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北壁よりさらに北の最果てへ

 セーヌと個人的に話がしたい。その神奈の申し出は簡単に受け入れられた。

 セーヌと二人、個室に入って向き合う。

 セーヌは旅の話題を聞きたがった。


「なにせ、十年近く北壁勤めですゆえ」


 神奈は旅の話題を語った。仲間と過ごした楽しい時間。悲しい事件。快刀乱麻の活躍。

 セーヌは目を輝かせてそれを聞いた。

 その時、スマートフォンが鳴った。

 伊藤由紀恵からのメッセージだった。


 相談しておかないとまずいことになる、と書いてある。

 神奈は、返信するか少し迷ったが、すぐにそれを道具袋にしまった。


「それはなんですか?」


「スマートフォンって言ってね。遠距離でも手紙が一瞬で届く文明の利器よ」


「それは凄い! そんなものがあれば密偵とすぐに連絡が取れて大助かりです」


「残念ながら、この世界に一つしかないのよ。他の世界の人々としか繋がれないの」


「そうですか……」


 セーヌは、残念そうに苦笑する。


「魔力で言葉を遠くに送れるんじゃないの?」


「そんな上級魔術師は密偵には使いませんね。リスクが高い」


 なるほど、リンネは当たり前のようにやっていたが、彼女も考えてみれば規格外なのだ。

 そして、神奈は頃合いだと思って、本題を切り出した。


「セーヌって、結婚とか考えないの?」


「勇者様は既婚で?」


「未婚」


 そう言って、神奈は肩をすくめる。


「嫌なのよね。周囲からの結婚しなさいって圧力が」


「私も婚期を犠牲にしているという感覚はありますね」


 セーヌは紅茶を一口飲み、視線を逸らす。


「けれども、私はディートリヒ様が正というところがありますから」


 言葉を噛みしめるように、セーヌは微笑んだ。


「と言うと?」


 セーヌは、真っ直ぐに神奈を見た。落ち着いた青い瞳だった。


「ディートリヒ様の判断を信じているのです。それをフル活用できるように計らうのが私の仕事です。ディートリヒ様の判断は大抵は正しい。それをいかに組織に遵守させるかが私の肩にかかっています」


「信じてるのね、ディートリヒのこと」


「もう十年来の付き合いですからね。右も左も分からない小娘だった私を拾ってくださったのがディートリヒ様です」


「その……ディートリヒのこと、好きなの?」


 セーヌは、目を丸くしたが、すぐに柔らかく苦笑した。


「そういう段階ではありませんね。死ぬ時もディートリヒ様の傍ならば悔いはありません」


「平和になってディートリヒと離れ離れになったら?」


 セーヌは、しばし考え込んだが、そのうち悪戯っぽく微笑んだ。


「私が嫁入したいと言えばディートリヒ様は快諾してくださるでしょう。その程度の信頼関係はあるつもりです」


(ああ、この人は、もう幸せなんだな……)


