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高比奈吾郎の神隠し  作者: らる鳥
一章 彼の日常
7/25


 人は生きてる限りお腹が空く。

 何もしなくてもそれなりにお腹は空くし、動けばもっとお腹は空く。

 特に体育の授業があった日等は尚更に。

 六限目の授業が終わり、僕は大きく伸びをする。

 今日は五限目の体育がバスケットで、ちょっと張り切ってバスケ部のレギュラーが二人もいるチーム相手に頑張ってしまったので、既に小腹が空いている。

 ガッツリ食べたいという程じゃないけれど、胃がラーメン位なら入りますよと隙間を主張してる気分だ。


 僕はまだ放課後のクラブ活動がないからマシだけれども、バスケ部の連中はまたこれから数時間、空腹を抱えて部活に励むのかと思うと少し尊敬の念が湧くし、同時に可哀想にもなる。

 まぁしかし他人の事はさて置いて、一体何を食べようか?

 家に帰れば母が夕食までの繋ぎに何か出してくれる気もするけれど、多分それだと少し足りない。

 求めてるのは菓子類ではなく、ついでに言うと軽食よりも少し重めの何かだ。


 やっぱりラーメンか牛丼辺りを、駅前の店で食べるとしよう。

 そんな風に決めて席を立つと、ふと目が合った佐野・祥子が僕に向かって小さく手を振る。

「佐野さん、お疲れ様」

 だから僕も彼女に別れの挨拶の言葉を告げてガラリと教室の戸を開けると……、そこは何故か瓦屋根の古いお屋敷の前。

 辺りにはどこまでも野原が広がって、当然ながら僕以外の七白学院の生徒は誰も居ない。

 何時も通り唐突な神隠しである。

 でも今回の神隠しは、寧ろ僕の望みに応える為の物だった。


 勝手知ったるなんとやらとばかりに、僕は大きな門の隣にある勝手口を開き、勝手に中へと入り込む。

 それから玄関を無視して庭に回ると、縁側に腰掛けて靴を脱いだ。

「婆ちゃーん。吉祥(きちじょう)婆ちゃーん。遊びに来たよー。なんか食わせてー」

 それから少し耳が遠いこの家の住人に、自らの来訪を告げる為に大声で呼ばわる。


 そう、僕がこの場所への神隠しに遭うのは、これが初めてじゃない。

 割としょっちゅう訪れていると言う訳ではないにしても、幼い頃から年に一度か二度は、気付けばこの場所に連れて来られていた。


 部屋の中から声がしたから、障子を開けて上がり込む。

 するとそこで僕を待っていたのは、眠る猫を膝に乗せた一人の老女。

 どうやら猫を起こしたくなくて、僕を出迎えに来れなかったらしい。


「あらまぁ、吾郎ちゃん。よぉ来てくれたなぁ……またちょっと背、伸びたんね。私ね、昨日ね、そろそろ吾郎ちゃんに会いたいなぁって、神さんと仏様にお願いしたんよ。どっちがお願い聞いてくれたんやろねぇ?」

 膝の猫の背を撫でながら、柔和な笑みを浮かべてそう言う吉祥婆ちゃん。

 と言っても、彼女が僕の祖母であると言う訳では勿論ない。

 何故ならこの吉祥婆ちゃんは、そもそも人間じゃないからだ。


「両方が聞いてくれたで良いんじゃない? 俺も吉祥婆ちゃんに会えて嬉しいから、両方にお礼言っといて」

 僕がそう言って畳に胡坐をかけば、吉祥婆ちゃんは二度頷く。

 そんな彼女の額には、にょっきりと伸びた二本の角。

 吉祥婆ちゃんの優しげな雰囲気からは俄かに信じがたい事だけど、彼女は鬼、鬼女と呼ばれる存在である。


「吾郎ちゃんは賢いねぇ。じゃあそうしとくよ。あ、吾郎ちゃんお腹空いてるんね。ちょっと待ってな。もう直にこの子も起きるから、そしたら、そうやね。ウナギでも出したげるわ」

 そう言って吉祥婆ちゃんは、再び膝の猫の背を撫でる。

 チリチリと野原の虫が鳴く声が聞こえた。


 ……こんな野原の中のお屋敷で、どこからウナギが出て来るのかなんて、不思議に思っても聞いてはいけない。

 それはそう言う物なのだ。

 歓待は黙って受けて、口に出すのは疑問じゃなくて礼で良い。

 大宜都比売や保食神、ハイヌウェレの歓待も、余計な事さえ知らなければ、心の底から楽しめるのだから。


 尤も時には、歓待の席で怪しげな薬を盛られ、食われそうになったりもするけれど、そういう時は概ね何らかの兆候がある。

 見るべきは人、と言うのが僕の爺ちゃんの教えだった。



 しかしウナギかぁ。

 うな重だろうか? ひつまぶしだったりするんだろうか?

 想像すると、余計に腹が空いて来た。

 グゥと僕のお腹が音を立て、吉祥婆ちゃんがおかしそうに笑う。

 そしてその笑った時の振動で、膝の猫も目を覚ます。


 猫は僕を見、不満気ににゃぁと鳴いてから、吉祥婆ちゃんの膝をするりと飛び降り、サッとどこかへ行ってしまった。

 その猫の、ピンと立った尾が二股に割れていたのは、きっと見間違いでも何でもない。


「あらまぁ、じゃあ、用意しましょうね。お待ちかねみたいだし」

 クスクスと笑って立ち上がる吉祥婆ちゃん。

 何度も来ているから知ってるけれど、この場所への神隠しはあまり大きく時間が経たない。

 また帰る場所も、決まって家の前に送られる。


 なのでこの場所でお腹一杯食べたとしても、家に帰ってから筋トレなりなんなりを頑張れば、晩御飯も何とか入るだろう。

 ウナギかぁ、実に楽しみである。

 僕はごくりと唾を飲み込み、吉祥婆ちゃんの戻りをジッと待つ。

 彼女には、話したい事も一杯あった。


 だって会うのは半年以上ぶりなのだ。

 家の事に、学校の事、神隠しで行った先の事と、話すネタには事欠かない。

 そう言えば吉祥婆ちゃんに一度教えられたが、本来ウナギの旬は今の時期、夏ではなくて冬の始まり位らしい。


 縁側からは、夕方の心地よい風が吹き込んでいる。

 クーラーなしでは夜まで過ごし難い自宅とは大違いだ。

 僕はその風に向かって両手を合わせて目を瞑り、今日の神隠しを感謝した。




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