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「ふふふふん」
上機嫌なルナ。
長い髪は濡れて、体の線を沿っている。そしてその隣にはゼロさん。こちらは、顔に張り付いた髪を、うっとおしげにかきあげていた。
そしてわたしは板の上にしがみついている。
「どうやって浮いてるの!?わたしも浮ける?ほんとに!?」
「体に空気を含んでる時点で浮かないはずがねぇんだよ。海水ってのは塩水なんだし。
いいから離せって。沈んだら死ぬ前に助けてやるから」
「すぐに助けてくれないの!?」
「甘えんな」
そういわれても、なんでゼロさんは立ったまま浮いてられるのかとか、意味が分からない。ルナなんて寝そべっちゃってるし。
「そなた、あれほどの威勢の良さをもってながら、まさかカナヅチとはのう」
「泳ぐ機会がなかったの!ウラガたちも泳げないよ!たぶん!」
「うるせえ。早くしねぇと、その板破壊するぞ」
それは困る。これは命綱だ。
手、放した。
速攻沈んだ。
「なんでだよ!」
「じらないよぉお!!」
「ほら。妾のようにやってみよ。このように寝そべってだな…」
沈んだ。
「なぜじゃ!?」
「知らない知らない!もうやらないからね!!」
泳ぎ方もよくわからないし、沈むし苦しいししょっぱいし!
「アビスシードは泳げない生き物、なのかの?」
「かもなあ…」
そんな目で見ないでよ!
「ふふふふ…。ということはだ。イーリス、これでルシファと泳ぐ権利は妾のものということだな!そこでしがみついてみておるがよいわー!」
勢いをつけて海に潜っていったルナ。
「…」
当のゼロさんはわたしと一緒にいる。
「…良いの?ほっといて」
「ああ。もう泳いだし、基本あいつの方が身体能力は高いからな。結構大変なんだよ、ついていくの」
これは本音らしく、腕相撲大会のあとゼロさんの筋肉は、ずたずたに裂けていたのだそうだ。主にルナの血攻撃のせいで。
それほどに負けたくないかとも思うけど、今までのゼロさんを見てたら妙に納得できる。
負けたくないんだろうなぁ、うん。
「で。お前傷はいいのか?」
「うん。ルナに塞いでもらって、熊さんに薬ももらったから大丈夫。痛くないよ」
「そうか」
「ゼロさんは?体いいの?」
「傷は時間がかかるだろうが、魔力が相当余ってるからな。前より楽になったくらいだ」
「そっか。よかったね」
魔物にルナに暴走に……。いろいろあったけど全部無事に終わってよかった。
わたしの未知の力もわかったことだし、使いこなすにしても、隠していくにしても対策しないといけない。…まぁ、わたしの力の前提条件が、魔法をうけて充電するところから始まるんだけど。
というか、何もいわなかったけど、北の海だよ?ここ。寒くないのかな。二人とも。
アガドという暖房設備なんてないところ出身だけど、それでも寒くなってきたよ?
「よし」
わたしの表情を見ていたのか。わたしを脇に抱えたゼロさんは軽く空を飛び、船首へと座った。
魚と一緒に泳ぐ赤い髪が、時々月明かりに照らされ、星もたくさんでいい景色だ。
ちょっと海賊たちのいびきがうるさいけど。
「今回は、お前のおかげで助かった」
「ふぇ?」
予期せぬ言葉に体勢を崩すわたし。すぐに首根っこをつかまれ直された。
「今回はお前がああやらねぇと、俺は堕ちるか死ぬかのどっちかだった」
「は、はい」
「でも二度とすんな。
俺は怪我なんて日常茶飯事だし回復もするが、お前はそうじゃねぇだろうが」
ゼロさんはわたしの体を見ながら言う。
ゼロさんの破壊の闇の中を突き進んだわたしの体は、ズタズタで、ルナが血止めをしてくれなければ、大騒ぎじゃ済まないほどの大けがだったらしい。
ゼロさんの力は破壊だ。触れるものを破壊していく。触れた場所が服なら服が、皮膚なら皮膚が、肉なら肉、骨なら骨と破壊される。その程度は威力によるみたいだけど、生身の人間が飛び込んでいい代物ではない。死んでいてもおかしくなかったとゼロさんは言った。
でも関係ない。わたしは首を振る。
「嫌だ」
「あ?」
わかっていたけど、イラついたゼロさんの声。
「やらないと死んじゃうなら、やって怪我してでも生きてもらう方がいいもん。
同じことがあったら同じことするもんね。それが嫌なら、ゼロさんがもうしなければいい」
やるだけやる。とことんやる。死ぬかもしれないけど、死なないと信じてやる。
そうじゃないと死んじゃうなら、嫌なことが起きるなら、死ぬ気で頑張るんだ。
「……」
ゼロさんの髪が、がしがしと乱れ、小さな水しぶきが飛ぶ。後ろに撫でつけられた髪はふわりと風に揺れていた。
「慣れてねぇんだよ。そういうの」
「ん?」
「かばわれたりとか、守られたりとか。お前は平気でそうするけどな。弱いやつが強いやつを守るなんて早々ねぇよ。そもそも邪魔くせぇ。死にたがりか?」
「ししし死にたがりじゃないよ!長生きしたいよ!」
「いや。そういうやつは庇うとかかしねぇんだよ。崖から飛び降りるとか絶対しねