*公爵と王子*
序列最下位の王子、カインは王子という身分でありながら今は罪人のように拘束されていた。カルロスと父の間で何か話が行われたのだろう。
コルヴィナス公爵令嬢に暴行を加えた犯人としてカインは公爵の前に連れて行かれ、公爵の前に両ひざをついて対面している。
己は仮にもルードリヒの血を引く王子だが、扱いは王宮で働く使用人たちより悪い。理由もわかっている。自分が無能であるからだ。王族と言うのは生きているだけで何かの役に立たなければならない。
カルロスは屑に間違いないが、あの馬鹿が生まれて来たことで王妃はその地位を脅かされることがなくなり、王妃を支持派する者たちにとって旗印となった。
しかし自分はどうであろうか。
母が踊り子であったから、というだけで離宮に追いやられそこで働く者は年老いた夫婦が一組。二度と踊れぬようにと脚の腱を切られた母は「お前さえ生まれなければ」と息子を呪い続けている。
教育を受ける機会は与えられず、自ら学ぼうとしても「王子」という、実際何の役にも立っていない立場がカインを王宮に閉じ込めた。
カインは未だに読み書きすらできなかった。老夫婦も母も教育を受けたことがなく、教えることができなかったからだ。こうして己はこのまま、誰の役にも立たないまま、ただ周囲に顔を顰められて生き続けるのだろうとカインは諦めていた。
(けれど、目の前の男。恐ろしいと噂のコルヴィナス公爵は、父より冷酷ではないかもしれない)
自分を見下ろす金の目を意識しながら、カインは考える。
「僕は、あなたの役に立ちます」
発言を許されてはいなかった。だが、カインは咎められず、顔を上げれば黒に青を僅かに垂らしたような暗い色の髪の貴族が目を細めた。
「……僕は」
慎重に相手の反応を見ながら言葉を続ける。
「……僕は、公爵家のお役に立てます」
「今まさに我が家に対して多大なる損失を与えた者が、何を申されるのでしょうか」
見下しながらも公爵はカインに対してぞんざいな口はきかなかった。処罰の対象であると提示されはしたが、その通りに扱うかどうかは己で判断してから、というつもりなのだろうとカインは気付く。
「僕を公爵の養子にしてください」
「……」
「利はあります。まず、公爵令嬢を王室へ嫁がせることなく、王家との繋がりが作れること。僕は権力争いに関われない地位の低い王子なので公爵が王宮の後継者争いに巻き込まれることはないこと。そして、公爵は僕と言う公爵家の後継者を得ることができます」
コルヴィナス公爵家には娘が一人しかいないはずだ。娘に爵位を継ぐことはできず、たとえばコルキス・コルヴィナス現当主が亡くなられた場合、他家に嫁いでいない限り、令嬢は貴族を名乗れなくなる。
カインは公爵が娘を適当な貴族の家に嫁がせるとは思わなかった。王子たちを「どれでも選べるよ」と父王に提案されたのに、公爵は嫌な顔しかせず全員を認める気がないという態度を崩さなかった。
親というものがどういう考えを持つのが正しいのか、模範が母と父しかいないためわからないが、今の公爵は娘を手元に置いておきたいのだろう。そして、その為には公爵家という小公女の生活を保障する場所の安定が重要だ。
「なぜこの私が、お前のような愚かな子どもを息子同然に扱わねばならない?」
公爵の口調が変わった。
カインが自ら王子の立場を捨てると示したので、形式上の敬意を払うことをしなくなった。
「息子という、親が当然に愛情を向ける存在である必要はありません。僕は公爵の後継者、家のための道具と扱って頂いて結構です」
「態々お前のような存在を家門に入れずとも、有能な子どもで我が家門に入りたいと望む者は掃いて捨てるほどいると思わないのか?」
公爵は『こちらに利があると言いながら、最も得をするのはお前だろう』と暗に指摘している。
その通りだ。
ここでカインは公爵に認められれば、まず命が助かる。そして王家から解放される。飼い殺しにされるだけだった王子の立場から、未来の有力な家門の公爵家当主となれるのは、王位を継げない他の王子たちより『得』だろう。
「公爵はおっしゃられました。なぜ父上がこの公爵家へ来たのか。なぜ今なのか。そして、それについて自分が出来ることは何か。――僕にはその答えの用意があります」
「まず大前提として……お前は今、我が娘を殺しかけた加害者として私の面前にいることを覚えているか」
