1 細井竜太郎
何故俺はここにいるのだろう。
あまり明りの届かない、カビ臭い部屋の床に座りながら、もう何度目か分からない問いを繰り返してる。そう、自分は何故か檻の中にいる。いわゆるブタ箱と言うやつだ。
自分は一般的な成人男性で、普通に仕事して普通に給料貰って普通に暮らしていたはずだ。普通に暮らしていれば全くと言っていいほど縁がないはずのブタ箱に、俺はいる。
腕時計を見ると9時30分を過ぎていた。そうだ、俺はほんの1時間前に普通ではない出来事に出くわしてしまったのだ。
朝6時、けたたましいアラーム音を聞き、のそのそと起き上がろうとした。たが遅くまで仕事を片付けていた為非常に眠い。それにこの寒さだ、温かい布団に包まり「後5分…」と遅刻する時のお決まり文句をつぶやき、俺は二度目の眠りについた。そして、次に起きたのは8時5分前だった。
血の気が引くとはまさにこのことだろう、俺の脳みそは朝のアラーム音と同様のけたたましい警告を鳴らした。叫びながら布団から飛び起き、急いでスーツを手に取った。朝飯など当然食べる暇などなく、少々くたびれた……履き慣らした靴を履き、アパートから逃げるように会社に向かった。
8時17分、腹の音が電車内に響き渡った。俺の腹から出たものだった。何でもないような顔をして知らぬ存ぜぬの体を貫いたが、内心恥ずかしすぎて死にたかった。流石に腹が減った。朝何も食べないというのは存外辛い。予想していたよりも早く行動出来た為か、10分ほどの時間がある。駅の傍には鬱陶しいくらいの店やコンビニがあるため、その辺りで朝食を買うことにした。
今思えば何故あのコンビニを選んでしまったのだろう。最も近いコンビニがたまたま改装工事中であり、10メートル先のあまり人が来ないコンビニへと行くことになり、そこが運の尽きだったのか、いやそもそも寝坊したこと自体が、遅くまで仕事をしていたことが、運の尽きだった。
俺がサンドイッチついでに新聞を買おうと思った時だった。コンビニのドアが開き、ずんずんとカウンターに向かう、ぼさぼさ頭のずんぐりとした男がいた。その時点で嫌な予感はしたが果たして、その予感は的中してしまった。その男は強盗だったのだ。
懐から出した折りたたみ式の安っぽいナイフを店員に突き付け、「金を出せ!」とこれまたお決まり文句のセリフを吐き出したのだ。店内には俺と朝っぱらから酒を選んでたおっさんと、ナイフを突き付けられた店員と強盗の4人だけだった。
俺はカウンターの斜め左から微妙な体勢で逃げるかその場に留まるか考えた。俺はしがない社会人、無遅刻無欠勤だけが自慢の取り柄のない男だ。腕時計の示す時刻は8時30分。会社には間に合う時刻だ。多少危険だがコンビニ強盗の目の前を通るわけではなく、気付かれなければすぐにコンビニから脱出できる。おっさんと店員には悪いが俺は逃げ出すことにした。人間として最低だろうが、どうしようもない。逃げる途中で通報はするから許してくれ。
俺はそろそろとドアに近づき、あと少しで出られそうなところ、強盗に気付かれてしまった。強盗は「動くんじゃねぇぇえええ」と多少呂律の回らない口調で俺に襲いかかってきた。あ、俺死んだ、とコンマ1秒で生きることを諦めた俺はその場に突っ立ったままだった。しょぼいナイフを振り上げる強盗をボンヤリ見ながら、俺はブラックアウトした。
そして、目が覚めた時俺がいたのはこのブタ箱だった。薄っぺらい汚れた毛布をかけられ、固く冷たい床の上で俺は寝かされていた。そしてもう一人、無精ひげの生えた短髪の男がいびきをかいて、俺と同様に床で寝ていた。固い床で寝ていたせいか、起き上がると同時に節々が痛んだ。心なしか頭も痛い。
寝ている男の顔をよく見ると、あのコンビニで酒を選んでいたおっさんだった。
何故俺とこのおっさんは二人してブタ箱に入れられたのか、コンビニ強盗はどうなったのか、まったく分らなかった。
状況を打開すべく、俺は出来る限り檻から身を乗り出し「すみませーん」と叫んだ。
「はいはい、何だね。お、あんた起きたんかい」
定年間近と言ったところか、ガタイの良い、しかし愛嬌のよさそうなおっちゃん警察が来た。
「あのー、俺なんでこんな所にいるんですか?」
率直な疑問をぶつけてみた。色々言いたいことはあるがまずはこれだ。
「んー? あんたが強盗じゃないんかい?」
信じがたい言葉が返ってきた。俺は多分人生で一番情けなく焦った顔をしたであろう。
「違います!俺違いますから!真面目な会社員です!」
「じゃーそいつ?」
おっちゃん警察は俺の渾身の弁明も聞かず、のんきに寝ているおっさんの事を聞いてきた。
「この人も違いますよ。俺と一緒に巻き込まれた酒買おうとしてた人です」
「あー、なら今入院してる人が強盗犯ね」
「え? 入院?」
俺は驚いた。俺は強盗に襲われかけた時情けないながらも気絶した。俺が気絶した後に何があったか全く分らない状況だった。
「あの、何があったか教えてくれませんか?俺真っ先に気絶しちゃったんで、全然わからないんです。それか会社に行かせてくださいお願いします」
そう、腕時計の時刻は9時30分を過ぎ。時すでに遅し、俺は無断欠勤になっていた。一刻も早く会社に行きたかった。
