第1話 入学式(1)
第1部 過去への贖罪
耳元で目覚まし時計が鳴り響き、俺は現実へ引き戻された。
甲高い電子音が、眠りの底から無理やり意識を引きずり上げてくる。
瞼の裏には、まだ白い光の残像がこびりついていた。
やがて観念して手を伸ばし、音を止める。
時刻は六時三十分。
静けさが戻った瞬間、夢の残滓だけが胸の奥でざらついた。
「…………」
ゆっくり目を開けると、見慣れた天井が視界いっぱいに広がる。
何かを失った気がした。
いや、失ったものなんてあるはずがない。
どんな夢だったのかも、もう思い出せない。
それなのに、喪失感だけが妙に生々しく残っていた。
現実より、そっちの方が鮮明なくらいに。
俺は何も言わずベッドから起き上がり、学校へ行く準備を始めた。
今日は入学式だ。
俺は天翔市にあるS.C.A.L.E.管轄校――天嶺学院高等学校に入学する。
S.C.A.L.E.は、政府直轄の対超常防衛機関。
天嶺学院は、その人材を選別し、育成するための学校でもある。
「……気が重いな」
小さく息を吐き、制服に袖を通す。
真新しい生地はまだ硬く、どこか他人の服みたいだった。
天嶺学院の制服。
魔術の才能を持つ者たちが通う証。
そして俺は、入学を許された。
合格した、歓迎された、というより。
許された。
その感覚の方が近かった。
身支度を整え、朝食を済ませて家を出る。
学院までは徒歩十五分ほど。
今日は入学式ということもあって、同じ制服を着た生徒の姿があちこちに見えた。
期待と緊張が入り混じった声が、朝の空気に浮かんでいる。
その輪の中には入らず、俺は少し距離を取ったまま歩いた。
学校に着き、校門をくぐった瞬間、空気が変わった。
視線が集まる。
探るような目。
値踏みするような気配。
敵意というより、確認だった。
あれが噂の生徒なのか。
本当にこの学院に来たのか。
そうやって、俺という存在を遠巻きに測っている。
それを振り切るように、俺は玄関脇の掲示板へ向かった。
「……Cクラス、か」
クラスはAからEまでの五つ。
一学年百五十人。
多いのか少ないのかは分からない。
ただ、ここに集められている時点で、全員が何らかの“基準”を満たしているはずだった。
教室へ向かう途中、背後から小声が聞こえてくる。
「あいつだろ……鐡瑛志って」
「入学前試験で、検査機器が反応しなかったってやつ?」
「マジかよ。なんで入れたんだ?」
「でも、入学許可は出てるんだろ?」
「だから余計に意味分かんねぇんだよ」
ひそひそと、でも確かに俺のことを話していた。
心当たりはある。
入学前試験のあと、俺だけが呼び止められた。
係員が検査機器を確認し、設定を見直し、もう一度測定した。
それでも、表示は変わらなかった。
あの場にいた全員が、それを見ていたんだ。
噂が広まるのも無理はない。
背中に突き刺さる視線は、鋭いというより冷たかった。
値踏みするような静けさが、空気に混ざっている。
もう慣れている。
――そう思い込むことでしか、ここには立っていられなかった。
……先が思いやられる。
俺は溜め息を零した後、何も感じていない顔を作って、教室に入る。
「席は、ここか」
左から二番目、前から三番目。
指定された席に腰を下ろす。
周囲の視線が、完全に消えたわけではない。
ほどなくしてチャイムが鳴り、無造作な髪の三十代前半くらいの教師が教室に入ってきた。
力の抜けた歩き方とは裏腹に、その目だけは静かに鋭い。
「ホームルーム始めるぞー。みんな席につけー」
椅子の脚が床を擦る音が一斉に響く。
教室の空気が、僅かに引き締まった。
全員が着席したのを確認してから、教師は簡単な自己紹介を始める。
「今日からお前らの担任になった、浦邊謙治だ。家柄とか出自は関係ない。ここでは全員平等だ。贔屓はしない。以上。じゃあ、スケジュールを配るぞ」
平等。
その二文字が、教室の空気に妙な重さを与えた。
その平等は、優しさの言葉には聞こえなかった。
誰であろうと特別扱いはしない。
何を持っていても、何を持っていなくても、最後は結果で見る。
そういう種類の平等だ。
浦邊は気にした様子もなく、プリントの束を手に取り、各列へ回し始めた。
「このプリントにも書いてある通り、入学式はこのあとすぐにある。式が終わったら一度教室に戻って、天律警帝十守隊の研修所属部隊を発表する。今日はそれで解散だ。明日は研修先の部隊で戦力評価測定。授業は明後日から始まる」
教室中がざわついた。
天律警帝十守隊。
S.C.A.L.E.の実働部隊――この国の最前線に立つ存在だ。
研修所属部隊とはいえ、それは将来の進路に直結する重要な区分でもある。
誇りと同時に、覚悟を求められる道だ。
「どこの部隊になるかなぁ」
「俺は、壱番隊がいい!」
期待を隠さない声があちこちで上がる。
その声には、憧れがあった。
誇りもあった。
多分、ここにいる多くの生徒にとって、十守隊は目指すべき場所なのだろう。
けれど俺には、その熱の中へ自然に混ざることができなかった。
「ほら、喋ってないで入学式に行くぞ。場所は講堂だ。席は自由だから好きに座れ」
講堂に着くと、俺は一番後ろの端の席に腰を下ろした。
誰の視界の中心にも入らない場所。
今の俺には、それくらいがちょうどよかった。
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