ルールのない世界 8
「座りっぱなしも疲れるだろう、散歩でもしよう」
スズメの男の提案に賛成のようで、シノハがうなずき……白い椅子から立ちあがる。
ついさっきまで辺りには、なにもなかったはずなのにビルのような巨大な建物がいくつも現れた。
「高いところが好きなのか?」
いつの間にか見上げても一番上の階層が見えないほどの高さのビルの屋上に立たされていたスズメの男が、隣にいるシノハにそんな質問をする。
しゃがみこみ……人工的につくりだされた化学のような雰囲気を感じさせる、地上の景色を見下ろす火色の髪の彼女が首を横に動かす。
「足を滑らせて、落ちたら大変だし」
「落ちなければいいんじゃないか」
「どんなに注意していても、生きものである以上は失敗するんだから……いつかは落ちるかと」
「だったら、どうしてこんな高いところへ?」
「夢の中だったら落ちても、目が覚めるだけ。失敗しても平気だから」
だまっているスズメの男のほうをしゃがみこんだままのシノハが横目で見る。
「失敗したとしても、挑戦することに意味がある。とか言わないんですか?」
「かしこいきみには必要のない言葉だろう」
スズメさんはモテなさそうですね。
シノハがそんな言葉を口にする。
「たしかに、きみの言うとおりあまりモテないな」
「スズメさんだからですか?」
「だろうな……ツバメさんだったら少なくとも今の二倍はモテていたと思う」
「ゼロは何倍してもゼロですけどね」
「好きな相手はひとりだけで充分だと思うがな」
スズメの男がなんとかしぼりだしたであろう言いわけのような台詞をきいたからかシノハがくすりと笑った。
ひとめぼれ、だったと思う。
日永くんを好きになった理由のようなものは。
重力やあらゆる方向からの力を無視し、シノハが空中を逆さまに歩いている。そんな火色の髪の彼女の姿をスズメの男が見上げた。
「どこまでいくつもりだ?」
「いけるところまでです」
「足場がなければ落ちる心配もなくなるようだな」
「みたいですね。今だったら」
スズメさんに伝える必要はないか。わざわざ伝えない必要もないんだけど。
「スズメさんは男性なんですか?」
「女心とやらはまったくわからないな」
「じゃあ、問題なさそうですね。女性から告白とかをされたらどう思いますか?」
「自分の好みの相手ならば付き合うし、そうでないのなら断るだけの話じゃないのか」
「それだけの話ですが……自分の好みではない相手にまったく感情は動かないんでしょうか?」
今までまったくそういう関係になるとすら考えていなかった相手からのアプローチ、なのはわたしもわかっているつもりです。
そんなシノハの言葉をきいてか、スズメの男が。
「ずいぶんと自分のことを過小評価するのだな」
と火色の髪の彼女に伝えている。
「過小評価しているというよりは……日永くんには月宮さんがいるので勝ち目が薄いと思っている感じではないかと」
「同じことだろう。その月宮さんとやらに、自分は勝てないと思っているんだからな」
「勝てるんですか?」
「さあな……日永くんにきいてくれ」
スズメの男のぶっきらぼうな返事に対し、シノハがむっとした表情をする。
「わたしのほうが、たぶん……月宮さんよりも日永くんのことを知っていると思いますよ」
「そうなのか?」
「そうですよ。日永くんの出場した試合はぜんぶ、録画をしてありますし……何回も見ていますし」
「なかなかの執着心だな。だけど、その日永くんもバトルジャンキーなところがあるのだろう? 円堂ヒオリのように」
「運動神経は悪くないですが……武術のほうの才能はさっぱりなようです」
わたしもそれをやるのが一番、日永くんと仲良くなれる方法なのはわかっている。
だけど才能と呼べるものはなかったから……暴力は嫌いだと、彼に伝えてしまったのだろう。
女の子はわりと嘘をつくということを、日永くんはまだ知らないようで。
「身から出た錆というやつではないか?」
「逆に暴力嫌いを利用して日永くんに注目してもらおうと思ったんですが。彼は性格がすなおすぎて、ひっかかってくれませんでした」
水心やら影水心についても本当は知っていたし。
「後悔しているのか?」
「いいえ。これも、わたしの強さのひとつなので」
「だったら悩むふりをするのはやめたらどうだ……すでにわかっているはずだ、優等生」
「あなたたちには協力しませんよ」
「かまわないさ、そのほうがペンギンもよろこぶ。おもちゃがひとつ増えたとな」
シノハとスズメの男がいるところから……はるか上空からヒヨコのかぶりものをした。
断末魔が響く。
焼き鳥を食べたくなるようないい匂いがする。
「どうして?」
シノハが首をかしげながら、今……自分の仲間であったはずのニワヒヨを丸焦げにしたスズメの男にきいている。
「あいつが仕事を放棄したからだ。金剛ミカゲへのリベンジは、あくまでも仕事の一部としてゆるしただけのこと」
今……あいつが優等生のきみにやろうとしたことはただの私怨だ。腹いせのな。
どちらにしても今のきみに勝てる可能性はゼロ。だったら仲間として介錯をしてやるのがせめてもの情け。
自分の身体に火をつけているスズメの男が、落ち着いた様子で話していた。
「どうして、ですか?」
「仕事が終わったからだ。気にするな……どちらにしてもここから出るために、優等生のきみはおれを殺さなければいけなかったんだ。とてもラッキーな展開」
そもそも今のきみに勝ち目なんてなかったしな、スズメの男が強がりを言い……にやりと笑う。
シノハが涙を流している。
「なぜ泣く?」
「わかりませんけど……知っている相手が死ぬからじゃないですか」
「誘拐犯が死ぬだけだろうに」
「だとしても知り合いなのは変わりませんよ」
嘘つきでいいやつなのも関係をしているかもしれませんね、スズメさんが。
そうシノハが声をふるわせた。
「おれは悪いやつだ、嘘つきでな。ただし……きみの力や魔術の才能の高さを認めているのは本当だ。すなおに受けとっておけ」
「どうして」
「いいやつが損をするということをひっくり返してほしかったんじゃないか」
自信をもて。きみの日永くんへの思いは本物だ。
きみがその気になれば……だれにも負けない。
「だったら、スズメさんも」
「おれはもう疲れたんだ。どっちにしてもそろそろ死んでしまう予定だったし……友人のために面白いおもちゃをつくったんだ、充分だろう」
勝てよ、シノハ。
すでに灰になってしまったはずのスズメの男が、そう言ったようにきこえた。
涙をぬぐい。
「勝ってみせます」
そのやわらかな唇を動かす。




