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第9話 偽物の覚悟

 気づけば、俺はポータル・ボックスの冷たいタイルの上に倒れていた。


 雨上がりのアスファルトのような匂いが鼻を突く。


 美菜に敗北し、あのE.C.との「契約」。手の甲にあった違和感は消えたが――。


「……気づいたか」


 低く、抑揚のない声。


 顔を上げると、青いラインの走る白いリミナマスクの少年と目が合った。同年代だろうか。


 だが、その佇まいは、「プロ」というべきか。自信、もしくは冷徹さが漂っている。


「いくぞ。賀来さんが、待っている」


 少年はそれだけ言うと、背を向けて歩き出した。――が。


「そのまま寝ているつもりか」


「あ、ああ」


 数歩だけ進んだところで振り返り、声をかけてきた。


 冷徹さ――違うな。気を張っているだけか。



 警視庁・特別対策分室


 取調室の空気は、虚構街の電光色とは対照的な、濁った蛍光灯の光に満ちていた。


 机の向こう側、深い溜息をつきながら賀来さんが顔を上げる。


「まさか、生身で戦うバカだったとはな……。はぁ、親に、こんなところが似るなんて」


 嘆くような、けれどどこか懐かしむような響き。父さんの同僚として、これまでどれほどの「無茶」に付き合わされてきたのか、その深い皺が物語っている。俺は心の中で、謝罪をしておいた。


「もしも、あとは親父さんに任せておけって言ったら、お前は手をひくか?」


「いえ。父さんが、すぐに動けないのは分かっています」


 俺は賀来さんの目を真っ直ぐに見返す。


「美菜は『物語の住人症候群』になって、もう何日も経っている。プラナが尽きるまで、あと何日残されているか分からない。……放っておけません」


 最悪の結末――「戻れなくなる」瞬間は、刻一刻と迫っている。


 賀来さんは再び溜息をつき、隣に立つ煌を見た。


 煌の冷たい視線が、俺の喉元に突き刺さる。


 その瞳の奥には、「無知な素人が」という軽蔑だけでなく、自分だけが正義を背負っているという傲慢さが透けて見えた。


 こいつも、俺と同じガキなんだろうな。――まあ、俺の勘違いかもしれないが。


 とりあえず、少しだけ上から目線で笑っておこう。


「だろうな。お前の親父に言っておけよ。今度、高い酒を奢れって……。煌、これを使わせろ。インプルーザー臨時登録証だ」


「待ってください、賀来さん! 素人にそんなことをさせるんですか!」


 煌が鋭い声を上げた。その抗議は、規律を重んじる彼としては当然の反応だろう。


「煌、お前は正しい。そして俺みたいに警官をやっているやつは、ルールを守らせるのが仕事だ」


 しかし賀来さんは、灰皿の隅で死に絶えた煙草の吸殻を眺めるような目つきで、ゆっくりと首を振った。


「でもな、ルールが常に俺らを助けてくれるわけじゃない。時には、間違った鍵で正しいドアを開けなきゃならないこともあるんだ。警察官が言うことじゃねぇんだがな。それに……」


 賀来さんは、ひらひらと手を振った。


 否定でも肯定でもない。


 ただ「仕方のない決定事項」を口にするような軽やかさで話を続ける。


「こいつは、親父さんとよく似ている。止めても間違いなく行くぞ。放っておけば、今度こそ完全に『物語の住人症候群』に呑み込まれる。あきらめろ」


「しかし……!」


「なあ、煌。ここで議論している間にも、美菜っていう子の症状は悪化しているんだ。時間をかければかけるほど、こいつの焦りは大きくなって、余計にヤバい決断をする。……今はひいてくれ、な」


