第63話 妖怪、荷降ろし入道
『ヤッテ・ランネー・プロダクション』脅迫事件の解決まであと少し……だといいな。
憧れの芸能界のスター、日比谷真紀奈。
彼女との再会を夢見て芸能界を邁進する俳優、雨宮小春の前に今、山間の絶景に物憂げな視線を投げる1人の少女が居た。
彼女の名前は妻百合初音。
この日本舞踊の名家、妻百合流の一員である。
僕は今、そんな彼女と並んである場所に立っていた。
そこは広大な屋敷の中にある開けた舞台のような場所で、そこから望む妻百合の保有する山と裾野に広がる京都の街は時代を逆行してきたような絶景だった。
「……ここは毎年、神事で神事の舞を披露する舞台なのです」
「ほぅ……」
「毎年夏と冬…先代家元がここで舞うのを私は観ていました…いつか、この舞を継承して、自分もこの場所で舞う事を夢見て…」
清水の舞台のようなその場所で、妻百合初音は行き場の無い感情を僕に吐露していた。
妻百合流家元、妻百合花蓮から説明された妻百合流家元のみが継承を許された神事の舞の真実……
そしてその舞が部外者に継承されていたという事実。
その事実を受けた彼女は大きなショックを受けていたようだった。
僕はサングラスに浴びる陽光を反射させながら彼女に問いかける。
「……君は妻百合流の家元になりたかったの?」
「……私の、私達の全てでした」
彼女は瞳に深い諦めの色を沈ませながら答えた。
「……ですが、姉様はわずか18歳で家元を継がれ、私達兄姉は家元の座を絶たれた…」
「……君は今ですらまだ中学生でしょ?そりゃ家元には選ばれないんじゃないかな?それに、これから家元に成れる可能性も無いくないんじゃないの?」
「……なぜ姉様が異例の若さで家元に選ばれたのか…」
彼女の問いかけ……いや、自分への呟きのような言葉に僕は自然と答えを出していた。
「……才能?」
「……私達は姉上には敵わなかった…姉上に比べれば、私達他の兄姉は、所詮家元候補の補欠に過ぎなかったのです…」
「それは、考えすぎじゃないかな?」
「先代家元がまだ現役で続けられたにも関わらず引退し、あまりにも早く姉上が家元を継いだ…それが全てです。次期家元は最初から決まっていた。私達は妻百合の人間として妻百合流をいずれ背負って立つと使命を抱き、妻百合の舞に全てを賭けてきましたが、その全てが、茶番だったのです…」
彼女の横顔を覗く僕が抱いた印象。
それはただただ、いじける子供……
彼女にとって妻百合流家元という地位はそれ程、自分の存在意義と言っても過言ではない程重要なのだろう。
自分は家元に選ばれなかった--
新幹線の中で彼女が語った言葉は、あの時発せられた一言よりずっと重たかった。
同時に、彼女はその虚無感を埋める為に演劇に憧れを抱いたのだろう。潰えた夢の代用として。
「真一郎兄様が仰りました…姉上がこんなに若くして家元に選ばれたのは最初から決まっていたからだと…」
「……」
「私達は所詮姉上が家元を継げなかった時、妻百合を絶やさない為の保険だったのだと…私達はその為に、生き方を決められて来たのだと……」
真一郎……先程姉妹の間で言及されていた兄か……
彼女の口ぶりから察するに、妻百合初音がここまで屈折してしまったのはその兄の言葉も少なからず影響してるのでは?
「……そんなことないんじゃない?それに、家元に成るだけが日本舞踊の全てなのかな?」
「全てでした……私達は妻百合の家元の子供として産まれたので…」
瞳に滲む感情を読みながら、安易な言葉を口にしたと後悔。彼女の瞳に浮かび上がる負の感情は大きくなるばかりで、目の輪郭がそれを表す。
「なのに……神事の舞は橋本圭介などというどこの馬の骨の髄液とも知れぬ男に継承されていて、しかも神事の舞にはもう意味すら無かったなんて…」
馬の骨の髄液……
「やはり、私は生き方を間違えたのでしょうか…」
妻百合初音は口角を上げた。目の前の絶景をむしろ忌々しく睨みつけながら。妻百合流というものに囚われ続けた自分という道化を皮肉るように…
「……まぁ、今更言っても仕方ない事では?」
ので、僕は彼女と同じ景色に視線を向けながらこう返していた。
「それにあなたはもう妻百合への拘りは捨てたのでしょう?そう見える…んで、舞台女優という新しい目標も見つけた…腐る理由がない」
「……自分の今までが虚しくて……ごめんなさい。雨宮さんに当たっても仕方ない事ですが……」
「まぁ生き方なんて誰にも分からないものですから。みんな手探りでしょう……こういう家に産まれたら自然と家業を継ぐのを目指すのは当たり前のことだと思うし……あなたが馬鹿なんじゃなくて、たまたまそういう環境に産まれただけの話だと思います」
彼女は僕の言ってる意味を理解出来ない様子だった。言葉の意図を汲みあぐねてる。
「別の生き方を見つけたなら、今度はそっちに全力になればいい……それだけ…」
そう……
