりが美しい大輪の真っ赤なバラ。そのバラは重そうに首をもたげていた。
ドレシアはヒラリーか花びらを一枚取り外しては、結婚相手に望むものを1行書いていくのを見た。こっそりと中身を盗み見ると、
・優しいこと
・貴族の身分であること
・自分が心から愛する人であること
……
……
といったことが書かれていた。
ドレシアも真似をして、一枚ずつ一行ずつ結婚相手に望む条件を書いていった。
・イケメンであること
・背が高い人
・お金持ち
・自分より身分が高いこと
・歳は自分より年上であること。ただし25歳まで
……
……
理想ならいくらだって書ける。
ドレシアの取り巻き男性陣も、楽しそうに結婚相手に望む女性の特徴を書いていった。中には露骨な人もいて、「胸が大きい人」などというのもあった。
ヒラリーは一番最初に書き終わると、他の人が書き終わるのを待った。手もちぶたさで、花瓶のバラを覗き込む。赤、ピンク、白、香りの強いもの弱いもの、さまざまなタイプのバラがバランスよく生けられ、華やかに咲き誇っていた。
まるで私たちみたいね、とぼんやり思う。
すると、ドレシアが「終わったわ」と言った。
ドレシアの目の前には、花びらの山。
紙は小さい字でびっしりと、結婚相手に望む特徴が書き連ねてあった。
「何枚?」
とヒラリーは聞いた。
「47枚」
と、ドレシアは答えた。
「私は29枚。ドレシアの勝ちね」
ヒラリーは微笑んだ。
男性陣も、めいめいに、
「俺は55枚」「俺は49枚、くそっ」「俺は75枚」だのと楽しそうに言い合っている。
ドレシアはヒラリーをじっと見つめながら言った。
「最初から勝つ気がないんだったら、ゲームなんかしなくても良かったじゃない」
「いいえ。どっちかと言うと、あなたが書き出した結婚相手に求める条件の方に興味があったのよ」
ヒラリーはゆっくりと言った。
そして、ドレシアが書き出したリストを手に取り、上から一行一行ゆっくりと眺めていった。
ドレシアは、待ちくたびれて、
「私の勝ちだから、デニース様を私にちょうだい」
と痺れを切らして言った。
ヒラリーは、ゆっくりドレシアを見た。それから、残念そうに首を横に振った。
その拒否の仕草を見て、ドレシアが気色ばむ。
「え? 話が違うじゃない! 私が勝ったのに」
しかし、ヒラリーは動じない。
「だって、デニース様は、あなたのリストに当てはまらないんだもの」
そして、ある一行を指差した。
そこには書いてあった。『私を愛してくれる人』
ドレシアがハッとする。
瞬時に理解して青くなった。
『私を愛してくれる人』
ああ、これは確かにデニース様には当て嵌まらない!! デニース様に愛されている自信はなかった……。
そして、今更になってゲームの趣旨を深く理解したのだった。
ヒラリーは遠慮がちに言った。
「ドレシアがそんなに着飾っているのは、男性に愛されるためでしょう? 好きになってもらいたいからでしょう? 自分を愛してくれる人と結婚したいんでしょう? イケメン高位貴族なら誰でもいいわけじゃなくて。あなたは愛される努力を惜しまない人だわ」
ドレシアは、ヒラリーが何を言いたいのか分かったようだった。敢えて優しい言葉を選んでくれていることに、心がじーんとした。涙が浮かんできた。
「あ、ご、ごめん! 歳下女子を泣かせたいわけじゃないのよ。えーっと、もうちょっと自分のこと知ってもいいのかなと思っただけなの。泣かないで」
ヒラリーがたいそう慌ててドレシアを慰めようとすると、ドレシアはこくんと頷いた。
ヒラリーは汗をかく。
「リストを見て。『子どもが好きな人』『結婚してからもデートを一緒に楽しんでくれる人』こんなことが書けるあなたは、とても素敵な家庭を望んでいるんだと思うわ。愛し愛されるあたたかい家庭。身分やステータスだけの結婚とは印象がまるで違うもの。ね? あなたを愛してくれる人を探しましょうよ。あなたと素敵な家庭を築いてくれる人。私はあなたがその人と出会えるように応援するわ」
