14
夜がきた。
日が落ちたあの不思議な感覚で目を覚ます。
体は大分疲れというか、ダメージが残っていたらしい。結構深く寝たみたいだ。
じゃないと俺が気づかないはずがない。
「お前なんでここにいるんだよ」
「ふふふ。よかろう?添い寝というものをしてみたかったのじゃ」
血のように赤い唇をゆるめて、朗らかな笑顔をつくるヴァンパイア。
まぁ女として見るなら非の打ちどころのないやつだ。
男としてなら願ったり叶ったりの状況なのかもしれねぇが、そういったモノに俺が食いつくはずもない。見た目だけだ、こいつは。
「狭い。邪魔だ」
「そういうな。つれない男じゃ」
足蹴にする前にさらりと離れ、身だしなみを整えだす。俺は寝起きの一服と火をつけた。
「話が聞こえてしまった」
「あ?」
「そなたのことについて。イーリスに話しておったじゃろ?」
…ちっ。海に潜ってても聞こえるのかよ。この地獄耳が。
「つらかったろうな」
「同情かよ。気持ち悪ぃな」
「それでも心からそう思ったのじゃ。妾には想像もつかん。
記憶の一切がないということは、これが手であり、足であることもわからんということじゃろ?それであって子供の身。加えて軍たちに追われながらとは…壮絶としかいいようがあるまい」
「そうかよ」
あのとき。俺が始まった時のことを説明したくても、俺にも言葉が思いつかない。ただただ、何が何だかわからなくて、とにかく「許せなかった」というのが強い。
その感情が引き金になったせいか、ティナが暴走して死にそうだった俺は、なんとか命を繋ぐことができたっていうのは皮肉な話だが。
「それで…そなたはティナを宿した理由もわからんのか」
「わからねぇなあ」
「その時の……ティナの言葉も聞いておるまい?」
「知らん。覚えてねぇよ」
細い顎に指を添えて、いかにも考えているというポーズをとる。絵になる光景だろいうが、こいつの頭は空っぽだから、仕草だけ取り繕っているように見える。
「それでよくティナの力をそこまで引き出しておるな。ティナを宿すとティナから力についての説明があるのだ。脳みそに叩き込まれるというかの。それでぱぱーんと使えるようになるのじゃ」
「死ぬ気になれば何でもできるんだろ」
確かに、俺はティナの使い方はわからなかった。ティナどころか、魔力が何かということさえ知らない。魔法さえ、知らない。
だが、最初の暴走で力の根源がなんとなくわかって、破壊の衝動と、その対象が何かを知った。
抑えなければ自分が消えるほどの代物だと理解したから、姿形を変えることすら許容できなかった。死にかけた体で無駄にできるものはひとつもなくて、調整して操作して力を引きずり出した。
ま、やらないと死んでたし。そして結果は、こうなった。
「それでー…。ああそうか。記憶がないのだから、人の部分を奪われる感覚と体が変わる感覚も知らんのか。それだけは羨ましいの。あれは忘れようと思っても忘れられるものじゃない」
「へえ。お前は何を失くしてんだ?」
「妾は臓器を失っておる。それで死なんのはティナのおかげだが、妾は人と同じものを食することもできん。消化がほとんどできぬ」
「血だけ飲めれば良いってか。ヴァンパイアらしくていいじゃねぇか」
「良くない。妾にも空腹感がある。それを液体で補わねばならんのだぞ。
ティナになって後悔はないが、この仕打ちはあんまりだと思わないこともない」
永遠の空腹か。それはきつそうだな。
視力がないやつ、腕がないやつと、ティナが奪うものはそれぞれだが、俺の場合は現状の生活には問題ない。ある意味では運がいいのかもしれないが、そう思えないのはあの始まりを忘れられないからか。
俺は殺されたと思っている。
記憶を失い、やりたいこともやるべきことも同時に消えた。一からやり直しの状態とは、生まれ変わったということ。そして、過去の自分は戻ってこない人間で消えた人間だ。
それに現実的な意味でも、あの状態で生き残れるやつはまずいないだろう。仮にそれが罪のない子供だったとしても、「悪魔のティナ持ちで記憶喪失の子供」を、他人が一から育てたとは思えないし、自分の子供でさえ、ティナ持ちは殺される時代だ。
親という概念さえ知らない記憶喪失の子供を健気に育てなおすのは、実の親でもまぁ無理だろう。
ってことは、やっぱり記憶が奪われたことは、死んだのと同じ。ティナを司った瞬間に一度殺された。運がいいとは思えねぇな。
「お前は力を得た目的は晴らしたのかよ」
「…うむ」
珍しく、躊躇いながらヴァンパイアは口を開く。
