第21話 100メートル3.27の世界へ…
細川はやとの芸能人生を賭けた戦いの火蓋が切って落とされた。
雨宮小春、小学3年生。日比谷教教祖。彼岸神楽流五段。自称世界最強の小学生です。
あの速水莉央より速くなれると噂の『爆速』シューズのCMに挑む。共演者の陸上オリンピックの星、細川はやとプライドを賭けた走りの勝負が始まろうとしていた。
……?
「いいかお前ら…楽しそうに走るんだぞ?」
オリンピック日本代表と一緒にランボルギーニと並走して勝てという無理難題をプレッシャーと共に押し付けてくるのはディレクターの藤嶺さん。自身の追求する画の為なら役者を潰すことも厭わない究極の仕事人である。
「……え?たい焼き5個……?せめて8個は…」
そして高速で拾ったランボルギーニアヴェンタドール(レンタカー)を提供してくれたランボル姉貴。
そして僕ら子役達…
以上の面子でお送りする。
「--君、名前は?」
「日比谷教教祖、雨宮小春です」
「雨宮君…この細川はやにあれだけの大口を叩いたんだからヘタレた走りは許さない…どんなCMになろうと私は君達をぶっちぎる。私がやるのはそれだけ…これは私と君達のプライドを賭けた戦いよ」
「はい」
「え?“達”?(心の声)」「なんで僕らまで…(心の声)」「どうするのぉ…(心の声)」
「スタンバイしてくださーい」
リテイク。
最初は不意を突かれたけどこの雨宮小春、伊達に彼岸神楽流で心技体を磨いていない。そこら辺のオリンピック選手にだって負けないはずだ。
ブォォォォンッ!!パツパツッ!!
「よーい……」
「あっ、待って。ランボルさんガソリンが心許ない…」
カメラが僕らを捉える。緊張感が場を支配する。子役に舐められた細川はや、隣から凄まじいオーラを放ちながらクラウチングスタートの構え。まるでネコ科の猛獣のようなしなりのある身体と闘気…『トラックの黒豹』の異名は伊達では無い…
何故黒豹なのかは知らない…
そしてランボル姉貴もV型12気筒をパツパツ言わせ…
「はぁくしょんっ!!」
これは違う。ディレクターのくしゃみである。
アクション!っぽいはくしょん!にトラックの黒豹がフライングしかけ僅かに身体が強ばった。
--その天からのチャンスを僕の横目は見逃さない。
「アァァクショォォンっ!!!!」
これはアクションである。
すぐさま体勢を立て直す黒豹の全身のバネがたわむ。が、彼女の足裏が高速道路のアスファルトを蹴るより早く、僕の体が発火した。
ちなみに彼岸神楽流の剣技には燃える剣がある。これを習得できるのは彼岸神楽流の中でもひと握りだ。僕の体はまだ燃えない、比喩である。
細川はやよりコンマ1秒早く僕がスタートダッシュを切った。
たかがコンマ1秒…いやそれ以下かもしれない。
けれどプロの世界で生きる彼女にはそのコンマの大きさを知る。
そして僕は雨宮小春--彼岸神楽五段である!!
子役達の驚きとアヴェさんのエンジン音を置き去りに雨宮小春、今世界陸上に激震をもたらす走りを--
--バヒュンッ
気の所為でした。
ほんの少しだけ早くダッシュを切った僕をあっという間に抜き去っていく旋風……そして圧倒的加速力でさらに僕を置き去りにしていくアヴェさん。
所詮僕は小学3年生ということでした…
「カァァァァァァァァァァットッ!!」
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「……いいじゃねぇか」
収録を確認して微かに口角を持ち上げたディレクターがそう言った。
なにがいいじゃねぇかなのかは分からない。少なくともディレクターの求めるアヴェさんを抜き去り楽しげに細川はやと走る子供達はその画面の中には居ない。
「この最初のダッシュ…見ろ、ランボルより速い」
「そりゃっ!ランボル姉貴だって加速には時間かかるんだからっ!!スタート1秒後で見たら人間のが速くてもおかしくないんだもんっ!!ランボル姉貴を馬鹿にしてんの!?」
ディレクターが評価してたのはスタート1秒後であった。世界陸上のゴール前のビデオ判定映像みたいな画だった。
「いいじゃんこの画。細川はやより少しだけ前に出るガキンチョといい…『爆速』が際立っている…これ、引き伸ばせ」
「はい」
え?そんな編集入るならそもそもこんな過酷な撮影しなくて良くないですか?