 神奈はそう感じて、疎外感を覚えた。

 神奈の気持ちは神奈にしかわからない。いや、わかると自称している男もこの世の中にいはするのだが。


「セーヌはディートリヒの傍にいるのが幸せなんだね」


「そうでなくては、命を賭せません」


「羨ましいな」


 それは、神奈の本音だった。

 セーヌとディートリヒの間には、強い絆がある。

 恋愛面では一人の神奈とは、そこが違っている。


「勇者様はお仲間とは?」


「一人はまだ子供、一人は捻くれ者。けどそうね、捻くれ者の方は本音で話せるという意味では良いのかもしれない」


「それこそ、羨ましいことです。私とディートリヒ様は個人である前に上司と部下なのです。最近あの人があえて酒を断っていると初めて知って驚いたものです」


 セーヌは微笑んで、指先を組み、その上に顎を乗せた。


「本音で話せる仲間、大事にするべきです」


「セーヌこそ、嫁入り先は大事にするのね。自分の判断で行き遅れても誰も保証なんてしてくれないんだから」


「行き遅れ、耳に痛いですね」


「私も言ってて耳が痛い」


 そう言って、二人は顔を合わせて苦笑した。


「これ以上行き遅れないように、勇者様には活躍してもらわねば」


「そんな下心があったの?」


「滅相もない。冗談ですよ。それに……」


「それに?」


「平和な時代というのが、私達には想像がつかぬのです。平和な時代の文献そのものが、今の時代には伝わっていませんから」


 神奈は、雷に打たれたような気持ちになった。

 簡単に死ぬ覚悟ができる仲間達。彼らも、平和な時代を知らないのだ。

 生まれた時から、魔物という脅威に身を脅かされてきた。


「そっか……この世界の人は、平和を知らないんだ」


「魔王を倒そうと、次は人が敵になるだけなのかもしれません。あるいは、人という生物は永遠に平和を知れぬのかもしれません。正直、平和なんてこの先にないと絶望しつつ我々は戦っていたと言える」


