9 ガーネット、お菓子を吟味する
招待された夜会の場で、多少のぎこちなさはありながらも無事にラズリスとのダンスを終えることができた。
ラズリスの忠告通り、露出度は低めなドレスを身に着けたのが功を奏したのかもしれない。
ほっと安堵の息をつきながら、ガーネットはラズリスにねぎらいの言葉をかける。
「お疲れさまでした、殿下」
「君は……体調はもう大丈夫なのか?」
「えぇ、殿下にお花を頂いたらすっかりよくなりましたわ」
「あの花にそんな効果はなかったはずだが……?」
そんな風に会話を交わしながら、ガーネットは安堵していた。
本日の夜会には、ナルシスとイザベルは出席していない。
それだけで、かなり動きやすくなるのは確かなのだ。
「今晩は、ラズリス殿下。少しお話をよろしいでしょうか」
ラズリスが幾人かの貴公子に声を掛けられ、ガーネットは笑顔で彼を送り出す。
社交の場に顔を出すようになって、少しずつラズリスに近づく者が増えてきた。
これは良い傾向だ。
――やはり皆、心の底ではナルシス殿下に不安を覚えているのかしら。
いざという時の為に、ラズリスとも親交を結んでおこうという魂胆なのかもしれない。
――いいわ。こちらもいざという時には利用させていただかなければ。
ガーネットも同席しようかとも思ったが、男性には男性の話があるのだろう、と思い直す。
飲み物を取ってこようと壁際に退くと、同じく夜会に出席していた従姉妹のコレットが近づいてきた。
「ねぇ、今日はブランシール公爵家のフィリップ様がいらっしゃってるのよ!」
「あら、本当ね」
視線を遣れば、フィリップがたくさんの女性に囲まれているのが見える。
気さくな彼は留学先から戻ってすぐに、多くの女性を虜にしているようだ。
「私もお話したのだけど、フィリップ様って近くで見ると色気がすごいのよ! もうたまんな~い♡」
「色気が、すごい……?」
「本当なの。もうくらくらしちゃうわ。あっ、次踊る予定入ってるんだった。じゃあね~」
未だに婚約者のいないコレットは、舞踏会となれば多くの男性とのダンスの予約を入れている。
その精力的な活動に感心しつつ、ガーネットは彼女の背を見送った。
――フィリップ様の色気……? 私は感じたことがないけど……きっと、フィリップ様にとって私はそういうものの対象外なのね。
そう納得したガーネットの視線は、ついつい夜会用に取りそろえられたスイーツへと引き寄せられる。
自分でお菓子を作るようになると、こういった場に出てくる物も研究対象として今まで以上に興味がわくのである。
――あっ、これは美味しいわ。後でラズリス殿下にもご紹介しなくては。それにしても、どうやって作るのかしら。今度、パティシエに聞いて……。
色とりどりのスイーツに夢中になっていたガーネットは、背後に近づく存在に気が付かなかった。
「今晩は、ガーネット嬢。今宵のあなたも月の女神のように美しい」
急に声を掛けられ、思わずせき込みそうになってしまう。
何とか表情を取り繕い振り返ると、そこには蠱惑的な笑みを浮かべたフィリップがいたのだ。
「ご機嫌麗しゅう、フィリップ様」
まるで何事もなかったかのように、ガーネットは優雅に一礼してみせた。
先ほどまでは女性たちに囲まれていたフィリップだが、今は一人のようだ。
――フィリップ様もスイーツを取りに来たのかしら? もしおすすめを聞かれたら紹介すべきなのは……。
「ラズリス殿下はご一緒ではないのですね」
「殿下は向こうで殿方たちと歓談中ですの。ふふ、私がお邪魔してはいけませんので」
想像していたのとは違うことを聞かれたが、ガーネットは慌てることなく答えを返す。
……もしかして、スイーツを取るのに自分の立ち位置が邪魔なのだろうか。
そう考えそっと横に退いたが、何故かフィリップの視線はガーネットを追い続けている。
「なるほど。ラズリス殿下はご歓談中、か……。ではガーネット嬢」
