第20話 隊長室、その夜の会話
第1部 過去への贖罪
戦力評価測定から数時間後。
壱番隊隊舎、隊長室。
夜の静けさが、窓の外の闇ごと、部屋の奥へ沈み込んでいた。
室内に灯っているのは最低限の明かりだけだ。
机上に投影された記録端末の淡い光が、二人の顔を青白く照らしている。
隊長の仙道遼司は、椅子の背にもたれ、組んだ指先を口元の前で止めたまま、空中に浮かぶ記録を見つめていた。
向かいに立つのは、如月光月。
今日の戦力評価測定、その内部記録が一式並んでいる。
生徒全員の測定記録が映し出されていた。
だが、どこから見るべきかは最初から決まっている。
「まず、天宮蓮次です」
如月が端末を操作すると、最上段の記録が拡大された。
魔力量指数:398/500(A)
出力安定性:412/500(A+)
制御安定性:421/500(A+)
再現安定性:417/500(A+)
術式発動:405/500(A+)
総合判定:A級適性
隙のない、綺麗な数値だった。
仙道はそれを一瞥し、短く息を吐く。
「想定通りだね」
「ええ。初動反応、精密制御、識別精度、すべて高水準です。特に無駄がない」
「この年齢にしては、よく仕上がっていると思う」
仙道の声は淡々としていたが、評価は明確だった。
「壱番隊に必要なのは、真っ先に敵へ踏み込める人間だ。天宮君は、その条件によく合っている」
「今の時点でも充分に仕上がっています。伸ばし方も分かりやすい」
「さすがは天宮家の次期当主、といったところか」
如月は小さく頷いた。
「ただ――」
その一言とともに、補助記録が横へ展開される。
第一項目、魔術制御測定。
第二項目、反応速度測定。
第三項目、識別空間測定。
いずれも全体の波形は美しい。
安定していて、乱れも少なく、無駄がない。
だが、その中に二か所だけ、鋭く跳ね上がった点があった。
ほんの一瞬。
さらりと見れば、見落としてしまいそうなほど短い異常だ。
仙道の目が、わずかに細くなる。
「……これか」
「はい」
如月の指先が、波形の一点をなぞる。
「主に第二項目と第三項目で、一瞬だけ魔力波形が極端に跳ね上がっています。波形時間は短い。すぐに制御し直しているので、全体評価への影響はほとんどありません」
「乱れ、という感じではないね」
「ええ。おそらく単純な制御不良ではありません。何らかの要因で、身体の内部から干渉され、それを抑え込んだ痕跡に近い」
仙道は無言のまま、蓮次の記録を見続ける。
「十五歳でこの数値、その上でこの跳ね方か」
落ちた声は静かだった。
「少し違和感があるね」
如月は否定しなかった。
「同感です」
「……“加護”を持っている可能性は?」
如月は一拍置いてから頷く。
「あります。断定はできませんが、可能性は充分に」
仙道は視線を上げないまま、先を促した。
「加護は、神や神獣、精霊といった上位存在から契約や祝福を受け、その力の恩恵を得るものです。持っている者はそう多くありませんが、基礎能力そのものが高くなることがある」
「その影響で、高水準を叩き出していると」
「ええ。その可能性が最も高いと思われます。ただ、記録だけで断定することはできません。加護持ちに絶対的な共通波形があるわけでもないので」
「それでも、推測するには値する」
「少なくとも、“ただ出来がいい”だけで済ませるには、少し出来すぎています」
如月は淡々と言った。
「全体値が高いだけではありません。年齢に対して完成度が高すぎる。そこに加えて、この局所的な跳ね上がりもあります」
「内側に何かを抱えているようにも見える」
「俺もそう見ています」
波形が静かに明滅する。
綺麗な波の中に混ざる、二つの異物。
「本人がどこまで自覚しているかは分かりません。ただ、少なくとも無自覚に垂れ流している類ではない」
「制御できているのか。抑え込めているだけなのか」
「現段階では半々です」
仙道はそこで、薄く息を吐いた。