 セーヌは再び、紅茶を一口飲んだ。


「そこに現れた希望が貴女です、勇者様」


「……期待に答えるよう努力するわ。ねえ、セーヌ。平和になったら訪ねてもいいかしら?」


「もちろんですとも、勇者様。その時は、一級品の紅茶を用意してお迎えいたします。暖炉には火、その傍らでは遊ぶ子供。旦那は自室で本を読み邪魔をしてこない」


「平和が当たり前になって、少し気だるさも感じるけれど、そんな日常が愛おしい」


「二人で夜が明けるまで話しましょう、勇者様」


「神奈、でいいわ。私も、セーヌと呼び捨てている」


「そんな、恐れ多いです」


「友達になりたいのよ、セーヌと」


「……では、カナさん」


「うん、セーヌ」


 二人で、微笑む。


「夢を見るとは楽しいものです。こんな感覚、随分長く忘れていた」


「幸せな未来を信じましょう。私には将来のビジョンがないんだけれどね」


「どこかの国の王妃となられることでしょう」


「それも幸せなのかなあ。わかんないなあ。パワーバランスを握る存在として恐れられる可能性もある」


「……なるほど。戦時の英雄は平時の恐怖の対象と成りうると」


 流石セーヌ、聡明だ。


「そゆこと。すぱっと隠居するのが一番平和な気もするわね。まったく、結婚と縁がないわ」


 神奈は、自分の人生にある程度諦めができている。

 マシロの一件は、今も深く神奈の胸に傷を作っている。


「捻くれ者の人なら、そんな道にも進んでついて来てくれるかもしれませんよ」


「じょーだん。あいつとはそろそろ縁を切りたいわ」


「選り好みしていては結婚できません」


「じゃあセーヌは、ディートリヒ以外の男なんて想像できる?」


「……一本取られました。できませんね」


「ほらね」


 二人は、なんだか滑稽になってしまって、笑った。


「ありがとう、セーヌ。旅に出る前に、くつろげた。自分の背負っているものを、あらためて再確認できた」


「いえ、これから勇者様が過酷な旅をするのに、私は祈ることしかできません。この場所で、私は戦います」


「タウロスの安全を最優先に確保する。少しは気が抜けるようになると嬉しいわ」


「お心遣い、感謝します」


 旅立ち時か。神奈は、そう感じた。

 その時、部屋にノックの音が響いた。


「どうぞ」


 セーヌが椅子から腰を上げて、対応する。

 入ってきた人が握る大きなガラスの入れ物には、ワインが一杯に入れられていた。


「ディートリヒ様からの差し入れです。密偵もまだ情報を持ち帰っていない。今夜は存分に飲めと」


「なるほど、あの人らしい」


 セーヌは、ガラスの入れ物を受け取ると、棚からグラスを二つ取ってきた。


「飲みましょうか、勇者様」


「……そうね。新しい友人に乾杯」


 腰を上げる機を逃した気がしたが、それもまあ良いかと神奈は思った。

 今、タウロスは平和だ。それを噛みしめるのも良い。

 そして一時間ほど経っただろうか。二人はすっかり出来上がった。


「私ってそんなに魅力ないですかね。こんだけ傍にいて一回も求められたことないんですけど」


 セーヌが不服げに言う。


「ディートリヒの奴の股間を調べたら? 何もついてなかったりしてね」


「やぁだカナさんったら」


 二人して、爆笑する。


「私こそ言いよってくる人がいなくて寂しいものだわ」


「カナさんは勇者様ですからね。手を出すなんて恐れ多いと遠慮するのでしょう」


「セーヌは美人だから部下からも告白されたりするんじゃないの?」


「下の部下とは直に接触しないので少ないものですよ」


「少ないってことはあるんだ?」


「それがこー。書類の中に手紙が挟まれてたりするわけです。貴女のことが好きですと。困りますね、まだ若い少年だったりするので」


「どうしてるの?」


「文章の誤字脱字を修正して送り返しました」


「あっはっはっはっはっは。気の毒ー。なんだー、やっぱりモテるんじゃん」


「勇者様も平和が来ればモテますよー」


「モテないわよー。もー私なんかオバサンで」


「お姉さんとオバサンの境界線ってどこなんですかね」


 セーヌが、酔いが醒めたような表情で言う。


「男の視点になったことないからわかんないわね」


 急に場がしんとした。

 静寂が空間を支配する。

 盛り上がっていた分、その間に言った調子づいた発言が身にのしかかってくる。

 これはいけない。神奈はワインを勢い良く飲むと、全てを吹き飛ばすように笑い声を上げた。


「昔馬鹿な男がさー。仕事を取るか俺を取るかって迫ってきてさー」


「あはは、なんだ、カナさんもモテるんじゃないですか」


「交際経験一人だけよー」


「一人でも十分色々経験できるものです」


「いやー、さっぱりなかった」


「さっぱり?」


「結婚するまでそういうのはなしにしようって思ってて」


「カナさんは身持ち堅すぎるなあ」


「じゃあセーヌは経験あるの?」


「お、言います?」


「お、言ってみなよ」


「それじゃあ、私が魔術学校に通っていた時代のことです。トイレマンって呼ばれた男の子がいたんですけど……」


 その時、部屋の扉が開いた。

 眠たげに目をこすっているリンネが、そこにはいた。


「カナさん、そろそろ不寝番の交代時間だから呼んでこいってライトさんが……」


「げ、そうだった」


「不寝番なんていらないですよー。うちの部下が厳重に護衛していますからね。ぱーっとやりましょ、ぱーっと」


「ぱーっとやるんです?」


 リンネが目を輝かせる。


「あー。まあね、ぱーっとやってたかな」


 リンネにはとても聞かせられない下ネタ、冗談、なんでもありで。


「私も混ぜてもらってもいいですか?」


「いいですよー、おいでおいで」


「わあ、嬉しいなあ」


 リンネが扉を閉めて、部屋に入ってくる。


「セーヌ、下ネタはやめましょう。下品だわ」


「そうですね、上品な話題を心がけましょう」


「二人だけで何話してたんですかー、ずるいですよ」


 二人共、酔いが醒めて、保護者モードになった。


「上品な話題、なんかあります? カナさん」


「カナさん下品の塊みたいな人間だからね。上品な話題と急に言われても困るわ」


「下品な話題でも私は構いませんけど……」


「駄目、リンネにはまだ早い」


「過保護ですねえ、カナさんは……それにしても、リンネさんはお綺麗だ。大人になったらさぞ美人になるでしょうね」


「ねー、素材がいいよねー」


「あの、私を褒めて話題を作ろうとしているところ悪いですけど、どんな話をしていたんです? そっちのが私は気になるんですけど」


 二人して、黙り込んだ。

 股間がどうこう言っていたとは流石に言えなかった。


「大人は酒のんで盛り上がったら色々あるのよ」


「ですね。遠くに来たものです」


 二人して、苦笑する。

 リンネは怪訝そうにそれを見ていた。


「そうね。約束しましょう。リンネが大人になったら、三人でまた集まって飲もうって」


 神奈の言葉に、セーヌも、リンネも頷く。

 その後、二人はリンネの亜人国家建国構想に度肝を抜かれることになるのだが、それはまた別の話だった。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 翌日、吹雪が止んだ。

 密偵部隊は、砦から巨大な魔力の反応がすると連絡してきた。

 意外と、その数は一つ。

 前回の戦闘を考えれば、無謀としか言えない数だ。

 もう一つわかったことがある。

 砦の奥にある町からは魔物が消えている。

 戦線を縮小しようとしているのだろう、とディートリヒは判断した。

 ということは、砦に潜む将は時間稼ぎの犠牲と言ったところか。


「占領するにも兵力が足りん」


 というのがディートリヒの正味なところらしい。

 かくして、勇者一行の出番がやってきた。


「皆、準備はいい?」


「もちろんです」


「勇者殿よかは準備してたよ俺は」


「このグリム、盾になる所存です」


「よろしい、行くわよ」


 徒歩で歩き始める。

 これから先は魔物の巣窟だ。できることならば、夜までに砦をおとしたい。

 グリムが先頭に立ち、その次にリンネが続き、三番目に神奈、最後尾にライトが続いた。

 四人は真っ直ぐに歩いて行く。


 スマートフォンが鳴った。

 また、伊藤由紀恵からだった。


 結婚してもいい? とある。

 神奈は、嫌な予感はしていたので、そんなに衝撃は受けなかった。

 おめでとう、と返すと、神奈も結婚式に呼ぶね、と返ってくる。


「残念ながら、忙しくて出席できそうにないわ……」


 そう呟いた内容を返信すると、神奈は道具袋にスマートフォンをしまった。


「出席? なんの話ですか、カナさん」


「独身仲間の友達がついに結婚するのよ」


「またまた勇者殿は出し抜かれたわけか。何人なんだ、独身仲間」


「今回の一人で最後」


 神奈の淡々とした言葉で、場の空気がとたんに重くなった。

 誰も、何も言おうとしない。言葉を探して口を閉じている。


「勇者様も、結婚できますよ」


「カナさん異世界まで来て結婚できなかったからね。そろそろ諦めてる」


「大丈夫大丈夫。世の中には変人奇人色々いる。どっかに相性が合う男がいるぞ」


「そんなんだから女泣かせって言われるのよ、あんたは」


「そうだな。俺も奇人変人の類だからな」


「ふーん」


 自分ならば相性が合う、と遠回しに言われた気がした。


「勇者殿のようにしぶとい女は貴族の女と比べれば珍しい」


「ありがたくない褒め言葉よ」


 変な空気になり、会話が途絶えた。

 北壁の先に待ち受けていた地には、想像を絶する魔物が沢山いた。

 戦闘の最中にも見た、人を踏み潰すほど大きな芋虫。巨大な蜘蛛。サイズは桁違いだが蟹のような魔物もいた。


「この蟹食えるんじゃね?」


「ゲテモノ~」


 ライトの言葉に、神奈は思わずそう返した。


「いや、案外いけるんじゃないか。巫女殿、ちょっと焼いてくれないかな」


「本気ですか? ライトさん」


「本気も本気よ」


「ああ、ルンマリーの海鮮料理は美味しかったなあ」


「グリムも乗り気なのね……」


 リンネは気乗りしない様子だったが、そのうち炎の魔術で蟹を炙り始めた。


(この匂い……蟹だ……)