「……」
ドレシアは胸がいっぱいになって俯いた。
「このリストに載っている人は、デニース・レーマン様じゃない特徴が他にもいくつかあるわ。あなたがデニース様を好きなのは否定しないけど、それは結婚相手として深く考えた結果ではないのかなって思うわ。ね? 私が彼を譲っても、あなたは幸せになれる? 違うでしょ。あなたにぴったりの人がちゃんといるはず」
「そうね。分かったわ。私の負けよ。デニース様はあなたのものだわ!」
ドレシアは悔しそうに、でも納得した顔でそう言った。
やられた。
完敗だ。
すると、一人の若者がヒラリーに寄ってきて、ドレシアのリストを覗き込みながら、
「これ、俺全部当てはまるけど」
と言い出した。
すると、他の男性陣も押し合いへしあい転がりながら走ってきて、ドレシアのリストを覗き込んだ。
「俺もいける!」
「むしろ俺だ!」
それを見て、ヒラリーは思わず笑ってしまった。
この必死な感じ! 本当にドレシアはモテるのねえ。
ドレシアも釣られて笑ってしまった。
【7】
王宮の夜会の後、マデレーンはジェームズと帰宅すると、そそくさと寝に行こうとするジェームズを呼び止めて、
「ちょっとそこに座って? 話を聞いて欲しいの」
とお願いした。
ジェームズは、今日の夜会で、ヒラリーとマデレーンがドレシア・カッシーノ伯爵令嬢を説得できたために、カッシーノ伯爵からの出資の提案がなくなりそうだということは、露にも知らない。妻の話は、いつもの口うるさい小言なのではないかと、面倒な顔をした。
しかし、それなりに夫婦円満を心掛けているジェームズは、とりあえず言われるがままに、居間の長椅子に腰をかけた。
マデレーンは、夫の隣に腰をかけながら、
「あのね、私とても反省しているの」
としおらしく言った。
「あなたの事業のことよ。ヒラリーがあなたに仕事を持ってきたでしょう? そのときに、私、あなたの気持ちを確認しないまま、いい話だと飛びついてしまったわ。今、それを反省しているの」
マデレーンは今日『男のプライド』というワードを聞いてハッとし、ジェームズの中に宿っている心のしこりをほぐさなければと思ったのだった。
マデレーンは、金銭的にいい話だとか、親戚や友達の顔を立てないとと思い、ジェームズのプライドという点に関しては無頓着だったことを反省していた。
ジェームズは突然マデレーンからこういうふうに謝られたので驚いた。急に一体どうしたんだ?
マデレーンは、ジェームズが怪訝そうな顔をしているので、言葉を付け加えた。
「これまでうちがやってこれたのは、あなたが頑張ってくれているおかげなのに。ごめんなさいね」
ジェームズだって、家族に対して責任感を持ってやってきたのに、前の事業を失敗したとか、田舎の外国にしか次の仕事が見つからなかったのが嫌だとか、そういう目に見えるところだけで夫の仕事ぶりを判断してしまったと反省したのだ。
自分だけは、夫の失敗も包み込み、その失敗を夫が乗り越えることをサポートするべきだった。夫の考えを無視して、新たな選択肢(親友が持ってきてくれた新事業)をぽんと提示し、ただ未来をすげ替えるだけではなく。
自分の行動は、夫の考えへのリスペクトが欠けていた。こんな妻では、夫がなんとなく不満を溜めるのも、仕方がないと思った。
「今もギャストン伯爵家の事業拡大について、いろいろ考えてくれているのでしょう? ジェームズ」
「あぁ、まぁ」
「今日の夜会でお話ししたカッシーノ伯爵も、それに関係しているのよね?」
「あぁそうだ」
「彼との事業はうまくいきそうだと思っているの?」
マデレーンは、カッシーノ伯爵家の話はなくなると分かっていたが、ジェームズがどう考えていたのか知りたくて、わざとそう聞いた。
