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天露の神  作者: ライトさん
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「令子の苦難」


 新たな身体を得て二日目、大凡の部分では順応出来るようにときちんと調整してあるのだけれども、それでも細かいところは自分でするのじゃぞと、雨子さんから言いつかりはした、が…。


「いったぁ~い!」   


 私は一体今日、何度目の悲鳴を上げたことだろう?


「どうしたの令子ちゃん?」


 そう言ってどこからともなくすっ飛んできたのは節子さん。

そうして目の前に蹲っている私のことを心配そうな目で覗き込んでくる。


「椅子の脚に小指を…」


 ダイニングに居て少しでも節子さんのお手伝いをしようと、食器の後片付けをしていたのだけれども、歩き回っている最中に椅子の脚に小指を引っかけてしまったのだ。


「爪は剥がれ…」


 しゃがみ込んだ節子さんが、私の痛みの元になっている場所を確かめつつ、何とも恐ろしい台詞を言っている。


「いやぁ~~」


 想像するだに恐ろしい光景が頭の中に浮かんで、私は思わず悲鳴を上げてしまった。

そんな私に節子さんが大苦笑しながら教えてくれた。


「大丈夫だってば、剥がれていないって言おうとしたのよ!」


 そう言われて少し冷静になった私は、ほんの少しだけ涙を溢れさせたところで、何とか留めることが出来た。


「ぐすん…」


 幽霊の身体から人間の身になるための代償だとしたら、多少のことは仕方の無いことなのだ。頭の中では良く分かっては居るはずなのだけれども、今は未だ痛みのために何も考えられない。


 節子さんがタオルでくるんだ氷を当ててくれる。直ぐには効かないのだけれど、じんわりと冷たさが伝わってくる内に、次第に痛みが和らいでいく。


「大丈夫?」


 そう言う節子さんに、私はぐずぐず言いながら懸命に頷いて見せた。


「しかしまさに雨子ちゃんの言う通りなのねえ…」


 そう言うと節子さんは指折りながら今日一日、って、未だ半日くらいしか経っていないのだけれども、私のやらかした失敗を数えていた。


 今回は自分の足の小指をぶつけただけなのだけれども、朝からコップを一つ、お皿を一枚壊していたし、たっぷりとジャムを塗ったトーストを床に落とし、(勿論ジャムの面がしっかりと床面に載った)更には洗濯洗剤を一箱床にぶちまけていた。


 一日の失敗と言うにはもう多すぎるというか、十分だった。もう何と言うか何もかもに自信を失いつつある私だった。


 そうやって悄げまくっている私のことを、節子さんがぎゅうっと抱きしめてくれている。


「さすがに痛いのは堪らないと思うのだけれど、これ位の失敗、余り気にしすぎては駄目よ?言ってみれば今の令子ちゃんは生まれたばかりなのよ?生まれたばかりの赤ちゃんのことを思えばこれ位は…」


 そうやって温かく慰めてくれる節子さんなのだけれども、今度ばかりは少し言葉の選択を間違えたかも知れない。私の中で情けない思いが一気に膨れ上がってしまう。


「赤ちゃん…私は赤ちゃんと変わらないんだぁ~…」


 そうやって私は大泣きを始めてしまった。


 なんでなんだろう?私の中の大人の部分がしきりと首を捻っている。

私ってこんなに泣き虫だっけ?


 そこへ誰かがやって来た気配がした。


「やれやれ、何やら騒ぎが起こっているようだと来てみれば、如何したというのじゃ?」


 その声は雨子さんだった。

それに対して節子さんが、これまでに起こったこと様々なことを掻い摘まんで説明してくれて居る。


 一頻り節子さんの説明を聞いた雨子さんは、未だ泣き続けている私のことを節子さんから引き受け、ひょいっと抱え上げた。


「どうしたどうした令子、何がそんなに悲しいのじゃ?」


 まるであやすようにそう言う雨子さん。そんな風にあやされることがまた悲しくて余計に泣いてしまう私。一体私はどうなってしまったのだろう?


