6 大関誕生
「多くの乙女たちの踊りですか」
長兵衛は思い出した。携帯六弦琴を持って、京に行ったとき、見たことがある。
踊りは素晴らしいと思った。
その踊りに合わせて流れる曲は、風変わりではあったが、常識を外れたものではなかった。
私の作る曲に合わせて、娘たちが踊る。
長兵衛は想像してみた。
面白い。たしかに新しい芸能が生まれる。
「分かりました。それは面白い。踊る娘は何人いるのですか」
「十六人です。」
十六人か。以前見たときよりも増えている。
が、十六人というのは、二人組なら八つ。四人組なら四つ。八人組なら二つ。色々な組み合わせをしやすい人数なのだろう。
「その娘たちは、今どこにいるのです。」
「京です。四条河原で明後日から五日間公演をします。妾は、あなた様の演奏の評判を聞き、公演が始まる前にと、今日聴きに来たのです」
「その四条河原の公演、取り止める訳にはまいりますまいか。今すぐにでも始めたい」
「それはできませぬ。興行主との約定は、芸能の一座にとっては決して破ってはならぬもの」
「分かりもうした。では、その公演が終わったらただちに」
「次は大坂で公演する予定です。まだ正式に約定を交わしてはおりませぬが、毎年この時期には大坂で公演しております。公演を続けていかねば、一座は食べていくことができませぬ。」
「いや、食べることも、住まいすることもこの長部長兵衛が引き受けましょう。四条河原の公演が終わったら、西国街道でただちに西宮に向かってください。公演が終わる日に合わせて、馬でも駕籠でも手配いたしましょう。」
「な、なんと。全て長部様が面倒をみて下さると」
正確に言えば、面倒をみることになるのは長部文治郎だが。
父も大関組のようなむさ苦しい若者の集団より、うら若き乙女たちのほうが、よほど面倒をみる甲斐があるだろう。
が、もし費用に限度があるとすれば。大関組のほうが、追い出されるかもしれない。長兵衛は少し怯えた。
七日後、十六人の乙女を含む、出雲阿国の一座が西宮にやってきた。
阿国は、長兵衛に会うなり
「長兵衛殿、大変なことが起こりました」
と叫んだ。
阿国が長兵衛に伝えたのは、その公演の間に、阿国が天海から受けた密命。
それは期せずして、この日の本に新しい芸能を作ること。いや、それだけではない。世界の民びとの誰もが喜び、心が浮き立つ芸能。
そして、それが出来たとき、天下人、太閤秀吉様にその芸能を見せる。
「長兵衛殿、どうやらお前様と妾の出会いは、天によってもたらされたもの。会って直ぐに、このような大変な使命をいただこうとは」
そう大変な使命だ。
まずは太閤秀吉。
天下人が驚く曲を私は作るのだ。
西宮郷で「万両」という銘の酒造りを行う職人たちは、今、心が浮き浮きしている。
長部家の長男、若旦那様が、旦那様がお作りになった演奏場とかいう建物の中で稽古に励み奏でる音曲。一部の年配の杜氏に、造る酒が不味くなると嫌うものもいたが、多くの職人は、酒造りの現場まで演奏場から時に洩れ聴こえてくる調べを楽しみにしていたのだ。
がそれを奏でるのは、大関組とかいうむさ苦しい若者たち。
それが今度は何とも美しく愛らしい多くの乙女たちが、その演奏場にやってきて、近くで日々の暮らしを営んでいるのだ。
何でも、若旦那様が作られる曲と、その乙女たちの踊りを一緒にした新しい芸能を作るという。どんなものが出来るのだろう。
音曲と踊り。そこに謡も入れましょう。と、提案したのは名古屋山三だった。
阿国は、妾が考えているのは、今までにない激しい踊り。謡ながら踊るというのは難しいし、仮に出来たとしても、息も絶え絶え。とても踊りを観る人に、その謡の声は届くまい。長兵衛殿の作られる曲も音は大きい。それにかき消されもしましょう、と述べた。
いや、可能かもしれません。
そう言ったのは長兵衛だった。
要は謡の声を拾い集め、それを広く大きく拡散するからくりを作ればよいこと。
何れにしても、この度の太閤殿下の御前での披露は、演じる場所も近いでしょうから、音を拡散しなくともよいでしょう。
今回の御前での披露が終わったら考えてみましょう。
作者注
集音マイクですね。この時代のどこに、集音マイクを作る知識と技術があったのか。
現代のドラム、ピアノ、シンセサイザーにあたるものもひとりで作ってしまった長部長兵衛ですから、集音マイクも作れてしまったのでしよう。
天才作曲家という以上に、天才発明家の長部長兵衛です。
注 終わり
謡の詞は、山三が考えた。
太閤秀吉の前で披露する曲と踊り、そして謡が完成した。
伏見城で披露する五日前だった。
初披露、リハーサルは、長部の酒蔵の近く。
演奏場で、長兵衛の父、文治郎をはじめとする長部一族、そして、銘「万両」を造る職人たちを前に行われた。
終わった。
文治郎は、長兵衛に
「正和、お前は何とも凄いものをつくったのう。これは、この天下の誰もが驚き喜ぶじゃろう」
その場でこの本邦初披露の芸能をみた誰もが文治郎と同じ思いだった
「ち、父上、ありがとうございました」
長兵衛は、その場で泣き崩れた。
長兵衛は、実はよく泣く男だった。
長兵衛が自分の作った曲に感動して、しばしば咽び泣いているのを、周りの者はしょっちゅう見ていた。
娘たちの間では密かに「泣き虫長兵衛さん」と呼ばれていたのだ。
文治郎は、阿国、山三、乙女たち、大関組の面々、ひとりひとりをねぎらった。
文治郎は、この感動を何か形にして残したいと思った。
「ご一同」
文治郎は、叫んだ。
この長部の家で造る酒、銘「万両」
本日この日より、長部の家で造る酒の銘は「大関」とする。
現代に続く大関酒造。当主は長部家。
清酒「大関」誕生の瞬間である。
「そして阿国殿」
「はい」
「何とも素晴らしい踊り。そして素晴らしい衣装でござった」
「ありがとうございました。文治郎様」
「が、衣装はたくさんあったほうがよかろう。見るものも楽しい」
「はい、それは確かに」
「どんどん作りなされ。衣装のかかりは、全てこの長部が持つ」
わあ、と大きな歓声があがった。
若い娘の喜ぶ声を聴く。この世の極楽じゃのう。
文治郎は思った。
「まあ、文治郎様、もったいないことでございます。ありがとうございます。このご恩、どのようにしてお返ししたらよいのやら」
「そうじゃのう。では、公演の際、舞台の袖にでも、衣装提供、酒の万両。違った。酒の大関との書き物でもおいてくだされ」
これは、あるいは、こちらの方の利が大きいかも。
文治郎は思った。
二日後、出雲阿国の一座は、西宮を発ち、西国街道を伏見に向かって進んだ。
長兵衛と大関組。
阿国の発案で、「伏見舞踊十六人隊」と名付けた乙女たちとともに。
伏見舞踊十六人隊。
そのなかで中央で踊るのは、
出雲阿国が舞踊の天才と認める、十六歳のお香だった。




