死線
「セーヌさんの安全はこれで確保できましたね」
夜、焚き火の番をしながらリンネが言う。
神奈とリンネは寄り添って、一つの毛布を分け合って座りこんでいた。
外は吹雪いている。木の擦れ合う音がどこかでしていた。
「そうね、リンネ。魔王軍の七匹の将軍も後五匹。この戦いは、もうすぐ終わる」
「リンガードが懐かしい。巫女と慕ってくれた皆と再会するのが楽しみです」
「故郷、か……」
「カナさんの故郷は、異世界なんでしたっけ?」
「今更、帰る気もしないけどね。帰っても仕事クビになってるだろうし。仲間は皆結婚しちゃったし」
「なら、カナさんも私と一緒に国興しをしませんか?」
「亜人の国かぁ……」
「亜人は人より魔術の面で長けています。魔術で豪雪地帯も乗り越える豪快な国になると私は思うのです」
「それも、いいかもしれないわね」
「でしょう? そうです、それがいいです」
リンネは上機嫌だ。
「あんたらは、帰る場所はあるの?」
剣を抱き、目を閉じて間もないグリムとライトに訊く。
「俺は故郷で勇者の護衛として名を売って女遊びを繰り返すさ」
「まあ、あんたはそんな感じだと思ってたけどね。あらためて品位を疑ったわ。グリムは?」
「ランドニアは私にとって見返すためにあった。帰る場所かと言われると、疑問符がつきます」
神奈にとっては、予想外の答えだった。
「グリムも来なさいよ。私が作る国に」
「どうだろう。師匠から受け継いだ剣技を誰かに残さなければならない。有望な弟子でも探して旅をするかな……」
「付き合いが悪いなあ」
「悪いな、リンネ。俺はしがらみによって立っている。自分自身の足なんて持っていない奴隷のようなものだ」
神奈は驚いた。グリムがここまで自虐的に語ったのを聞いたことがない。
それだけ、リンネには心を開いているということかもしれない。
「自虐的過ぎ」
「だな」
リンネとグリムは、二人して苦笑する。
「だが、偽りではない。俺のような男のことは忘れることだ」
「忘れられるわけないじゃない!」
リンネが突然耳元で怒鳴ったので、神奈は驚いた。
「どこまで勝手なの、貴方は!」
「そうだよ、グリム。私達、ここまで一緒にやって来た仲間じゃない。忘れるなんて寂しいよ」
「勇者様。世の中にはフックがあります。上手い人間はフックからフックへと昇っていきます。けれども、どうやら私は下手らしい。何処にも引っかからない男というのもいるようだ」
「そんなことないよ……」
リンネが、寂しげに呟く。
「世界中が貴方を嫌っても、私達は貴方の味方。引っかかる場所がないというなら、私が貴方をすくい上げてみせる」
「……期待しているよ、リンネ。もう寝る」
「話を曖昧にして打ち切っちゃう人、私は嫌いだな」
「嫌われ者でいいのさ、俺は」
リンネは、寂しげな表情で、考え込むように黙り込んだ。
何故リンネが爆発したのか、何故グリムがここまで自虐的なのか、神奈にはわからない。
子供達には、子供達にしかわからない付き合いや会話があったのかもしれない。
「一つだけ言っておく」
ライトが、目を閉じたまま口を開ける。
「俺達は帰れば英雄だ。嫌われ者になるにはよほどの苦労が必要だ。それを忘れるな」
「……はい」
グリムが、複雑な表情で頷いた。
グリムは自分の道を歩いているように見える。女性に想われても、剣術を磨くのが大事だからと道を譲らなかった。神奈の護衛をするというのも、彼が自ら志願してのことだ。
それが、どうしてここまで自虐的なのか。
剣の師とも言えるこの男のことを、どうして自分はわからないのだろう。
神奈はそれが、とても寂しいことのように思えた。
「グリム。旅が終わったら沢山話そう。沢山、沢山、何度夜が明けても」
「……勇者様?」
「私はもっと、グリムのことを知りたいよ。リンネの言う通りだ。世界中の皆が貴方を嫌っても、私達は貴方の味方だから」
「……勿体無い言葉です」