 暫くの間泣き続けていた私なのだが、根気よく宥め続けてくれた雨子さんのお陰でどうやら落ち着くことが出来た。


 そして未だ時折しゃくり上げながら、どうしても抑えられない今の自分の状況を雨子さんに訴えかけたのだった。


 ひっくひっくと言いながらの説明とあってとても聞きにくかろうに、雨子さんは辛抱強く話を聞いてくれた。

 そして全てを話し終えたところで、改めて優しくきゅうっと抱きしめてくれる。


「うむ、良く分かったのじゃ。元々大人の心を持って居る令子としては、この抑えの効かない状況、なんとも辛いものであることも良く分かるの」


 そう言うと雨子さんは私を引き離し、両肩に手を添えながら目の奥を覗き込んできた。


「我もそう遠くない頃に人の身体を持ったが故、今の令子の状態は良く分かるつもりじゃ。令子は幽霊の状態からうさぎを経て今の身体になった訳なのじゃが、幽霊であった時は意識することは無かったかも知れぬが、人間の精神という物は本来想像以上に肉体の影響を受ける物なのじゃ。そのことについてちと説明してやらねばならんかの?」


 そう言うと雨子さんは私の手を取り、自分の部屋へと引き連れていった。

そして私をベッドの上に腰掛けさせると、自分は床の上に直接座って目の高さを合わせる様にするのだった。


 私が座って落ち着いたのを見定めると雨子さんが話し始める。


「もう話しても良いかの?」


 私は素直に頭を振ってみせる。雨子さんの優しい声が私の心を落ち着かせてくれるのだった。


「むぅ、良い子じゃの…」


 そう言うと雨子さんはふっと笑みを浮かべて見せた。そして改めて詳しい説明をしてくれるのだった。


「精神のみの存在として居った我はともかくとして、令子の場合は前身として人の身体を持って居ったであろ?当たり前のことなのじゃが、それが実に重要なことなのじゃよ」


 雨子さんの言うことが今一良く飲み込めなかった私は、その先の説明を求めるほか無かった。


「あの、それは一体どう言うことなのですか?」


 そうやって真剣に問うてくる私の態度が気に入ったのか、雨子さんはうんうんと頷きながら説明を続ける。


「人の心というのはの、本来肉体からの影響を受けて、それによって何がどう動くのかということを少しずつ条件付けされていく物なのじゃ」


 と、そこへ静かなノックの音。


「どうぞ?」


 雨子さんの許しの言葉に応じて姿を現したのは節子さんだった。

手に持ったお盆の上に湯気の立つ湯飲みを三つ載せての登場。


「あの…雨子ちゃん、私も一緒に聞いても良いかしら?令子ちゃんのこと、私も知っておくべきだと思うから…」


 心配そうな表情をしながら私の様子を伺いつつそう言う節子さん。

そんな節子さんに雨子さんはにっこりと笑みを浮かべながら言う。


「否やは無い、節子は我らの母なのじゃ、良ければ是非とも聞いて欲しいと思う」


 雨子さんがそう言うと、節子さんはほっとしたような表情をしながら皆にお茶を手渡してくれた。そして渡し終えるなり雨子さんの隣に静かに座る。


 私は手にした温かな湯飲みから、一服のお茶をそっと口に含む。それは微かにほろ苦いけど甘くて美味しい、心を落ち着かせてくれる味がした。

 雨子さんもまた破顔しながらお茶を楽しむ、彼女は節子さんが淹れてくれるお茶が大好きなのだ。


 束の間の優しい時間の流れを味わった後、手早く皆の湯飲みを回収し、黙って席に戻る節子さん。雨子さんはそんな節子さんに微かに頭を下げてみせる。


「さて一服出来たところで再び話しを始めようかの?かまわぬかや?」


 そう言って気持ちを新たに私達のことを見る雨子さん。私達は勿論頷いてみせるのだった。


「先ほど少し言うた様に、令子はかつて人間の身体を持って居たればこそ、肉体を無くして幽霊になっていたとしても、昔得た条件付けの力で人間らしゅうしていることが出来た」


