01
数日が経った。
「表にいくぞ」
「はい?」
ゼロさんの家で、朝から洋裁に励んでいたわたしは、急に現れたゼロさんにそう告げられた。
この数日で、傷も魔力も回復したゼロさんは、最近は寝てばかりで、もちろん訓練なんてものもせず、のんびりぐったり過ごしていた。それが急にこれだ。
「わたしも行っていいの?」
「ああ。むしろそこで仕事しろってよ。お前常識しらねぇからって」
ルナティクスで働くのは大変なことだ。
何故ならあそこは無法地帯。自分の身は自分で守る必要があるし、秘密を守る口の堅さも必要だ。
とくに、銀さん…もとい銀の連合が経営している大型カジノは、銀さんの息がかかった人しか勤務していない。
稼ぐ金額が桁違いなカジノは、ルナティクスの中でも技術とセキュリティでがちがちになっている。だからこそ情報が流れないように、連合の中でも信頼に足りる一握りしか務めることはできないのだそうだ。
そんなハードルの高い所で、働き手が多いはずない。
なのに、たくさんの人がくる場所だから、労働力もたくさん必要。
特に、リオのいる医療関係は、やったやられたばかりの世界では常に多忙なのだそうだ。
ということで表のルナティクスには常に人手不足。
「まぁ、お前の好きにしていいけどな」
「うん。行くよ!行く行く!
でも、その前に人魚さんたちの服を作り上げて、それからコボルトさんたちに食事を作って、ルピたちに花輪の作り方を教えてからね」
「お前働きすぎだろ」
「そうかな?今度ね!ルナが字の書き方教えてくれるって!」
ゼロさんが頭を抱える。ついでに大きなため息。
「…こりゃ実験対象にはできそうにねぇな」
「うん?なんか言った?」
何でもないと首を振ったゼロさんはコボルトさん達に作った料理に手を伸ばす。
気付いた時には遅く、すごい時間をかけて煮込んだ肉料理はゼロさんの口の中に入っていた。
「…ん。うまい。やるな」
「やるな…じゃないよ!食べちゃダメじゃん!!コボルトさんたちよく食べるんだよ」
「あいつらは犬だぞ、犬。柔らかい肉より喰い応えのある肉の方が好きだろ」
「……そっかな」
「だからこれは俺が食ってやるよ」
「えーと、それとこれとは別な気が…」
まぁ、でもいっか。なんかちゃっかりお酒まで用意してるし、嬉しそうだし。
食べてるより飲んでる方がイメージが強いゼロさんだけど……。
「ゼロさんって…結構食べるね」
コボルト一家分なんですけど。全部食べる気なんでしょうか。
「まぁ、うまいものはそれなりに」
「美食家ってやつ?」
「いや。まずいもので腹を膨らませるのが嫌なんだよ。それなら腹減ってた方がましっつーか。昔思い出して気分悪い」
「わからないでもない…」
わたしもまずいものでも食べて、とにかく栄養にしていたクチだし、外の世界の料理を知るとアガドでの食事は……うん、思い出したくもない。
「うまくないものは必要最低限で十分。うまいものは満足するまで食えばいい」
そう言ってゼロさんはフォークに肉を突き刺した。
ほろりと崩れる…というかとろけるようにしたお肉は刺さるというより崩れていく。
味付けはコボルト一家好みということで、肉の味を強調したかったから、濃いソースとかは作っていない。臭み消しとか、塩味とかがつくようにして煮込んだ。
肉の味を出したいなら焼くのが一番ならしいけど、煮込んだ肉の味を出したいと思って考えた品だった。
まさかゼロさんがこんなに食べることになるとは思わなかったから、なんか申し訳ないけど。
まぁいいや。
「わたしも食べる!パン焼くけどゼロさんもいる?」
「どこのパンだ?それ」
「えーっとね、ルナティクス表産」
「じゃ2枚」
どこのだったら2枚以上食べるんだろう。
3枚のパンを鉄の板にのせて浮いている結晶を引っ張る。水と思ったら水、火と思ったら火が出るという優れものだ。銀さんの発明品はどれもコストが高いけど性能と質はすごいよなぁ。
飲み物は…果実水でいいかな。今日は桃のにしよう。
「それじゃいただきます」
今日のはじまりだ。
朝ごはんが終わると、ゼロさんはお礼にとコボルトさん達用の肉を取りに行ってくれた。わたしはそれまでに片づけと服つくりを終わらせる。人魚さんって、上の服しか作らなくていいから楽だよね!