いつもなら、ここで「仕事に口出しするな」と不機嫌になるジェームズだったが、マデレーンが自分を立てようとしてくれていることを知ったので、少し態度を軟化させた。気まずそうに、
「彼があんな調子ではうまくいかないと思う。自分としては是非進めたい話なので、粘っているところだ」
と本音を吐露した。
やはり、とマデレーンは思った。
ジェームズも分かってはいるのだ。感情的に飛びつきたいが、危険も感じ、ギリギリの理性で事業の将来性を模索している。
「そうなのね。分かったわ。あ、一つだけお伝えしていいかしら。ヒラリーが、そろそろあなたの事業から手を引く頃かなって言っているの」
「え? オブライン伯爵家が?」
「ええ。手を引いて問題はない?」
ジェームズはまた少し考えて、それから何か覚悟を決めたらしい、責任感の光る目で、
「……ない」
と答えた。
マデレーンは夫のそんな様子にほっとした。
「そう。じゃあヒラリーに伝えておくわね」
ジェームズは、何ともいえない顔になった。
「なぜ、ヒラリーがそんなことを言い出したんだ。もともとヒラリーから始まった事業なのに」
「あなたが1人でちゃんとできそうだからよ。多分」
「そうなのか……?」
ジェームズは、下を向いて黙り、少し考えた。
それから、不意に顔を上げ、マデレーンの目をじっと見つめると、
「もしかしてさぁ……俺の焦り……」
と、言いかけた。
マデレーンは、笑ってひらひらと手を振ると、
「何のこと? 仕事の悩み? 難しい事は分からないから、私には言わないでよ」
と、ジェームズの疑惑を煙に巻いた。
ジェームズはまた黙って静かにマデレーンの瞳を見た。
それから、
「ありがとう。ごめん。いろいろ八つ当たりしたかも。俺……」
と、ぼそぼそと呟くと、なんだかお尻が居心地悪いのかそわそわと立ち上がり、ふらふらマデレーンに近づくとぎゅっとハグした。
「やっぱ俺、マデレーンで本当に良かったよ」
と、照れたように小声で言ったのだった。
———-
今日の夜会がお開きになる頃、ヒラリーに、「オブライン伯爵家が、ジェームズの事業から手を引くのはできる?」と申し訳なさそうに提案したのはマデレーンだった。
ジェームズとマデレーンが困っていたときに助け舟を出してくれたのはヒラリーなので、そんなヒラリーに「手を引け」と要求するのは、心から苦しかった。しかし、ジェームズの男のプライドを守るために、ジェームズが己の力を試していると自認できるようにするために。ヒラリーや自分の影を仕事から消すように頼めるのは、自分しかいないとも思った。
マデレーンが土下座せんばかりの空気を放っていたので、ヒラリーはびびった。
「ちょっと、マデレーン? 全然いいよ、そんなの! マデレーンのためにって始めたことなのに、マデレーンが困るようじゃ本末転倒じゃん! うちのお父様も私に付き合ってくれてるだけだから、事情を話せばわかってくれる。あと、なんならアルベルトにも手を引くよう言うけど?」
ヒラリーはマデレーンの考えを瞬時に理解して、快諾したのだった。
「ほんと? ほんとにいいの、ヒラリー? ごめんなさい。ほんと、ありがとう」
マデレーンは申し訳なさでヒラリーの手を握った。
ヒラリーは微笑み返す。
盗み聞きしていたアデラは、ニヤリと笑って、
「男のそゆとこ、ほんとめんどくさいよね。しかも、マデレーンはこれから、うちらのこんな話が裏であったことを隠したまま、ジェームズをうまいこと持ち上げて丸め込むつもりなんでしょう? 女って怖いわねー」
「女だけじゃないでしょ。別に世間じゃよくやることじゃない。みんなが気持ちよく、うまいこと回ってくれるのが一番いいんじゃないの」
とヒラリーがアデラに反論すると、マデレーンも笑った。