「はい」
「ラズリス殿下がお手すきになるまで、私と踊ってはいただけませんか?」
思わぬ言葉に、ガーネットはぱちくりと目を瞬かせた。
――ラズリス殿下とは真っ先に踊ったし、別に問題ないはず、よね。
ダンスは重要な社交術だと、ラズリスに口酸っぱく説いたのはガーネットだ。
ここで断れば角が立ってしまうだろう。フィリップに恥をかかせたと、公爵家との関係に亀裂が入ってしまうかもしれない。それはよくない。
そう考えたガーネットは、笑顔を浮かべて彼の手を取った。
「はい、喜んで」
フィリップの手を取り、ダンスホールへと進み出る。
さすがはコレットも一押しの貴公子。リードの技術も巧みだった。
――ラズリス殿下よりも上背があるから、踊るときの感覚も少し違うのね。殿下もいつかはこんな風になるのかしら……。
小さい小さいと思っていたラズリスだが、今はガーネットの背丈を越えたのだ。
きっとこれからも、どんどん成長していくことだろう。
そんな未来を思い描いて微笑むガーネットに、フィリップがそっと囁く。
「ガーネット嬢、完璧な淑女と名高いあなたと踊れるとは光栄だ。俺はどうですか?」
「とてもお上手ですのね、フィリップ様」
「では、俺とラズリス殿下ではどちらが優れていますか?」
不躾ともいえる質問に、ガーネットは言葉に詰まってしまう。
――ダンスの腕のことを言っているのよね……? でもいきなり、こんなことを聞くのは無礼ではないのかしら? いえ、答えにくい質問をすることで私を試しているのかもしれないわ。
ガーネットは何とか思考を巡らせて、無難な答えを返すことにした。
「色や形の異なる花がそれぞれ美しいように、人には皆違った魅力があるものです。わたくしにとっては、ラズリス殿下もフィリップ様も素晴らしい殿方ですわ」
そう答えると、フィリップは妖しげな笑みを浮かべ、ガーネットの耳元で囁く。
「見てください、ラズリス殿下がこちらをご覧になっていらっしゃいますよ」
慌てて会場内に視線を走らせると、先ほどまで貴公子たちと歓談していたはずのラズリスが、じっとこちらを見つめているのが目に入る。
彼は何故か、少し険しい顔でこちらを睨みつけるようにしていた。
その理由がわからずに、ガーネットはごくりとつばを飲み込む。
――私、何か失敗してしまったのかしら……。でも、ラズリス殿下以外の方からはそんな視線は感じないわ。じゃあ、何故?
それからもフィリップが何事か囁いてきたが、あまりよく耳には入らなかった。
曲が終わると、つかつかとラズリスが足早にこちらへとやって来る。
「フィリップ。ガーネットの相手をしてくれて感謝する。……そろそろ返してもらっても構わないか」
そう言うと、ラズリスは普段よりも若干強引にガーネットの腕を取った。
その様子を見て、フィリップは愉快そうに口角を上げた。
「殿下、僭越ながら……レディはもっと優しく扱うべきですよ」
「……肝に命じておく」
何故だかラズリスは、いつもよりもピリピリとした空気を纏っていた。
これではいけない。彼に手を取られるようにして足を進めながら、ガーネットはそっと囁く。
「ラズリス殿下、お顔が険しいですわ。もっと笑顔を心がけなくては」
「っ、誰のせいだと……いや、何でもない」
何か嫌なことでもあったのだろうか。
元気を出して欲しくて、ガーネットは先ほど得たばかりの情報を耳打ちする。
「殿下、ここだけのお話ですが……この会場に用意されたティラミスは絶品です。無くなる前に是非召し上がるべきですわ」
その途端、険しい表情だったラズリスは驚いたように目を丸くして……くすりと笑った。
「……そうだな。頂くとしようか」
「えぇ、ではわたくしがご案内いたします」
よくわからないが機嫌は直ったようだ。
ラズリスの方にばかり気を取られていたガーネットは、ダンスが終わった後もフィリップがじっとこちらを見ていたことには、気づかなかったのだ。




