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……神様は悪戯がお好きなようね。
なんて、鼓動の高鳴りを抑えられない私は内心そう呟いてみる。
神様は悪くないし、むしろ感謝しなきゃいけないのはわかっているが、また息すら止めてしまいそうなくらいに私は彼に見惚れてしまった。
彼は容姿が群を抜いて良い訳じゃないのだけど、なんと言うかね……、彼の持つ雰囲気に惹かれると言うか……。
容姿は強面で、もし大丈夫ですかと声を掛けられていなかったら私は彼のことを不良だと誤解していただろうなと思う。
「近くの大学で音楽学科を専攻している篠坂篠里と言います。場数を踏むためにバーでピアノと歌を歌うバイトをしているので、毎日来てはいるんだけど、数時間だけここで働かせて頂いているの。よろしくね、後輩くん!」
あえて、初めましてとは言わなかった。……ううん、初めましてと私が言いたくなかったの。あの時のことをなかったことにしたくなかった。
彼にとっては何気ないことで覚えていなくても、その何気なくしてくれたあの行動は、その時言ってくれた言葉はとても嬉しかったから。
私は笑いかけてみれば、彼は安堵したような顔をして、あの優しく穏やかな声で、
「あ、やっぱり今朝会った方ですよね?
間違ってたらどうしようかとそう尋ねられなかったですよ。……今朝、声かけたキッカケがキッカケですから、思い出したら苦しい思いをするんじゃないかと思うと、なかなか言い出せなくて」
そう言ってくれた。
……私のこと覚えててくれたんだ……、そりゃそうだよね、出会いが出会いだもの。忘れたりしないよね。
確かに怖かった。……君が、後輩くんが声をかけてくれるまでは凄く怖かった。
だけどね、それが薄れたのはね、見ず知らずの私のことを心配して、君が声をかけてくれたことが嬉しかったの。
「こちらこそ、ありがとう。
後輩くんのおかげで、私はこの場所にバスで来れたよ。君の気遣いがなかったら私は恐怖でバスに乗れないようになっていたと思う。勇気を出して、見ず知らずの私に声を掛けてくれてありがとう」
好きな人に素直になれないタチな私が珍しく、素直にお礼を言うことが出来た。
……良かった。これだけは素直にお礼を言いたかったから、ちゃんと言えて……。
そう考えていると、強面な後輩くんが、まるで猫のような笑顔を浮かべて、私は思わずときめいてしまったのをお構い無しに、追い打ちをかけるようにこう言った。
「……良かった。俺、従兄弟がいるんですけど、血縁とは思えないくらい美人顔で。華奢だから良く女性に間違えられるくらい美人なんですけど、電車で同性に痴漢されてから電車通学出来なくなっちゃったんですよ。
だから俺、強面だから怖い思いを余計されてないかと心配だったんです。……触られて怖い思いをしていたのにさらに俺が……」
その先、彼はまだ何か言おうとしていたけれど、私はそれを彼の手を握ると言う行動で妨害してしまったようだ。しかも手を握った瞬間、直ぐに姿勢を正したものだから、性格が可愛らしい人なんだなと思いつつ、
「あなたの声は優しくて、穏やかなものだったわ。そんな声の持ち主が悪い人な訳がないじゃないの。
むしろ、私がバスに乗ることに怖く感じなく済んだのは後輩くん、あなたのおかげ。そんなに自分を卑下にしないでちょうだいな。
それ以上、自分なんか……みたいな自分を卑下するような発言したら、怒るからね? わかった? 」
押しつけるような言い方になってしまったけれど、謝るつもりはさらさらない。
だって、私はさっきの発言を間違っているとは思っていないもの。
なのに、なんで……、
「はい……、わかりました」
嬉しそうにはにかむの?
押しつけるような言い方だったのに。
師の前でも、父さんの前でも、親友の前でも素直でいられるのに、どうして後輩くんの前では素直になれないんだろう? と、顔には出していなかったけど内心は戸惑いを感じていた。
誰かの感情の変化に敏感な店長は、切り替えをさせるためか、私に可愛らしい笑顔を見せてくれた。
……本当、店長は癒しだわ。おじさんなのになんでこんなに可愛らしいんだろう? 性格の良いからかな、なんでだろう……。
考えすぎて、結局は店長が何でそんなに可愛らしいのかに議題がいつの間にかすり替わっていて、そんな脳内会議を中断させてくれたのは、
「篠里ちゃん、今日は本業と重なっている日だし、この子に仕事内容教えてあげて?」
さっきまで脳内会議の議題に挙がっていた、店長自身で。
……店長はすごいなぁ。
店長は、後輩くんに恋をしているってもう見抜いているみたい。私の肩を叩いて、小さな声で頑張れと応援してくれたから。
……店長が応援してくれたからなぁ。せめて嫌われないように頑張らないと。
……私、好きな人に好きって言えず、むしろ意地悪しちゃうようなガキみたいな部分があるから、好きな人に嫌われてるって思われていることの方が多いんだよね……。
「早く済ませちゃいましょ」
……好きな人にだけ、きつい言い方しちゃうのは、私の悪い癖……。