「小雨と令子」
来るなりいきなり、お腹が空いたと言って胸元に飛び込んで来る小雨を見て、節子さんは、思わずちゃんと食べさせているの?と葉子さんに電話していた。
結果普通に朝食を食べ、プラス、念の為冷凍お握りを二個、チンして食べさせたと言う回答を貰っていた。
ええ?そんなに食べさせているにも係わらずお腹空いたって?もしかして私もああなってしまうのかしらん?なんだか想像しただけで物凄く焦ってしまう。
とっても不安になった私は、思わず雨子さんに尋ねてしまった。
「雨子さん、雨子さん」
主として折角歓迎していたにも係わらず、その小雨を節子にとられてしまってしょんぼりしていた雨子さんが私の問いに答える。
「あのう~、私も小雨ちゃん宜しく食欲大魔神になっちゃうのでしょうか?」
物凄く不安そうにそう言う私のことを、暫しじっと見つめていた挙げ句、ぷっと吹き出す雨子さん。
「ぷははは!令子よ、そなたその様な心配をして居ったのか?さすがにその心配は要らぬと思うぞ?、そなたは厳密に言うと人間とは異なる所はあるかも知れぬが、立ち位置はまさしく人間なのじゃから、そんなそなたにわざわざ辱めを与えようとは思わぬよ」
私は雨子さんのその言葉を聞いて心底ほっとした。
「但し…」
折角安心したのに未だ続きがあったようだ。
「我が命を下した時、或いは今から伝える真言を唱えた時だけはそのモードを変更出来るようになって居る」
「モード変更?何と言ったら良いのかしら?エコノミーモードとかパワーモードの切替のようなものなのかしら?」
私のその言葉を聞いた雨子さんは、何やらうんうんと妙に感心しだした。
「ふむ?成る程、正にそんな感じじゃな。普段のそなたの状態はエコノミーモードで、大食らいになってどんどん力を使えるようになるのはパワーモード…。そう言う棲み分けで良さそうじゃの。後で小和香にも伝えてやらねばの」
私は小和香さんの顔を思い浮かべながら雨子さんに聞いた。
「え?小和香さんも私みたいなことになっておられるのですか?」
私がそう言うと雨子さんは苦笑しながら教えてくれた。
「正にそなたの推察通りじゃな。と言うか小和香こそがそなたの身体に施した呪の大本の形なのじゃ。ただ、小和香の場合は当初力を使う側の切替しか付けておらなんだものじゃから、年がら年中、お腹空いたぁ~と言う具合に成り居ってな、恥ずかしいからなんとかしてくれてと泣き付かれてしもうた」
折しもそんな私達の前で、小雨ちゃんが節子さんに沢山のお握りを作って貰って大喜びしている。そして一時満足げな顔をするのだけれども、また直ぐお腹が空いたを繰り返す。
確かに小和香さんがあの様なことになっていたのだとしたら、いくら彼女でも泣き付くのが当然では無いのかなあ?
私は我が身がそうなっている所を想像して背筋に寒気を感じてしまった。
「で、結局力と食欲の入り切りが連動するように変更してやったのよ。そなたにはその時の経験が生きて居るのじゃ。ただその呪の切替をまず働かせるにも今のそなたには総じて精が不足して居る。まあ切替の呪を付加したが故の短所となって居るの。その為一旦その呪を起動させるに足るだけの精を補充せねば成らぬのじゃが、そこで小雨の協力を得るという訳なのじゃ」
そこで私は某アニメの宇宙船のエンジンの始動シーンを思い起こしてしまった。もっとも私の知っているのはリメイクした方なのだけれどもね。
「フライホイール始動…」
私は誰にも聞かれないようにと小声で呟いたつもりだったにも係わらず、しっかりと雨子さんに聞かれてしまった。
「何じゃその、フライなんとかって言うのは?」
確かに私はそのアニメの勇壮なお話に引かれ、結構熱心に見はしていたのだけれども、メカニカルなことについてはさっぱりなので、いっそ祐二君に話を振っておこうと思い立つ。
「それなら祐二君に宇宙戦艦のアニメについて聞かれたら良いですよ…」
「宇宙戦艦のアニメとな?」
なんだか合点が行かないと言った雨子さんだったが、取り敢えずその話は終えることが出来たようだった。
そうやって私達は、二人でなんだかんだと話しをしていたのだが、小雨ちゃんはその間もずっとお握りを食べ続けている。一体あれでもう何個目?既に恐ろしい数になっていそうなのだが…。
私はそれを見て予め切替スイッチを付けて貰えたことを、つくづく有りがたいなと思ったのだった。
「さて、小雨もあれだけ食えばそろそろ十分じゃろう。だがその前に令子、そなたには先ほど言って居った真言を教えておかねばならぬの。耳を貸すのじゃ」
そこで私は雨子さんの側に行くとそっと耳を差し出した。
「●●▲■▲▼■●●」
いやちょっと待って、何その言葉?意味が分からないし、どう発音したら良いかも分からないじゃ無い?こんなの覚えて居ろって言われても絶対無理な話だよね?
