第十五話
第十五話
昇が仁を連れて訪れたのはBARウィリアムズだ。
夜の部が始まる前であり、客は居ない。代わりにバイト、として偽装されている礼威がエプロン姿で開店準備をしていた。礼威は学校を3ヶ月間公欠したために、卒業が半年遅れてしまうことが確定した。2学期制で、春と秋に分かれているが、この春の分を全て落としたのである。学校側に政府からの話し合いを通せばそのまま問題なく通れるかもしれないが、彼女は幼稚園教諭免許及び保育士資格を入手するために、そういう裏ワザめいた事はやりたくないと政府側の提案を拒否し、代わりに留年分の学費を払うことにしてもらった。
なので、秋学期までの授業は出ても出なくてもどっちでも良いと言う話になり、だったら魔法少女としての勉強に時間を割こうと言う事でタケさんの下で勉強をしているのである。
「あ、昇君と……井上さん!?」
「居たんですか」
「ど、ども」
二人は礼威を一瞥しただけで、そのままテーブル席に座る。昇がコーラを2つと頼み仁と向き合った。
「何故、貴女がここにいるんですか?
貴女は東京を中心に活動してますよね?」
「そ、そうね。
い、何時もは東京に居るわよ。で、でも、此処らへんも昔、来たことあったりして……」
へへへと笑う仁にそういうことを聞いているんじゃないですと昇が告げる。相変わらず、無表情無感動である。いや、正確に言えば少しばかり困った感じかつ、怒っている。この表情が読み取れるのは買い出しに出かけていないタケさんと担当官の柳葉、そして6ヶ月間の教育係であった健だけである。
いや、さらに此処に1人、仁も加わった。
「そ、そんなお、怒っちゃや~よ」
少し巫山戯てみるが、昇にはそれは通用しない。再度言葉を繰り返された。
「何故、ここに居るんですか?
そして、何故、同じ学校に転入してるんですか?貴女、もう20超えてますよね?」
「せ、せやかて工藤。
わ、私高校、ちゅ、中退したから。あ、あと、同じ学校にきた理由は、き、君にほ、惚れたから?」
何故に疑問形?と礼威は思ったが、まさかこの展開からの告白とか、好きな男のために学校に入学して来るのか?なんて色々と疑問に思いつつ、出来るだけ邪魔をしないように息を殺しつつカウンターの角で二人の様子を眺めることにした。
そんな礼威に対して、珍しく、感情を表した、怒気に似た雰囲気を纏った声色で昇がコーラと告げた。礼威はニヤケ面を隠そうと必死になりながらも仁の告白とその返事を期待しつつコーラをすぐに出す。
「ボクが貴女に惚れられる要素が何処にあったのか甚だ疑問に思いますし、そもそも何故疑問形なのですか?」
「こ、この気持は、『俺の言う事を黙って聞け!~私立吉祥院学園、秘密の花園~』に出て来たメインヒーローの花京院憲政様と出会った時とお、同じ気持ちだからで、です!」
一周回って哀れみしか浮かばない一目惚れのエピソードを聞かされた礼威と昇は暫くなんと声を掛けて良いのか分からないと言う気持ちと、出来ればもう関わりたくないと言う気持ちが入り混じった複雑な心境を共有する。
そして、礼威は傍観者という立場を利用して露骨に関わりを持たないようにカウンターの奥に引っ込んでしまう。そうなると、残るは昇だ。昇は両手を合し、人差し指の先を額に、親指を顎先に当て、そのまま渋い顔のまま人差し指で眉間に出来た皺をなぞった。
「正直、今のボクは貴女を彼女にする余裕もなければ、したいという気持ちも有りません」
「そ、それは、わ、私がお、オタクだから?そ、それとも、ぶ、ぶ、ブス……だから?」
ブス、の部分は実に小声だった。少し声が震えている。その場に居た二人は何となく、彼女の境遇を察する。所謂イジメだ。多分、ブスと言われ続けてイジメられたのだろう。正直な話、礼威も昇も仁がそこまでブスだと言う感想はない。顔立ちは整っているし、少しばかり手入れをすればすっぴんでも十分に通用するだろう。
クラスで10番目に可愛い存在を集めたというアイドルグループよりも可愛いであろうと、二人は思う。礼威は昇にブスと言う部分を否定しろと言う念を送る。
