4-6
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リリーは破れて足に纏わりつくスカートの裾を膝丈まで破り捨てる。底に穴が開いた布靴はとっくに脱ぎ捨てて裸足だった。
「広すぎるのよ」
敵を薙ぎ倒し壁や天井を破壊して突き進んできたリリーは一度足を止める。壁越しだった外の戦闘の音は近くなり、真向かいから吹き込む風が強くなっているので破壊された場所は近いはずだ。
リリーは一息吐くと、再び傷だらけの足を進める。そしてすぐに景色は一変した。
蟻塚の中のような狭い廊下は壁にかけられた燭台だけの灯しかなく薄暗かったというのに、ほんの数歩先は強い日の光が差し込んで眩しいほど明るい。
さらに進めば、左手側がごっそり削られているのがよく見えた。
破壊された側は部屋があったらしいが、衝撃で扉側の壁の全てが崩れている上に部屋自体も半分も残っていないところがほとんどで、酷い場所は廊下の三分の一までもが削がれている。
「靴も欲しかったわ」
瓦礫が積み重なって歩きづらく、壊れた扉か調度品の木片が足に刺さったり引っかかったりする痛みに顔を顰めながらリリーは断崖になっている場所に立つ。ここは二階層か三階層ぐらいだろう。
目に染みるほどの蒼天の下、両軍共に攻防を広げているのが囚われていた部屋からよりもはっきり見える。
「バルドはあっちで……ひとり?」
リリーはバルドの魔術の気配を追って身を乗出し、東側へ目を向ける。ちらりと白いローブの中に黒いローブが見えて思わず苦笑する。
将自ら最前に立つとは、いかにもバルドらしい。
「っと……あそこから出られるかしら」
砦に入った攻撃の揺れで目の前の床が崩れ落ち、リリーは奥へと下がりながら、さらに西の方へと目をやる。
特に崩壊が酷い場所は瓦礫が高く積もっていて、そこに飛び降りられそうだった。後は慎重に瓦礫の山を下ればなんとか脱出は可能そうだ。
問題は、降りている途中で瓦礫を敵に崩されれば生き埋めになりかねないということだが。
「上の敵は一掃してからね」
多くの足音が聞こえてリリーは剣を抜く。
ここまでずいぶん戦って体力は消耗しているものの、魔力はそこまで減ってはいない。戦闘場所がたいてい狭い廊下なので、小回りが利く体格を利用して斬り込み、魔術で壁や廊下を破壊して敵を一掃しと最低限の労力ですんだからだ。
リリーは崩れやすい部屋の名残から廊下側へと移動し、待ち伏せる。
敵は多い分、足場の脆い部屋の方まで場所を取るはずだ。
「……挟み撃ち」
東側と西側、両方から敵がやってくるのが音でわかる。
「リリー!」
そして名前を呼ばれて東側を見ると、クラウスとフリーダがいた。ふたりを先頭にした部隊はこちらを警戒しているらしく、距離を空けて待機している。
「あんたとはあんまり戦いたくはないんだけど、邪魔するなら別よ」
先頭に立つクラウスへ、リリーは左の剣を向ける。
「……どうしても、戦うことはやめないんだな」
クラウスが悲しげにため息を吐きながら剣を抜く。だが形だけで戦意はまるで見られなかった。
「やめないわよ……」
言いながらリリーはクラウスのすぐ目の前の床めがけて炎の魔術を放つ。
だがそれは寸前の所でフリーダの放った水の魔術で掬い上げられ、床を崩してしまおうという目論見は外れる。
「私が相手をする。お前達はそこで待機だ」
そしてそのままフリーダが前に出てきて、リリーは微かに微笑み待ち受けるがすぐに目を丸くすることになる。
フリーダが放った炎の魔術は自分には向かってこなかった。
十分に味方と距離を取った彼女は、自分が通ってきた道を破壊したのだ。
「何やってるんだ!?」
粉塵の向こうでクラウスが戸惑う声がする。
「リリー・アクスは私ひとりで片付ける! 誰も手を出すな!!」
大きな声で味方を制した後、フリーダが唖然とするリリーに楽しげに笑いかけてくる。
「君と一対一で決着をつけたい。いいだろう」
「……いいですよ」
リリーはフリーダと向き合い、ふたたび剣を構える。
じりじりとお互い出方を窺う。
フリーダが右足を踏み込み、リリーは受ける姿勢を取る。そしてほんの小手調べにすぎない打ち込みを数度重ねて、相手の調子を探り合った。
「疲れてるね。ここまで暴れたら当然か」
一旦距離を取り、フリーダがそう言った。
「まだまだ、やれます。シュトルム統率官も戦闘に参加してたんですか」