そうやって私が泡を食っていると、雨子さんがくふふと笑いながら言う。
「そう心配せずとも大丈夫じゃ。我が今言うた言葉は、令子のような存在には心の奥底の部分で固着するようになって居る。だから本気でその言葉を言おうと思えば自然に出でてくる物じゃ」
私はそう言う雨子さんの言葉を信じて、言われるがままにその言葉を発しようとした。すると…
「●●▲■▲▼■●●」
全くつかえることも無くすらすらと出てくるでは無いか?驚きの余り狐につままれたかのようでぽっかりと口が開いてしまう。
「まあ未だその呪を励起させるだけの精が無い故、何も起こらぬのであるがな」
そこまで言うと雨子さんは小雨ちゃんに呼びかけた。
「小雨、お握りを食するのはその辺りにして、そろそろこちらに来るのじゃ」
すると呼ばれた小雨ちゃんは、これが最後とばかりに、手に持ったお握りを大急ぎで口に押し込み、それで終わりかと思ったら、両手に一つずつお握りを持ってこちらに走ってくる。
「何じゃ小雨、未だ食べるのかや?」
「てへへ」
「てへへでは無いわ。詮無きこととは言え、少しは格好だけでも遠慮をせぬか?」
すると小雨ちゃんの後を着いてこちらにやって来た節子さんが庇うように言う。
「別に小雨ちゃんは我が家に来てまで遠慮しなくても良いのよ?」
それを聞いた雨子さんが申し訳なさそうに言う。
「いやしかしそれでは…」
そんな雨子さんへ宥めるように言う節子さん。
「もとよりもうそんなことで遠慮し合う仲じゃ無いでしょう?駄目な時は駄目って言うもの」
真摯な眼差しでその様なことを言ってくれる節子さんに、雨子さんは丁寧に頭を下げた。
「いくら感謝しても感謝しきれぬの…」
雨子さんのその言葉に節子さんはふっと笑みを浮かべる。
「それはこちらも同じことよ」
ほんとに仲が良いのだからこの二人。もっとも最近は私もその中に入れて貰いつつあるのだけれども。
そうこうする内に、当の小雨ちゃんは手に持った全てのお握りを食べ終えていた。
「いつでも良いでしゅよ?」
なんだかもうやる気満々なのだ。ただそのほっぺにいくつもお弁当がついているものだから、何とも締まらないと言ったらありゃしない。
「むぅ、口にして居ることはなかなか良いのじゃがなあ…」
苦笑しながらそのご飯粒を取り去っては、ひょいひょいと自分の口の中に放り込む雨子さん。あら、お社をお持ちの御祭神自らそんなことまでなさるのねと、少し驚きを持って見つめていたら、照れながら説明された。
「む、米には七柱の神が宿ると言うでな…。まあそれだけ色々なお陰を被って出来て居る物じゃ、粗末には出来きんであろ?」
全く以てその通りである。そのことをさらりと言ってのけて、実行する雨子さんのことを改めて尊敬してしまった。人ならまだしも神様だからね?
「さて小雨よ、これ成る令子が持つ呪を、起動させるに足るだけの精を渡してやって欲しいのじゃが、分かるかや?」
すると小雨ちゃんはとことこと私の許にやって来て、下から見上げながら言う。
「令子しゃん、抱っこして貰って良いでしゅか?」
何だろう?それが必要なら否応は無い。
「うん、良いよ」
そう言って抱っこしようと手を伸ばしかけたら、万歳をしている小雨ちゃんを後ろから節子さんがひょいっと持ち上げていく。
「はい!でもその前に手を洗いましょうね!」
確かに!良く見ると小雨ちゃんの手にはお米ばかりか、お握りに巻かれていた海苔の欠片などが、たんまりと着いているのだった。
さすがにあれであちこち触られるのはなあ…。
そのまま洗面所に連れて行かれた小雨ちゃんは、然したる時間も経たないうちに節子さんの手で、綺麗さっぱり洗われてにこにこしながら戻ってきた。
で、改めて私は彼女を抱っこするのだった。
抱き上げるや否や、小雨ちゃんは私の顔やら肩やら胸をぺたぺたといじり倒す。うん、手を洗ってきてくれて良かったと思うよ。
その後少し何かを案ずる風だったが、やがてに元気よく口を開く。
「分かったでしゅ!」
「では後は任せるが良いかや?」
そう言う雨子さんに満面の笑顔で答える小雨ちゃん
「小雨ぇにお任せあれ!」
そう言うと小雨ちゃんは私の手を離れて独り立ち、腕を組みながら何やらうんうん唸っている。挙げ句天に向かって両手を掲げ、「出ろ~~出ろ~~」とか唱えてる?
