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第31話 神様、契約書は読んでから喋れ

『では始めましょう。あなたを、人類代表王として登録する審理を』


白い光の向こうから聞こえた声に、俺の背中が冷えた。


忘れるはずがない。


十二年前。


前世で殺され、次に目を開けた場所で俺に転生を告げた声だ。


――秩序神セレディア。


俺をこの世界へ送り込んだ張本人。


神様との感動の再会。


普通なら泣くところなのかもしれない。


残念ながら俺が最初に思ったのは、別のことだった。


――こいつ、十二年前と声変わってねえな。


神だから当然か。


「……お久しぶりです」


『覚えていましたか』


「人を勝手に異世界へ放り込んだ相手ですからね。忘れる方が難しい」


議場が静まり返った。


枢機卿エルドランが、明らかに顔を強張らせる。


「クライ・マイト! 神前であるぞ、言葉を慎め!」


「十二年前からの知り合いに挨拶しただけですが」


「知り合いなどと――」


『構いません』


セレディアが遮った。


『彼は以前から、こういう人間です』


「よくご存じで」


笑いながら返したが、内心はまったく笑っていない。


まずい。


想定外にも程がある。


俺は今日、学園長、神殿、封緘局、王国機関を相手にするつもりで来た。


神本人は聞いてない。


しかも俺の前世まで知っている。


嘘をつくには最悪の相手だ。


――なら、嘘をつかなければいい。


俺は椅子へ腰を下ろした。


「では始める前に一つ。人類代表王とは何です?」


白紙卿が答えようとしたが、セレディアが先に口を開いた。


『第零頁候補と接続し、全悪魔との契約を完遂する可能性を持つ者。その者へ与えられる、古い呼称です』


「可能性?」


『ええ』


そこだ。


俺は指を一本立てた。


「背神契約大典の第零頁は、全ての悪魔との契約を終えた後に発動するはずです。しかし俺は全悪魔と契約していない。それなのに候補として反応した」


『その通りです』


「原因は空白器ですね?」


初めて、セレディアが沈黙した。


当たりか。


俺は続ける。


「空白器に触れた時、第零頁候補が俺を認識した。その後、証拠品として定義されたことで接触記録が固定された。だから俺が候補として拾われた」


白紙卿の指が、わずかに動いた。


アルベリクは相変わらず笑っている。


セレディアが答えた。


『……概ね正解です』


リリが隣で小さく息を呑んだ。


俺は笑った。


「よかった。では帰ります」


「待て!」


エルドランが机を叩いた。


「なぜそうなる!」


「候補になった原因が事故だと確認できましたので」


「候補として選定された事実は消えぬ!」


「それはそちらの事情でしょう」


俺は椅子へ座り直す。


「道を歩いていて勝手に会員登録されたから、明日から会費を払えと言われても困ります」


リリが小声で呟く。


「兄さん、それ黒冠商会ならやってそうだね」


「うちはそんな商売しません」


「似たようなことはしてるんでしょう?」


失礼な妹である。


◇


「では、本題へ移る」


白紙卿が白い羊皮紙を宙へ浮かべた。


「人類代表王登録条項を読み上げる」


文字が浮かぶ。


第一条。


――候補者クライ・マイトを、第零頁候補管理王として登録する。


第二条。


――管理王は第零頁候補および関連する悪魔契約の管理責任を負う。


第三条。


――管理上必要と判断された場合、王国、中央神殿、歴史封緘局は管理王の行動を制限できる。


第四条。


――管理王と密接な関係を持つ人物は、安全確保を目的として別途保護下へ置くことができる。


リリの指が俺の袖を強く掴んだ。


来た。


第四条。


俺から周囲を切り離すための条項。


「兄さん……」


「大丈夫です」


俺は小さく答えた。


第五条。


――管理王が死亡、失踪、反逆その他の理由で職務を遂行不能となった場合、契約権限および関連資産は指定機関へ移管される。


俺は笑いそうになった。


綺麗だ。


実に綺麗な契約書だった。


責任は俺。


監督権は向こう。


俺が死んだら資産も向こう。


妹を含む周囲の人間まで「保護」という名目で押さえられる。


王冠?


