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托卵された農夫ですが、娘が歓喜しているので幼馴染の妻を捨てます。  作者: すーぱーりっかちゃん


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1/3

農夫タバータの朝

土が、温かい。


畑に膝をついて両手を差し込むと、朝の冷えた空気の中で、そこだけが人の体温みたいに柔らかかった。


二十年、毎朝やっていることだ。


夜明け前に起きて、井戸の水を汲んで、畑に出て、土に触る。触ってから、今日やることを決める。畝を直すか、間引きをするか、何もしないか。土が教えてくれる、と言うと村の連中は笑うけれど、僕は本気でそう思っている。


辺境ウグイス村。王都から馬車で五日。地図の端に、名前が小さく載っているだけの村だ。


僕、タバータはここで農夫をしている。四十になった。


畑は家の裏に広がっていて、大きくはない。けれど、この村で一番よく採れる。芋も、豆も、根菜も。周りの畑が虫にやられる年も、うちの畑だけは何事もなかったように実をつける。


「土がいいんだよ」


聞かれるたび、僕はそう答えている。


本当のところは分からない。ただ、父から受け継いだこの畑を、僕は一日も休まず耕してきた。それだけだ。


両手を土から抜いて、指の間の黒いかけらを払う。


「今日は、間引きだな」


空が白み始めていた。


家に戻ると、台所から湯気と、パンの焼ける匂いがした。


「おはよう、タバータ」


妻のキノが振り返って笑う。


腰まである黒髪を後ろでひとつに束ね、袖をまくって鍋をかき回している。四十に近いのに、若い頃とほとんど変わらない。透き通るような肌も、大人びた微笑みも。


村一番の美人だと言われて育った女だ。その女が、僕の妻になってくれた。


「おはよう。手を洗ってくる」


「早くね。アイルが起きてくるから、パンが取られちゃう」


「食べ盛りだからな」


「もう二十歳よ」


「知ってる」


知ってるけれど、僕の中ではまだ、抱き上げれば持ち上がる娘のままだ。


井戸で手を洗って戻ると、案の定、階段を降りてくる軽い足音がした。


「パパ、おはよう」


娘のアイル。


母親譲りの黒髪と、猫のように大きな目。寝起きなのに、その顔は朝の光を集めたみたいに整っていて、我が娘ながら見慣れない。村では「ウグイスの聖女」なんて呼ばれているらしい。恥ずかしいから、本人の前では言わない。


「おはよう。顔を洗ってきなさい」


「うん。その前に、おはようのちゅー」


「しない」


「なんで」


「二十歳だから」


「二十歳だからしていいんじゃないの?」


「二十歳だからしないんだよ」


「理屈が分からない」


「分からなくていい」


アイルは頬を膨らませて、それでも僕の横を通るときに、こっそり僕の袖の匂いを嗅いでいった。


「……スン」


「アイル」


「土の匂い。落ち着く」


「顔を洗ってきなさい」


「はーい」


キノが鍋をかき回しながら、くすくす笑っている。


「タバータに甘えてばっかり。私には全然なのに」


「僕にはきついよ。毎朝あれだ」


「羨ましいわ」


そう言って、キノは僕のためにスープを注いでくれた。


三人で食卓に座る。


焼いたパン。うちの芋の入ったスープ。キノが漬けた酢漬けの野菜。豪華ではないけれど、僕にはこれで十分だった。


「今日は市場に行くわ。塩と、油と、それから針を買い足したいの」


「ああ。頼む」


「アイルも一緒に来る?」


「行く。パパのシャツの糸がほつれてたから、糸も買う」


「そんなの、私がやるわ」


「私がやる」


「アイル」


「私がやるの」


娘の声が、少しだけ硬くなった。


キノは困ったように笑って、「じゃあ、お願いね」と引いた。


最近、たまにこういうことがある。母と娘の間に、僕には見えない細い線が引かれているような。


けれど、それも年頃の娘にはあることだろう。僕はそう思って、パンをちぎった。


食べながら、僕はふと、この食卓のことを考える。


僕は、この村で一番みじめな少年だった。


ガロダート伯爵の館で下働きをしていた頃、僕は嫡男のレオンに、毎日のように踏みつけられていた。泥を食わされ、靴を捨てられ、大勢の前で笑われた。ずっと想いを寄せていた幼なじみ――キノへの気持ちすら、見世物にされた。


その頃の僕に、今の食卓を見せたら、きっと信じない。


好きだった女性と結婚して、娘が生まれて、畑が毎年よく採れる。


これが、僕のささやかな勝利だ。


誰かに勝ったわけじゃない。けれど、僕は、あの頃の自分に勝った。そう思っている。


「パパ、何笑ってるの」


「いや」


「気持ち悪い」


「ひどいな」


「気持ち悪いけど好き」


「はいはい」


「本気なんだけど」


「顔を洗ってきなさいって言っただろう」


「洗ったよ」


「じゃあ、食べなさい」


アイルがスープの芋を口に入れて、幸せそうに目を細めた。


「パパの芋、おいしい」


「土がいいんだよ」


「パパが育てたからだよ」


「同じことだ」


「違うよ」


娘は真面目な顔で言った。


「パパが育てたものは、全部おいしくなるの。私もそう」


「その理屈はやめなさい」


食卓が笑いに包まれる。キノも笑っている。


幸せな朝だった。


ただ、一つだけ。


食べ終えて畑に戻ったとき、隣の畑のダンじいさんが、垣根越しに声をかけてきた。


「たばた、お前んとこの芋、今年も無事か」


「ええ。もう葉が茂ってますよ」


「うちは去年に続いて、半分やられた。隣村もそうだ。おかしいと思わんか」


「土の具合でしょう」


「お前の畑だけ、二十年、一度も病気が出とらん。それはもう、土の具合とは言わんぞ」


じいさんは首を振って、自分の畑に戻っていった。


僕は畝の間にしゃがんで、もう一度、土に手を置いた。


温かい。


朝より、少しだけ温かい気がした。


日差しが強くなったからだろう。僕はそう思って、間引きを始めた。

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