「ちょっとちょっと! うちのジェームズをバカにしすぎじゃない? 私が彼を持ち上げて、ヒラリーが手を引いて、カッシーノ伯爵の話がなくなる――なんて続けば、さすがのジェームズだってうすうす気づくってば」
「あたしは、マデレーンは上手にジェームズの手綱を握っているって褒めてんのに」
アデラが口を尖らせると、マデレーンは苦笑した。
「なんか、やってる女扱いするのやめてくれない? どこの家にもあるでしょ、夫婦生活円満の秘訣が」
「あ、円満って言葉で思い出した!」
急にアデラが話を変えた。
「ヒラリー、あなた、ちょっと態度わきまえたほうがいいわよ!」
「急に何?」
ヒラリーが驚いて聞き返す。
「さっき、デニース様の前で、『アルベルトにも男のプライドあるよねー』みたいなこと、さらっと言ってたけど、そういうのやめな?」
「え? どゆこと?」
「他の男の話いらんて。他にも『アルベルトはこうだった』とか普段から言ってない? たぶん男の人、すごく傷つくわよ。他の男と比べられるの相当嫌だと思う」
「そうなの!?」
ヒラリーはアデラの指摘にハッとして、背筋を正した。
「女も一緒だけどね。私だって他の女と比べられたら嫌だもん。『あの人はできるのに、なんでおまえはこうなんだ』とか、余計な一言ってやつだよね」
マデレーンが、うんうん頷きながら言うので、ヒラリーは納得顔になった。
「あ!」
ヒラリーは、ここに来てようやく、先日の5回目のデートのときの、デニースの不審な態度に思い至った。
あの日、
「恋愛経験は、最初の婚約だけ」「アルベルトはそんなことしなかった」そんな事を度々口に出していたかもしれない。
デニスが言いかけた不満というのは、もしかしたらこのことなのかも。
それなのに、私ったら! 今日に至っては、アルベルトと二人っきりでバルコニーでお話ししてしまった。しっかりデニスに見られてしまったし。不機嫌だったのは、もしや嫉妬?
アルベルトへの気持ちはないが、客観的に見たら、アルベルトのことを口にしたり、アルベルトと2人で話す姿を目にしてしまったら、本当に関係は終わっているのかと誤解だってしたくなるかも。
ヒラリーは「あちゃー」といった顔をした。
マデリーンも横で「あらー」といった顔をしていた。
ヒラリーが冷や汗をかきつつ狼狽しているので、まぁ反省しているのだろう、とアデラは思った。
「もうしないように」
「わかった」
「ちゃんと言葉でデニース様に説明して謝りなよ。男の人は言葉で言ってもらったほうが理解できるっぽいから」
「そうなのね。分かった」
ヒラリーは大きく肯くと、気合を入れて自分の頬をぴしゃっと叩いた。
「あ。あと、もう一つ言っとく、ヒラリー」
「何、アデラ?」
「デニース様のこと。先日、ヒラリーがデニース様との婚約に乗り気じゃないのは、もっといい縁談を待ってるからだって噂が流れたの。王家縁戚の公爵家を狙ってるってね。今思うと、たぶん噂元はドレシア嬢だと思うんだけど」
「えっ!?」
ヒラリーは驚いた。知らなかった。寝耳に水。
ドレシアめ! 優しさなんか見せるんじゃなかった! やっぱもっと派手にやり込めてやればよかった! くそー!
アデラは、ヒラリーの心が読めたのか苦笑している。
「こんな根も葉もない噂なのに、やっぱ信じる人はそこそこいてね。あのとき、デニース様は 噂を信じてやいのやいの言ってきた人に、本気で怒ってたわよ。ヒラリーは家柄や条件だけで結婚を決めることは絶対に無いって。彼女は政略結婚は望んでない、政略結婚で構わないなら今頃とっくに誰かと結婚してる、彼女がまだ迷っているのは、私に対して誠実だからだ、と。すごく毅然とした態度だったわよ。ヒラリーを侮辱するなら、リーマン侯爵家に喧嘩売るようなものだ、覚悟しておけって」
ヒラリーは、胸が震えるのを感じた。
デニースがあのことを私に黙って、待ってくれているのは……そういうことだったんだ!