「面白いね。何よりあの天宮家だ」
柔らかい声だった。
だが、その実、興味というより値踏みの響きが強い。
「可能性としては覚えておこう。今は、それでいい」
「了解です」
記録が切り替わる。
「次、本多哲也」
光の表示が変わった。
魔力量指数:341/500(A-)
出力安定性:280/500(B)
制御安定性:296/500(B)
再現安定性:274/500(B)
術式発動:396/500(A)
総合判定:B級適性
蓮次の記録と比べれば、明らかに荒い。
だが、数字そのものには力があった。
仙道の目が、わずかに細くなる。
「悪くない」
「ええ。粗いですが、出力そのものは高い。押し込む力があります」
「圧がある」
仙道は端的に言った。
「天宮君が完成度なら、本多君は圧で押し切る型だ。整ってはいないが、立て直す時の勢いが死んでいない」
如月が補足する。
「精密局面ではまだ甘いですが、前へ出る意志そのものは強いです。踏み込みに迷いがない。研げばかなり伸びるでしょう」
「折れない精神力がある」
仙道はそこで、ごくわずかに口元を緩めた。
「負けたあとに歪まないやつは強い」
その一言には、昼間の演習場で本多が瑛志へ向けた声まで含まれているようだった。
如月は何も言わず、次の記録へ指を滑らせる。
その瞬間だけ、隊長室の空気がわずかに変わった。
「……鐡瑛志」
表示された項目は、先の二人と同じ“評価記録”でありながら、明らかに異質だった。
魔力量指数:-(計測不能)
出力安定性:402/500(A+)
制御安定性:416/500(A+)
再現安定性:419/500(A+)
術式発動:-(判定不能)
総合判定:理論外特異適性
《精査項目》
流動エネルギー反応:非魔力系統
理論照合:現代魔術理論外
属性判別:七大属性系統非該当
古代資料照合:部分一致反応あり
特記事項:右手首―肩部経路に異常安定を確認
さらに、別枠の解析記録が展開される。
《解析結果》
体内流動エネルギーをスキャン。
魔力規格外反応を検知。
現代魔術理論外エネルギーを確認。
計測結果――魔力量、計測不能。
非魔力系統反応と断定。
しばらく、仙道は何も言わなかった。
端末の淡い光が、その横顔の輪郭を静かに切り取っている。
「……妙だな」
やがて落ちた声は低かった。
「期待の新人、という括りに入れようとすると、途端に全体像が歪む」
「天宮や本多と同じ“優秀”では処理できません」
如月も静かに返す。
「実技観測だけを見るなら、A級適性相当が妥当です。むしろ、やや控えめなくらいかもしれません」
「だが、それで済ませると見誤る可能性がある」
「同感です」
如月は操作を加え、識別空間測定終盤の記録を拡大した。
通常の反応波形の中に、細い異常反応が一本だけ走っている。
あまりにも細い。
見方を変えれば、ノイズとして見落としてもおかしくないほどだ。
だが、ノイズにしては鋭すぎた。
そして、妙に静かすぎた。
「ここです」
如月が指先で示す。
「測定対象への対応反応に混ざって、別の揺れが入っています。鐡瑛志の感覚が、識別空間の処理対象そのものではなく、構築された空間そのものの構造――境界に、一瞬だけ触れかけている」
仙道の視線が、細い波形へ落ちる。
「意図してやったものではないね」
「はい。視線、呼吸、重心移動、どれを見ても“そこを狙って動いた”という反応ではありません」
「本人にも自覚はないか」
「おそらくは」
如月の答えに、仙道は短く息を吐いた。
「無意識で空間の構造に触れるなら、厄介だ」
「そうですね」
如月の眼鏡の奥の目が、わずかに細まる。
「普通は鍛えながら、いろんなコツを身につけて、“見てから撃つ”が定着していきます。そうなると才能も一度均される。ですが、鐡は違う。あの感覚を残したまま、他の能力まで吸収している可能性が高い」
仙道は黙って続きを促す。
