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棺の皇国  作者: 天海りく
終天崩落
70/115

5-1

 ゲオルギー将軍の討死の報告を聞いたフランツは、静かに杖を下ろした。

 ゼランシア砦の最上層から自軍の兵の動きを見ていれば、ゲオルギー将軍の死は予測できた。

 本来なら、ゲオルギー将軍は上層から攻撃をするはずだった。しかし、彼自身が自らを最前線へ置くことを決めたのだ。

 バルドが単身攻め込んでくるとなれば止められるのはゲオルギー将軍の他になく、配置を変えたことは間違いではなかった。しかし、彼は進んで最前線に立ちたがっていた。

 好戦的な性格ではないというのは、ほんの短い間一緒にいただけでも分かる。かといって敵将の首を上げる名誉が欲しいというわけでもなさそうだった。

 何を考えても今更だと、フランツは傷だらけの腕に目を落とす。

 もはや、自分にも神器の一撃を防ぐだけの魔力は残されていない。指先の感覚もなかった。

「御当主様!! 奥方様が、御討死、なさいました……!」

 臣下からの訃報にフランツは目を伏せる。

 フリーダが死んだ。

 驚きや悲しみよりも、そうなってしまったかという思いの方が強かった。

「……そうか。最期の様子は」

 フランツは抑揚のない声で妻の選んだ道を問うた。

 そして奮闘した果ての結果と知って少し安堵した。最期の最期までフリーダのことは分からずじまいだったが、少なくとも終わりは生きたいように生きて死んでいったのには違いない。

「全員、街の方へ場所に退避しろ。たとえあの雷獣でも、全てを壊し尽くすほどの力は残っていないだろう」

 モルドラ砦側はもう壊滅的だろうが、反対側の城下街側にまで寄れば多くの兵は命を落とさずにすむはずだ。

 フランツも身を翻し、生き残ることを選んだ。

 臣下や領民への責任も果たさず死ぬわけにはいかなかった。果たすべきことが自分にはまだ多くあって、生き汚いと言われても死ぬために戦うことはできない。

 背後で破砕音が響く。

 大きな獣が岩山に体当たりしているような、そんな揺れと轟音の中フランツは崩れいく砦ではなく生きようとする者達を見ながら振り返らずに進んでいく。

「御当主様、奥方様の御遺骸が……」

 途中、臣下に呼び止められてフランツは声もなく首を縦に振って妻に会いに行く。

 崩れた廊下と廊下の間になんとか簡易の橋を築き、完全に廊下が崩落する前にフリーダの骸を運び出したらしかった。

 何も言わずとも臣下達は部屋の前まで案内すると、そっと距離を置いて夫婦ふたりきりにとしていった。

 来客用の小さな寝室の寝台にフリーダは寝かされていた。

 真白いローブは血染めになり銀の髪は焼けた部分や血で固まった部分もあるものの、顔だけは綺麗に拭われ埃ひとつなかった。

 元から白かった肌はさらに色が抜け、まるで陶磁器のようだった。

「貴女にとって、これが一番よかったのか……」

 フランツは躊躇いがちにフリーダの手に触れる。もう冷たく固い指はやはり作り物めいていて、彼女の存在の現実感すらあやふやになる。

 妻とはいがみ合った思い出ばかりしかない。幸せな記憶など、何ひとつはありはしないというのにこの喪失感はなんだろうか。

「……私は、貴女と生きる先を望んでいた」

 自分が失ってしまったのは、彼女と家族になれたかもしれない未来だ。

 得られたかどうかもわからないものだというのに、とてもかけがえのない物をなくした気がしている。

 攻撃はやんだものの砦が連鎖的に崩れていく音は、まだ聞こえた。

 父を失い、妻を失い、先祖代々護り続けた砦も大きく損なわれた。

 この戦に敗北はまるで感じなかった。ただただ、喪失感ばかりだ。

 勝利したハイゼンベルクは果たして何か手に入れたものがあったのか。そう考えながらフランツはフリーダから手を離す。

 まだやるべきことがある以上、あまりここで立ち止まっているわけにもいかない。

 なのに足がまるで動かず、フランツは妻の傍らに立ち尽くす。

 安らかすぎる死に顔に、胸の奥から遅れて感情がどっと溢れ出してきてフランツは肩を震わせる。

 涙は出なかった。

 悲しみというより、怒りに近いものかもしれない。やみくもに叫びわめき散らしたくなる衝動に駆られる。

 それでも声はでなかった。

 フランツは浅い呼吸を幾度かして、フリーダに再び手を伸べる。

 傷ついた片腕の感覚がないまま、物言わぬ妻の体を抱き寄せる。冷たく重たい体に、やっと死の現実を受け止める。

 愛したかった。愛されたかった。

 叶わぬ願いを抱くフランツは、ようやく悲しみにたどりついて静かに涙した。


***


 大きな雷鳴が耳の奥でするのに、リリーは目を開ける。青い空とうっすらと見覚えのなある女性の顔がまず見えた。

「アクス補佐官、ご生還、なによりです」

 着ている黒いローブとふと見えた彼女の手に幾つか連なる指輪で、かろうじて味方の『玉』の魔道士と分かった。

「うん。ああ、痛いけど生きてるのね、あたし。痛いから生きてるのか。あー、ちょっと待って、痛い。かなり痛いわ、痛い」

 意識がはっきりしてくると足と腹部の痛みに、リリーは呻く。

「止血はしていますが、傷は塞がっていないので安静にしていて下さい」

「分かりました。でも、ちょっと前、見させて……」

 傷に響くほどの振動と砦が崩落する音に、リリーは様子を見たくて上半身を起こさせてもらう。

 涙が滲み悶絶する痛みに襲われながらも体を起こすと、立ち並ぶ魔道士の合間からゼランシア砦が砂の城のように崩れていくのが見えた。すでに城門部分は崩れ去り、瓦礫が積み重なって跡形もない。