決して私を騙していたわけじゃないんだ……。
「味方」その一文字が浮かんで、胸に刻み込まれた。
知らず知らずのうちに涙が溢れてきた。
ヒラリーのモヤモヤがすーっと晴れていく。
そんなふうに言ってくれる人なら大丈夫かもしれない。
ホワイトアスパラなんて言ってごめん。
こんなに大切な人になるとは、思わなかった。
「え、ちょっと泣いてんの、ヒラリー? ほんとヒラリーもマデレーンも、男の扱いがまだまだねー」
アデラが明るく慰めようとして、おどけて言うので、
「なんで上から目線? あんたも一緒でしょ?」
とマデレーンが笑って突っ込み、そしてその陰でそっとヒラリーの肩を撫でた。
「あはは、そうだよね! まだまだ若輩者だもんね、あたしたち。ほんと男なんか理解できないわ。女同士教え合いっこして助け合いましょうね!」
そう言いながら、アデラもそっとヒラリーの頭を撫でた。
ヒラリーは、大好きな友人に感謝しつつ、一歩踏み出す覚悟を決めたのだった。
【8】
王宮の夜会からの帰り道。
デニースは、ヒラリーをオブライン伯爵家の屋敷まで送り届けるために、一緒に馬車に乗っていた。
「ヒラリー。ドレシアの件、すっかり任せてしまって申し訳なかった」
デニースは心底申し訳なさそうにヒラリーに謝った。
「いいの。私がやるって言ったんだし、全然大丈夫。ってゆか、ドレシアはあなたが好きみたいだったから、あなたが直接やらなくて良かったのよ。私が行って正解。ほら、うまいこといったしね? やるじゃん私って感じ?」
ヒラリーは妙に緊張しながら早口でそう答えた。
「ほんと、あんなに素直にドレシアが身を引くなんて驚きましたよ。何言ったの」
「ゲームをしただけだから」
「ゲーム?」
「これ」
ヒラリーは今度こそ真っ赤になりながら、自分が書いた『結婚相手に望むことリスト』をそっとデニスに手渡した。
これを見せようと思っていた。自分の覚悟をデニースに伝えるために。
ヒラリーはドキドキして、手のひらが汗でびっしょりになっている。
不思議そうな顔でさらっと紙に目を走らせたデニースだったが、そこに書いてあるものがヒラリーの好みの男性の特徴だということを理解すると、紙を持つ手にきゅっと力が入った。それから、ぱっとヒラリーの顔を見た。
「これ……」
「あ、うん。ドレシアと一緒に、『結婚相手に望むことリスト』を書き合ったの。これは私が書いたやつで……えーっと、結局あなたのことなんだけど……」
ヒラリーは恥ずかしすぎて、最後の方はもごもごと掻き消えるように小さくなり、言葉は途中で途切れた。
しかし、ヒラリーの気持ちはしっかりとデニースの心に届いたようだ。
デニースはゆっくりと腕を広げると、ヒラリーを抱きしめた。
「はわ、はわわわわ……。デニース!」
ヒラリーが戸惑いの声を上げる。
その声が可愛らしくて、デニースは、自分の胸元のヒラリーの頭を何度も撫でた。
ヒラリーは真っ赤になっている。恥ずかしすぎて、身動きができない。
自分が覚悟を決めたことをデニースに伝えようとは思っていたが、伝えた後のことまでは考えが及んでいなかった。
デニースを受け入れるとお伝えするわけなのだから、よく考えたら、愛の言葉をくれたり、抱きしめられたり、キスされたり……が、あり得る展開のはずなのだった。
「こ、こころの準備をしておくべきだったー……!」
ヒラリーはドキドキドキドキ、すごい勢いで打つ心臓の音に、眩暈がしそうだった。ほんとにほんとに、恥ずかしくて、でも嬉しい!