お肉が届いたら、それを調理してゼロさんに届けてもらう。その間に、ルナに会いに行こう。今もきっと頑張ってるだろうから、なにか差し入れを…。
よし、これにしよう。花から作った香りの水だ。初めて作ったものだけど、いい匂いだし絶世の美女様にはお似合いだ。
「…イーリスって器用よねぇ」
「うわっ!リオ!?」
窓辺に肘をかけて、わたしの手元をしげしげと見つめるリオ。気配も音もなく近寄るとは、さすがはティナ持ち。今日もふかふかの尻尾である。
「ごめん。そんな驚く?」
「びっくりしたよ。お仕事終わったの?」
「あっちのはね。家帰って休もうと思ったんだけど、妖精たちがうるさくてさ」
「あー…」
妖精たちは基本的に自由だ。自由すぎるほど自由だ。家にも入ってくるし、勝手に占領する。
ゼロさんは言っていた「人より虫に近いんだろ、あいつら」と。
女王のルピがキンキン声で激怒していたのは言うまでもない。
そもそも妖精とは花から生まれて、家という家がないらしく、一応生まれの花が家にあたるみたいだけど、そこも家というより休息所に近い。動いたりするエネルギーを花からもらうのだそうだ。
だから花が枯れたら妖精も死んでしまう。女王の仕事は、そんな花畑の管理なのだとルピは言っていた。
「とはいっても!うちの力をぱーってやるだけなんだけどね!
花も強いから踏まれるくらいなら平気だし!そんなに大変じゃないよ!」
とのこと。
妖精の花畑って呼ばれているらしいけど、まだわたしは行っていない。
妖精たちは、あんなにも自由に過ごしているけど、ほんとは警戒心が高いらしく、もうちょっと時間が経って慣れてから、連れて行ってくれるとルピは言っていた。
まぁそれはそうだ。自分の命ともいえるところに安々と他人は入れられないだろう。
余談だけど、ゼロさんも行ったことないらしい。花にまったく興味がないし、破壊の力が何か作用した時を考えてのことみたいだ。
「何か食べたり飲んだりする?」
「いや、大丈夫。もう疲れちゃったし」
「もうちょっと早く来たら煮込んだとろとろ肉があったんだけど…」
「なにそれ。残しといてくれたらよかったのに」
「ゼロさんが全部食べちゃった」
リオの尻尾が力なく垂れる。
ティナの影響か、リオもやっぱり肉食系なのだ。
「それにしてもさ。ほんと器用よね。ちょっと教えたらすぐできるし。この前教えたばっかじゃん。果実水の作り方とか、香水とか。もうちゃんとできてる」
リオは長い手を伸ばして、作業台の近くに置いていた果実水を手に取った。くるくると回して中身を見て、軽く口にして頷いていた。
「見て覚えて実践するのは、生まれたときからやってたことだもん。アガドでは、一つ一つ教えてくれるような人もいなかったからねー」
物陰から何かしているのを見て、何をしているかを考えて想像して、覚えて実践。こうでもしないと、技術を得ることなんてできなかったもんね。
教えてくださいって言ったら、腹の肉置いていけって言われる世界だもの。
「月並みだけど、イーリスも大変だったんだね。そう見えないけど」
最後の一言は余計ではないでしょうか。
「ただね…こういう技を覚えるのは得意なんだけど…。勉強がねー…」
「あー…」
勉強とはつらい。ほんとつらい。覚えられないし頭に入ってこないのだ。
文字も難しいし、社会常識とは社会情勢とか王族の名前とか…。
とにかく銀さんの授業は難しすぎる。
「やっぱりイーリスは馬鹿なんだろうね」
「ちょっと!リオ!?」
「あははははは」
わたしが掴みかかる前に、リオはぱっと窓辺から離れて、ポンと炎を出して消えてしまった。
くぅ、キツネめ…。リオは色々な炎を操る力の他に、視覚に影響を与える力がある。こんな感じに消えたり、幻覚を見せたりできるのだそうだ。
「もう…」
そうこうしているうちに人魚さんの服が完成した。
人魚さんも、ずっと水中にいるわけじゃないから、岸に上がった時用の服が欲しかったのだそうだ。今回は女の人だけ。男の人は「別に裸でいいだろう!」とのこと。
さて。これはこれでまとめておいて、ゼロさんが戻ったら、お肉を作ろう。
服は袋にいれてしっかりと縛り、外出のときにいつでも持っていけるように玄関に置いておく。
時間が空いた。わたしは急いで階段を上り、2Fの楽器部屋に向かった。
ゼロさんの使った弦楽器。
これを見て覚えるのには限界があって、これなら簡単だと教えてくれたのが横笛だった。あの弦楽器は落ち着いた感じの音だったけど、この横笛は高くきれいな音がでる。音の幅は多くないように思えるけど、ひとつひとつの音がはっきりして綺麗だ。ただ…ちょっと吹き込むのにコツがいる。
わたしの空いた時間の活用方法は本か楽器。
書くのはできないけど、読むことはできるから、ゼロさんの蔵書関係をめくってみている。
けど、ゼロさんの本は内容が難しい。
歴史とか論文とか何かの説明書とか図鑑とか。よくわからないけど飛空艇についての教本まであった。なんで!って聞いたら「要らない知識なんざねぇだろ?」とのこと。わたしも頑張ることにした。
楽器はただただやってみたくて、やり始めたことだけど、妖精さんたちの指導もあってかなんとか音はでるようになった。でも音だけで、曲でもないし抑揚もない。もっと練習が必要だ。
「いつかゼロさんと一緒に弾けたりするかな」
こうしてわたしは、本を膝元に開き、笛を咥えて単調な音を音を鳴らすのだった。