 そこまで言うと雨子さんは少し躊躇い、だが思い切ったかのように語を繋げた。


「じゃがその条件付けも、長くあのまま居れば、果たしていつまで持ったものか分からんかったがの」


 私は雨子さんのその言葉から、何とも言えず恐ろしいことを考えてしまった。


 そんなことは考えたくない、想像もしたくない。そう思いはするのだが、果たして本当に知らないままで良いのだろうか?そう思った私はその答えを聞くことを恐れつつも、怖々、本当に怖々雨子さんに質問するのだった。


「もしその条件付けを無くしていたらどうなるのでしょうか?」


 すると雨子さんは顔色を暗くしながら沈んだ声で教えてくれた。


「怨霊と成り果てる…」


「「怨霊…」」


 節子さんと私、異口同音でその言葉を口にしながら震え上がった。


「もし雨子ちゃんが出会った時に、既に令子ちゃんが怨霊になっていたらどうしていたの?」


 私も聞きたいところだった。

それに対する雨子様の答えは重かった、実に重かった。


「滅して居ったの…」


 真っ青に成り、歯の根が合わなくなった私のところに、すぐさま節子さんがやって来てその身を抱きしめてくれた。

 私はもう何も考えられず、ぶるぶると震えながら節子さんに必死になってしがみ付いていた。


 そんな私達のことを見ながら雨子さんが苦笑しながら言う。


「馬鹿者、無かったことを恐れてどうするのじゃ?」


 でも怖い物は怖いのだから仕方ないのじゃない?そう思いつつ未だに震えは止まらない。節子さんの温もりだけが私を恐怖から遠ざけるのだった。


「まあ良い、話を続けるの」


 そう言う雨子さんの言葉に、私は何とか辛うじて頭を振った。


「さて、そう言う条件付けを持った令子なのじゃが、再び肉体をまとえばどうなるか?」


「どうなるのですか?」


 私は息を飲みながらそう聞いてみた。


「その場合は心の条件付けよりも、肉体の影響が常に優先するのじゃ。そしてそれこそが今の令子を困惑させている状況なのじゃよ」


 私はそんな雨子さんの説明を聞いてようやく納得した。


 そうなのだ、私の心は元々大人の物、けれども今その私が入っているのは、小さな子供の物なのだ。だからこそおそらく子供と同じように感情を動かしてしまうのだろう。

 元よりこの身体を選択したのは私なのだ、そう考えるとどこにも文句を言う先は無いのだった。


 そうやってあれやこれやと考えている私のことを見つめながら、更に雨子さんが言葉を付け加える。


「それだけでなく身体を動かすに際し、体中の筋肉の制御が今一上手く出来て居らぬであろう?」


 私は思い当たる節がありすぎて必死になって頷いた。

そんな私の頭を静かに撫でながら雨子さんが言う。


「勿論我には、今以上に滑らかで誤謬の無い動きをさせることは可能じゃった。じゃがその様なことをしてしまえば、令子の動きに不自然さが入る危険が少なからず考えられた。なにより人間の認識力は、こと人間らしさに対して僅かな違いも見逃さぬように出来て居るからの。故に我は最終的な調整は令子自身に任せることを選んだのじゃ。勿論もっと十分に時間を掛ければなんとかと思わぬでは無いが、より安全な方策として令子に任せることを決断したのじゃ。うむ、そう言う意味では我の責任なのであろうの…申し訳ない」


 申し訳ないだって?とんでもない!雨子さんがそこまで考えて私の人間性を優先してくれたこと、感謝以外の何を以て応えれば良いというのだろう?


 私は彼女に対する深い感謝の思いを胸に、するりとベッドの上から降りると、雨子さんの所に行き、その首元に抱きついた。


「ありがとう…、雨子さん」


 すると雨子さんも抱きしめ返しながら、照れながらも嬉しそうに言う。


「うむ、じゃがの、我がそうやって令子のために一生懸命に成るのは当然のことなのじゃ。何より我はそなたの姉になるのじゃからな…」


 その時私は初めて気が付いたのだ、そうか、節子さんを母と慕うのであれば、正しく雨子さんは私の姉となるのだ。

 私は抱きしめる腕に力を込める、他人への抱擁から、肉親への抱擁へと変化した思いを込めて…。



お待たせしました。

今回より前書き話ということで…。(毎回前書きが有ると少し鬱陶しいかもと思ったので)


今日もまた日常が続いています


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