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竜姫の契約者 〜帝国を喰らう最強〜  作者: セルヴォア


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血の雪と金の瞳

雪は、血の色をよく見せる。


そのことだけを、九條刃夜は目を開いた瞬間に理解した。


石組みの高台。膝の高さまで積もった白雪。鉄の匂い。見下ろせば、広場を埋めた群衆が息を白く吐いている。遠巻きの民衆のさらに外側を、黒銀の甲冑に身を包んだ兵たちが円形に囲んでいた。


刃夜の右手には、異様に長い処刑剣が握られている。


柄は冷たいのに、掌だけが焼けるように熱い。


何が起きている。


そう考えるより先に、脳へ別の知識が流れこんだ。ここはヴォルガード。ヴァルハラ帝国の首都。その中央にある断罪広場。今日は北方戦で捕らえられた竜族の皇女を、女帝の名のもとに斬る日だ。


自分は、その処刑執行のために呼ばれた特務執行官。


だが、その認識は薄い氷のように不安定だった。刃夜の胸には、別の人生の記憶がまだ残っている。蛍光灯の下で働き、剣とは無縁の場所で死んだはずの男の記憶だ。


どちらが今の自分なのかを見定める暇もなく、前にいた女が顔を上げた。


鎖に繋がれたその女は、膝を折っているのに、群衆より高く見えた。


金の髪。頬から喉へ流れる細かな鱗の光。細い腰の上に、処刑用の白布が粗末に巻かれている。雪と血に濡れているのに、肉体だけが熱を持っていた。首枷と両手の拘束具が食い込み、肩の後ろにはちぎられた翼の痕が見える。


竜人皇女、ラズェリア・フィルグレイン。


彼女の名も、刃夜は知らないはずなのに知っていた。


高台の脇で、白い法衣の司祭が声を張った。


「北方人外領に属する戦犯、ラズェリア・フィルグレイン。帝国兵七百二十六名の殺害、国境砦三つの焼却、軍馬四百頭の略奪、並びに女帝勅命への反逆をもって、今日ここに断罪する」


群衆がどよめく。


誰かが石を投げた。砕けた雪塊がラズェリアの肩を打ったが、彼女は顔色ひとつ変えない。ただ、黄金の瞳だけが退屈そうに細められた。


その瞳が、刃夜を見た。


世界が裂けた。


次の瞬間、刃夜の視界は二つに割れた。自分の目線から見える処刑台。もうひとつは、もっと低い位置から、鎖のすき間越しに見える黒革の長靴と、処刑剣を握る自分の指。


喉が焼ける。


胸骨の奥で、獣が息を吐く。


ラズェリアの右肩に打ちこまれた黒い杭。その継ぎ目に微かな割れ。首枷の裏側を走る魔導線。左斜め後ろに立つ近衛兵の重心。高台の階段に積もった雪の薄い場所。


見えた。


なぜ見えたのかは分からない。だが、分かった以上、刃夜の身体はもう動いていた。


「執行せよ」


司祭の声。


刃夜は処刑剣を振り上げた。


群衆が息を呑み、兵たちが構える。ラズェリアは微動だにしなかった。首を差し出すでも、命乞いをするでもない。黄金の瞳だけが、刃夜をまっすぐ射抜いてくる。


その視線に、刃夜は奇妙な確信を抱いた。


この女をここで斬れば、何かが終わる。戦いの一つではなく、もっと深い場所に埋まった何かが。


剣の軌道を、刃夜は最後の一瞬でずらした。


斬ったのは首ではなかった。


ラズェリアの背後、肩甲骨のあいだへ打ちこまれていた黒曜の拘束杭。鋼より硬いはずの杭が、処刑剣の一撃で裂け、内部の魔導線が火花を散らす。


轟音が広場に跳ね返った。


「なっ……!」


司祭の叫びと同時に、ラズェリアの体内で押さえつけられていた熱が爆ぜた。白布の下で筋肉がしなり、鎖がきしむ。刃夜の掌にも同じ熱が流れこんでくる。腕の骨まで焼くような痛みだった。


近衛兵二人が飛び出した。


刃夜は一歩で踏みこんだ。自分でも信じられないほど体が軽い。剣の腹で一人の喉を打ち、返す刃でもう一人の槍を断つ。吹き飛んだ破片が雪へ突き刺さる。


ラズェリアが鎖を引いた。


杭が砕けたせいで拘束が緩んでいる。彼女は膝を起こし、その場で尾を振った。黄金の鱗に覆われた長い尾が、床板ごと三人を薙ぎ払う。悲鳴。血飛沫。民衆は歓声ではなく恐慌のざわめきを上げ、外周へ雪崩れた。


刃夜は処刑剣を逆手に持ち替え、広場全体を見渡した。


近衛が十四。神殿兵が八。高台の階段に軍監が二人。弓兵は左右の塔に四。


さっきまで知らなかったはずの数が、頭へ自然に収まってくる。それと同時に、ラズェリアの呼吸まで分かった。荒い。怒っている。だが、殺意だけではない。


彼女は鎖ごと刃夜へ飛びかかった。


反射で剣を構えた刃夜の胸倉を、ラズェリアの左手が掴む。間近で見ると、その瞳は金というより熔けた炉の色に近かった。


「なぜ殺さない」


声は低く、掠れている。それでも耳の奥へ直接触れるような響きがあった。


刃夜の喉も焼けていた。


理解より先に、言葉だけが出る。


「お前は、俺が使う」


ラズェリアの目が見開かれた。


次の瞬間、刃夜の掌に熱い刃を押しこまれたような痛みが走る。視線を落とすと、右手の中心に見たことのない紋様が浮かび上がっていた。赤金の輪と、内側に食いこむ黒い裂け目。


ラズェリアもまた、自分の鎖に触れたまま、息を呑んでいる。


「貴様……」


言いかけた彼女の声を、皇城側から鳴った鐘が裂いた。


一打、二打、三打。


兵たちの顔色が変わる。


高台の下から、鋭い女の声が飛んだ。


「断罪広場を封鎖しろ! 一人も逃がすな!」


雪煙の向こうから、銀髪を短く刈りこんだ女騎士が進み出る。軽鎧の上から深紅のマントを翻し、抜き放った長剣の切っ先を刃夜へ向けた。


「女帝近衛副長、ゼルハ・ヴェインだ。処刑執行官、名を名乗れ」


刃夜は処刑剣を握り直した。


血と雪の上で、ラズェリアの尾がゆっくりと揺れる。


「九條刃夜」


それが今の自分の名だと、初めて声に出した瞬間、掌の紋がさらに熱を増した。

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