第11話 未完書庫
安堵の余韻は、鉄の匂いと共に霧散した。
男たちのリーダー格が、品性の欠片もない薄笑いを浮かべて一歩前に出る。
その瞳にあるのは、仲間を救われた感謝ではなく、目の前の「獲物」への執着だけだ。
「……あの女の紙片は渡してもらうぞ。元々、俺らが狙っていたものだからな」
「勝ったヤツの物……インプルーザーのルールのはずだぞ」
絞り出すような声に、リーダーの横に立つ男――さっき助けたはずの男も、視線を逸らすことさえせず、当然のように剣を抜いた。
「ああ、だからお前に勝てば、その紙片は俺らの物になるわけだ」
恩を仇で返すのが当たり前。
この街の論理は醜悪だ。
体力は限界。
プラナも底を突きかけ、赤錆の力を使う余裕など一滴も残っていない。
だが、一人なら逃げたであろうこの状況で、蓮はボロボロの刀を構え直した。
(全力で噛みついてやる。それでダメなら、それまでだ……)
「――この街じゃ善意の市場価値は、いつだって負債で固定されているんだよ」
男の振るう刃が、虚構の風を切る。
それは技術と呼ぶにはお粗末な一撃。しかし殺意だけが純粋に結晶化した暴力でもあった。
蓮の視界が、摩耗した神経の悲鳴で赤く明滅する。
防御一辺倒になり、サンドバッグのように、何度も暴力にさらされた。
男たちは下卑た笑いを上げ、さらに踏み込む。
その刹那。
理解の範疇を超えた――殺意ですらないただの現象が、上空から降ってきた。
それは肉が断たれる感触すら置き去りにしたのかもしれない。高機能な防弾繊維も、その黒い刃の前では濡れた半紙と変わらない。
男は頭の天辺から股にかけて、まっすぐに両断された。
「ひっ、あああああ!」
一秒に満たない刹那。
蓮の動体視力が捉えたのは、真空をも切り裂く鎌の軌道。それと振り下ろしたのが、黒い翼を生やした少年であったという事実だけであった。
――嫌な音が響き、鮮血の飛沫が夜を汚す。
「あはっ! すみませんねぇ。このお兄さんとお話ししたかったものでぇ!」
「未完書……!」
叫びが形になるより早く、狂った笑いと共に巨大な死神の鎌が真横に薙がれた。
抵抗する間もなかった。残された男たちの胴体は、紙細工のように真っ二つにされ、その存在が文字となって霧散していく。
「ははっ。僕、有名人ですねぇ。みんなのお友達、未完書庫君ですよぉ。以後お見知りおきを」
あと一人。一分も経たずに、二人がロストした。その事実に、蓮は戦慄するしかなかった。
解析するまでもない。 『赤錆』が警鐘を鳴らしている。
それなりに強いはずだ。
だが、レベル1の村人のように処理されていく。
「いえ、お見知りおきをしないうちに消えてしまいましたねぇ。なら、お見知りおく必要はありませんねぇ。矛盾ですねぇ、パラドックスですねぇ」
「ひっ!」
残されたのはリーダー格の男。
彼もまた、異様なまでの強さに怯えるしかなかった。
感情は体を委縮させる。
それは、大鎌の軌道上に己の体を固定させる愚行でしかない。
結果。
愉快そうに、ゆっくりと歩いていた少年は、男を両断した。
「あはっ、これでパラドックスは消えちゃいましたねぇ」
少年は笑う。
ひたすら笑う。
そのまま、男たちが消えた跡に浮かぶ紙片を無造作に掴んだ。
虚構街で敗北した者が支払う、所有権の剥離。
彼はその紙片を、あろうことか蓮に向かって放り投げる。
「これ、お見知りおきの印です。どうぞ」
異様な光景に圧倒された蓮。
他の選択肢はなく、反射的に受け止めていた。
「あ、あぁ……」
受け取ったチップが重く感じる。
未完書庫は首を傾げ、三日月の形に目を細めた。
「ねぇ、お兄さん。その紙片、どこで手に入れたのです?」
逃げ場はない。
下手な嘘など、もっての外だ。
「なるほどぉ。ならそれは、前に僕のお友達が落とした物かもしれませんねぇ」
空気が凍りついた気がした。
だが、未完書庫の愉快そうな口元は変わらない。
それが、恐ろしく感じた。
「でも気にしないでください。紙片は所有権登録をした人の物になる、っていうルールがありますから。いい子の未完書庫君は、しっかりとルールを守りますよぉ」
どこまでが本心で、どこまでが狂気か。
彼はひらりと身を翻す。
ようやく去ってくれると蓮は安堵するも、すぐさまこちらを振り返った。
「では、僕はこれで帰りますねぇ……。あり得ない場所で生成された紙片を拾うのは、『トラブルに愛された人間』だなんて言葉があるんで、気をつけてくださいねぇ。では」
黒い羽を広げると、大きく羽ばたく。
嵐のような少年は夜空の深淵へと消えていった。
後に残されたのは、ボロボロの装備を纏った蓮。それと投げ渡された数枚の紙片。
見上げれば、ビルの隙間から覗く空が、白々と明け始めていた。
虚構街の冷たい夜が終わる。
「トラブルに愛されるなんて、どこの主人公だよ」
内心で毒づく。
嵐のように通り過ぎていった少年から漂っていたのは、清々しいほど濃密なトラブルの匂い。
トラブルに愛されるっていうのは、ああいうヤツに任せとけばいいだろ。と、内心で吐き捨てるも、右手の甲を見て苦笑いを浮かべた。
(そう言えば俺って、赤錆とE.C.――あのド級のトラブルと契約をしていたな)
これからどうなることか。
先を思い、溜め息を吐く。
それは白い息とともに白みがかった空へと溶けていった。
まるで、そんな小さなこと知ったことかと街が言っているかのようだ。
今日だけで、何度溜め息を吐いたことかと思い、また溜め息。
これまでとは別種の疲れを感じながら、右手に視線を向ける。
(これ、弁償なんてことないよな)
元刀。
今は、鞘に収まりきらないほどボロボロになった鉄の塊でしかない。
また、溜め息。
もしこの世界に神様がいるのなら、そいつは、皮肉屋で、武器の手入れすらさせてくれない不親切な存在に違いない。
なら、同族嫌悪で仲良くなれそうにないな。
そう結論付けると、重い体を引きずりながら、ゆっくりと歩き出した。
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