第82話 宗教法人日比谷教
その日私は埃っぽい教室の戸を開きます。
ずっと使われていないであろうその教室は太陽を呑み込んだまま吐き出さない黒雲の空の暗さを窓から落としています。一歩足を踏み入れた瞬間にキラキラした埃の粒が舞い上がるくらい、その教室はずっと誰の入室も拒んできたのでしょう。
そのはずです……
ここはこの学校の禁忌の深淵--かつて『演劇部』の部室として使われていた教室なのですから……
妻百合初音、参ります。
「……まだ諦めていないんだね」
決して入ろうとはしない沖島先輩が入口から私の背中に語りかけました。その隣で「何だこの部屋!先公の目を盗んで煙草を吸うのに最適じゃねぇか!!」と永谷園さんが狂喜乱舞しています。
「……ええ」
「今更呪いを与太話だと断じる気もないだろう…妻百合さん、これ以上踏み込めば大変な事になる」
踏み入っていく私を止めるように沖島先輩は言葉を紡ぎます。そんな彼女へ私は振り返らないまま、目の前の時の流れの中で朽ちていく教室を見つめつつ返します。
「……あの人は私に言いました」
「……え?」「なにを?(怒)」
「舞台に立ちたいと……」
窓を叩く雨音に耳を傾け目を閉じると瞼の先に浮かんでくる景色がありました。
時間を逆行したように浮かび上がる光景は在りし日、ここで自分を磨き続けた少年少女達。
みな、楽しそうに、キラキラした笑顔で、汗を流し、台本を読み込み、次はどんな芝居をしようかと話し合い……
そんな教室の中に一輪咲く華があります。
黒く流れる長髪を揺らし、誰よりも楽しそうに、誰よりも真剣に……
跳んで、蹴って、両手を広げ、自分のいっぱいいっぱいで表現する小さく、可憐で、誰よりも輝いて見える少女……
彼女の瞳はここでは無い、もっと遠くの未来を映して輝いているのです……
……瞼のシャッターを上げればその先には輝きを失った部室…
私はそこで全力で自分の夢へ歩を進める少女に誓うのです。
「…私は、あの人をもう一度、キラキラしたステージに連れて行きます」
「……」「……(怒)」
教室の端に雑に避けられた机達の上に埃をかぶって色あせた冊子が転がっていました。
拾い上げた台本…
そこにはマジックで演目と名前が記されていたのです。
かえるの王さま
--藤島さなえ
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「かえるの王さまはグリム童話に収録された童話のひとつです」
「ふむ」「おう(怒)」
「森の泉に金の鞠を落としてしまった美しい王女様が、泉に住むカエルに鞠を取ってもらう代わりにお友達になって一緒に食事して一緒のベットで眠るという約束をします」
「ふむ」「なんでだよ(怒)」
「約束通り鞠を取ってもらって嫌々お城に連れ帰り一緒に食事を摂って、いざ一緒に眠ろうとした時王女様はなんか気持ち悪くなってカエルを壁に全力投球しました」
「ふむ」「大谷翔平より速いのか?(怒)」
「するとカエルにかかっていた魔法が解けて本来の王子の姿に戻ったのです」
「ふむ」「なんでだよ(怒)大谷翔平は?」
「実はカエルは悪い魔法使いに魔法で姿を変えられた王子様だったのです。二人は晴れて結ばれ、王子の国から召使いのハインリヒが迎えに来ます」
「ふむ」「くかー……zzz」
「ハインリヒは王子様がカエルに変えられた悲しみから心臓が破裂してしまわないように胸に三本の鉄帯を巻き付けていましたが、王子様が元に戻った事で喜びによって鉄の帯は音を立てて外れていくのでした……」
「ふむ」「ごーーかーーすぴーー」
「ちゃんちゃん」
図書室で私はかえるの王さまの概要を雨宮さん、あと何故か永谷園さんにも語って聴かせます。永谷さんは寝てしまいました。
私は話し終えると『演劇部』の部室で拾ってきた台本をふたりの前に置きます。
「…それが台本?」
「はい。藤島さなえが王女様を演じる予定だった……」
私は長い時を経てその台本のページをめくります。湿気でしわくちゃになった台本には当時のさなえさんが書き込んだと思われる芝居のポイントや演出に関するメモがびっしり記されていました。
「原作の内容は先程のようなものですが、『演劇部』では少しアレンジを加えて、悪い魔女との戦いや王女様の姉達との確執など、ストーリーをより重厚なものにしようとしていたみたいです」
「……原作をベースに見せ場となる魔女とのアクションシーンや姉達にキャラ設定を加えることでヒロインの王女の掘り下げを行う事で現代的ラブロマンスに作り替えているわけだね…」
現役俳優、雨宮小春は台本をパラパラとめくり流し読みこの作品の演出意図を読み解きます。
「…王女を藤島さなえに代わって初音さんが演じなければならない」
「……」
遊びではないと理解しているのに自然と私の中で高揚感が湧き上がります。
『演劇部』の呪い--その根源である藤島さなえの怨念を成仏させる為に彼女の未練となっている未完成のまま終わってしまった舞台を完成させる……
その為と分かっているのに私は、舞台の主役という役割に興奮から顔が熱くなります。
「問題は他の配役だね」
「あ、雨宮さんは現役の役者ですし……!」
「え?僕?」
一連の元凶の一人にも関わらずなに「やだよ」みたいな顔してるんですか?