この暑さの中で敵を薙ぎ倒しながらここまできたのだ。魔力よりも体力を消耗しているぐらいだとはいえ、戦うのに不足はない。
それに、フリーダの方も剣を持つ手つきがいくらか重たげで、疲労が見て取れた。
「ああ。だから全力で君と戦えないのが残念だ。君の方も消耗しているようだから、五分五分だろうね」
「それぐらなら、楽しめそうです、ね!」
言いながらリリーは跳んで一気にフリーダの間合いに入る。最初と違って、刀身がぶつかり合う度にふたりの空気も動きも変わっていく。
一手ごとに鋭く研ぎ澄まされ、髪の毛の一本分たりたとも隙を作らない張り詰めた戦闘は、見ている物が息苦しくなるほどの緊張感があった。
猫のように身のこなしの軽いリリーは、フリーダの重たい一撃を受け流しては刀身を相手の間合いに滑り込ませていく。
ふたりは一切の魔術を使おうとはしなかった。
互いの刃の先を読み切った剣戟を楽しんでいた。読み違えれば鋭い切っ先に我が身を切り裂かれるだろう緊迫感が心地いい。
(こんな風に、戦う人だったかしら)
小気味よく響く刃の音と、腕に伝わる一撃の重さにリリーは気分を高めながら、フリーダを見つめる。
実戦の彼女は演習の時よりもずっと楽しそうに見えた。そして先日よりも今日の方が、強い。
「邪魔はいらないな」
互いに一旦距離を取ったとき、フリーダが両の剣から火球を放つ。ふたつの火球はリリーの両脇をすり抜けて、後方でひとつになり西側の床を破砕した。
背後にはディックハウトの援護が駆けつけて来ているところだった。
「すまない、少しばかり狭くなった」
廊下の両側が寸断され、部屋があった場所も三分の二残っているかどうかという足下の見渡してフリーダが苦笑する。
狭いことは狭いが、ふたりで戦うには事足りる。
「これぐらいあれば、十分でしょ」
リリーはもはや逃げ場がなくなったことも気にせずに、雷撃を両の剣から放ちながら斬り込む。
フリーダは雷撃を右の剣に纏わせた水流で受け止めて、もう片方から放った風の塊で床の瓦礫を巻き込みリリーへとぶつけてくる。
「っ!」
同じく風の魔術で攻撃を相殺できたはいいが、途中右の足裏に何かが突き刺さった激痛が走ってリリーの動きが鈍る。
生じた隙にすかさずフリーダが右の剣で突きを繰り出してくる。
「ちゃんとした靴を用意してあげるべきだったな」
歩いた後に血の跡ができるほどの深手に、フリーダが困り顔になる。
「そうですね」
両の剣を交差させて突きを受けたリリーは、ふたつの剣からまた風の魔術を放ち反動をつけて後退し、体勢を取り直す。
歩く度に傷口に小さな破片や木屑があたってずきずきと痛む。
片足の踏ん張りが利かないのは、腕力で勝るフリーダを相手にするには少しばかり不利だ。
(体力も、ちょっとまずい……)
疲労と暑さで体に重さを感じる。だが、それは汗だくで肩で息をしているフリーダも同じだ。
リリーは息をひとつ吐いて溜め込んでいた魔力を一気に解放する。
左に蒼白い炎、右に風。
先に炎を波のように放ち、床の木片を燃やし尽くし瓦礫を溶かす。そして次に風で残った全てを巻き上げ炎を煽る。
フリーダの方は風で最初に炎の流れを緩めて、残りを水で押し返す。
大きすぎるふたつの力は押し合い消える瞬間には、ふたりともすでに相手めがけて飛び出していた。
避けきれなかった分でフリーダの白いローブの一部は焦げ、あちこちに傷ができていても剣の重さは変わらなかった。
リリーは上から振り下ろされたフリーダの右の剣を受けるが、足の傷で思うように受け止めきれない。
力負けしている内に右斜め下からもくる。
リリーは受け止めていた剣にこめていた力を緩めて体を捻り、左肩を犠牲にして右からの攻撃を避けフリーダの脇腹へと突きを繰り出す。
浅く斬りつけた感触はあった。
だがこの程度ではフリーダは退かないと、もう知っている。
リリーは痛みに耐えながら、血の伝う左手で風の刃を放つ。
次なる攻撃を繰り出そうとしたフリーダの右腕が血を吹く。
(避けられた)
まともに命中していたら腕を切り飛ばせていたはずだったが、寸前の所で風の魔術で力を削がれたのだ。
そして傷ついた右腕でフリーダが炎をぶつけてくる。リリーは予測外の攻撃に、返し遅れた。
左の足あたりにかかっていたローブが焼け落ち、ふくらはぎがひりつく。
ローブで致命傷は避けられたとはいえ、両足の負傷は手痛い。
フリーダの方も右腕の傷が重く、きつく眉根が寄っている。
そろそろ決着だ。