「約束だよ?」
「はい」
そう言って苦笑すると、グリムは目を閉じた。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
勇者一行の中で、幼少期に疎外された経験があるのはグリムだけだ。そうと、グリムは確信している。
ライトは貴族の次男ではあるが、長男は早逝したと訊く。リンネは皆から大事にされるリンガードの巫女だ。そして黒の勇者。彼女は自分の意志で自分の道を選んできたと語っていた。輝かしい道を歩んできた人間なのだろうと思っている。
馬鹿にされて育ったのはグリムだけだ。
だから、グリムは心の奥底では、根っこの部分では周囲と分かり合えないのだと感じている。
疎外された経験がある者の気持ちは、疎外されたことのある者にしかわからない。
今でこそランドニアの英雄であるグリムだが、その原動力となったのは劣等感だ。
劣等感が、グリムの道を常に選んでいる。
だからグリムは、黒の勇者が眩しく映る。彼女は自分の意志で道を選んだと断言するだろう。けれども、グリムにはそんな余地はなかった。巨大な劣等感が常にグリムの道を指し選んでいたのだ。
その狂騒的な思いは静まることがない。常にグリムの先を選ぼうと待ち構えていた。
今までは。
劣等感を拠り所にして、ある種言い訳にしてきた男が、それを失えばどうなってしまうのだろう。
グリムは、そんな空虚な思いでいた。
冒険のクライマックス、魔王との対決を前にして、そんな心に隙のある状態ではいけないと思っている。
けれども、空虚な思いは消えないのだ。
タウロスで知った新たな事実。それは、グリムから劣等感を奪い去るには十分なものだった。
(ずっと、死に場所を探してきた。今日こそは、今日こそはと思って生きてきた。師匠との修行は、まさに死との直面だった。そんな俺に、今更、生きろと言うのか……)
グリムは自身に問いかける。
生きろというならば、もっと器用に生きれた気もする。
アンナと駆け落ちして何処かで所帯でも持っていたかもしれない。
けれども、そうはならなかった。
不器用に生き続けてきた自分に、死に場所を求め続けた自分に、新たに現れた少女、リンネは生きろと言う。
(どう生きろと言うのだ、俺に……)
グリムには先が見えない。
魔王を倒した先を想像したことがないからだ。
そこまでに息絶えることがグリムの想像の終着点として定着していたからだ。
(生きるとは、なんだ……? ただ呼吸をしていれば生きているのか? あるいは女性と一緒になって家庭でも持つのか? この人生を、誰が半分受け持ってくれると言うのだ?)
グリムの思考は迷走する。
そうやって意識を張り巡らせているグリムゆえに、最初に危機に感づいた。
「皆、起きて!」
グリムは飛び起きて、両手剣を背に担ぎ、片手剣と盾を装備する。
黒の勇者とリンネも慌てて準備をする。
最後にライトが、緩慢な動作で剣を杖にして立ち上がった。
「足音……?」
黒の勇者が呟く。
確かに、微かに地面の揺れる音がする。
リンネが、震える。
「なに、この気配……圧倒的過ぎる。おぞましいほどに、濃い」
グリムも同じ思いでいた。今、グリム達が感じている魔核の気配は、圧倒的過ぎる。まるで爆音があるとそれしか聞こえないように、まるで激臭で鼻が効かなくなるように、周囲に蔓延している。
「外に、出ましょう」
三人が頷くのを確認して、グリムは前に立って歩き出した。
そして、吹雪の中で、その影を見た。
グリムが子供のように思える巨体だ。
それが、ゆっくりと、グリム達に向かって歩いてきている。圧迫感はまるで山が近づいてくるかのようだ。
グリムは、不謹慎にも胸が踊るのを感じた。死地には、余計な雑念が一切入ってこない。グリムは、楽になれる。
そのはずだった。
しかし、今はリンネの声がする。そして、北壁で出会ったあの男の声がする。
(馬鹿、集中しろ!)