「……っうぅっ!うっ…っ!!」
「!?」
そしてなんか細川はやが泣いていた。
「こんな子供に…負けるなんて……」
「いやいや、スタート1秒後です。細川さんの方が速かったです。全然…」
「スタート1秒後を切り取ったらこの細川はやよりこんな子供の体の方が前に……これが短距離1メートルだったら負けていたなんて…」
いやあるか。1メートル走。
「屈辱……」
細川はやは予想以上にプライドの塊だった。
「あ、他の子役は編集で消しといて。遅いから」
「はい」
そして僕以外の子役は亡きものにされていた。
「ディレクターさん…後から編集コテコテに入れるなら最初からこんなとこで車と競走しなくてもCGとかでええんちゃいますのん?」
「あ?馬鹿か。実際に撮るからこその臨場感ってやつが出るんだろうが…見ろ」
…なるほど。この真剣な眼差し…楽しそうには走ってないけど……
「このランボルの色艶、輝き」
重要なのはランボルの臨場感でした。
藤嶺ディレクターが僕の頭に手を伸ばし褒めるように髪の毛をくしゃくしゃにした。手が納豆臭い。強烈だ。
「お前となら俺が本来思い描いていた画が撮れるかもしれないな…」
まだあるんですか?
「企業さんからの要望では本来、ランボルよりパンチのある画を撮る予定だったんだが…」
ランボルと競走よりパンチがある画?これ、ディレクターが過激なんじゃなくて『爆速』の会社さんが過激なんじゃない?
「……やってみるか?チーターと」
嫌です。
「……ガルルルルルルルッ」
撮影現場にチーターが来た。
「これですよこれ…この飢えた獣の鋭い眼光…我が社がイメージしていたのはこういう緊迫感なんです!」
とは『爆速』開発責任者の田口さんの弁。
「『爆速、ソニック2』はチーターのスピード感をイメージして制作してますので…」
「餌を抜いて1週間…コンディションは抜群です」
映像とは違う意味で緊迫感が現場に走る。ヨダレを垂らした危険な肉食獣は爛々と輝く目で僕らを睨みつけているではないか。
「元々イメージしてたのはランボルと並走ではなく迫り来るチーターから『爆速』で逃げてるっていう画でしたので…お願いします」
鬼畜スタッフがお願いしてきたが冗談じゃない。時速110キロとまで言われるチーターと命懸けの鬼ごっこなんて御免こうむる。
「全速力のチーターから全速力で逃げる…チーターを置き去りに楽しそう爽やかに走る……これでいこう…」
「あれ?じゃあランボル姉貴は?使うんだろうな?ランボル姉貴は。おい、このランボル姉貴を…」
「カメラさん前から……」「もっと引きで…」
雑にたい焼きを投げ渡され「はよ帰れ」とハエの如く払われるランボル姉貴…
そして空腹のチーターさんは今にもスタートダッシュを切りそうな勢いで僕と細川はやの後ろにスタンバイ。
追いつかれたら死ぬ……
…しかし、ランボルギーニとチーターってチーターの方が速いのか?素朴な疑問だが。
いや、肝心なのは『爆速』がチーターをイメージして作られてるというところなんだろう…
どうでもいい。死にたくない。
「雨宮少年…1メートル走、リベンジさせてもらうからっ!!」
そして隣からも野獣の如き殺気が……
「その位置からここまで…大体100メートルくらい走ってください」「追いつかれたら死ぬんで」「爽やかな笑顔もお願いします」
チーターは100メートルを2~3秒で走るらしい…つまり、ボルトより速い。
死ぬ。
「スタンバイお願いします!」
「さぁ……俺の求める最高の画を魅せてくれ…」
「……ガルルルルルルルル……グルル…」
100メートル先のゴール地点からカメラとディレクターの期待に満ちた視線が飛んでくる。後ろから野生の殺気も飛んでくる。
過去地獄の怨念とかを相手にしておいてなんだけど……ヤバい。
死ぬ。
「……勝つっ!!」
プライドと共に文字通り命まで賭ける細川はやの気合いが一閃した次の瞬間--
「アァァァクショォォォンッ!!」
これはくしゃみではない。そして飢えた獣を繋いでいた鎖が解き放たれたっ!
「ガルオルァァァァァァァッ!!」
只事ではない獣の咆哮と共に細川はやの脚が地面を蹴った。それは人類の脚力とは思えない…具体的に言うとオラウータンくらいの力強さを持って彼女の体を前に突き出した。
超前傾姿勢で弾丸のような速度を叩き出す細川はやのその「爽やかに」という制作陣の要望ガン無視の横顔はあっという間に僕を置き去りに過ぎ去った……
1メートル走、完敗……
これが日本の夢を背負って世界で戦うアスリートの本気か……
そしてそんな彼女を追うのは餌を抜かれて1週間、プチ断食中の肉食獣である。
肉食獣とは逃げるものを本能的に追いかけるらしい。
……ので、僕はスタートしなかった。
スタートラインで駆け抜ける2つの旋風を見送った僕……
スタートしなかった僕をフルシカトして駆けるチーターを細川はやが更なる加速の世界に連れていく……
そう。100メートル先のゴールラインまで……
「ちょちょちょっ!」「こっち来た!?」「きゃああああああっ!?ディレクターァァァァァっ!!」
「見たかっ!!これが細川はやの走りだっ!!」
「………………だからよ。もっと楽しそうな顔しろよ…」
「ゴルァァァァァァッ!!!!」