 誰もが喝采のひとつもあげずに黙ってじっと崩壊を眺めていた。

「戦は、どうだったの?」

 訊ねると、バルドが敵雷将を討ち果たしゼランシア砦を半壊させることに成功したそうだ。

 最期の攻撃を加える前に自分はフリーダと戦闘中の所を見つかり、運良く砦の崩落に巻き込まれずにすんだらしかった。

 そして不意に目の前の魔道士達が左右に寄り道を開けたかと思うと、バルドが自分に向かって歩いてきていた。

「久しぶり……っていうほどでもないかしら」

 五日と離れていたわけでもないのに、本当に何年も離ればなれだった気がする。

 リリーは早くバルドのバルドの側に行きたくて落ち着かなくなるが、傷のせいでそういかない。その代わり、バルドの方が早足で来てくれた。

 お互い触れ合える距離になってやっと、心の底から安堵した顔で見つめ合う。

「リー、戻って来た」

 バルドが跪いてじいっと凝視してくるのがおかしくて、リリーは苦笑する。

「ちゃんと戻って来たわよ。雷将と戦ったの、楽しかった?」

 珍しく目に見える怪我が多い。よほどゲオルギー将軍は強かったのだろう。その分バルドは戦うことを楽しめたに違いない。

「リーは?」

「楽しかったわ。シュトルム統率官と戦うのはすごく楽しかった。でも、なんか今、変な感じがするの」

 戦闘の楽しさも勝利の高揚も思い返せる。だのに、反芻すればするほど胸の中に大きな隙間ができてきて、何ともいえない虚無感が襲ってくるのだ。

 後悔や見知った者を亡くした悲しさではない。

「楽しかったから、かな……また、戦いたいのに、無理なのよね」

 勝って生きるか負けて死ぬかの勝負だったからこその、心地よさだったのだ。もう一度など無理だというのに、あまりにも楽しすぎてまたフリーダと剣を交えたいという願望は膨らんでしまう。

 そして叶わないことに、膨らんだ期待の中身は空っぽだと虚しくなる。

「また、楽しめる」

「……うん。だけど、そうじゃなくて……なんだろう、あたしにもよく分からないわ」

 戦が続く限り、心躍る戦闘にはきっと巡り会える。

 だけれど、フリーダともう戦うことの代価にはなりえないのだ。これまで何度も死地に立った中で、たったひとりとここまでの試合はしたことがなかったからかもしれない。

 あるいは見知った相手だったからかもしれない。

 自分の今までにない気持ちの理由を探しても、答は合っているようで違っていてはっきりとしなかった。

「リー……?」

 バルドが困惑した顔をするのに、リリーも困り顔で返してからまた体を横たえる。痛みはやはり強く、歯を食いしばって声を上げてしまうのを抑える。

「リー、痛む?」

「痛いわね。でも、気を失いそうってわけでもないわ。まだ、用があるんでしょ。大丈夫だから行って」

 いっそ意識を飛ばしてしまいたいぐらいには痛い。撤退は他の怪我人の応急手当などをすませてからしいので、それまでには痛さに疲れて眠れたらいい。

 リリーは痛みに顔を顰めながら、経験上バルドが将としてやるべきことがまだ知っているので彼を炎将の元へ送り出す。

 本当は今は離れたくないものの、痛みに耐える姿を見せても心配させるばかりなので仕方ない。

「リリーさーんー! ご無事で何よりです」

 そして不満そうにバルドが離れた後、緊張感の欠けた間抜けた声でシェルがよたよたとやってきた。

「生きてるけど、無事ってわけでもないわよ。まあ、助かったわ。ありがとう」

 リリーは自分の側に置いておかれている双剣に目を向けて、シェルに礼を言う。

「いえいえ。そのことは後ほどゆっくりお話しを聞かせていただければと」

 周囲の魔道士達の視線を感じながら、リリーとシェルはこそこそと話す。

「しかし、見事に崩れていますね。モルドラ砦も瓦礫の山ですよ。瓦礫も歴史の一端でしょうが……みなさん、あまり喜ばれていないですね」

 シェルが言う通り、周囲に戦勝を喜ぶ顔はまったくなく、皆黙々と事後処理を進めている。

「そうね……」

 リリーは疲労と生き残れたという安堵感を浮かべる人々の表情を見渡して、息をゆっくり吐いて痛みをやり過ごす。

 この戦に勝ちなど最初からなかったのだ。

 築いたのは瓦礫と骸の山だけで、それらも元々は自軍の砦と兵だった。ハイゼンベルク側の損失はあまりにも大きすぎる。

 勝つためではなく敗北を遅らせるための足掻きにすぎない。

 『今は』負けなかった、それだけのことである。

 そうして勝ちのない戦は、多くを犠牲にして幕を閉じたのだった。

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