10 ガーネット、気づかない
それからもガーネットは、たびたびフィリップと顔を合わせる機会があった。
彼は人好きのする気さくな性格で、公爵令息という地位、それに非常に整った顔を備えている。
その相乗効果で、すぐに一躍社交界の人気者へとなっているようだ。
――なるほど、本当の「篭絡」とはこういうことをいうのね。
彼はとにかく他人との距離感が近い。
今日もラズリスの元へ向かう途中で彼と遭遇し、半ば強引に立ち話へと突入してしまった。
彼の多少強引ともいえるスキンシップを受けるたびに、ガーネットは見習わなければと自身を奮い立たせていた。
「ですから、その時俺はこう言ってやったんです。お前に譲るくらいなら――」
フィリップはとにかく、さりげないボディタッチが多い。
常に貞淑を心がけるように、と躾けられてきたガーネットにとっては、フィリップのような接し方をしてくる人物は未知数だった。
学ぶべき点も多いが……少し、怖くなってしまうこともある。
「とても楽しいお話をありがとうございます、フィリップ様。名残惜しいですが、そろそろ約束の時間が迫っておりまして……」
「あぁ、引き止めてしまい申し訳ございません、ガーネット嬢。ちなみにどちらへ向かわれるのですか?」
「ラズリス殿下の元へ参りますの」
「……へぇ、そうなんですか。お送りいたしますよ」
一瞬フィリップの声から温度が消えたような気がして、ガーネットは思わずどきりとしてしまう。
だが彼はすぐに、いつも通りの爽やかな笑みを浮かべて、慣れた仕草でガーネットの手を取った。
まさか断ることもできず、ガーネットは彼に合わせて歩調を進める。
「ラズリス殿下は、噂とはずいぶん異なる御仁のようですね」
「えぇ、殿下はずっと病で臥せってらしたので、事実とは異なる噂も散見されますが……本当はとても頑張り屋さんで、お優しい方ですわ」
少々天邪鬼な部分がないとも言えないが、それでも彼の心根はまっすぐだ。
いつしかガーネットは義務や打算以上に、ラズリスの成長を嬉しく思うようになっていた。
ラズリスのことを思い、自然と微笑みを浮かべたガーネットに、フィリップはすっと目を細めた。
「本当にあなたは……健気な方ですね」
「そう、でしょうか……」
「えぇ、聞いていますよ。あなたとラズリス殿下の事情については」
内緒話のように声を潜め、フィリップはガーネットの耳元で囁く。
耳元に吐息がかかり、ガーネットは思わず肩を跳ねさせてしまった。
――なるほど、これが色気というものなのかしら……。
しみじみとそんなことを考えるガーネットとは裏腹に、フィリップは少し切なげに眉を寄せた。
「随分と、つらい目に遭われましたね、ガーネット嬢。あなたが苦しんでいた時に、他国でのうのうと過ごしていた自分が不甲斐ない」
「いいえ、決してつらいことばかりではありませんでした」
ナルシスとの婚約破棄を経て、ガーネットはたくさんのものを失った。
未だにガーネットのことを「傷物」や「下げ渡された哀れな令嬢」のように嘲笑する者も多い。
だが、ラズリスの婚約者となったことで手に入れたものや、学ぶべきものも多々あるのだ。
決して、不幸なことばかりではなかった。
「……ガーネット嬢、二年前の舞踏会でお会いした時のことを覚えていらっしゃいますか」
「えぇ、忘れるはずがありません。一人だった私に、フィリップ様が声を掛けてくださいましたね」
ラズリスは来ないと思い込み、絶望に飲まれかけていたガーネットに、彼だけは手を差し伸べてくれたのだ。
その時のことを思い出し微笑むと、フィリップは足を止めガーネットの方へ向き直る。
「あの時、驚いたんです。俺が留学している間に、あなたは随分と美しくなられた。何故他の男どもはあなたを放置しているのかと、本当に理解不能でしたよ」
「まぁ、お上手ですのね」
「いいえ、本心ですよ。身も心も、あなたは美しい」
フィリップはさらりとガーネットの髪を一房掬い取ると、そっと唇を落とした。
「俺はあなたの力になりたいのです、ガーネット嬢。望まぬ境遇に置かれ、傷ついているあなたを救いたい。あなたが手を伸ばす時は、必ずその手を取ると約束しましょう」
至近距離でガーネットに微笑みかけ、フィリップは恭しく告げた。
「だから……いつでも俺の名を呼んでください。あなたが望む時は、すぐに馳せ参じましょう」
彼がそこまで口にした時、ふと誰かが近づいてくる足音が聞こえた。
フィリップはガーネットから少し距離を取り、にっこりと微笑みかけた。
「それでは、俺はこのあたりで失礼いたします。……ガーネット嬢、俺は本気です」
そう言うと、フィリップは足早に立ち去っていく。
ぽかんとするガーネットがその背を見送っていると、先ほどの足音がすぐ近くまで近づいてくる。
「あら、フレジエ侯爵令嬢。ようこそいらっしゃいました。すぐにお茶とお菓子の準備をいたしますね」
「えぇ、お願いするわ」
声を掛けてきたのは、辺りの掃除をしていた離宮に勤めるメイドの一人だ。
ガーネットも顔見知りの彼女に微笑みかけ、共に離宮への道を進んでいく。
――それにしてもフィリップ様のあの言葉……。
彼は、ガーネットの力になると言ってくれた。
それはつまり……。
――きっとラズリス殿下の勤勉な態度に感銘を受けられたのだわ! やはり見る人が見ればラズリス殿下の優秀さはわかってしまうのね。
ガーネットはラズリスの婚約者である。
つまり、ガーネットの力になるということはラズリスの力になるというのと同義だ。
……と、ガーネットは考えていた。
――これは、心強い味方ができたわ……。
いくら勉強しても男心に疎いガーネットは、まったくフィリップの真意には気づかずに気分よく歩き出すのだった。