歌舞伎役者として安泰な道がありながら俳優を目指す奴も居るし、日比谷真紀奈みたいになりたいと女優に憧れるゲロ女も居るし、日比谷真紀奈に会いたいだけで芸能界に入る馬鹿も居る。
生き方なんて、使命感や正道で決めるものじゃない。
「それに」と僕は妻百合初音の瞳に投げかけた。
「あなた達は決して妻百合流の家元候補ってだけの存在ではないと思いますよ?お母様やお姉さんのあなたを見る目は優しさと愛情に満ちてましたから……」
「……」
「僕、特技がありまして……相手の目を見るだけで大体何考えてるのか分かるんです」
グラサン越しに目を細めるその男の発言は胡散臭い詐欺師のそれだ。
でも彼女はぽかんとしてから僕から舞台の奥に広がる景色に視線を移して小さく笑った。
「エスパーだったのですね…」
「妻百合流次期家元のスペアと言うだけなら、家元になれなかった時点で見限られてもおかしくないけど、あなたに向けられる瞳は家族への親愛のそれでした…あなたは妻百合流次期家元候補ではなく、妻百合初音という1人の人間です」
彼女の目が少しだけ揺れた。どうやら刺さったらしい。
「妻百合に拘らず、舞台女優になってみてもいいし、妻百合に拘ってもいいんじゃないかな?」
気楽な口調で発した僕の提案に妻百合初音は「そうですね…」と笑った。
その声は少なくとも、先程までよりは軽やかで、気休め程度には彼女の心の荷を下ろしてあげられたようだ。
雨宮小春、別名妖怪荷降ろし入道である。
「……その言葉、真一郎兄様にも聞かせてあげたかったです…」
妻百合初音の零したその一言は、僕が何とか彼女の気分を持ち上げて、そして聞き出したかった本題とちょうどドンピシャだった。
とりあえず、成功だろう。
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「真一郎兄様…ですか?」
「初音さんにはお兄さんも居るんだね」
神事の舞台に春の風が山間の香りを運んでくる。
その中で僕は僕の仕事をする事にする…
妻百合初音が言及した真一郎なる人物。彼女の独白から彼女の拗れた面倒臭い考え方は兄の影響が多少なりとも見て取れる。
つまりその真一郎なる人物は、おそらく妻百合初音よりも鬱屈した感情を妻百合流に抱いている。
その発想が僕の追求を加速させていた。
「真一郎兄様は私が9歳の時に家を出てしまわれまして……それっきり…」
「まだ子供だったんじゃない?」
「ええ……どこでどうやって生きて居られるのか分かりませんが……家の者もほとんどその足取りは掴めておらず…」
「……そっか」
「まぁ、悠々斎兄様のようにどこかでバックパッカーとして生きて居られるのかもしれませんが……」
悠々斎……たしか九尾の狐退治に参加した妻百合花蓮の弟…悠々斎は妻百合花蓮と共に橋本圭介に神事の舞を継承した人物だ。
しかしなぜバックパッカーに?
「その悠々斎さんと真一郎さんは、やっぱり初音さんみたいに考えてたのかな?自分が家元に成れなかったことに関して……」
僕の質問に妻百合初音の瞳に寂しげな色が宿った。
そして風に乗ったカメムシが僕の鼻の頭に乗った。
「えっ!?臭い!?」
「……悠々斎兄様は昔からバックパッカーになって世界を旅するのが夢でしたので……元々家元になる事に拘ってはおられなかったように見えました……真一郎兄様は……」
「ごめん臭い!!」
「真一郎兄様は……やはりショックだったのだと思います……」
「臭いんだけど!?」
「真一郎兄様には、沢山お稽古をつけてもらいました。先代の家元が私達の父上という事もあり、長男だった真一郎兄様は--」
「臭い!!取って!?」
「……聞いてますか?」
「聞いてない!臭い!!」
「……く、臭い?」
「いや違う君がじゃなくて……あっ!臭っ!!」
「……」
やめてくれそんな顔で僕を見るな。
雨宮小春は日比谷真紀奈に相応しき紳士、フェミニスト……女の子に臭いなんて言わない。
「取って……もらっていいですか?」
「……取る?」
臭い発言に気を悪くした感じの妻百合初音にはきっと鼻の頭に引っ付いたカメムシは見えていないんだと思う。
「は、鼻…鼻の……」
「鼻を?」
「鼻“を”ではなく鼻“の”カ--」
人の話を最後まで聞かないタイプのお嬢様は「分かりました」となにも分かってない顔でこちらを向いた。
何故か漫画とかで強キャラが臨戦態勢に入った時みたいに右手をパキパキ言わせていた。
はっきり言って気合いが違った。
「では不肖妻百合初音が……その鼻取って差し上げましょう」
「違……あっ!なんて臭いだ!シュールストレミングにも引けを取らな--」
「妻百合の英才教育で培った渾身の手刀で……」
どう見てもカメムシを除去する前の構えではなかった。愚地独歩くらいしか出さなそうな気迫が漂っていた。
そして臭かった。京都のカメムシは強烈だ。
「待っ--あっ!臭っ!!」
「臭くて申し訳ありません--ふんっ!!」
--ブチッ!!