「はい。そして公爵は、僕が『妥協案』としてここへ連れて来られた被害者であるということをご承知のはずです」
「妥協?私が何を妥協するというのか」
馬鹿ではなさそうだ、と公爵の目が自分への見方を変えたのを、カインは見逃さなかった。
確かにカインには教養がない。文字も書けず読めず、王族であれば誰もが知っている簡単なことでさえ知らない。しかし、他の王子たちが勉学に勤しむ時間、他人と交流をする時間の全て、カインはただひたすら、息をひそめてじっと、周囲を見て来た。
「父上と公爵は今、アグドニグルへの侵攻をお考えだからです」
モノの流れ、人の配置。動き。王宮に出入りする者、新しく増えたもの。それらをカインは見て来た。カインは人に『自分と同じ人格を持った存在』だと認識されていない。だから、カインが傍にいても、人は構わず噂話をする。犬猫が傍にいたからといって、警戒して黙る者はいないのと同じだ。
「時期は春。ゆえに今、父上は王子たちの護衛という名目で大勢の騎士や物資人を、王都からこの土地へ動かされた。公爵家の騎士団との連携、連絡もはかれる。これは公爵と父の間で以前より計画されていた……公爵は、このために。この、戦争のために、我が国に亡命なさったのではありませんか」
カインは父が、自分の王子たちや後継者について関心があるとはこれっぽっちも信じていなかった。今回、態々王子全員、と言ったのは平等性を与えるためなどではない。そんな心を持つ男なものか。
しかし全員。つまり、父に大人数の『要人』が必要だった。怪しまれない理由も必要だった。
ルードリヒが他国に戦争をしかけるのは珍しいことではない。しかし、王宮での噂話を信じるならば、過去十六年、アグドニグルに対しては戦争をしかけていないはずだ。
つまり、これは長期的に計画されていることで、カルロス王子が令嬢を害したことで、王家と公爵家の関係が悪くなる事はこれまでの時間が台無しになることを意味する。
そのために王子を1人生贄に。それで手打ちにしよう。と、ルードリヒからの提案。
「公爵は、僕がカルロスの身代わりであることを、ご承知でしょう。そして父上もそれは理解されている。しかし、公爵に『娘への情を取る』か、『長年の悲願』のどちらを取るかと……」
カインの言葉は最後まで続けられなかった。
コルヴィナス公爵の鋭い目が、カインを睨み付ける。それ以上言えば、きっとここで首を切られていただろう。
(話し過ぎた)
失態をおかしたことを、カインは気付く。自分が無能ではないと提示するために、虎の尾いや、竜の逆鱗に触れたのだ。
身代わりからのくだりを、カインは言わずにおくべきだったのだ。公爵とて、ルードリヒの意図はわかっている。わかっていて、まだ悩んでいたのではないだろうか。
実際目にした限り、公爵は小公女を愛しているようだった。慈しんでいる。今このように、目つきだけで人を殺せるような男が、小公女へ向ける目は冗談のように優しかった。カインのように他人から愛情を向けられたことのない者でさえ、あの眼差しは愛なのだとわかるほど。
戦争を仕掛けることが目的だった公爵が、娘を害したものを正しく処罰することを本来の望みと同様に重要視している。
(あぁ、そうか……そのことを、父王は……きっと、苛立っているのだ)
あの父だ。
カルロスのことを、守りたいと思っているわけではないだろう。王妃との摩擦にしても、実際王妃やその派閥が何か吠えたところで、あの父をどこまで煩わせることができるのか疑問だ。
父は、公爵が娘に向ける眼差しに、娘を呼ぶ声に、苛立ったのだろう。
それで、わざと娘の件に関して『それよりも重要なことがあるだろう?』と、妥協するように提案してきた。
そこまで考え、カインははっと顔をあげる。
いつの間にか公爵がこちらに近付き、カインの前に立っていた。
「思ったより、頭は悪くないようだ」
長身の公爵は片膝を付き、カインの顏に手を伸ばす。一瞬、カインは父のように髪を掴まれる、あるいは殴られるかと身を強張らせる。
が、公爵の手はカインの頭を軽く撫でるように触れただけだった。
「……」
「では早速、私の役に立つところを見せてもらおうか」
「……!それでは……!」
「検討の余地はある、と思っている」
自分の提案を受け入れて貰えるのか、とカインは期待したが、まだ確定ではないと公爵は言う。
「お前が我が息子となるのなら、私の娘、お前の妹を傷付けたものに報いを」