 濃厚な蟹の匂いが周囲を包む。


「蟹ですね」


「蟹だな」


 リンネとグリムが言う。


「よし、ごちそうだ」


 ライトがガッツポーズする。


「後から分けろと言っても知らぬからな。グリム、そこ切ってくれ」


 そう言って、グリムとライトは蟹の解体に着手する。


「腹壊しても知らないからね。やーね」


「私もゲテモノは流石に……」


「いいぞ、グリム、はさみの部分は俺だ」


「いいですよ。かにみそもらっていいですか?」


「じゃんけんで決めるとしよう」


「ちょっと、蟹の群れがこっちに向かってます!」


「なんだと……!」


「匂いで感づかれたのよ、馬鹿!」


 そんなこともあった。

 結局返り討ちにして、魔核にして食べたのだが。


 夕方頃、神奈達は砦に到着した。

 巨大な魔核の気配を感じる。

 四人とも、疲弊していた。


「私一人でも勝てる。リンネ達は留守番でもいいけれど」


「グリーンと決着をつけたいという思いがあります。私とリンネに任せてはくれないでしょうか」


「これは、四人で中だな」


 ライトの言葉に従い、四人で中に入る。

 砦は広く、ひっそりとしていた。生き物の気配がしない。


「拍子抜けですねーカナさん。敵兵が一杯いると思っていたのですが」


「逃したのかもしれないわね。前回の戦闘を経験して」


「それでも逃げずに立ち向かう。今回の敵は立派な武人なのでしょうね」


 グリムが、感心したように言う。


「気持ちで負けちゃ駄目だよ、グリム」


「負けているつもりはないさ、リンネ」


 前を歩くグリムとリンネのコンビも、様になっている。

 いつの間にやら、立派な戦友になっている。

 神奈は、感心した。


 そして一行は、砦の中枢部に辿り着いた。

 舞踏会でも開けそうな、広く天井が高い部屋だった。

 グリムが先頭に立ち盾を構え、リンネがその後ろに移動する。

 神奈も、移動してグリムの横に並んだ。


「待ちわびたぞ、勇者……」


 低い声で言うのは、グリーンではない。

 人間を丸呑みにできそうな、蜘蛛の化物だ。道中でも巨大な蜘蛛は何度か見たが、その数倍のサイズはあるだろう。


「グリーン将軍はどこだ」


 グリムが、片手剣を抜いて、神奈を庇いながら言う。


「ほう、グリーン将軍が望みだったか……果たして、彼に会えるかな」


「我々に勝つつもりか? 時間稼ぎの魂胆は目に見えている」


「こちら側にはこちら側の事情があるということさ。グリーン将軍は今頃、戦っている最中だろう。生き残るかは、ワシにもわからん」


 そう言って、蜘蛛は怪しく笑った。


「さて、ワシにとっても最後の戦いだ。一人は生贄に屠らねばならぬだろうなあ!」


 そう言って、蜘蛛が足を横薙ぎに動かした。

 グリムの光の盾が、それを受け止める。


 神奈は覇者の剣を抜いて、突撃した。

 巨大な氷柱が次から次へと蜘蛛に降り注ぐ。それに身をよじり、蜘蛛は神奈を貫こうと手を伸ばした。

 神奈はその手を断って、前へと進む。

 その時、蜘蛛が素速く動いた。

 単純な打撃なら大丈夫。そうと判断した神奈は体当たりを受け、後方へと吹き飛ばされる。

 それを、グリムが受け止めた。


「どうした、ぬるいぞ勇者!」


 敵の口から吐き出された粘着質な糸が、神奈とグリムを包んだ。

 腕力で弾き飛ばそうとするが、粘着質なそれは伸びるだけで断ち切れはしない。


「げ」


「失態でした、勇者様」


「二人まとめて串刺しにしてくれるわ!」


 蜘蛛が迫ってくる。リンネは氷の壁を幾重にも作り、時間を稼ぐが、壁は次々に破られていく。

 奥の手とばかりに放たれたリンネの巨大な氷の壁が、完全に蜘蛛とこちら側をシャットアウトした。

 敵の手がその壁に突き刺さり、僅かにヒビを入れる。


「グリムは右、私は左に飛ぶ!」


「了解!」


 二人は跳躍して、粘着質なそれを振り払った。

 氷の壁が消される。そして、巨大な氷柱が再び蜘蛛を狙い始め、その目をえぐった。


