やらかした epilogue 1
GWとジューンブライド時期の混雑を避けて、3年暮らしたアパートを引き払った。
アメリカの生活は、ひとことでいえば、ファストフードとテイクアウトだった。つまり、ピザが主食。
太って声質が変わらないよう、オフはジムに通いまくった。なんか、無駄に筋肉がついてた気がする。
日本では黒原龍生といえば王子キャラだけど、米国ではダークヒーローで認知されているっぽい。
今回の大プロジェクトは準主役のダークヒーローで、単発で受けたゲームアプリはストレートに悪役だった。
ワールドワイドに偉そうな声らしい。自覚は、ある。
成田に向かえにきてくれたマネージャーには、「なんか、ワイルドなマッチョになってない?」と聞かれた。
「日本じゃモテないぞー」とも言われたので「海外じゃ、もっとモテなかったぞ?」と言い返したら、怪訝な顔をされた。
「え。遊んでないのか? 龍生が?」と。
この見た目だからか、どうも女をとっかえひっかえする男と思われがちだ。
つきあいたい女としかヤらねえって言っても、あんま信用されないし。こっちがつきあいたくても、相手がつまみ食いなパターンもあったし。
とにかく、女遊びをしないと黒原龍生じゃないみたいな同調圧力は、なんとなく常に感じていた。
それが、日本を出たら、まるっと消えた。
ダークヒーローの声をあてたからって、残忍な人間なんて扱い受けないし。
「惚れた女としかヤりたくねえ」って言ったら、賛成派と反対派に分かれてディベートがはじまったくらいだ。
一途な恋も、不埒な愛も、全部自由で自己責任。
そーゆー国に3年もいれば、まあ、染まる。
女遊びする時間があるなら、ベル子の近況を知りたかったし。
それだけの話だったんだけど、マネージャーに別人を見る目をされた。何でだよ。
なんやかんや寄り道やら義理を果たすやらで、自宅に着いた時には日付が変わっていた。
瑛美は、間接照明だけのリビングで、ベル子を相手にスーツ姿で台本に集中していた。オレに気がつくと「あれ?意外に早かったネ」と顔を上げた。
「深夜2時だけど?」
「あれ? もうそんな時間かー」
半年前も思ったけど、こいつまた痩せた。そういや、仕事に夢中になると寝食を忘れるって瞳子さんがぼやいてたな。
ひとり暮らしが致命的に向いていないのかもしれない。
「夕食…は、忘れてそうだけど、昼は食ったか?」
「あ、うん」
「嘘をつくとき、人は視線を右にそらすんだって。知ってた?」
デイバックの中からゼリー飲料を取り出して投げてやると、なんとなく不器用な手つきでそれをキャッチした。何かを期待したベル子がスリよってくる。
「なーん」
「おまえは食うな。太り過ぎ」
「なーん」
「う。カリカリふた粒な?」
「ベル子には甘いなあ」
ベル子を膝に乗せて喉を撫でていると、瑛美がクスクス笑いながらキッチンに消えた。どうやら、エスプレッソマシンの使い方をマスターしたらしい。
コーヒーの香気が夜のリビングに広がってゆく。
「瑛美」
「なあに?」
アイランドキッチンで、未来の奥さんが顔を上げた。
オレはベル子を床に下ろして、キッチンに向かった。
真正面から、色素の薄いきれいな瞳を見つめる。
「結婚してくれ」
ド直球すぎて、ムードもへったくれもない。自覚は、ある。
とっくに覚悟を決めていたらしい瑛美は、パチパチと瞬きをしてから、「ちょっと待って」とリビングから出て行った。
パタパタとスリッパの遠のく音が、同じスピードで戻ってくるまで、1分もかからなかった。
「これ。返事」
と、持ってきたクリアファイルを胸に押し付けてきた。
中を改めてると、保証人まで記入済みの婚姻届が入っていた。
ちょっと面食らったけど、瑛美はこういうサプライズを考えつくタイプじゃない。誰の入れ知恵だろう? まあ、望むところだけど。
「ねえ、知ってた? 王子様は結婚するまでしちゃいけないんだよ?」
「今更、王子扱いかよ」
「いいじゃん。いままで散々ふり回されたんだから。仕返しくらいさせてよ」
そのままダイニングで記名すると、車のキーと瑛美の腕を取った。
「わかった。行くぞ」
「へ? どこに?」
「区役所」
「今出すの?!」
「じゃあ、いつ出すんだよ?」
「結婚式の朝、とか?」
「んな待てるか」
腕を引いて抱き寄せて、強引に唇を奪った。
今までになく早急に、深く、激しく。両方の耳たぶを人差し指と中指ではさんで親指で撫でると、呼吸が乱れて声が漏れた。
「やっ……」
胸を押し返そうとする手を掴んで、指を絡ませる。
口づけが、もう止まらない。
「リュウ、まって…っ!」
「無理。どれだけ惚れてると思ってんだよ? もう待てない」
耳を甘噛みしながらブラウスのボタンを外せば、女の香りがこぼれおちる。ゴクリ、と喉が鳴った。
「瑛美」
「やだ! やめて! お願い。せめてシャワー浴びたい。お願い!」
悲鳴に近い懇願に、我に返った。
さっきまで笑っていた瑛美が、乱れた服を抑えて震えている。オレは自分の手を見て、目を見開いた。
「あ……」
「違う。嫌じゃないの。いい年して、今更カマトトぶるつもりもない。でも、最初は心の準備させて? ダメ?」
涙まじりの声。
こちらを気遣っているけど、それ以上に怖がっている。
「ごめん。悪かった。痛いとこはないか? 怪我は?」
「大丈夫」
不埒をした指で服を戻すと、瑛美はほっとしたみたいに小さく微笑んだ。細い肩は、まだ震えている。
「預かってて。今のオレにはこれを出す権利、ないから」
床に落ちた婚姻届のファイルを拾って、彼女に手渡した。
「そんなこと、ないけど。でも、今日はアパートに帰るね。明日から、収録だから」
「ああ。送るよ」
「ううん。タクシー使うから。リュウはゆっくりして。おやすみ。ベル子も、またね」
辛いことなんかひとつもないって笑顔だった。
なにをガッついて、やらかしてんだよ。オレは。
こんな顔をさせたくて、プロポーズしたんじゃないだろ。
とにかく、今、ひとりにしたら、こいつはアパートまで歩いて帰りかねない。
速攻で、タクシーの予約をとった。瑛美は、「ありがと」と笑って部屋を出て行った。
その後、瑛美からの連絡は、途絶えた。
1ヶ月が経った。
瞳子さんの結婚式の招待状が同封された、分厚い手紙が届いた。
デジタルでしか連絡をとってないから気がつかなかったが、いかにも真面目そうな字だ。
そういえば、偏差値70の進学後に通ってたんだった。本人はキャラが違うと言っていたが、とめはねが美しい文字は、優等生だった過去を象徴していた。
「ったく……!」
手紙に目を通したオレは、ベル子をキャリーにつっこんで部屋から飛び出した。