 拒絶を許さないトーンだ。


 煌は拳を握りしめたまま、短く「分かりました」とだけ告げて一歩下がった。


「お前の親父から、インプルーザーの訓練を受けているのは知っている。出口のところに装備一式を用意しておいた。中古だが、臨時登録者へのレンタル品だ。必ず返せよ」


「ありがとうございます」


 俺は急いで椅子を立ち、部屋を出ようとした。だが、背後から突き刺さるような賀来さんの声に、足が止まった。


「いいか、蓮。よく聞け。虚構街では死なない」


 その声の温度が、一段と下がった。


「あちらで身体が壊れれば、地球へ強制的に弾き出される。『物語の住人症候群』であっても同じだ。憑依を暴力で剥がし、無理やり現実へ連れ戻すしかない」


「……分かってます。必ず、連れ戻します」


「……分かっている、か。それは慢心というやつだ」


 賀来さんの瞳に、現実を知る者特有の冷徹な光が宿った。


「美菜という子は、今この瞬間も紙片に侵食され少しずつ別の形に作り変えられていっている」


 賀来さんの言葉に、刃物のような鋭さを感じた。


「お前が対峙するのは、もう化け物だ。遠慮なくお前を殺しにくるし、お前も遠慮なく殺さなければならない」


 その変化は、キレイ事というメッキを剥ぎ取り、本心で向き合う真摯な宣告だというのは分かった。


 だからこそ、俺は次の言葉を口にすることが出来ずにいる。


 美菜を助けることは、俺の中にいるあいつ――俺の心に刃物を突き刺すことだ。


「俺は、顔見知りを化け物扱いして斬り殺せと言ってんだ。たとえ命は助かっても、お前の心で大切にしている気持ちは死ぬ」


「心が死ぬ、か。まるで安物の映画のキャッチコピーだな」


 と賀来さんは肩をすくめた。


「……だが、迷うなよ。自分の心を殺さなければ、相手の子は本当に物語に喰われちまうんだ。お前に必要なのは、それでも殺す覚悟だ」


 しばしの沈黙。


 賀来さんは、きまり悪そうに頭を掻いた。


「やっぱ、酒のことはいい。美菜ちゃん、と言ったか? 助けたら必ず俺のところに顔を見せろ。飯くらい奢ってやるよ。煌、お前もだ」


「……いえ、私は……」


「ガキが遠慮すんな。大人の見栄を立てるのは子どもの仕事だ。それに、これは願掛けでもある。そいつを受付に見せれば装備をもらえる。……ほら、いけ」


 賀来さんに促され、俺は煌の視線を背中に感じながら、取調室を後にした。


「……行かせて良かったんですか?」


 ドアを閉めるとき、煌が小さく呟くのが聞こえた。


 その問いに、賀来さんがどう答えたのかを聞くことはなかった。


 ただ手渡された登録証が、掌の中で重く感じられたのは覚えている。



 受付で渡された、中古の装備一式に袖を通す。


 赤いタクティカルスーツに、同色のリミナ・マスク。


 身に着けると、タクティカルスーツの繊維が、俺の体温に反応して微かな駆動音を立てる。


 起動させたリミナ・マスクの視界。その端に、青いシステムログが走り抜けた。


( 同期率、正常。出力、安定。問題はない)



 それにしても皮肉だ。


 俺のような皮肉屋が、美菜を助けようと綺麗事を並べてヒーローごっこをしようとしている。


 それに、赤は正義感に燃える、戦隊物のリーダー専用だ。俺のガラじゃない。


 まさしくピエロ。もしくは道化――って、同じ意味か。



 でもな、俺が格好悪いのは昔からよく知っている。


 自分との付き合いの長さなら、世界一だって自負している。おかげで、自分の譲れない一線を誰よりも知っている。


 どんなに無様でも、こいつだけは譲れない。


 だから、もっと無様になるように、もっと泥臭く足掻いて、せいぜい笑わせてやるよ。E.C.。



 警察署に設置されたポータルの上に立つ。


 さすが金が掛かっている。ここのは、多人数をまとめて転送させられる、金属製の床であった。


 E.C.が、演出をしてくれたのだろうか。


 リミナ・マスクに表示される、体調を表す数字には全く問題はない。


(これが最後のチャンスになる)


 俺にあるのは、賀来さんに否定された陳腐な覚悟。


 それでも、本物を知るまでは、偽物を頼りに進むしかない。



 俺は、リミナ・マスクの側面に指先で触れる。



 だが、声は喉を通らず、指は固まったかのように動かない。それでも――この偽物が、俺の覚悟だ。


「 転送 」


 次の瞬間、世界の在り方が変わり、再び俺は虚構街に足を踏み入れていた。


 腰から下げた日本刀。それを僅かに引き抜いて、輝きを確認する。


 再び収めたとき金属の触れあう鋭い音が響いた。


――待っていろよ、美菜。


 俺はその場所へと歩き出した。


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