第13話 綻びの先に
第1部 過去への贖罪
如月副隊長の言葉とともに、俺たちは次の測定へ意識を向ける。
「この測定の説明をする。まずは各自、好きな部屋へ入れ」
俺たちは丸く組み上げられた白い部屋へと入った。
中へ足を踏み入れた瞬間、結界が三重に張られる。
内側から、薄緑、水色、淡い赤。
部屋同士は完全に遮断されているわけではないらしく、半透明の隔壁越しに、隣室の影がぼんやりと見えた。
本多はすでに肩に力が入っていた。
今にも目の前の試験ごと殴り飛ばしそうなほど、全身が前のめりになっている。
対して、蓮次は静かだった。
余計な力を抜き、目を閉じて呼吸を整えている。
緊張していないわけじゃない。
必要なものだけを前面に出し、それ以外を切り離しているような静けさだった。
「この結界を抜けて外へ出ることが、この測定の課題となる」
シンプルに聞こえる。
だが、この組織のやり方がそんなに甘くないことは、もう分かっていた。
「中心に制御盤が設置されている。そこに手を置け。表示された出力値まで魔力を流し込み、その数値を三十秒間維持しろ。出力値は順に『30』『50』『80』。成功すれば内側から結界が一層ずつ解除され、次の段階へ移行する。三十秒維持できなければ、どこまで進んでいようと第一層目からやり直しだ。制限時間は二十分。その時間内で、どれだけ早く外へ出られるかを測る」
部屋の中はしんと静まり返っている。
「問うのは、単純な出力の高さじゃない。制御、維持、安定――そして、めげずに立て直せるか。精神力も測定する」
ここから脱出する方法なら、もう見えている。
「それでは、始め――」
副隊長の合図と同時に、開始のブザーが鳴った。
俺はひとまず制御盤の前に立ち、ゆっくり手を置く。
返ってきたのは、ひやりとした感触だけだった。
数秒待っても、何も起きない。
制御盤は沈黙したままだ。
魔力を流さないと反応しないらしい。
魔力が最初から無い以上、この測定は普通のやり方じゃ始まりすらしない。
「……だよな」
小さく吐き出して、制御盤から手を離す。
その一方で、隣室の気配はすでに動いていた。
本多の部屋では、薄緑の第一層が大きく脈打っている。
どうやら一気に指定値まで届かせたらしい。
あいつらしい力任せな立ち上がりだ。
突破そのものは速い。
だが、次の瞬間には膜の揺れが荒くなり、間もなく光が巻き戻されるように消えた。
失敗したのだと分かった。
直後、鈍い振動が床を伝う。
舌打ちまでは聞こえなかったが、苛立っているのはそれだけで十分伝わった。
対して蓮次の部屋は静かだった。
立ち姿がほとんど動かない。
それなのに、薄緑の結界だけが妙に安定している。
押し込んでいるというより、結界の方が自然と受け入れているような通し方だった。
数秒後、第一層は音もなく解け、その外側に水色の第二層が立ち上がる。
やっぱり、すごい。
けれど、立ち止まって見ている暇はなかった。
この測定の本質は、結界を“正規手順で解く”ことじゃない。
魔力の制御、維持、安定を測るために、三重の結界を越えて外へ出るという形を取っているだけだ。
なら――やり方は、ひとつじゃない。
俺は第一層の結界へ向き直った。
薄緑の結界が、円を描くように俺を囲っている。
普通なら制御盤に手を置き、指定された出力を維持して、この結界を正規の手順で解いていくのだろう。
でも俺には、それができない。
なら、別のやり方でこの部屋を出るしかない。
ゆっくり息を整え、両手を結界に触れさせる。
ビリッ、とした反発が掌に走った。
だが、弾かれない。
触れた瞬間、うっすらと分かった。
これはただの結界じゃない。
編まれている。
光の膜に見えて、その実体は幾本もの細い術式の線が複雑に絡み合ってできた“面”だ。
しかも一様じゃない。
流れが揃っている場所と、噛み合わせがわずかに甘い場所がある。
俺は指先で、その継ぎ目をなぞった。
入口の認識阻害の結界を抜けた時と同じだ。
全部を解除する必要はない。
織られた布のように、縫い目を少しずつ解けばいい。
「解析起動――」
身体全体に感覚を張り巡らせ、結界の構造を読む。
術式の流れが、皮膚の上でざらついて感じられた。
ここじゃない。
ここも違う。
――ここだ。
ほんの一点だけ、絡み方の浅い箇所があった。
俺はそこへ指先を押し込み、表面の“噛み合わせ”だけをずらすように、ゆっくり力をかける。
結界が微かに軋んだ。
次の瞬間、薄緑の膜に針穴みたいな小さな綻びが生まれる。