昇はそれを“邪念”として受け取り、送信者である礼威をその眼力で伏せ落とす。礼威はまだ昇の無言の圧力に耐えられる程、“昇慣れ”していない。
「取り敢えず、貴女をボクの家に招待します。
それから、もう一度自分の気持ちと相談して下さい」
昇は出されたコーラを一口飲んだ。仁はよく分からんと言う顔で脇で何か言いたそうな顔をしている礼威を見る。礼威はその視線に気が付き慌てて、言葉を探す。しかし、良い言葉が思いつかなかったのか、大丈夫!と何が大丈夫なのかよくわからないエールを送った。
そんな礼威を見て昇は内心、アホじゃないかと思ったが、敢えて口に出さなかった。それから、2人がコーラを飲み終わると、昇は机の上に1万円を置いた。
「あの、多いですよ?」
「君へのチップだ。意味はわかるね?」
マフィアやヤクザ映画でよくある光景に礼威は軽く戦慄を覚える。昇の目は殺ると言ったら殺る目だからだ。礼威はコクコクと頷いて1万円を胸にしまう。コーラは1杯250円であるからして9500円の儲けである。この程度の事ではかなり破格である。
しかしながら、チップとして金まで出された自分はそれほどまでに昇に信用されていないのだろうか?と思い、地味に傷付く。
◇◆◇
昇達が家に帰ると、何時もの様に桜が飛んでくる。新しく飼い始めた猫も連れて飛んでくる。
そして、そのまま昇に抱き着くのであるが、今回は違った。仁が居たからだ。昇と共に仁が家に入ると飛んできた桜は凄まじい鳴き声とともに小便を漏らしながら「おばけ!」と叫びだしたのだ。仁は突然現れた中学生ほどの少女に、そんな事を言われながら小便を漏らされた上に大泣きされ、心にかなりのダメージを受け、昇も予想を上回る反応と、想定外の言葉にどうしたものかと困ってしまった。
子猫も桜の声に驚いて逃げ出してしまい、祖父母が大慌てでやって来る少しの間、昇も仁も行動が出来なかった。
「妹が本当に申し訳無いです」
一旦、昇の部屋に案内された仁は、30分ほど待っていた。部屋の外からは色々と忙しそうな音がしており、何となく罪悪感が残る。見た感じ、病気か何かなのだろうか?とか発達障害なのだろうか?とか考えたりもした。
そして、昇が仁を家に招待した理由が何となく分かった。
「い、いえ……
大丈夫です」
仁はお茶と菓子を載せた盆を持った昇にそう告げる。そして、昇はヘアーバンドとブラシに手鏡を仁に差し出す。
「申し訳無い序に、髪型も変えて下さい。
妹が貴女をお化けであると信じ込んでいるようなので」
仁はバンドとブラシに手を伸ばしかけ、彼女が高校を中退する決定打と成ったイジメを思い出す。当時から仁はオタク趣味だった。ただ、今と決定的に違うのは正確が正反対で明るく、誰からも好かれる立ち位置に居たということだろう。
男子と女子の別け隔てなく友達も居た。オタク趣味の友達もそうでない友達も居た。クラスの人気者、というわけではなかったが、それなりの地位にはいた。決してカースト制度の最下層でもなく、最上層でもない、中間だった。
上位層、下位層の間をつなぐ存在は仁以外も何人か居た。これがそもそもの原因である。上位層に取り入ろしているある女子生徒が彼女の入りたい上位層の女子グループと非常に仲の良い仁を妬んだのである。其処からはアッと言う間に、本当に仁が知らぬ間にイジメは広がった。
仁がいじめられる下準備となったのは仁が魔法少女として覚醒し、3ヶ月の欠席をした時からだろう。高校生で、相応の人気があった生徒が長期入院したという事で見舞いに行こうと言う提案があった。その為に政府は態々偽のカルテと病気を作り、特殊メイクで腹を縫った後まで作った程である。
見舞い自体は最初の1週間程でパタリと来なくなり、仁も自衛隊の厳しい訓練でスッカリ忘れていた。
そして、無事、退院という体で学校に戻ると、クラスに仁の立ち位置は無かった。それまで親しく話しかけてくれた上位層グループのメンバーは仁に挨拶どころか視線すら合わせず、まるで居ないもの扱い。下位層のグループも仁を無視し始めたのだ。