グリムは、自分を戒めた。
そして、その化物と対峙した。
顔と胴体は緑色で、グリーン将軍に近い。しかし、腕は青く、爪は鋭く尖っている。下半身は、蜘蛛のようだ。蛇のような尾を持っている。
「ご機嫌よう、う、う。勇者諸君……」
不明瞭な声で、その化物は言った。
「げ、げ、現世との別れの日だ……」
「魔核を、食い合ったんだ」
リンネが、絶望したように言う。
その一言で、グリムも察した。
眼の前にいる化物の正体を。
「ご明察、だなあ? あ。リンガ、リンガードの巫女。我々は互いの魔核を喰らいあった。ベースとなる人格があい、あい、曖昧となるために今まで避けた、き、き、禁断の。禁断、禁断……」
喋るのを諦めて、グリーンだったものは雄叫びを上げた。
「危ない!」
「後ろに回って!」
グリムとリンネが言ったのは同時だった。
敏感に、前方からの魔力の動きを感じ取ったのだ。
グリムは盾を掲げる。
リンネは、その横で炎の障壁を作り上げる。
ライトと黒の勇者を、上手くかばえる形になった。
世界が、赤に染まった。気温が爆発的に上昇し、焦げ臭い匂いが充満する。
火炎放射を受けているのだと遅れて理解する。しかし、尋常な温度ではない。
それが止み、世界が黒に染まった。
盾を下ろして、相手の姿を見る。
相手の周囲には、巨大な炎の玉が四つ浮かんでいた。その炎の玉には目がある。目が、グリム達を見つめている。グリムは、背筋が寒くなるのを感じた。
「散開して!」
グリムは叫ぶ。
ライトは素速く物陰に、黒の勇者は空に飛んだ。そして、リンネは、その場にしゃがみこんでいた。
手と足が黒く焦げている。さっきの攻撃を相殺しきれなかったのだ。痛みのあまり集中力が練れなくなれば、いかにリンガードの巫女とはいえ飛ぶこともできなくなる。
炎の玉の視線が、リンネに集中する。
グリムは、盾を構えて、リンネを背に立った。
(南無三)
再び、世界が赤く染まる。気温が爆発的に上昇し、呼吸が苦しくなる。
「やめろ、やめろ、やめろおおおお!」
黒の勇者の悲痛な叫び声がする。
しかし、グリムへの火炎攻撃は止まない。
(神様、俺が間違っていた。死にたいと思うのは間違っていた)
グリムは贖罪する。自分の死が怖くなったわけではない。
(いや、俺は死んでもいい。ただ……)
振り返る。リンネは痛みに顔を歪めながらも、立ち上がろうとしている。
(世界が俺を嫌っても、自分だけは味方でいてくれると言ってくれたこの子だけは、救ってくれないだろうか。リンネだけは、生かしてくれないだろうか。ならば俺は、いくらでも……)
思考が中断された。
鋭い爪が、グリムの胸を貫いていた。
世界が黒に染まる。
火炎放射は止んだか、とグリムは安堵しつつ、雪の大地に倒れた。雪が赤く染まっていく。
爪を、黒の勇者が切断する。しかし、他の腕の五本の爪に牽制されて、上空へと逃れた。
「リンネ、走れ……」
グリムは、うわ言のように呟く。
「やだよ……グリムも一緒だ」
リンネは、強がるように言って、ゆっくりとグリムの上に重なった。
「ずっと、寂しかったね、グリム。最後ぐらい、一緒でも、カナさんは許してくれるよね……」
(神様、頼む……)
霞んだ視界に見える。四つの瞳がグリムを捉えるのを。
(彼女だけは、助けてくれ。俺はどうなってもいい。俺みたいなやつがどうなってもいい。彼女だけは……)
炎の玉が膨張する。火炎が吐き出されようとする。
(リンネだけは……助けてくれ!)