「……いける」
焦るな。
一気に広げようとすれば、結界全体が締まり直す。
俺は呼吸を殺しながら、その穴の周囲を少しずつ紐解いた。
一本ずつ、絡まった糸を浮かせるみたいに。
面を壊すんじゃない。
通れるだけの隙間を作る。
裂け目が、腕一本通るほどに広がる。
俺はタイミングを見て、その隙間へ肩を滑り込ませた。
温かい膜が服を擦る。
一瞬、背中を押し返されかけたが、身体を半歩ひねると、そのまま第一層の外へ抜けられた。
背後で、結界が音もなく閉じる。
心臓が強く鳴った。
「この方法なら、いける」
だが、息をつく暇はなかった。
第二層が目の前にある。
第一層より、明らかに密度が高い。
水色の光の揺らぎも細かい。
さっきみたいに浅い綻びは、そう簡単には見つからない。
俺はもう一度、結界に手を置いた。
今度は、さっきより反発が強い。
掌がじん、と痺れる。
「……っ!」
しかも、ただ硬いだけじゃない。
術式の流れが内側で何重にも折り返している。
適当に触れれば、解くどころか、結び目を余計に締める。
制御盤と連動しているからか、正規の手順で“三十秒維持”されることを前提に組まれている。
だから、無理にこじ開けようとすると、自己修復するみたいに編み直される。
「厄介だな……。でも、少しずつ時間をかければ、いけなくはない、か」
俺は結界の表面をなぞりながら、術式同士が噛み合う境目を探った。
完全に固定された芯じゃない。
締まり切る前に、ほんの少しだけズレを許している箇所。
そこへ指先の感覚を滑り込ませる。
真正面から壊すんじゃない。
編み目を横にずらして、綻ばせる。
そのとき、隣室からもう一度、鈍い衝撃が伝わった。
本多だ。
どうやら第一層は越えたらしい。
だが、水色の第二層でまた戻されたのだと、壁越しの光の巻き戻りで分かった。
力はある。
勢いもある。
届くところまでは届いている。
けど、この測定が見ているのは“届くか”じゃない。
“揺らがずに維持できるか”だ。
本多のやり方は、そこだけが噛み合っていない。
それでも、あいつは止まらなかった。
巻き戻されても、すぐにまた制御盤へ手を置いている気配がある。
苛立ちは隠せていない。
たぶん、相当頭に来ている。
なのに、立つのをやめない。
その逆側では、蓮次がすでに第二層を越えかけていた。
静かだ。
恐ろしいほどに静かだった。
肩にも腕にも無駄な力が入っていない。
『50』という数値を“押し切る”んじゃなく、最初からその形で流しているように見える。
第二層の水色の膜が解け、最後の淡い赤の第三層が立ち上がったとき、室内の空気まで変わった気がした。
だが、そこで初めて蓮次の結界が揺れた。
ほんの一瞬。
二十秒を過ぎたあたりで、ごく僅かに波形が乱れたのが見えた。
次の瞬間、淡く赤い第三層が脈打ち、三層まとめて巻き戻される。
蓮次でも崩れるのか、と息を呑む。
けれど、蓮次は大きく取り乱さなかった。
ただ一度、浅く息を吐いただけだった。
悔しさを叫ばない静けさが、逆に蓮次の完成度の高さを物語っていた。
俺は意識を戻す。
光が細く揺れた。
失敗すれば締まる。
合っていれば、わずかに遅れる。
その“遅れ”を見つけた瞬間、俺は一気に手首を返した。
ぴし、と小さな音がして、第二層の表面が裂ける。
今度はさっきより不安定だった。
穴が開いても、すぐに周囲が寄ってくる。
閉じるのが早い。
「くそ……!」
肩から先に突っ込む。
結界が腕に絡みつくみたいに抵抗した。
挟まれれば終わる。
無理に押し込めば弾き返される。
だから、押さない。
閉じてくる流れに合わせて、自分の身体を滑らせる。
結界が狭まるより、一瞬だけ先に。
息を止め、身体をひねり、ねじ込むようにして抜けた。
第二層の外へ転がり出た瞬間、喉の奥から熱い息が漏れる。
「はっ……」
きつい。
けど、まだ終わっていない。
最後の第三層。
それを見た瞬間、背筋が粟立った。
「なんだ……これ」
密度が全然違う。
薄緑の一層目、水色の二層目と違って、第三層だけは淡い赤色を帯びている。
光が静かすぎて、逆に嫌だった。
隙がない。
綻びが見えない。
近づくだけで、空気まで張りつめる。
俺はゆっくり手を伸ばし、その結界に触れた。
――ぞくり、とした。
そして、気づく。
「……これ」
思わず、声が漏れた。
「……この癖、知ってる」
流れの重ね方と隠し方。
表面上は完璧に閉じているように見せて、奥にだけごく細い逃がしを作る組み方。
