「令子の思い」
深い水底から一気に浮かび上がったような目覚めをした雨子様、最初自分がどこに居るのか分からなかった。
しかしそれはほんの僅かな時間で、直ぐに自分の部屋だと言うことに気が付くのだった。
「むぅ、全ての作業が終わったと言うことなのじゃな?」
そんなことを呟きながら、未だ少し眠り足らない頭を振り、完全な覚醒に持って行こうとする。
心と体の微妙な関係から成る恋心を無視するなら、今感じているような中途半端な覚醒状態や、様々な肉体からの影響と言ったものを排除することも出来るのだが、雨子様はそれを良しとは思わなかった。
もっともそうしたからと言って、今の雨子様にとって祐二が愛しい存在で無くなると言うことにはならないので有る。
しかし不思議な縁で巡り会い、少しずつ好きという思いを持つようになり、恋愛感情へと発展してきた、この感覚の連続性を失いたくないと思うのだ。そう有ることを何物にも代えがたく大切に思い、何としても途切れさせたくは無かったのだった。
だからこそ多少の不便はあっても、甘んじてそれに耐え、祐二との関係性を護り続けているのだった。そしてそれは雨子様にとって、とても意味のあることなのだった。
少し時間は掛かったものの、なんとかようようにして覚醒する。
ふと見ると、緋袴の巫女衣装のままだった。元々着ていた衣類はまた後ほど回収に行くとして、今は何より風呂に入りたいと思う雨子様だった。
ふと時計を見ると、爺様の所に行ってから凡そ十時間程も経っていた。
祐二の言うた通りに爺様の所で過ごした時間が、カップヌードルを作るほどの時間だったとして、九時間近く寝ていたことになるだろう。
タイミング的に見ればそろそろ夕飯の時間なのだがと思いつつ、雨子様はダイニングへと顔を見せた。
「あら目が覚めたのね、雨子ちゃん?」
ダイニングへの侵入を目敏く見つけた節子が、にこにこしながらそう声掛けしてくる。
「うむ、済まぬの、妙な時間に寝てしもうて…」
そう言いながらぺこりと頭を下げる雨子様に節子が言う。
「それは別に良いのだけれど、また何か無理してきたのじゃ無いの?大丈夫?」
何がどうと言うことで無く、まず雨子様のことを心配してくれる。
そのことが当たり前に出来てしまう節子のことを、雨子様は密かに尊敬してしまうのだった。
「むぅ、大丈夫なのじゃ」
そう言うと雨子様は、爺様のところで祐二と二人何をしてきたのか?と言うことについて正直に節子に話すべきか否か一瞬迷うのだが、やはり話すことにする。
「それでの、節子。我と祐二は爺様のところで祐二の使う守り刀を作ってきたのじゃ」
雨子様のその話を聞いた節子は、ひょいと胸の前で手を組んだかと思うと少しの間考え込んだ。
「もしかして私が先日襲われたことに関係あるのかしら?」
そう言いながら節子は、手乗りサイズになって肩口に乗る無尽の頭をそっと撫でた。
雨子様は何とも勘の良い節子の言葉に時をおかずに頷いた。
「むぅ、正にその通りじゃ。不惑の拓也はさておき、我が家で満足な守りが無いのは祐二だけとなって居ったのでの」
そう言う雨子様に少し首を傾げる節子。
「あら。だったら令子ちゃんは大丈夫なの?」
節子の人の良さのこういう所に現れるのだよなと、雨子様はにこりと笑う。
「令子なら心配は要らぬ、節子を守護する無尽ほどの力は無いが、それなりに守りの力は持って居るでの。そう言えば令子はどこに行ったのじゃ?」
「令子ちゃんなら、さっきお風呂に入ってくるとか言って、あ、帰ってきた」
丁度そこへさっぱりとした顔の令子が戻ってきた。
「お先にお風呂頂きました」
そして部屋に入るなり雨子様の姿を見つけると、とことこと歩み寄ってきた。
「あら、雨子さんおはよう…って言って良いのかしら?」
その言葉に雨子様は苦笑してしまう。
「おはようという挨拶はちといただけぬが、まあ今し方起きた」
「祐二君は?」
令子がそう問うと節子もまた雨子様の答えるのを待っているようだった。
「部屋を覗いてはこなんだのじゃが、多分未だ寝ていることであろう。悪いが寝かせておいてはくれぬかの?都合二十日間ほど、ひたすら槌を振るってきて居るでな」
その言葉に驚いたのは令子だけで無く節子もだった。
「「二十日間?槌?」」
異口同音にそう声を上げる。その余りのシンクロぶりに雨子様はついつい声に出して笑ってしまう。
「くわはははは、何じゃそなたら?本当にもう親子そのものじゃの?」
そう言う雨子様に令子はにっと笑って見せながら、節子の所に行ってぎゅうっとひっつき逢いながら言う。
「もちろんよねぇ~節子母さん!」
「ねぇ~~!」
令子の行動に即乗る節子。全く良いコンビネーションだった。
「さて先程の件なのじゃが、祐二の守り刀を打つと言うことで爺様の所に相談に行ったところ、二つ返事で了解を貰い、早速作ることになったのじゃ。そうしたら爺様が気を利かして我らが時間を捻出しやすいようにと、時の流れに細工をしおっての」
「まさかそれで二十日間も経っていたって言うことなの?」
節子が半ば呆れたように言う。