「妾は…そのー、両親に愛されすぎて死にそうだったんじゃ。うむ。今ならあれば愛だとわかるんじゃが、昔はただただ怖くての。この容姿ならば致し方ないとも思うが…あれはのー…」
「で。力使って殺したのか」
「そなた気遣いを知らんのか!」
しらねぇよ。覚えるべき幼少時代の記憶がないんだから。
「……妾の場合、宿したその時にすぐ堕ちておるから、その反動というか、勢いだけで家もろとも消し飛んでおったよ」
なんだ。じゃあ、目的達成か。
それでもティナ持ちを辞められるわけじゃねぇんだから厄介だよな。
俺の場合は、なんだったんだろうか。目的は叶えられたんだろうか。
「…じゃあ、出発するか」
「そうじゃの。少々辛気臭くなってしまった」
外に出ると見事な満月だった。
扉の外で待機していたクロが肩に飛び乗り、小さく鳴く。
「あいつは?」
「ききゅ」
クロの手が指した方向には、すやすやと眠るガキの姿。あと一人で酌をしている熊がいた。
「おう。よく眠れたか」
「ああ」
「この場所でいいんか?随分辺鄙な…というか何もない海上じゃが?」
「ああ。ここであってる」
とりあえず、こいつを起こそうと、頬をつまみ引っ張ってみるも起きない。クロが肉球の往復びんたをするも唸るだけだった。
「ちょっと働かせたら、これがコロコロとよく動くもんでな。ワシも加減を忘れて、いろいろやらせてしもうた」
「…なにやらせたんだよ」
「舵取り、食事、掃除、縄づくり…。ああ、あといろんな縛り方も教えてやったわい」
ただのガキに何やらせてんだよ。
「妾が抱えて飛んでやろう。起こすのもかわいそうじゃ」
頬の柔らかさが気に入ったのか、突きながらヴァンパイアが言った。もう羽を広げて準備完了ならしい。
「…じゃ、世話になったな」
「おう。またワシが生きているうちに顔見せにこい。うまい酒でも用意しておく」
「考えとく」
一度ヴァンパイアに目配せをして、俺は夜空に飛び立った。体の具合も魔力も悪くない。心地よい風を切り裂いて、満月を目指した。
「どうやっていくんじゃ?」
……俺のスピードについてこれるやつって、こいつくらいしか見たことねぇな。
「満月の時だけに開く道がある。交通量に魔力が必要だが…お前ら揃って魔力ねぇやつらばかりだもんな」
「うむ。すまん。妾は覇力だらけじゃ」
「……しょうがねぇか」
普通の人間がぶっ倒れるほどの交通料だが、今の俺なら問題ない。3人と1匹分くらいどうとでもなる。
面倒なのは…堕ちかけたときに通信機が粉々に破壊されたせいで、今俺が行くことをあいつに伝えられてないこと。しかもヴァンパイアを連れてることなんて知らないはずだ。…たぶん。
まぁいいか。なんとかするだろ、あいつなら。
「それでの、ルシファ。やはり…妾はあそこに行かない方が…」
「衝撃に備えろ。行くぞ」
ヴァンパイアをひっつかみ、月に向かって放り投げる。
通行料の魔力がごっそりと奪われ、体が飛ばされる妙な感覚に包まれた。
いつも思うが、非常識すぎだろ。月からまったく違う別地点へ送るなんてありえねぇよな。
「え。なに、これ?どどどどどうなってるの!?」
「おー。起きたか」
不運にも転送中に起きたらしい。この不快感のせいだろう。
「今、銀のところへ向かってる」
「銀さん!?えぇ!わたしお別れも言ってない」
「また会えるだろ。たぶん」
「たぶんじゃないし、会えるからいいんじゃないよ!ジルおじさんのときもそうだったけど、わたしいっつも寝ちゃって……。あ~、熊おじさんたちさよなら~」
「イーリスよ。絶対に聞こえんぞ、絶対に」
「わかってるよ!」
こいつら、この気持ち悪さの中でよく喋れるな。
「それにしても、これ何?」
「転移魔法だ。魔法陣を描いて発動する魔法。
物質を移動させるのによく使われるが、人間を長距離運ぶとか馬鹿みたいに魔力を食うし現実的じゃない。人間技じゃねぇな」
「それができる人間が、銀さんということか・・・」
………あ?
「イーリス。そなた何をいっておる?」
「え?」
「あー。言ってなかったか?これから行くところのこと」
「ゼロさんが秘密だっていったんじゃん!!」
そうだっけか?めんどくさかったんだろうな。
「ルナティクス。それが場所の名前」
「…はい」
「表向きは人間の快楽の町」
「う、裏向きは…?」
イーリスは無意識にクロの背をさする。なんとなく不気味さか何かは察したらしい。
「裏は人間じゃないやつらの町。銀はそこの当主だ」
光は途切れ、不快な感覚も消え去り大地に足がついた。転移が完了したらしい。