乱れた呼吸を整えて間合いを取っていたふたりは同時に動く。
あと、もう一撃が致命傷になる。
この瞬間がたまらなくリリーは好きだった。
勝って生きるか、敗北して死するか。命の瀬戸際で全ての力を振り絞って戦うことほど、高揚することはない。
敵が強ければ強いほどなおさらだ。
「楽しそうだね」
打ち合いながら、フリーダが笑いかけてくる。
「はい。すごく」
自分の攻撃が相手の首元を掠め、そして相手の刃も首筋に触れるか否かを通る。
痛みを忘れるほどの楽しさに、リリーは斬り合うことに夢中になっていた。
「後ろがないよ」
気がつけば、崩れた部屋の断崖まで来ていた。
「そうですね」
リリーは傷ついた足で床を蹴り、体の向きを変えながらフリーダへ片方の剣で雷の魔術を放つ。
左で受けている内に、負傷で反応の鈍いフリーダの右を狙う。
首元を狙った一撃だったはずが、リリーの剣はフリーダの右肩部分を深々と貫くことになった。
貫通した剣は彼女の肩で固定され、リリーは動きを止められる。
その隙にフリーダの左の剣が胸へと突き立てられんとする。
リリーはすぐさま左の剣の柄から手を離す。
後は紙一重だった――。
***
手応えを、フリーダは確かに感じた。
しかしそれと同時に、喉元から大量の血が上がってきてむせ込む。自分の右胸にはリリーの剣が突き刺さっていた。
剣が胸から抜け膝から崩れ落ちる時、リリーの左脇腹から血が滴ったっているのを見て口元を歪める。
心臓を貫いたつもりが、結局は外れたらしい。
「……君の、勝ちか」
仰向けに倒れ込んだフリーダは、血と一緒に掠れた声でリリーに声をかける。
リリーの姿が見えない。視界には崩れかけた天井しか映らなかった。
「シュトルム統率官……」
自分を呼ぶリリーの声が遠い。
最後まで彼女は自分を昔のまま呼ぶ。嬉しいようで、寂しい。呼び直させるべきだっただろうかと考えても声にならなかった。
どうやらこれで自分は終わりらしい。
視界が薄暗くなって、痛みも遠くなり死を近くに感じても、心はひどく安らかな気分だった。
あいかわらず、本当の自分というのはわからないけれど、今の自分が型に嵌められて作られたものではないことだけは確かだ。
(リリー……)
途切れかけた視界にリリーの顔が映り込む。自分を見下ろすリリーが寂しげだと思うのは、気のせいだろうか。
(私がほしかったもの)
これだったのかもしれないと、フリーダは薄れ行く意識の中で思う。
彼女の視線を、興味を、全部ひとりじめにしたい。
こういう感情を世間ではなんと言っただろう。
(知ってるんだ。でも、思い出せないな……)
そうして答にたどりつく前にフリーダの呼吸は止まった。
***
リリーは深手を負った脇腹を押さえたまま、息絶えたフリーダの右肩に刺さっている自分の剣を抜く。
「……すごく、楽しかったです」
リリーは勝利の余韻のまま笑みを作る。だけれどフリーダから返事がないことに、冷めた気持ちになる。
「バルドの所、帰らないと……」
無性にバルドに会いたくなって、リリーは断崖の下を見やる。下にも瓦礫は積もっていて無傷ならなんとか飛び移れそうだが、この傷ではどうなるかわからない。
もっと高さがある瓦礫への道はもうなく、下に行くにはここから飛び降りる他はない。
「リリー!、そこから逃げるのは無理だ!」
クラウスの声に、リリーはそちらに顔を向ける。ディックハウトの兵達は足下の不安定さから魔術攻撃を放つのは危ういと判断したのか、静観していたらしい。
「逃げるんじゃなくて、帰るのよ」
クラウスに答ながらも、痛みにリリーは顔を歪める。思うほど声が出なかった。
このままではバルドに会えずじまいで終わる。それだけは嫌だ。
「リリー!!」
クラウスの制止の声を聞かずに、リリーは飛んだ。
バルドに会いたい。
その気持ちだけで賭に出る。
「――――っ!!」
不安定な瓦礫の山に負傷した足で着地はできなかった。裸足の足裏痛みが走って、倒れ込む。脇腹の傷も重く、山を下ることはもう無理そうだった。
「バルド……」
どうにか立ちあがろうとしても、意識がかすんでいく。
「リー!!」
その時、確かにバルドが自分の名前を呼ぶ声がしてうつぶせに倒れ込んでいたリリーは上半身だけを両腕で持ち上げて、なんとか声の方を向く。
バルドが他のハイゼンベルクの兵と共に近づいて来ているのが見えた。
「バルド」
やっと会えたと満足し安心しきったリリーは、そのまま意識を失ったのだった。