ヒラリーも抱きしめ返そうと、そーっとデニースの背に手を回そうとした。
しかし、もう一つ言わなきゃいけないことがあったのをヒラリーは思い出した。
ハッとして、そっとデニースから体を離す。
「あのね、アルベルトとの間には本当に何もないので。確かに今日も2人で一緒に話してしまったけど、ほんとに何もないので。あれはジェームズの事業の噂話をしただけ。ほら、オブライン家もフィーシャ家も関わっているから。ほんとにそれだけだから」
ヒラリーは、アデラの助言に従い、アルベルトのことをデニースの前できっちり否定しておきたかったのだった。
「分かってますけど……なんで今?」
デニースは急にアルベルトの名前が出てきて、驚きながら聞いた。
「ほんとに分かってくれてます? あ、たぶんオブライン家は、ジェームズの事業から手を引くことになると思うので、もうそんなアルベルトと話す用事もなくなるはずだからね……。えっと、謝らせてくれる? 自然とアルベルトの名前が出ちゃってたと思うの。ほんとにごめん。でも、これで私も気付けたし……」
ヒラリーは、整理のつかない頭で、とにかく一生懸命謝ろうと思った。
「だから。大丈夫ですよ」
「私はアルベルトとあなたを比べた事は一度もないからね。ほんとごめん」
「大丈夫ですってば!」
デニースは少し語気を強めて、ヒラリーの言葉を制した。
「どうしたの、急にそんな、アルベルトのこと謝り出して。びっくりする」
そりゃアルベルトの名前がヒラリーの口から出ると穏やかでいられなかったのは確かだけど。
デニースはそっとヒラリーの髪に触れた。
「……何かあった?」
心配そうな目がヒラリーを見つめる。
ヒラリーは、言葉を躊躇って視線を泳がせた。
首を傾げて、散々迷って、それから、一つため息をついて言った。
「先日のお茶で、あなたのお母様にこっそり聞いた。うちの父、よくレーマン侯爵家にお酒飲みに行ってるそうね? 婿の話も新事業の話も出てるって? あなたが以前言ってた『外堀埋めた』ってそれのことだったのね?」
デニースは、知られたくないことだったのか、黙った。
ヒラリーは続ける。
「でも、私が政略結婚は嫌で……ううん、政略結婚でもいいんだけど、とにかく私が好きな人と結婚したいって気持ちがあって。あなたはそれを知ってたから、私の気持ちが決まるまでずっと待っていてくれたわけだよね?」
デニースは、バレたなら白状するかとばかりに、重い口を開いた。
「家や領地のこともある、こんなご時世、政略的な話が全くない方が不自然でしょう。だからそっちの方も同時にやっといたってだけの話です。5回もデートしてんのになかなか返事はくれないし、こっちはいつあなたにフラれるか分からないって状況なのに、あなたのお父さんは二日と明けずに楽しそうに飲みにくるから、メンタルめちゃくちゃになりかけてましたよ。それで? それとアルベルトの件に何か関係が? 彼の名前は正直聞きたくないよ。でも、隠されんのも嫌だし。もう全部言っちゃってくれない?」
デニースはすこし自暴自棄っぽい口調で、ため息ををついた。
しかし、ヒラリーは、ふっと顔を綻ばせた。
「アルベルトは、『政略結婚なんだから浮気の一つくらい大目に見ろよ』って言ったの。死ねって感じだった。でもあなたは、逆に、結婚の政略的な部分は隠そうとしてくれてた。それに感動したって言いたかったの!」
「え? あ、良い方に受け取ってくれてたわけ? びびった、もう言い方……」
デニースが、ふーっと息を吐いて、ほっとしたように口の端で笑ったので、ヒラリーは真面目な顔でデニースを真正面から見て言った。
「確信持った。あなたはすごく私を尊重してくれて……。あなたがまだ私でいいって言ってくれるんなら、私はあなたと結婚したい」
しかし、
「はあ……」
ヒラリーから色良い返事をもらったのに、デニースは困惑して頭を掻いた。
「え、何。テンション低……。さっきのテンションどこ行った?」
「いや、かいかぶられてしまったので、恐縮してるとこ。困ったな」
「え? ヤバすぎ。困るの、このタイミングで?」
「うーん。まあ、私もヒラリーのご両親によく挨拶させてもらってるし、ヒラリーをうちの母に会わせたり、外堀埋めっぽいことはさせてもらってましたよ。それでゆっくり待つつもりだったんですけど。でもね、ときたま、気持ちがはやるときもあるわけです。悠長に待ってて大丈夫なのか、とね。他の男に取られないか?って」
デニースは額に手を当てて、言いにくそうにしている。
「えーっと?」
なんか、以前そんな話をしたような気もするな?と、ヒラリーは思い出そうとした。
デニースは、ヒラリーが首を傾げているのを見ながら、
「それでね。まあ、こういうことをすれば……」
と言って、いきなりヒラリーを抱き寄せた。
「えっ?」
抱き寄せるだけではなかった。
デニースはヒラリーの頬に優しく手を添えると、額を寄せた。
至近距離のデニースの顔!
