「雨子様と祐二」
わんわんと泣く令子がようやっと落ち着きを取り戻し、そんな令子を節子が優しく連れ出していった。
お陰でそれまで賑やかだった部屋の中が、一気に静まりかえる。鼓膜の奥がたゆんと緩むような、そんな静寂が次第に雨子様の周りを占めていくのだった。
ベッドの端っこに座って、ほっと小さく溜息をつきながら、
「やれやれであった」と零すも、それはちっとも嫌な気分では無かった。
かつては十年一日どころか、百年一日のような、ほとんど変化の無い日々を送っていたと言うのに、この吉村家に来てからは本当に毎日が目まぐるしく流れていく。
最初の頃は少し煩わしいと思うことも無いではなかったが、今となってはこれが当たり前で、むしろこの賑々しさを失うことの方が多分耐えられないだろう。
そう考えるともう独りであの社に帰ることなど、考えられない雨子様なのだった。
そう言う意味では祐二がいつか陞神して、その上伴侶となってくれることを決めてくれたのは、何とも有り難かった。
尤も祐二にしてみれば、一人だけ時の流れの外へ、人の輪から離れてしまうのは色々と寂しいことも有るだろう。しかしそこはちゃんと自分が埋めていかなくては成らないなと、雨子様は強く思うのだった。
まさか自分が、あの頑是無き童であった祐二と、深く思い合うような仲になるなど、本当に信じられない思いで一杯だった。
今でもそのことを考えると、胸の奥がきゅうっとすぼまるような、そんな感覚を感じてしまう。
我は一体どうなっていくのだろうな?そんなことを考えながら、更には令子のことについて、どのように和香に相談を持ちかけるかなどと思案していると、遠慮がちに扉を叩く音がしてきた。
「どうぞ」
雨子様が声を掛けるとすっと扉が開き、そこに祐二が顔を覗かせた。
「どうしたのじゃ祐二、何か有ったのかや?」
そう言う雨子様に苦笑する祐二。
「どうか有ったのは雨子さんの方じゃ無いか。なんだか随分と賑やかだった見たいだけれども、大丈夫だったの?」
どうやら祐二は雨子様のことを心配して見に来てくれたようだった。
まあ、あれだけ泣いたり騒いだりが有れば、隣室に居る祐二のところにも何かと聞こえていただろう。気になったとしても致し方のないことだった。
「むぅ、有ったと言えばあったのう…」
令子のプライベートに係わること故、即話すことは躊躇われたのだが、考えてみれば家族のことでもあるし、今後祐二は令子の実の兄ともなるのだ、ある意味きちんと伝えておかない方がおかしいだろう。そう結論づけた雨子様は、祐二にもこれまでのことをきちんと話すことにしたのだった。
「まあ、話というのは令子のことじゃ」
そう言う雨子様に祐二が問いかける。
「隣、座って良い?」
雨子様が頷くと、部屋に入ってきた祐二が、ベッドに腰掛けている雨子様の隣にそっと腰を下ろす。
「なんだか随分泣いていたみたいだね?」
遠慮がちにそう言う祐二に、雨子様は小さく頷きながら話し始める。
「そうじゃの、あやつはあやつで色々と悩んでいたようじゃ」
「そんなに?」
令子さんが泣くほどの悩みを抱えていたと言うことに、祐二は驚きの色を隠せなかった。そしておそらくなのだが、そのことに気がつけなかったことを、悔しいと感じているようにも見られるのだった。
雨子様はそんな祐二の心の動きを見て取り、くふふと笑いながらぽつりと言う。
「相も変わらず祐二は優しいの?」
その台詞にきょとんとする祐二。
「え?そうなの?どこがなんだろう?」
あれこれ考え始める祐二に、雨子様はほんの少しだけ咎めるように言う。
「別にそなたはその様なことを思い悩まずともよい。そなたはそなたの有るようであれば良いのじゃ。我はその方が好きじゃぞ?」
「…」
雨子様のその言葉に無言で顔を朱くする祐二。
「それで令子なのじゃがな…」
そう言いながら雨子様は、ぽてんとその頭を祐二の肩に預けた。
「普通の人間になりたいと言うて居ったのよ」
「はっ?」
雨子様のその説明では、いくら察しの良い祐二でも何が何やらの状態だった。
「幽霊の身の上から、現世の人の身になれたら十分だと思うて居ったあやつなのじゃが、この吉村家で暮らす内に、もう一歩先に進みたいと思うたのじゃよ」
「それはまた…。でもその方が望ましい変化では無いの?」
「まあの、そなたの目から見ればその方が正解なのであろうな」
そう言うと雨子様は暫し物思うように口を閉じた。そして祐二の手を引っ張ってくると自分の頭の上に載せる、撫でろというのだ。
そのなんとも嬉しい強制に、祐二は苦笑いをしながら優しくその頭を撫でて上げるのだった。
