*父と子*
「えぇっと、誰だっけ」
カルロスの部屋に駆け付けたルードリヒは、目の前の椅子に座る自分の息子の名前をすぐには思い出せなかった。黒髪、褐色の肌に、砂色の瞳。異国の血が濃く現れた子が産まれて離宮の外れでひっそり息をしていることは知っていたが、名前を呼んだことがなかった。出生記録の書類に目を通したことはあったので、その時の記憶を呼び起こそうとするものの、どうでもいいことだったのでそもそも記憶の引き出しに入れていなかった。
「カインです。父上」
「あぁ、そう!カインだ。そうそう。母親は確か、踊り子の……ベスだっけ?」
「ベーチェです。母の名は、ベーチェです」
数年前、そんな名前の女に手を出した覚えは確かにあった。ルードリヒは頷き、目の前の息子を再び眺める。
砂色の瞳には感情らしいものが浮かんでいない。今の自分の薄情な言葉に怒りも悲しみも抱かなかった、わけはないはずだが、それを表面に浮上させないだけの忍耐強さはあるようだ。
可愛げがない。他の王子たちにもこのような態度なのだろう。愚かなことだ。母の身分が低く権力争いに参加することもできない身分の王子なら、カルロス、アベル、サフィール、セシルの四人の誰かに媚びをうって保身を図るべきだろう。
四人の王子たちはそれぞれ性格に難はあるが、自らの懐に入り込んだ者、下心があるにせよ、好意を示す者には庇護を与える。そういうことをしないから、この愚か者は今この場にいるのだ。
ルードリヒは子どもを多く作った。多ければ多いほど良いと考えている。自分も兄弟は多かった。最終的に生き残ったのは自分だけで、まぁ、王位につく際に全員死んで頂いたのだが、ドルツィアの王家ではよくあることである。
「父上、僕はけして小公女を害してなど、」
「なぁ、カイル。なぜ今回、付いて来た?」
「カインです。父上」
「あぁ、そうだな。カイル。お前はこれまで常に、息をひそめて来た。母親と一緒にだ。それがなぜ、今回は態々ついて来たんだ?」
「……」
確かに王子は全員、とルードリヒは命じた。だがこの王子の存在は数に入れていなかった。派閥に入らず、作ることもせず、その能力もなくただ死んだようにしている者に興味はないし、価値はない。
「……僕が、王子として扱われると……母上が喜ぶからです」
「そうか。では死んでくれるな?」
「父上!僕ではなく、これはカルロスが……!!」
「そんなことはどうでもいいんだ。あ、まぁ、死ぬというのは大げさだったかな」
思ったより、コルキスは娘を大切にしているらしい。これは少々予想外だが、まぁ、いいだろう。娘を傷つけられたコルキスは激怒している。あれほど怒り狂うあの男を見たのは十五年ぶりだった。
「誰か一人、差し出せば問題は解決する。で、カルロスはまずいだろう?あれは王妃の子で、それなりに有能だ。まぁ、心から惜しいわけじゃないが、今王妃やその派閥と争うわけにはいかない。その点お前なら何の問題も起こりえない。息子よ、今そなたの存在を必要としているのだよ」
王子たちを集めて王太子の座をちらつかせれば、何か問題を起こしてくれるだろうとはオマケ程度に考えていた。王妃にこれで一つ貸しを作れるので、実際のところルードリヒは少しも困っていなかった。
「……僕が処罰されたら、母上はどうなりますか」
「別にどうもしないさ。これまで通りの生活を送れる」
「……僕が、罪を認めて処罰を受けたら……母上に、一度でいいので、会っていただけませんか」
それなら、カルロスがしたということは黙っていると、カインは言った。ルードリヒはにっこりと笑い、息子の髪を掴む。
「え?すまないね?聞こえなかったよ。え?今、もしかして……取引しようとした?」
「ぃっ……!」
「先ほど言ったじゃないか。お前が王子として扱われると、ベニーは喜ぶんだろう?つまり、王子としてお前が処罰されたら、彼女は嬉しがるだろう?」
息子の顏が苦痛に歪んだ。痛みを隠すことは、まだできなかったらしい。ルードリヒは自分がこの年齢の時は父に刺されても微笑んで父への愛を口にできたと思い返す。
「公爵もお前のような子どもにそう酷い処罰は望まないだろう。まぁ、せいぜい……王子という貴族子息の手本となる立場でありながら、公爵令嬢に暴力を振るったということで、身分はく奪くらいかな。分相応の場所に行ける良い機会じゃないか」
ぱっ、と手を放し、ルードリヒは息子に優し気に微笑みかけた。