違う。


これは首輪だ。


しかも首輪をつけられる本人に、管理責任という名札まで下げさせる。


「質問があります」


「許可する」


「人類代表王という名称は、誰が決めたのです?」


白紙卿が答える。


「古代契約法に定められている」


「では、王として何の権限があります?」


沈黙。


「軍の指揮権は?」


「ない」


「徴税権」


「ない」


「領地」


「ない」


「司法権」


「ない」


「拒否権」


「……限定される」


「報酬」


今度は財務局査定官まで黙った。


俺は両手を広げた。


「素晴らしい。領地なし、軍なし、金なし、拒否権ほぼなし。責任だけ無制限。これを王と呼ぶなら、王という職業に謝った方がいい」


リリが吹き出しそうになり、慌てて口を押さえた。


エルドランの額に青筋が浮かぶ。


「神聖なる役目を金銭で測るな!」


「では枢機卿猊下も無給で?」


「何?」


「衣食住も神殿から受け取らず、財産も全て返上して奉仕されているので?」


「それとこれは――」


「違う?」


俺は微笑んだ。


「でしょうね」


エルドランが黙った。


その時だった。


アルベリクが、くく、と笑った。


「やはり面白い」


全員の視線が集まる。


「クライ。君は一つ勘違いしているよ」


「何を?」


「これは、君に選択権がある審理ではない」


空気が変わった。


アルベリクが指を鳴らす。


議場の床に巨大な魔法陣が浮かび上がった。


白い鎖が円卓を囲む。


シグナが立ち上がる。


「強制契約陣……!?」


「正確には、古代王権承認式だ」


アルベリクは笑っている。


「君が第零頁候補に選ばれた時点で、王位は空席になった。そして候補者が封約議場へ入り、秩序神代理が立ち会えば――」


白紙卿が立ち上がった。


「登録条件が成立する」


――なるほど。


招待された時点ではない。


議場へ入った時点でもない。


セレディアが現れたことで、最後の条件が揃った。


俺は、すでに契約陣の中にいる。


やられた。


背中に冷たい汗が流れた。


相手も馬鹿じゃない。


俺が契約書を読むことも、異議を出すことも、証拠を持ち込むことも想定していた。


審理そのものが罠だったのだ。


「兄さん!」


白い鎖が俺の足首へ絡みつく。


避けようとした瞬間、さらに三本。


腕。


腰。


首。


魔力じゃない。


契約そのものによる拘束だ。


《不可視幕》では隠せない。


《王権偽装》でも、すでに成立した古代契約の権限までは奪えない。


「クライ!」


リリが駆け寄ろうとする。


「動くな!」


俺は叫んだ。


リリが止まる。


「絶対に俺に触るな!」


あと一歩近づけば、第四条の「密接な関係者」として契約陣に認識される可能性がある。


リリは泣きそうな顔で拳を握った。


……くそ。


あんな顔をさせるために連れてきたんじゃない。


十二歳になった。


黒冠商会も作った。


金も、人も、居場所も手に入れた。


なのに。


また誰かに、俺の人生を勝手に決められるのか。


前世では親友に売られた。


死んだ後は神に転生させられた。


今度は王様にされる?


――ふざけんな。


俺の人生くらい、俺に騙させろ。


『クライ・マイト』


セレディアの声が響く。


『抵抗しないでください』


「嫌です」


『人類のためです』


「もっと嫌になりました」


『あなたには、その資格がある』


「資格なんて頼んでませんよ」


白い鎖が首へ食い込む。


痛い。


息が詰まる。


それでも俺は、セレディアを睨んだ。


「十二年前もそうだった」


『……何がです?』


「あなたは俺に、第二の人生を与えると言った…」


『ええ』


「でも、まともな行き先を俺に選ばせなかった…」


議場が静まる。


これは交渉じゃない。


ただ腹が立っているだけだ。


「神様ってのは随分便利ですね。人のため、人類のため、世界のため。そう言えば、本人の意思なんて踏み潰していいらしい」


『私は――』


「俺はね」


声が震えた。


怖いからだ。


神が怖い。


契約が怖い。


また全部奪われるのが、死ぬほど怖い。


だから笑った。


「二度目の人生くらい、自分で決めたいんですよ…!」


リリが俺を見ていた。


泣きそうだった顔が、少しだけ変わる。


「兄さん」


「何です」


「絶対、負けないで」


「誰に言ってるんですか」


少しだけ、力が戻った。


その瞬間。


耳元で、かすかな竪琴の音がした。


――《真意聴取》。


俺は使っていない。


バルバレアが勝手に顔を出した。


『契約者様』


「……何です?」


『あの神様、嘘をついています』


俺の思考が止まった。


『どこが?』


バルバレアは、白い光の中にいるセレディアを見つめていた。


『「人類のため」というところではございません』


『では?』


『この契約書です』


俺は白い羊皮紙を見る。


『あれから聞こえる声と、神様から聞こえる声が違います』


――違う?


俺は息を整える。


「バルバレア。《真意聴取》を最大まで」


『まあ。追加請求でございますね?』


「もちろん。未確定財産を追加で三件」


『三件!』


彼女の目が輝く。


『喜んで!』


竪琴が鳴った。


世界から音が消える。


代わりに、契約書の声が聞こえた。


――管理せよ。


――拘束せよ。


――継承させよ。


そして。


セレディア。


――止めたい。


俺は目を見開いた。


もう一度聞く。


契約書。


――人類代表王を成立させよ。


セレディア。


――成立させてはならない。


……おい。


俺は白い光を見た。


セレディアは、何も言わない。


だが、確信した。


この神は、俺を王にしたいんじゃない。


王にしたくない。


なら、なぜ代理としてここにいる?


なぜ登録条件を満たした?


なぜ止めない?


いや。


止められない?


「セレディア」


『……何でしょう』


「一つだけ答えてください」


俺は鎖に締め上げられながら笑った。


「あなた、この契約の当事者じゃありませんね?」


議場の空気が凍った。


アルベリクの笑顔が――初めて消えた。


白紙卿が立ち上がる。


「登録を急げ!」


「遅い」


俺は笑った。


見つけた。


詐欺師にとって最高の瞬間だ。


契約書の穴を見つけた瞬間。


「人類代表王の登録には、秩序神代理の立会いが必要」


白い鎖が俺の首を締める。


「なら聞きましょう」


俺はセレディアを指差した。


「この方が『秩序神代理である』と証明する契約書は、どこですか?」


誰も答えない。


俺の笑みが深くなる。


神様だろうが何だろうが関係ない。


契約で俺を縛りたいなら。


契約のルールで殺してやる。


「本人確認もせずに、億単位の契約を通す馬鹿がいますか?」


アルベリクが立ち上がった。


「クライ、それ以上は――」


「さて」


俺は白紙卿へ向き直る。


「監査を始めましょうか」


そして、十二年前からずっと聞きたかった相手へ告げた。


「神様」


白い光の向こうで、セレディアが俺を見る。


「今度こそ――あなたを証明する、契約書を見せていただけますかね?」

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