「実際、霊体の時や、あの仮初めのうさぎの姿の時には、令子の心が受け取る情報はそう多くはなかった。故に日々の暮らしの中で何か有ったとしても、大きく揺れることは無かったのじゃ。しかし人の身体を得て、幾何級数的に受け取る情報の増えている今、不安定になることは致し方ないであろう。そのことは和香も我も見通しておったのよ」
そう言うと雨子様は祐二の胸板に自分の頭をぐりぐりと押しつけた。
「何せ人の身の影響力という意味では、既に先に経験して居るものが此所に居るでな」
そう言うと雨子様は下から祐二の顔を見上げ、ほんのちょっぴり悔しそうに口をへの字に曲げる。
「じゃから、人の身となって暫くの間は多々ある刺激に忙殺されて、自らの真の思いに気が付かぬであろうと考えておった。じゃがそれに慣れ、やがてにこの家の心地よさを知り、節子や祐二の情の深さに触れて居れば、その内何か有ると思うては居ったのじゃが…。案外早かったの」
「それで普通の人間になりたいというのは一体どう言うことなの?」
祐二は雨子様のその言葉を不思議に思って真意を問うた。
「正にその言葉の通りなのであるが、有り体に言えばきちんと正しくこの家の子に成り、そなたの実妹となって正式に世間で認められ、子供から大人へ成長し、いつしか恋をして伴侶を得、子供も持ちたいというて居ったな」
それを聞いた祐二は、楽しそうに笑いながら言う。
「確かに、それは正に普通の人だなあ」
「であろ?」
釣られた雨子様も共に笑いながら言う。
「それで?」
短くそれだけした聞いてこない祐二に、こやつめと思わないでも無い雨子様であったが、その言葉だけで分かり合える仲で有ると言うことが嬉しくもある。
「うむ、今後は和香の所に行っての話となるが、和香と我の承認を以て令子は、普通の人と変わらぬ成長をしていけるようになるであろう」
その言葉に祐二は我がことであるかのように喜んだ。
「ただの、問題はその先なのじゃ」
驚く祐二、その顔を見て少しだけ優越感を憶える雨子様。
「令子がいずれ子を持ちたいと言うて居ったであろ?」
「ああ、確かに…」
すると今度は少し悔しげな顔になる雨子様。なんとも些か目まぐるしい?
「さすがに我らもそこまでは予期しておらなんだ故、令子の身体に今一度大きな変更を加えねばならんのじゃが、その際に節子と拓也の遺伝情報を借り、組み合わせて令子を真に彼らの子と為すつもりなのじゃ。まあ、それについては節子には許しをもろうて居るし、拓也の方も、節子の言に寄ると問題無いとのこと…。さてそこでなのじゃが」
そう言うと雨子様は、祐二の身体からその身を離し、真剣な目でその双眸を覗き込んだ。
「真正なる家族であるそなたと、葉子には今一度きちんと許しを貰わねばと思うて居る。こればかりは我の一存という訳には行かぬでな?」
「ああ、だから実妹ね?」
どこか納得したように言う祐二。
「うむ」
「僕は一向にかまわないよ。多分葉子ねえもそうだと思う。けれども令子さんとしてはやはりきちんと形が欲しいだろうな、こう言うことだからこそ。それに誠司さんも神様関係を知る人なんだから、仲間外れには出来ないと思う」
「確かにそなたの言うとおりじゃな」
「で、和香様のところにはいつ行こうと考えているの?」
「未だ決定事項では無いのじゃが、暫定的には日曜辺りをと考えて居る」
「なら明日以降早急に連絡とって、土曜にでも皆で集まって貰おうよ?」
「うむ、皆の都合が合えば、それが最善の策じゃな。本来であれば我が気が付かねばならぬことを…、申し訳ない」
そう言って素直に頭を下げる雨子様のことを、ひょいっと引き寄せきゅっと抱きしめる祐二。雨子様のことを可愛いと思った思いの発露なのだった。
「な、何を?」
自分からは結構ちょっかいをかける癖に、逆になると全く免疫力の無い雨子様。
そして彼らは気が付いていないのだが、一端、少し開けられかけて素早くまた閉じられた部屋の扉。
実は節子が家族会議を開くための算段を既に済ませ、そのことを雨子様に報告しようとやって来ていたところなのだった。
諦めて階下に降りていきながら節子は呟く。
「まああの子達なら大丈夫でしょう…」
はてさて何が大丈夫なのか良く分からないのだが、結果…、まあ大丈夫でした。
お待たせしました
押し詰まるに従い、何かと忙しくなりつつ有ります。
お陰で執筆時間を捻出するのが大変になってきました。
でもまあもう後少し頑張ります。
年末年始だけは少し長めにお休みすることになりますが、それについてはご容赦下さいませ