「いやぁ……でも……」
「……正直、今の学校内から役者を揃えるのは至難の業だと思います。そんな中で演技経験者が目の前に転がっているのならば、これ以上の適任は居ません」
「背景の木とか……?」
「カエル役では?」
なぜこの人はこんなに乗り気でないのでしょうか?というかよく漫画とかで見ますけど背景の木役って本当に必要ですか?
「「あとは……」」
「ぐごーーーっ」
隣で寝こける不良に私達の視線が移ります。
ここまで私達の行く先々に現れるのです。もはや出してくれと言っているようなものでしょう。
「ふがっ……は?うーん……むにゃ……?」
「永谷君」
雨宮さんがサングラス越しに目を細めて笑いかけるのです。
「君は背景の木役だ」
「なにがだよなんでだよ(怒)」
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ざあざあ降りの雨は今日も止むことはなく、とうとう7月に突入した。
我が校の文化祭は11月……あと4ヶ月後という事になる。ここで雨宮小春、頭を抱える。
究極のかまってちゃん、藤島さなえ成仏の為にかえるの王さまになる事になった雨宮小春だが、問題は山積みだった。
まず、役者を揃える事。
次に、素人連中で舞台として成立させる事。かく言う僕も、舞台経験はない。
そして何より問題なのは……
「……学校側に公演を認めさせる事、客を集める事…」
今の状態では文化祭の演劇など許可が下りるはずは無いし、下りたとして誰が観に来るというのか……
公演を行ったとしても観客ゼロの舞台では藤島さなえも…そして妻百合初音の本懐も遂げられないだろう。
これらの問題を4ヶ月でクリアするには裏でやらないといけない事がある。
「お待たせ」
思案する僕の目の前になんか赤い汁が湯のみに並々注がれて出てきた。嫌がらせだろうか?
「なんですか詩音さん、これ……」
「特製ブレンドトマトコーヒーだよ?カフェイン36g入り」
嫌がらせのようだ。
致死量のカフェインに中々手が伸びない中、優秀なる名探偵、浅野詩音が調査報告を提出してくれる。
今日は美夜さんは居ないらしい。
「頼まれてた君の中学の不審死事件…当時の捜査資料なんかを集めてみたよ」
「よく手に入りましたね」
「警察に知り合いが居るんだ」
推理はポンコツ、コネは一流、それがこの双子探偵なのだ。
僕は当時の警察が調べあげた事件概要…そして表に出なかったであろう情報に目を通す。
「…被害者の名前は藤島さなえ、14歳。警察の捜査報告書では初期捜査では他殺の線が濃厚、でも最終的に捜査は打ち切られてる。被害者はステージ上4メートルの高さの吊りバトンから吊り下がってた。現場には脚立が倒れた状態で放置されてたけど…」
「一人で登って首を括るのは難しい……と」
「中学生一人をその高さまで持ち上げるのはかなり骨の折れる作業だよ。多分……」
犯人は男、そして複数犯……?
「警察の発表では自殺か他殺かは調査中という事になって、そのまま有耶無耶になってます」
「せざるを得なかったんだよ」
詩音さんが目線で示す調査報告書を持ち上げて中身を見る。そこには警察の闇とでも言うべき内容が記されていた。
「学校側の圧力…」
警備員おじぃの推理も的外れという訳ではなかったみたい。
「当時在学中だったとある生徒が捜査線上に容疑者として浮上したから…そこにある通りだよ。圧力がかかってそれが捜査にも影響したみたい。現場の捜査官にも圧力がかかったみたい」
独自の調査だろう…調査報告には過去に事件に携わっていたが金を掴まされて上の描くシナリオ通りに捜査したという捜査官の証言があった。
わざわざ圧力をかけたという事はその生徒が犯人と見て間違いなさそう……
しかしそうなら自殺と正式に公表しても良さそうだけど、そこは警察組織にも色々あるのかもしれない。
「その容疑者の名前は?」
僕の問いかけに詩音さんは無言で首を横に振る。
「捜査の網に引っかからなかったよ。美夜が今調べてるけど期待しないで……あと、被害者についても並行して調べてるから、また報告する」
ただと詩音さんは「……事件の第一発見者の用務員さんの連絡先と住所なら分かるよ?」と付け加える。
詩音さんがその人物の名前と住所、連絡先を記したメモ紙をテーブルに這わせて渡してきた。
渡してきたという事はその人物は事件の核心を握っている……と考える。
「あとこれ」
詩音さんは最後にこれだけはどうしてもと頼み込んでいたある記録を渡してくれた。
「知り合いに銀行員が居るんだ」といたずらっぽく笑う名探偵。
これで武器が手に入った。芸能人という肩書きもこの武器の威力を底上げしてくれるだろう。
「ありがとうございました」
「ううん」
丁寧に頭を下げる僕に詩音さんは少女のような可憐さで笑いかけながらちゃんと右手をこちらに差し出してきた。
お手だろうか…?
「……」
「……?」
「……?」
「……?」
……ちっ。
電話をかけた時の美夜さんの雰囲気からして金欠なんだろうな…と思ったけど……この前『ヤッテ・ランネー・プロダクション』からしこたま報酬を貰ったくせに。
……仕方ない。
「……実は詩音さん。僕今度宗教法人日比谷教を作ろうと思ってまして…あの今信者が100万人くらい居るのでもしよかったら役員として参加して貰えたらですねあの毎月--」
「払え?」