「ぐおおっ……!」


 蜘蛛が悶える。

 その動きが、まるで嘘のように止まった。


「なに……なんだ……?」


 蜘蛛は痙攣するように口を僅かに動かした。戸惑っているようだ。

 神奈も戸惑った。相手はまるで、動けないかのようだと思う。


「秘技、影縫いってな」


 ライトが、敵の背後から現れた。


「敵の目を引きつけてくれていて助かった。目立つからな、覇者の剣も、光の盾も。その分、知名度もない俺は影のように動けたというわけだ」


 ライトは淡々と語って、こちら側に歩いてくる。


「おま、お前……」


 蜘蛛は必死に腕を持ち上げようとする。しかし、影の形に従うように、そのうち手を下ろした。


「勇者殿、敵の影は踏むなよ。動けなくなるぞ」


「わかった!」


 覇者の剣を構える。


「さようなら、名も知らぬ将。貴方は、立派だった」


「おのれ、おのれええええええ。例えワシがやられようとも、お主達の前に待っているのは絶望と知れ! 魔王様に辿り着く前に、その右腕がお主らを屠るだろう!」


 覇者の剣が一閃した。後には、部屋を埋め尽くすような魔核が残った。


「カナさん、どうぞ」


「勇者様に譲ります」


「……もらっとくかね」


 神奈が魔核を吸収しようとする。

 その時、神奈は魔核から熱が発せられるのを感じた。

 魔核が輝いている。

 そしてそのまま、ブラックホールのように内部に収縮していき、消え去った。


「消えた……?」


 一同、困惑してその場に立ち尽くした。

 その後、四人は魔物の町とやらに入った。

 人間の町より間取りは広いが、そう変わらない建物だった。


「ここに、魔物が住んでいたのね……」


 そう語る神奈は、複雑な思いでいた。


「勇者様。相手は敵です」


「わかってはいるわよ」


「複雑、ですよね」


 リンネも、同じ思いだったらしく、呟くように言う。

 もう薄暗い。再び、周囲は激しい風と雪に包まれ始めた。


「今日はここで火を焚いて夜を越そう」


 ライトが言う。

 神奈は頷いて、家を一つ選んで入っていった。


「それにしても、魔王の右腕って誰のことかしら?」


「グリーン将軍ではないでしょうか」


 グリムが言う。


「謀将で知られるクリムゾンではないかな」


 ライトが言う。


「けど、その右腕を私達より強力な存在のように語った。気になるところだわ」


「そうですねえ……」


「まだ、何かが待ち構えている。この先に」


 神奈は、雪の飛び交う曇天を見上げて、呟いた。



++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



「まったく、変な子だね」


 アンナは、珍客に戸惑っていた。

 旦那が拾ってきた青年だ。

 アンナの作った料理を次々に食べている。


「そんなにお腹が減ってたのかい?」


 青年は、子供のように必死に頷く。白一色の衣装で、髪も肌も白く、目だけが妖しく紅い。

 そのうち、彼は食事を平らげた。


「ありがとうございます。お礼は後ほど母が支払います」


 そう言って、彼は家を去ろうとする。


「ちょっと、あんた。帰る家は、ちゃんとあるの?」


「……辿り着く先はあります。待っている人もいます。僕は、それを知っている」


 そう言って、白一色の青年は、空を飛んでいった。


「………変な子。ゴードン、あんたが拾ってきたんだから家計費足してね」


「しっかりしてるな、わかった」


 そう言って、ゴードンは苦笑して空を見上げる。


「北壁の方向へ物凄い速度で飛んで行ったが、何者だったんだろうか……」


「ちょっとあんた。まだ北壁に未練があるんじゃないでしょうね」


「ないさ、アンナ。僕は家を守ると約束した」


「どうやら」


 苦笑すると、アンナは皿を洗い始めた。


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