ヒラリーはどういうことか頭が理解できず戸惑った。真っ赤になる。
その瞬間、デニースの唇がヒラリーの唇にそっと重なった。
「え、ええーっ?」
とヒラリーは心の中で叫ぶ。
ドキドキドキドキ……心臓が猛スピードで打ち始め、爆発するかとおもった。
キ、キス!
デニースはすぐにヒラリーの身体を離し、それから愛おしむようにヒラリーの髪や肩や背をゆっくりと摩った。
「既成事実ってやつ? やっぱこーゆーやつの方がヒラリーを落とせるんじゃないかって、わりと大真面目に考えてた」
と、すっかり白状した。
「ええっと……?」
ヒラリーがまだキスの衝撃でアタマ真っ白になっていると、デニースは、
「だから、うるうるした目で『待っててくれたのね』ってのは、かいかぶりすぎ。中身はケモノでした」
と苦笑した。
「ばかーっ! いいじゃん、ケモノとか言わなくてもさ。心ん中しまっとけよー! 言わなきゃバレないんだし! 感動のうるうるの瞬間を返せ!」
ヒラリーがのけ反って悔しがっていると、デニースは笑った。
「アルベルトのことはオーケー、理解した! あなたが私を好きってことも。これは前から知ってた。それで、こっちは外堀もしっかり埋めさせてもらってたし、まあ政略結婚的な話し合いも裏ではやってたし、隙あらば手を出すことを考えてた! ああ、あとは、今日の夜会? ドレシアと二人でいるとこ見せたら嫉妬するかなとかも一瞬頭を過った! でもそれは過っただけね。あとは何かあったかな? こんなもんでいいか? よし、じゃあ婚約しよう!」
「は、何それ! そんなん聞かされて『よし、じゃあ婚約しよう』ってどんなノリ!? あなたキャラ崩壊してるわよ」
ヒラリーがキーッとなって言うと、デニースはもう一度笑った。
「人にホワイトアスパラってあだ名つけといてよく言う」
さて。
そんなこんなで、ヒラリーとデニースの婚約はめでたく、無事、結ばれることになった。
ヒラリーよりオブライン伯爵の方が喜んでいたという目撃談もあるが、きっと気のせいだろう。
マデレーンとジェームズの夫婦も、アデラとベントレー子爵の夫婦も、ヒラリーとデニースの婚約を心から祝福した。
「ようこそ、こちら側へ」
(終わり)
最後までお読みくださいまして、ありがとうございました!
前作が好評いただいたので、続きの作品を書きました。
前作も、「短編のくせに書きすぎ」って長さでしたが、今回はそれを上回る分量!!!
この後書きまで辿り着けた読者の方はほとんどいないでしょう……。ほんと、こーゆーとこよね汗
それでも、もし少しでも面白いと思ってくださいましたら、
下のご評価★★★★★やブクマの方いただけるとむちゃくちゃ嬉しいです。
今後の励みになります。どうぞよろしくお願いいたします。