「それに、彼の流動エネルギーの流れ方は、現代魔術理論の標準モデルにも、古代魔術理論にも当てはまりません。一般的な魔力は七大属性のどれかに偏るものですが、鐡はそのどれでもない」
「古代資料照合の部分一致、か」
「はい。少し前に発掘された古文書の断片に似た反応パターンがありました。解析チームも結論を出せずにいます」
如月はそこで、もう一つの補助記録を展開した。
瑛志の体内を走る流動経路の簡易図。
右手首から肩へかけて、淡い線が静かに発光している。
「特にここです」
如月が右上肢の経路を示す。
「右手首から肩にかけての流動経路。通常なら滞留して暴走してもおかしくない負荷のかかり方をしています。ですが、あまりにも安定しすぎている。奇跡的と言っていいレベルです」
「そうだね」
仙道は椅子の背にもたれ直した。
「自分の異質さが、どこから来ているのか分からないまま使っているなら、なおさら厄介だ」
記録の光が静かに瞬く。
天宮蓮次。
本多哲也。
鐡瑛志。
同じ“新人”という枠で並んでいるのに、三人の質はまるで違っていた。
やがて仙道が、ゆっくりと口を開く。
「天宮君は、壱番隊の理想に近い」
「はい」
「本多君は、壱番隊の刃になる」
「異論はありません」
「そして鐡君は――」
そこで言葉が途切れる。
仙道は数秒、その先を選ぶように沈黙した。
「壱番隊にとって都合のいい人材かどうか、まだ判断はできない」
如月は黙って続きを待つ。
「でも」
仙道の目が、再び鐡瑛志の記録へ向いた。
「重要な存在になる可能性は高い」
その一言の重みが、隊長室の空気をさらに沈める。
「壱番隊は、どんな脅威であれ最前線で戦う部隊だ。人知の及ばない範囲にあるものが相手でも、真っ先に対峙しないといけない」
仙道の声は低く、しかしはっきりとしていた。
「なら、ああいう“普通じゃない存在”は、いつか重要な意味を持つ」
「戦力としての期待値は高い」
如月が整理するように言う。
「ただし、既存の育て方が通じるかは別です」
「そういうことだね」
仙道は短く答えた。
「天宮君は伸ばせばいい。本多君は研げばいい。だが鐡君は違う。下手に型へ押し込めば、逆に鈍るかもしれない」
室内の静けさが、言葉のあとに深く落ちる。
如月が問いを置いた。
「今後の扱いはどうしますか?」
「通常訓練にそのまま置くことにする」
答えは明確だった。
「特別扱いはしない。一人の隊員として扱う」
「了解です」
「ただし、注意はし続けること。今後どんな成長をしていくかで、鐡君の存在が何か重要なものになる気がする」
「根拠は?」
「ただの勘さ」
仙道の表情は柔らかい。
「今は僕たちが何かをするよりも、本人の成長を促す方がいい。僕たちはまだ、鐡君のことを何も知らない」
如月は小さく頷いた。
「今後、関わっていく中でお互いを知っていくということですか。隊長はいつまで経っても優しい人ですね」
「ああ。それが僕の長所だからね」
短いやり取りのあと、沈黙が戻る。
窓の外には、深い夜が広がっていた。
仙道はふと目を閉じる。
「面白い新人が来た、で済めばまだ気が楽だったんだけどね」
独り言みたいなその一言に、如月がかすかに口元を緩めた。
「壱番隊は昔から、そう簡単には済まない場所でしょう」
仙道は目を開く。
視線の先には、まだ三人分の記録が静かに浮かんでいた。
天宮蓮次。
本多哲也。
鐡瑛志。
天宮蓮次は、完成された才能。
だが、その内側にはまだ輪郭の定まらない何かを抱えている。
本多哲也は、研ぎ上げるべき刃。
そして鐡瑛志は――まだ、常識の範囲には収まらない。
仙道は浮かぶ記録へ、もう一度だけ目をやった。
視線の先で、計測不能の文字が止まる。
「……ああ。そうだね」
何かに思い耽るように、独り言が落ちる。
「だからこそ、見誤ることは許されない」
それ以上の言葉は要らなかった。
夜の底で、記録の光だけが静かに揺れていた。




