だいいちわ!
幸せ、とは何であろうか。生きていればそれだけで幸せだとか、食べ物があるだけで幸せという人もいれば、どれ程の財を、力を、名声を、集めたところで満たされない人もいる。同じ人間でも同じような出来事に幸せを感じたり感じなかったり。
そんな事を考えていた折にトラックに撥ねられて面白いほど回転した挙句地球とアツい抱擁をすることになった私は、少なくとも幸せでは無かったと思う。未練というほどの事もなく、私の為に泣いてくれる知人も多くは無い寂しい人生であった。
さて、ではなぜそのようにして人生を終えた筈の私が、自身の人生の終わりについて回顧しているのかと言えば。別段地縛霊などになったわけでもなく、逆に奇跡的に事故で死ななかったわけでもない。ともすれば植物状態になった私が見ている夢という可能性を除けば。
おぎゃあ、などと表現される第一声を放ったのは今は昔。二度目になる幼少期を新しい家族と過ごしたのも短い時間だった。疫病で家族を失った私を育ててくれたのは村の薬師のおばあさんで、神童などともてはやされて都市の学園に入ることになったのも昔。
貧しい村だっただろうに、私の入学金を負担してくれた事に郷土愛を深め、流行り病の撲滅を目指してひたすらに勉学に励んだ毎日。整った設備の獲得のために人付き合いも必要になった。優秀な成績を収めれば、それこそ少し聞きかじった程度の科学知識の産物を手土産にすれば学費も免除された。
切磋琢磨する同志の中には、私のような偽物ではない本物の天才もいた。優秀な人間とのコネクションはあって困るものでもない筈が、どことなく常人と感性の違う天才とまともに付き合っているのは極少数、というか私くらいのものだったが。
卒業後、周りに惜しまれながらも故郷へと帰った。流行り病の原因の究明の為にも、それ以外にも学んだことが故郷の為になるだろうと。果たして前世では、これほどまでに惜しまれる人間ではなかったが今はどうだろうか。少しは幸せに近づいているだろうか。
それから数年後の事、私はまた親と呼べる存在を失った。皮肉にもその犠牲によって流行り病の特効薬が完成したのだから、全くもって救えない話であった。もし私にもっと才能が有ればと悔やんだ。
流行り病の原因は前世の知識では考えもつかない、精神性寄生虫という魔法生物が原因であった。実体の存在しないそれは生物の不幸や絶望を餌にしているのか、寄生された生物はひたすらに不幸や絶望を感じるようになる。
病は気からともいうが、生きていることが苦痛どころではない精神状態に入った人間がどれ程健康に生きることが出来るのか。絶望病と名付けたそれは、疾患すれば確実に命を落とすほどの文字通りに絶望的な病であった。
特効薬として産み出したそれは、いうなれば幸福薬とでも名付けるべきだろうか。不安や不幸感、絶望などを和らげ、あるいは消した上で幸せを感じさせるそれは、副作用さえないものの頭の片隅に合法だとか脱法だとか危険といった単語が過る代物で。
進行が手遅れな、衰弱しきった患者でもその死に顔は安らかで。助けることのできた命も少なくは無かった。もっと多くの命を救おうと、安価で大量に薬を生産できる方法も開発した。自分が救うことに精一杯で、自分がどう見られているかなどは眼中になかった。
都市部からアイデア料などの収入があれば、それを元手に今生の自分と同じ境遇の子供の為の孤児院などを作った。ロイヤリティによる一定の定期収入でなければ養育費で喘いだかもしれないが、何故か寄付金などが多くて次第に規模も大きくなっていった。
一人では救えない命もあると有志を募り福祉団体を作った。無論自分でも様々な村などを回っていった。経営などはよくわからなかった為に、その為に都市部でアドバイザーなども雇用した。きっと、もっと多くの命を助けることが私の幸福なんだと信じた。




