奇妙な気持ち
コルデー家での生活は順調すぎるほど順調だった。
何しろ私は自分の身もままならぬ赤ん坊。仕事といえば寝ていることと食べることだ。前々世の赤ん坊時代の記憶はないけれど、この世界でこんなにゆっくり生きていくことができるとは、なんとも感慨深いものである。
しかし私はこれでも立派な王族だった者。いくら養父モドキから養育費らしきものが出ているとはいえ、ただ食っちゃ寝をしているのもどうだろうか。
(うんうん、大分顔色も良くなってきた)
私は夜、寒くないようにとコルデー家母と一緒に寝ている。
この家に来た当初、病弱で今にもお亡くなりになりそうだったお母さまは今では家事をこなせるほど回復している。
頑張って病魔を潰してきただけではない。
私のこの体には、幸い前々世と同じく魔力があった。ナイスバディで最強だった昔の百分の一もない量だが、魔力は魔力。
それをこう、ちょいちょいっと、お母さまに分けて体の回復、強化をこっそり同衾中に行ってきたのである。
寝たきりの婦人が突然ゲンキハツラツ!となったら周囲に怪しまれるので、ちょこちょこっと、適度な加減をしている。おそらく周囲には「長男坊が帰ってきたから」と思われること間違いなし。さすが私。計画的。
「天使さま、早起きね?」
今日も今日とてせっせとお母さまを温めていると、ひょっこりと、寝台の所へ少女がやってきた。
ソニアだ。
私を天使さまと呼び大切にしてくれる善良な幼女である。彼女の朝は早い。日の登る前から家を出て行く。水汲みの仕事があるらしく、お母さまは心配されているが、ご自身が代わりにやるにはまだ体が思わしくない。
「おぎゃー」
大義である、と労う言葉は当然言語として成立しないが、私が返事をしたと思ったらしいソニアは嬉し気に顔を綻ばせる。
私に顔を近づけてきて、頬を合わせて来た。
「天使さま、ちょっとだけ触らせてね。水汲みに出てからだと汚れちゃってるから、今だけね」
少女の頬は、乾燥している。普通このくらいの歳の子の肌はもっちもちでスベスベしているものだが、環境がそうはさせないのだろう。
「あー、う、あ(幼子であるのに、難儀である)」
私は手を伸ばしてソニアの頬をぺしっと叩く。
「あっ、ごめんね。痛かった?」
慌てて謝罪されるが、そんな反論ではない。
赤ん坊でなければ色々出来る事もあるのだが、今はこれが精いっぱいだ。
ソニアが水汲みのため出ていくのを見送って、私は赤ん坊特有の眠気に襲われ、そのまま目を閉じた。
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何か騒がしい、と目を開けたのは、日が昇って暫くしたころくらいだ。
家の中には朝食のためのスープの匂いと、日中私が寝かされている木箱の側に離乳食の匂いがした。
「だっておかしいだろ!!?どうしてうちの子が食われて……あんたんところは無事なんだ!」
怒鳴る男の声がする。
知らん村人だ。家の中にズガズガ上がり込んで、お母さまやハンス君に詰め寄っている。お母さまの腕の中には、転んだにしてはぼろぼろの、血だらけで、泥や切り傷……殴られた跡のあるソニアが、ぎゅっとその身を出来る限り小さくして隠れるようにしている。
「うちの子は……ッ、うちの子は……生きたまま食われたのに!!そいつはそれを黙って見てたんだ!!」
あれこれ怒鳴り散らす言葉を要約してみると、ソニアが水汲みを終えて、自宅用に森の水を汲んでいると、この村人Aの子供が、まぁ、おそらく……ちょっかいをかけてきたのだろう。そして森の中。狼か魔物でも出たか。ソニアは無事で、村人Aの子供が食い殺された、と。
まぁ普通に考えて、栄養状態の悪そうなソニアより村人Aの子供の方が肉付き良かったんだろうね!