「あーごめんね。あんたも容疑者なんだよね。それにこっちも状況が全く分らないのよね。通報されて来てみたら現場の人全員意識なかったもんで調書取れなくて困ってるのよ。防犯カメラも故障してたし」
またまた俺の考えていなかった事だ。全員が意識不明? しかも防犯カメラが故障? 本当に何があったんだ。
「全員気絶って……しかも俺まで容疑者!? しかもあんた強盗犯かもしれない奴と一緒に檻に入れてたんですか!」
つい砕けた口調で年上の国家権力者に噛みついてしまったがこれは仕方がない。俺のキャパはヒート寸前だ。
「ごめんねぇ。病院に入れてあげたかったけど、警察病院のベッドもギリギリで軽傷だった二人は留置所に入ってもらったわけよ。ここもちょうど一つしか空いてなくてね」
飄々とおっちゃん警察は言うが、俺は怒りを通り越してもう呆れた。何て言う日だ。
「俺が分る範囲で話しますけど、取り合えず会社に連絡だけさせて下さい。このままじゃ無断欠勤だし多分心配されてると思うんで」
とりあえずの優先順位第一位の会社へのコンタクトを取ろうと思った。俺への信頼が地に落ちる前に何とかしたかった。
これはおっちゃん警察も了承し、俺の携帯電話を取りに行ってくれた。
しかし、なんと連絡すればいいのか。強盗に巻き込まれて全員気絶して俺も容疑者で今ブタ箱なんで会社行けませ~んなんてはい終わった。俺の人生終わった。被害者とは言えブタ箱の印象は悪い。よし、強盗事件に巻き込まれて調書取られてるんで会社行けません。これだ。過不足なく伝える。社会人の必須事項『ホウレンソウ』をこなさなければ。
電話のシュミレーションも済ませ、ちょうどおっちゃん警察が電話も持って来てくれたので早速会社の番号をプッシュした。
なんとか会社への連絡は済ませられた。程良く同情も買えた為、優しい言葉とともに特別休暇扱いをしてくれるようだった。しかも消費無しの有給休暇のようなものだった。本当にこの会社がブラックじゃなくて良かった。可能な限り俺はこの会社へ貢献する事を誓った。
一安心したところで、今の今まで寝ていた男がうめき声を上げ、体を起こしていた。おっさんは俺と似たような反応をし、情報共有をするべくおっちゃん警官、もとい、高橋さんを呼んだ。
「じゃあ、まず私からあらましを言おうか。まあそんなに分ってないんだけどね」
高橋さんはのんきにそう切り出した。
ブタ箱から出て取り調べ部屋に移った。檻よりもマシだが息が詰まった。
本来なら一人ずつ取り調べるはずなのだが、今回は状況が状況の為、二人同時に行うことになった。部屋には俺たちの他に記録係の人と、万が一俺たちが暴れた時の為の抑え役なのか、屈強な警察官がいた。
「午前8時37分、立ち寄ったコンビニで人が倒れていると通報が入った。倒れていたのは四人。君達二人とコンビニ店員、怪我をした男だ。店員は相澤幸恵。頭に軽傷を負い気絶していた為病院。男は身元不明。頭と腹に重傷を負い出血多量の為緊急搬送。で、君たち二人はベッドに空きもないし特に傷が無かったからこっち。ここまでは良いね」
流石警察と言ったところか、無駄なく流暢に説明をしてくれた。何が良いのか若干分からない言葉も添えられたが、話を進める為に頷いた。おっさんの方も同様にしていた。
「目撃者はおらず、関係者も全員気絶。コンビニはもう一人シフトに入っていたけど体調不良の為遅れて来ると相澤に連絡したそうで、バックヤードには誰もいなかった。防犯カメラも故障してた為犯人も状況も不明。さあ、ここからは君達の番だよ。どうしてこのコンビニにいたのか、どういう状況だったのか、何故気絶してたのか、名前と一緒に説明お願いします。まずは細井君」
早速の丸投げに俺は正直面食らったが、説明するしかなかった。先ほど軽い自己紹介をしたが、取り調べだからもう一度言うはめになってしまった。
「えーと、細井竜太郎、会社員です。朝寝坊しかけて朝飯食べてなかったんであのコンビニに行きました。カウンターには店員さんと、お酒を選んでるその人がいました。サンドイッチ選んで、ついでに新聞買おうと思ってドアに近づいたらあの強盗が入ってきて、刃物を取り出して店員さんを脅しました。金を出せって」
一呼吸置く為にこんな感じで良いですか? と高橋さんに目配せをした。高橋さんはよろしいとでも言うように深く頷いた。
「不味いなって思いました。刃物を持っていましたし、会社にも遅れそうだし。申し訳なかったけど俺ドアに近かったし、逃げようと思ってゆっくり動いたんです。あっ!逃げられたら通報するつもりでした」
何の弁明か、俺はそう言っていた。巻き込まれたおっさんと店員を置いて逃げようとしていた卑怯者に見られたくなかった為だろうか。しかしおっさんは気にも留めず「さっさと続けろ」とでも言いたそうな顔をした。
「えーと、それで強盗犯に気付かれまして、刃物をつき出されて刺されそうになったんです。で、人生最高にびっくりして気絶しました。俺からは以上です」
自分でも情けなかったが、こればっかりは見栄を張っても仕方がない。しかもほとんど役に立たないと言っても良い情報だと思った。
「うん、細井君はまあ、本当の事を言ってたら犯人除外だね。真っ先に気絶してたんじゃ何も出来ないし分らないよね」
微妙に優しいんだか優しくないだか分らない言葉を高橋さんはかけてくれた。余計な言葉も添えて。
そして、二人目の取り調べが始まった。