するとその手の上に小さな光りの玉が表れた。これが精なのかしらん?そう思って雨子さんの方へ視線を向けると、彼女は私に頷いて見せるのだった。
やがてにその光りの玉は、初め大豆くらいの大きさだったのが、次第に大きくなってピンポン球くらいになった。
「雨子しゃま、これくらいで良いでしゅか?」
そう言いながらこてんと首を傾げる小雨ちゃん。
対して雨子さんは光りを指し示して、もう少し大きくすることを命じていた。
「ぎりぎりではの。少しばかりは余裕を持っておかんと後で何か有った時大変じゃからの」
やがてに野球のボールくらいの光りの玉が完成すると、小雨ちゃんは反っくり返るようにして偉ぶってみせる。なのに雨子さんは素っ気なくひょいっとその玉を取り上げて私のところに持ってくる。後には端で見ていても気の毒に思えるくらい、この上なくしょんもりしている小雨ちゃん。(あえてしょんもり表現)
だがそんな状況でも節子さんが新たなお握りを持ってくると、あっという間に機嫌が良くなるのだから、お握りは偉大である。
「さて、令子、暫しじっとしているのじゃぞ?」
そう言うと雨子さんはその光りの玉を私の胸元に宛てがい、一気に中へと押し込むのだった。
「はぐぅ!」
熱い、なんだかとんでもなく熱いものが胸の中へと入ってきた。それが胸に入りきった所で、心臓の脈動に合わせてどきどきとゆっくり融け広がり、体中へと伝わっていく。
動悸がして少し息苦しく、汗がやたらと湧いてくるのですけど?
私が何とも言えない感覚を抱えながら雨子さんのことを見ると、彼女は申し訳なさそうな顔をしながらそっと私の背をさすってくれるのだった。
その状態で凡そ五分も過ぎただろうか?最後の熱が融けきったかと思うと汗が収まり、身体が急に軽くなったかのように感じた。
「雨子さん?」
私がそう問いかけると、雨子さんは静かに頷いた。
「むぅ、終わったか。どれ、見てみることにするの」
そう言うと雨子さんはくっと目を細め、私のことを上から下まで隅々舐めるように見ていくのだった。そして。
「うむ、上手く行ったようじゃの、これで一安心じゃ。体調はどうじゃ?」
そう聞かれて答える私は、ともすれば自然に笑いが出てきそうなくらいに軽い身体に驚いていた。
「凄いです、なんだか飛び上がりでもしたら空まで行っちゃいそう…」
「ではいよいよ呪を発動させてみるが良い」
私は雨子さんのその言葉に頷いて見せると、真剣な思いで呪の発動を願った。すると先程と同じように例の言葉がするすると口から生まれてくるのだった。
「●●▲■▲▼■●●」
言葉を唱え終えた途端、先程と同じ様な熱い流れが、今度はお腹の中からじんわりと広がってきて身体全体に広がっていく。ところが問題はそこから先なのである、猛烈な空腹感というか、飢餓感が腹を苛み始めたのである。
「お腹空いたぁ~~~~」
この台詞は小雨ちゃんでは無く、この私が何ともたまらず叫んだ言葉だった。
「ぷふぅ!」
誰かがそう吹き出したので見ると、それは節子さんだった。
「やっぱりそうなるのねぇ」
苦笑しながらそう言うと、彼女は程なく山盛りのお握りを載せた皿を持ち帰ってきた。
「どうぞ、小雨ちゃんと二人で心ゆくまでお食べなさいな」
その台詞を聞いた私は今一度雨子さんの方を見る。すると彼女は早く食べろとばかりにお握りを指差すのだった。
それから小雨ちゃんとお握りを、食べたは食べたは、それはもう自分でも呆れるくらい。勿論小雨ちゃんも傍らで勝るとも劣らない。
結局それからお皿を三回お代わりするまで食べ続けることになった。そしてふと心配に成って、誰にも見られないようにそっとお腹に触れてみたのだけれど、何で?全然大きくなっていない?食べた物はなら一体どこへ行ってしまったのかしら?不思議で堪らなかったのだけれども、今はまあ良いか。
それよりも!未だお腹が空いているのよ?どうしたら良いのかしら?
お陰で何とも切ない思いをしていたら、多分それが顔に出ていたのだろう。
節子さんと雨子さん、二人に笑われてしまった。
「令子よ、今一度あの言葉を唱えるのじゃ。さすればその飢餓感は止まるであろう。今後自分の意思でその力を必要とする時が来る迄はそのままで良い。力の扱いに不慣れなそなたの為に、当面緊急時は自動発動するようになって居るから案ずることも無い」
雨子さんのその説明を聞いてなんだかほっとした私は、未だ食べたくはあるのだけれども、いくら何でも皆の前でこれ以上食べ続けることに気が引けて、早々に例の文言を唱えようと仕掛けたのだけど、残念ながら一瞬遅かった。
「令子ちゃん、次炊き上がったわよ?」
「ひ~~ん、食べまぁ~~す」
いくら食べても押し寄せてくる空腹感と、目が点になるほどの大食らいという恥ずかしさに板挟みになってしまった私。何だかもう途中からは泣き笑いしながら食べているんだけれども、横で本当に美味しそうに、幸せそうに黙々と食べている小雨ちゃんを見たら、思わず見習わなくっちゃっと思ってしまったのは、ここだけの話であります。
とっても遅くなりました。
おおよその話は出来ていたのですが、校正に入りかけてからなんだかんだとトラブルに見舞われて、
ようやっとのアップであります、申し訳ありませんでした。




