「夕食後」
さて、そんな賑々しさのある吉村家の夕食なのであるが、ここ数日、雨子様は食事を取り終えると直ぐに自室へと戻ってしまう。
勿論何か意趣があってそうしている訳では無く、むしろ逆で、令子の望む物、つまりはいずれ子を成す為に必要となる特別な何かを作る為に、日々苦労を重ねているのだった。
今日もまたごちそうさまを言うと自室へと戻っていく雨子様。
家族の者達は皆そのことを知っているので何も言わない。寧ろ無言ではあるが頑張れという面持ちでその後ろ姿を見送っている。
中でも令子に至っては、何とも申し訳無いとの思いが先に立ってしまって、席を立つ雨子様の後ろをぱたぱたと足音を立てながら追いすがっていく。
その気配に気づき、振り返って令子のことを見る雨子様。
にっこりと笑みを浮かべながら腰を屈め、令子の背丈に視線を合わせながら口を開く。
「どうした令子、何か用でも有るのかえ?」
だが特に何か用が有った訳では無い令子は、頭を横に振り振り言う。
「でも、でも…、何かお手伝い出来ることは無い?」
背の高さにかなりの開きがあるせいもあって、令子が雨子様を見る時には、どうしても上目遣いになってしまう。おまけに令子はこの年齢の女の子としてはかなりと言えるほどの器量良し。お陰で雨子様をして抑えようも無く胸にきゅんとくる物があるのだった。
「令子…」
そう言うと雨子様は令子を招き寄せてむぎゅっと抱きしめてしまう。何と言えば良いのだろう?母性本能を刺激された?
元より現在の令子の中の人は、かつて生きた時を数えるなら、もう二十の半ばを過ぎている。
だからこんな風に子供のように、いや、正に子供として抱きしめられるのは何とも照れ臭く、嬉しいやら恥ずかしいやらで、おろおろしてしまう。
なのでこれまでは、その様なことがある度にあたふたしてしまって、夕日も斯くやと思うほど顔を染めていた。
けれども面白いもので、人の心というものは実に良くその身体の影響を受ける。加えて言うなら慣れと言うことも有り、以前ほどは狼狽えることも無くなって居る。更にはその分、幸せを甘受する余裕すらも生まれつつ有るのだった。
お陰で令子はやっぱり少し顔色を赤くしながらも、えへへと言いながらも嬉しそうに笑みを浮かべているのだった。
そんな彼女らのことを見守っている側も、何時しか中の人のことなどすっかり忘れてしまい、麗しい姉妹の姿にただただ、ほっこりしているのだった。
「うむ、お陰で元気が貰えるの。ではまた頑張ってくるのじゃ」
暫しの間令子を抱きしめて癒やされた雨子様は、そう言うと彼女の身体を解き放ち、部屋から出て行くのだった。
片や同様に抱擁で癒やされてぽやんとし続けている令子。少し間をおいてはっと気がつき、皆のぽわんとした視線を受けて思わず手で顔を隠してしまう。
そんな彼女のことを見ながら節子が独り言のように言う。
「良いわね、子供の居る生活って…」
「確かにね、おまけにあり得ないくらいに聞き分けの良い子供だしね?」
とは拓也。それは勿論中身の精神年齢の高さに寄るのだが、普段はそう言ったことには考えが及ばないものなのだ。
「祐二もちゃんと可愛いのは可愛いのよ?でもこんなに大きくなっちゃって…」
そう言いながら節子は、側に居た祐二のことをつまらなそうに突っつく。
凡そ親と言うものは、子供のことを立てば歩めの思いで見守っているものなのだが、時たまこの様に身勝手なことを思って居たりもする。
ある意味祐二に取ってみれば良いとばっちりなのだった。
母親のとんでもない言いように苦笑している祐二のことを気の毒に思ったのか、拓也が急ぎフォローを入れる。
「でも最近の祐二は頼もしさを感じるじゃ無いか?」
そんな拓也に対して節子は、きょとんとしながら言う。
「だってあなた、頼もしくっても癒やされないじゃないの?」
その台詞にぷっと吹き出したのは令子。毎度思うのだがこの家族の会話には飽きることが無い。
その一方でやれやれと言った表情で顔を見合わせるのは、拓也と祐二親子。
「母さんには適わんなあ」
そう言う拓也にうんうんと同意する祐二。
「確かに…」
そんな彼らを尻目に令子のことを招き寄せた節子は、きゅっとその身を抱きしめたかと思うと一言。
「ほんとつまんない」
もっとも抱きしめられている令子本人は、どう反応たら良いのか分からなくなって、目をぐるぐるとさせている。全く賑やかな一家である。
さてそんな時間も過ぎて後片付けも終わり、再びのんびりとした時間に入るのだが、拓也は何でも少し持ち帰り仕事があるとかで、部屋に戻っていく。
残されたのは節子と祐二と令子の三人。
残念ながら令子は今の身体の年齢に負けて、早くも欠伸を噛みしめている状態。
「令子ちゃん、我慢してまで起きていなくて良いから、もう早く寝なさいな」
当面することも無い令子は、節子の提案に素直に従うことにする。
「はい、お母さん」
当初はなかなかそう呼ぶにも抵抗があったのだが、今となっては比較的自然に口に出来る。別に誰かがそう呼べと強制している訳でも無い。だが節子にはどこかそう呼びたくなるところが有るのだった。そしてそれは雨子様にすら影響を及ぼしているのだった。
そうやって令子も居なくなった後、静かになったところで節子は人数分プラス1のお茶を淹れ始めた。そして戸棚の奥から小さな和菓子を一つ取り出してくる。
「?」
祐二が目顔で問うと、湯飲みと和菓子を一つの盆に載せた節子が言う。
「雨子ちゃん、ここのところずっと頑張っているのでしょう?陣中見舞いに持って行って上げなさいな」
成る程と頷く祐二。盆を手に持つと早速に部屋を出て、雨子様の所へと階段を上がっていくのだった。
たまには定刻通りに…