などと、言うわけにはいかないし言えない。
お門違いも甚だしいクレームだ。ソニアが食われてしまえばよかった、という事だが、私からすれば見知らぬ村人Aの子供より、ソニアが無事でよかったよかった。
しかし、ソニアがぼろぼろなのはその狼だか魔物から命からがら逃げた結果と前向きに考えたとして、明らかに人に殴られた跡は、どうにも見過ごせない。
村人A、ソニアが無事だったことに腹を立てて、子どもを失った悲しみの感情と怒りをそのまま、ソニアにぶつけたな?
「あ、うー、あ」
私はいつも部屋の隅にいる、キイキィと鳴く黒い病魔たちを呼んだ。私に近づけば尻尾を掴まれて握りつぶされるので、病魔たちはビクビクしている。
(あの怒鳴り散らしてる男に付いたやつは潰さず見逃してやるぞ)
赤ん坊が出せる最大の、柔らかく慈悲に満ちた声で言うと、震えていた病魔たちが一斉に男の方へ群がった。
「とにかくっ……ッ!! ぐっ……」
「あ、あの……あまり怒鳴ると……体にさわります……その、お子さんのことはお気の毒でしたが……」
病魔がびっしりと、村人Aの体に張り付いた。私の目からははっきり見えて、顔くらいしか村人Aの部分が露出しなくなってしまったが、まぁいいだろう。
その途端、村人Aは苦し気に呻く。
ハンス君が気遣うように手を差し伸べるが、村人Aはそれを振り払った。げほげほと咳をして、顔を顰める。それでもまだ言い足りないのか、ぶつぶつと何か吐き捨てながら、出て行った。
家に帰って子どもの葬式の準備が出来るだけの体力が残っているといいな!
*
「本当に、私、なんにもしてないの。水を汲んでたら、トマス君が私に石を投げてきて、それは、いつものことなんだけど、止めてって言っても、止めてくれなくて。にやにやしてて、そしたら、大きな牙の、魔物が出てきて、トマス君の方に走ってって、それで」
ぽろぽろと泣きながら、ソニアが話す。
「トマス君は、いっつも、髪を引っ張ったり、服を破いて触ってきたり、嫌なことばっかりするけど、すっごく痛そうで、私の方見て「助けろ!」って怒鳴ってて、私、助けなきゃって、魔物の方に行ったの。トマス君も、自分じゃなくて、私を食べろって、噛まれながら叫んでたけど、全然、私が、掴んでも、殴っても、私の方に来てくれないの」
魔物はソニアには全く関心を示さなかったらしい。
ソニアにたくさんついている血はそのトマス君とやらの血か。それほど近くにいたのに「黙って見ていた」とは、あの村人Aの言いがかりにも困ったものである。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
なぜソニアがそんなに謝るのか。コルデ家はソニアの泣く声だけが響いた。
「……謝らなくていいのよ、ソニア。あなただって、危なかったの。無事でよかったわ」
お母さまは娘を抱いて体を震わせる。
私個人的な意見としては、トマス君とやらはソニアがもう少し大人になったらその行為がどんどんエスカレートしていったに違いなく、全くもって「自業自得」としか思わない。
そして、そんなことより、私は空腹です。
泣いて本日の朝食を要求すると、家の空気が和らいだ。
「おいおまえ!こんな時にうるさくするなよ!」
ルークは何か怒っていらっしゃるが、ソニアが無事だった以上、問題は何もないではないか。
私は空腹を訴えて泣き続け、ハンス君が私を抱き上げてあやす。
「ソニア、まずは手当をしないと。そしたら、皆で朝ごはんを食べましょう」
お母さまはソニアの手当てをするために道具を取りに行き、ソニアは無言で頷いた。
それにしても……ソニアが魔物に襲われなかったのは、偶然とか奇跡ではなくて、単純に私がソニアに魔物避けの魔術をしっかり丁寧に、毎日彼女の出勤前に施しているからだ。
子どもが森に行くのに、魔物避けしないわけがないだろう。常識だ。
村人Aはトマスくんに施さなかったようだ。
呆れるほど、親として怠慢ではなかろうか。