入口の認識阻害の結界と似ていた。
なるほどな、と、こんな状況なのに少しだけ笑いそうになる。
この疲労感で、自分がおかしくなったのかもしれない。
正面から来る奴には絶対に開かない。
だけど、構造を見ようとする奴には僅かな“癖”だけを残している。
試されてるんだと分かる。
俺は両掌全体を第三層に当てた。
表面を探るんじゃない。
もっと深く、術式の重なり方そのものを読む。
一枚の壁じゃない。
薄い層が何層にも重なって、その間を細い線が縫うように走っている。
普通なら魔力を通して順番に解いていく場所を、俺は外側から逆順に解く。
その最中、再び本多の部屋から振動が伝わった。
まだやっている。
何度戻されても、あいつは立ち続けている。
上手くはない。
綺麗でもない。
だが、叩き落とされるたびに立ち上がるしぶとさだけは、本物だった。
その反対側では、蓮次がもう一度第三層に到達していた。
今度は、さっきよりさらに静かだ。
結界に勝とうとしているんじゃない。
結界が求める形に、自分の方を合わせにいっているように見える。
淡く赤い膜が揺れない。
二十五秒を越えても、二十八秒を越えても。
そして三十秒。
第三層が静かに解けた。
蓮次は叫ばなかった。
拳も握らない。
ただ長く息を吐いただけだった。
それだけなのに、その姿は妙に大人びて見えた。
一度崩れた場所で、次は崩れない。
それが蓮次の強さなんだと、そう思った。
俺は第三層へ意識を沈める。
見つけたのは、継ぎ目じゃなかった。
“継ぎ目があるように見せかけている場所”だ。
本当の解れ目は、そのすぐ横。
「――そこか」
指先を差し込む。
瞬間、結界全体が強く脈打った。
やばい――締まる!
俺は反射的に腕を引くんじゃなく、そのまま半歩踏み込んだ。
逃げたら閉じる。
噛み合う前に、こっちからズレに乗るしかない!
裂け目が、ほんの一瞬だけ生まれる。
狭い。
人ひとり通るには、あまりにも。
でも――十分だった。
俺は身体を横に向け、肩を先に滑り込ませる。
服が擦れ、腕が圧迫され、結界の縁が背中を削るみたいに押しつけてくる。
痛い。
でも、止まれない。
止まったら、次は抜ける力が残されていないことを確信していた。
「――っ、ぅ……!」
半分、押し出されるみたいにして、俺は第三層の外へ転げ出た。
「はぁ……はぁ……」
直後、背後で裂け目が閉じる。
息が上がる。
肩が熱い。
掌が痺れていた。
けれど、目の前には出口の扉があった。
閉じていた白い扉が、ゆっくりと左右に開く。
正規の手順で解除したわけじゃない。
だが、外へ抜けた事実そのものを、部屋の判定機構が拾ったらしい。
俺は乱れた呼吸のまま、扉の外へ一歩踏み出した。
その瞬間、背後の三重結界がまとめて光を失う。
完全に解除したわけじゃない。
正規の手順で解いたわけでもない。
それでも、“抜けた”という結果だけは残った。
「……なんとか、なったな」
壁に手をつきながら、小さく息を吐く。
普通のやり方じゃ無理だった。
でも、無理だからって終わりじゃない。
壊せないなら、綻びを探す。
開かないなら、通れるだけの穴を作る。
それだけだ。
静まり返った白い部屋の中で、まだ痺れる指先を見下ろしながら、俺はもう一度だけ息を吐いた。
――やっぱり、入口の結界と癖が似ていた。
だったら、これを仕掛けた人間は、きっと最初から、そういう突破のされ方まで想定していたのかもしれない。
「……おいおい、マジかよ」
中央管理室で大型モニターを覗き込んでいた大柄な男が、低い声で呟いた。
隊服の上からでも分かる厚い肩。
無骨な体つきに似合わず、モニターの波形を見る目だけは妙に細かい。
「如月。こいつ、正規の手順で解除してねぇぞ。結界に穴を作って抜けてきやがった」
「穴を作った、だと?」
「ああ。結界そのものを順番に開いたんじゃねぇ。綻びを拾って、人ひとり通れるだけの道を作って抜けた。入口の認識阻害を抜けた時と、同じ理屈だ」
如月は腕を組み、眼鏡のブリッジに右手の中指を添えた。
「そうか。鐡がどうやって結界を通って来たのかは分からなかったが、そういうことだったのか」
「だろうな。俺が設計した結界を、こんな真似で抜ける奴はそう何人もいるもんじゃねぇ。……それに、天宮の方も二度目で第三層を抜いた。本多もまだ食らいついてやがる。今回の当たりは、思ってたより多いかもしれねぇな」
瑛志が結界を抜けて出てくるまでに、十三分の時間が経過していた。