「うむ、本当ならもう少し長く掛かりそうであったのじゃが、祐二の頑張りで早う終わったのじゃ」
するとその話を聞いた令子は感心しながら言う。
「それってなんだか浦島太郎みたいなお話ね?」
それを聞いた節子がわざと心配そうな顔をして訊く。
「まさか祐二、おじいさんになってしまわないでしょうね?」
それを聞いた雨子様、珍しく本当に驚いてしまって、思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
「おじいさん??」
だが直ぐに節子の言わんとしたことを理解し、今度は腹を抱え、身を捩るようにして笑う。やがてに笑いを収めた雨子様がぼやくように言う。
「まあ二十日間くらいではおじいさんには成らぬが、人の身の内は出来れば遠慮したいものよの?」
雨子様自身も爺様のいきなりの無茶ぶりには思うところがあったのだった。
だがそれも祐二の為とあらば致し方が無い。
「でもそうかぁ」
そこで節子が呟くようにして言う。
それを耳にした令子がそんな節子に問いかける。
「そんな風に納得することが何か有ったの?」
「それがね、アーちゃん達に家に連れ帰って貰った時に見たのだけれど、祐ちゃん、なんとは無しに急にがっしりしたように見えたし、髪が少し伸びた?なんて思ったのよ。二十日間もあったのなら当然かもね?」
「そうだったんだ…」
令子はそうやって相槌を打ちながら、心では別のことを考えていた。
そして何やら物思う風になっているのを見て心配した雨子様が問う。
「令子?急に黙りこくり居ってどうしたのじゃ?」
そう言う雨子様のことを伺うようにしながら令子が何かに迷うように訊く。
「爺様って、その。時間旅行みたいなことも出来るのかしら?」
急にそんなことを言う令子に首を傾げながら雨子様が言う。
「何故その様に思うのじゃ?」
すると令子は消え入るような声で言った。
「もし過去に戻れるのなら…」
その言葉を聞いて合点の行く雨子様なのだった。そして思う、恐らく令子はかつての自分の死を回避したいと思って居るのだろう。
だがそれは無理な話なのだ。雨子様は何とも言えず切ない思いを胸に秘めながら説明するのだった。
「令子よ、残念ながら時間旅行というのは無理なのじゃ」
そう言う雨子様にしがみつくようにしながら令子が言う。
「でも雨子さん達は二十日間も…」
そう言う令子に静かに頭を横に振りながら雨子様は言った。
「あれは時間旅行とか言うものでは無いのじゃ」
「でも…」
そう言う令子の声は微かに震えている。
「爺様が我らに施したのは時間を加速すると言うことなのじゃよ。通常の時間軸に対して特定箇所の時間を加速したり遅くしたりすることは出来るのじゃが、残念ながら過去に行くことは出来ぬのじゃ。もし仮に出来るとしても、それを行う為には宇宙全てにあるエネルギーを費やしても未だ足らぬであろうの」
「そうなんだ…」
そう言いつつ涙ぐむ令子。そんな令子のことをそっと抱き寄せて包み込む節子。
自らの説明に意気消沈し、落ち込んでしまう雨子様のところにも節子の手は伸びる。
「雨子ちゃん、あなたのせいでは無いのよ?」
そう言うと身体を震わしながら必死になって涙を堪える令子と共に、雨子様も抱きしめるのだった。
「うむ、確かにの、確かにそうではあるが、いまの我には令子の悲しみが痛いくらい分かってしまうのじゃ。そなたら人は、こんなにも心の痛みに耐えて生きるのじゃの…」
そう言うと、自らもはらりと涙を零してしまう雨子様。
「ごめんね雨子さん」
自分の為に涙を流す雨子様に令子が言う。
そんな令子に雨子様もまた言う。
「良いのじゃ令子、我はそなたの為にじゃからこそ泣けるのじゃ。それは決して嫌なことでは無いぞ?」
そう言いながら雨子様は涙を拭いつつ、にっと歯を見せて笑ってやる。
そんな雨子様の優しい心に触れた令子は、それまで堪えていた涙を一気に溢れさせてしまう。
「もう雨子さんたら、泣かせるんだからぁ…」
そう言うとなんだか嬉しいやら悲しいやら、色々な思いがごった混ぜになって、どう表現したら良いのか分からず、ただもうワンワンと泣いてしまう令子なのだった。
そして一頻り泣くと、実にさっぱりとした気持ちになって泣き止むことが出来たのだった。
ただその顔は、つい先程お風呂に入ってきたというのに涙と洟でどろどろ。
それを見た節子は思わずまじめな顔で勧める。
「令子ちゃん、あなたもう一度お風呂に入ってきたら?」
「ええ~~っ?」
突然そんなことを言われて戸惑う令子。
だがいまの令子の有り様を見、節子の隠された心の内を見抜いた雨子様は、戸惑う令子の手を引きながら風呂場へと向かう。
「我は令子と入りたいのじゃ」そんなことを言いながら。
最初の内こそ何でまたお風呂と思わなくも無い令子だったが、徐々に彼女を取り巻く二人の女性の思いを理解し、束の間感じた寂しさや切なさを上回る暖かな思いを胸に抱き、嬉しそうに風呂に向かうことになるのだった。
暫くして風呂の方から聞こえてくる明るい笑い声。
その声を聞きながら節子はにっこりと微笑む。
「さすが雨子お姉ちゃんね…」
今日も難産でした