イジメの構図で言えば、上位層グループは傍観者に回る。ドラえもんで言えば、しずかちゃんや出来杉君だ。次に下位層は囃し立て役に回るこれはスネオである。そして、最もイジメを行うのは同位層の、つまり、仁を妬んだ者とその取り巻きである。ジャイアンである。
ドラえもんと違うのは仁には“ドラえもん”が存在せず、ただただ逃げ道があっただけだ。勿論、最初の頃は何とか学校に通っていた。キメラと戦い、死にそうな怖い思いした後その後学校に行き、イジメを受ける。
仁の精神に変調を来すには十分だった。この頃からである。仁がキメラを甚振って殺すように成るのは。
「ッ……申し訳無い」
突然、昇は手にしていたバンドとブラシを下げ、代わりにタオルを差し出した。仁はその動作に一瞬戸惑い、それから、視界が歪み、鼻の奥がツンとするのを感じた。そこで、漸く自分が泣いているのに気が付いたのだ。
仁は一瞬でパニックに成った。既に自分では克服したと思っていたが、そうでは無かったことに。昇の前で無様な姿を見せてしまったことに。そして、何より、本当に自分は昇に、これまでに無い一目惚れをしていた事に。仁は部屋から飛び出し、そのまま靴も儘ならないままに外に飛び出す。廊下では昇の祖父母が一段落ついてお茶でも飲むかと話し合いをしており、仁の姿を見て驚いていた。
仁は昇の家を飛び出して、そのまま街を走った。
それから暫くして仁が脱げかけた靴に足を取られ、転けたことで逃走劇は終幕を迎える。
「……はは」
一体何の位走っていたのかとっぷりと日が沈み、薄紫色の雲が地平線から伸びている。近くに河原が有り、散歩コースになっているのか少し整備がされていた。痛む膝を庇うようにしながら河原のベンチに腰掛けた。何て情けない姿なのだろうか?
仁はそう思わずにはいられなかった。膝を抱え、丸くなるようにして、声を殺して泣く。なんと自分はダメな人間なのだろうか?願うことなら、このまま消え去ってしまいたい。仁はそう思いながら声を押し殺して泣いた。
一体どれほど泣いたか分からない。突然、彼女の前に誰かが立つ気配がする。
驚いて顔を上げると、一人のメイドが立っていた。クアトロ・セブンである。身長は190cm近くあり、コートを羽織っていた。
「漸く、見つけました」
少し息の切れているクアトロ・セブンは街中を飛び回って探したらしい。肩で息をしており、その額には汗が浮いている。
「……ごめんなさい」
「何故、貴女が謝るのですか?」
「……かっこ悪かったでしょ?ドン引きしたでしょ?」
仁がいつもの様にボソボソと震える声で告げる。ごめんなさい、と。クアトロ・セブンは小さく溜め息を吐いてから仁の顔を両の手でガッシリと掴み、そのままグイと持ち上げた。パッチリとした目にきめ細やかな肌、絹のような髪の毛は、モデルを通り越して人形のようだった。
「誰が、何時、そんな事を言いましたか?
私は言った覚えは有りません。昇も言った覚えは有りません。祖父も祖母も桜も誰も貴女に向かってカッコ悪いなんて言ってませんし、ブスだなんて言ってません」
クアトロ・セブンはそう言うと変身を解いて昇に戻った。
「ボクの両親はボクと妹の目の前でキメラに殺されました。3年前、三重県の伊勢市駅前で起こった死者2名負傷者1名の事件です。知っていますか?」
仁は暫く考えて、そういえばそんな事件があったと想い出す。近年稀に見るキメラ関連の大きな事件だ。
「あの事件で死んだのがボク達の両親です。
負傷者は妹です。今も、心臓の当たりには縫った後がうっすらとですが、残っています。事件のショックで、妹は廃人一歩手前まで行きましたが、何とか幼稚園児ほどの精神に回復しました。最近、自傷行為や夜パニックに成って起き上がる事もだいぶ少なくなってきました。
ボクは妹を守ってやらないといけません。だから、貴女まで目を向けることが出来ないのです」
昇が諦めて下さい、そう口にする前に、仁は昇の口を塞いでしまった。生まれて初めてのキスだった。しかも、自分からした。衝撃が強すぎてお互いの歯がぶつかり、口を切ったらしく、血の味がした。
昇は驚いた様子だったが、仁を退けることはせず、そのまま、優しく抱きしめた。