黒の勇者は爪に追われてカバーに入れない。ライトにはそれを止める自力もない。
グリムは、それを見て、涙を流した。
みっともないと思いながらも、泣いていた。
「リンネ……俺の親父な」
グリムは、震えながら涙声で呟く。
「うん」
リンネは、呼吸が荒い。火傷が堪えているのだろう。
「無駄に死んだんじゃなかったんだって」
「……うん」
「はぐれた子供を助けて、犠牲になって死んだんだって」
「うん」
リンネが微笑んだのが、顔を見なくてもわかった。
誰がわかってくれるかと思った。劣等感を包んでくれる人なんていないと思っていた。
死ぬ間際になってわかった。どれだけ、彼女を愛しく思ってるかと。どれだけ彼女が貴重な存在かを。
「馬鹿みたいだよな……俺」
涙が次から次へとこぼれ落ちた。
「馬鹿じゃないよ。私達の今までの努力、皆無駄じゃなかった。カナさんの命を、繋いだ。もう痛みに邪魔されて魔術も練れないけれど。大地から立ち上がろうと足に力も篭もらないけれど。私達は無駄じゃなかった」
「そうだな……後は、勇者様に、託そう」
世界が、赤に染まった。
グリム達の人生は、尽きるまで数秒も経たないだろう。
(神様なんて、いなかったな……いたなら、リンネを、殺すわけがない。こんな馬鹿みたいな人生、俺に歩ませるわけがない)
「リンネ。ありがとう。今だから、素直に感謝できる」
リンネの涙が、グリムの首筋に落ちて蒸発した。
グリムは、違和感を覚えていた。
死が、やって来ない。
胸を貫かれた痛みも、リンネの重みも、グリムは感じ続けている。
朦朧とした意識で、前を向いた。
それは、雪のように白一色の青年だった。
彼が、片手を掲げ、炎の障壁を作り上げていた。
その片手は、焦げては再生を繰り返している。
だと言うのに、彼は、痛みを感じたような素振りも見せない。
「間に合った……!」
世界が、黒に染まる。
白一色の青年は、腕の再生を完全にすると、敵に背を向けた。
その赤い目を、グリムは忘れもしない。
「マシロ!」
黒の勇者が、白一色の青年に歓喜の声を上げる。
そう、彼は眼の他は白一色だ。故にこう名乗る。白の勇者、またはマシロと。
マシロはグリムとリンネを抱えると、宙を飛んで戦線を離脱した。
そして、治癒の呪文を唱え始める。
「烈火の騎士は鋭い傷だから応急処置は簡単だ。けど、リンガードの巫女は深い火傷だ、痛みが引くまでに回復させるのには時間がかかる。後回しにさせてもらう」
「リンネ……」
「何……?」
「俺、神様を信じるよ」
そう言って、グリムは泣いた。
「そうだね……二人して、生き残れたね」
リンネも、泣いた。
白の勇者は応急処置を終えると、立ち上がった。
「マシロ、カナさんを、黒の勇者をお願い」
「盾を持っていってくれ。俺達の分まで、戦ってくれ、マシロ」
マシロは優しく微笑むと、言った。
「僕に任せろ。伊達に勇者は名乗っちゃいないさ」
彼は剣を抜き、グリムの盾を拾うと、戦線へと復帰せんと飛んだ。
「なんか、爽やかな奴になってたな……あいつ」
グリムは苦笑混じりに言う。
「キャラ違うよね……」
リンネも苦笑交じりに言う。
二人して、鼻をすする。
「皆が、最後まで、生き残れますように」
リンネは、痛みに乱れた呼吸で、紡ぎ出すように言った。




