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泥まみれのフィスト  作者: 色飴 遥火
プロローグ
1/7

チャンピオン 1

 玄関を出て、駅へと向かう途中……立ちどまった月宮つきみやクモラは深呼吸をした。

 試合の日の朝は空気が少しだけちがう。

 冷たいような。

 はりつめているような。

 どことなくこれからとても大切な試合がはじまるという感じがして。

「クモラの気のせいだろう」

 というおさななじみの言葉をクモラは思い出す。

 嫌なことを思い出しちゃった、とでも言いたそうに茶髪のセミロングの彼女は表情をゆがめる。


 そういえばタイヨウにも試合の日の朝にしか感じない特別な空気について話したことがあったっけ。

 案の定、あの頭の弱いおさななじみはぜいというものがわからないらしく。

「試合に出るのはおれなんだから、クモラまで緊張する必要なんてないはずだぜ」

「わかっているわよ」

 頭の中で再生した、いつぞやのタイヨウの言葉にクモラがつっこんでいる。


 むすっとした表情のまま茶髪のセミロングの彼女は駅のほうへふたたび歩きはじめた。

 けど……こんな言葉もいちいち覚えているぐらいには気になっているんだから、わたしもタイヨウと同じぐらい頭が弱いのかもしれない。

 なにかを否定するようにクモラが首を横にふる。

「わたしはタイヨウのことなんて……ぜんぜん好きじゃないから」

「新しいあいさつか?」

 クモラがぎょっとする。

 いつの間にか自分の隣を歩いていた日永にちながタイヨウの顔を茶髪のセミロングの彼女がじろりと見た。


「いつからそこに?」

 素人しろうとであるのが丸分かりのファイティングポーズをとったクモラがタイヨウに質問をする。

「クモラが深呼吸をして、試合の日の朝にしか感じられない空気をあじわっていたときぐらいから」

「気配を消して、ちかづくのやめて」

「どちらかというとクモラの集中力が途切れていたように思うがな」

「逆だから! 集中しまくっていたのよ」

 クモラがなにに対して集中をしていたのか興味がないようでタイヨウは声をかけようとしなかった。


 しばらくの間……かよっている中学校指定の制服姿のふたりがだまったまま駅の改札口をとおりぬけていく。

 シャボン玉をエネルギー源に動く電車に乗車したところでようやく。

「やっぱり緊張しないの? 全国大会の決勝みたいなものなのに」

 がらがらの電車内の座席に窮屈そうに座っているクモラをタイヨウが見下ろす。

「勝てれば、なんの問題もないだろう」

「勝てるの? あの金剛こんごうさんに」

「クモラはおれに負けてほしいのかよ」

 どこかねたような口調のタイヨウの言葉を否定するようにクモラが首を横に大きくふる。

「勝って」

「おう、まかせとけ」




「少しだけでも眠っておいたら……到着したら起こしてあげるからさ」

 返事はせず、タイヨウはクモラの隣に座った。

 電車が大きくゆれる。黒髪の彼が目を閉じる。

 呼吸のリズムが変わり……ほんの少しだけ右肩にもたれかかるタイヨウの重みに気づいたのと同時にクモラは息をゆっくりと吐いていた。

「ふだんからこれくらい素直なら、わたしも素直に相手をしてあげるのに」

 電車がとまり……人が乗ってきた。

 並んで座るクモラとタイヨウを見てか、一瞬だけ動きをとめたがすぐにいつもの指定席であろう座席に腰をおろす。


「学生カップルだと思われちゃったじゃん」

 不満そうにクモラが唇を動かす。

 熟睡していてかタイヨウはぴくりとも動かない。

「わたしが男の子じゃないからかもしれないけど、べつに負けたっていいんじゃない」

 クモラのささやくような独り言に対するタイヨウからの返事はなかった。

「少なくともわたしは今日の試合、ううん。決勝にくるまでタイヨウがまっすぐでとうな努力……と呼べることをしてきたのは知っているよ」

 一種の愛の告白のようだとでも思ったのかクモラがほおを赤くする。


 茶髪のセミロングの彼女がタイヨウの顔をそっとのぞきこむ。

 さっきと変わらず黒髪の彼は寝息をたてていた。

「これもやっぱり男の子だからかもしれないけど、そういう地道で泥臭くて地味な行為はだれにも見られたくないっぽいからさ」

 クモラがだれにもきこえないほどの音量で咳払いをする。

「運が悪かったな。相手が天才のおれじゃなければ勝っていただろうぜ」

 とタイヨウが試合に勝つたびに対戦相手に言っていた台詞を真似まねるように茶髪のセミロングの彼女が口にした。


 あいかわらず眠ったままで、タイヨウはクモラのからかうような行動にまったく反応しない。

「ばーか。タイヨウが地道で泥臭くて地味な努力をして、その勝利を手に入れたことをわたしは知っているよ」

 いくつもの技を完成させ、どこまでも愚直ぐちょくにそこまできたえあげてきたことも知っている。

 試合の対戦相手のたたかいかたや得意技、なにが苦手なのかをしらべていたのも知っている。

 そして、なによりも。


 かろうじて勝てたことは拳をまじえたタイヨウがだれよりもわかっていたはずだ。

 そんなにズタボロなんだから、だれにだってその言葉がうそだってわかってしまうのに。

「どうして、かっこをつけたがるのやら」

 あきれたようにクモラが言う。

「対戦相手へのなぐさめのつもり? それとも……わたしの前だから」

 自分が口走りそうになってしまった言葉の意味をあらためて理解してかクモラが手をぶんぶんと否定するように動かす。

 茶髪のセミロングの彼女が呼吸をととのえる。

「だから、負けてもいいじゃん。悔しくて泣きたくなったら……いっしょに泣いてあげるし」

 タイヨウはうっすらとまぶたを開けていた。




 水心すいしん大会。

 ありとあらゆる格闘技の頂点を決める大会の中でも群を抜いたレベルの高さ。

 武器や道具類の使用の禁止。

 急所部分をねらった攻撃禁止。

 このふたつ以外のルールなしのえげつなさ。

 ではあるが……この水心大会の優勝者はまぎれもなく現在最強の武術の使い手。

 という称号を手に入れることができることは格闘技を少しでもかじった者であれば、だれでも知っているレベルの共通認識だった。




 水心大会……決勝。

 現在最強の武術の使い手、誕生の瞬間を見ようと集まった観客のいくつもの視線と熱気。

 その矛先ほこさき……会場の中心部のあたりにある透明なドーム状のフィールドの中で道着姿のふたりの男がたたかっていた。

 ひとりは日永タイヨウ。

 もうひとりは水心大会……れんを達成している金剛こんごうミカゲ。

 タイヨウよりもふたまわりほど大きく屈強そうな肉体の力強さは道着越しにも伝わってくる。

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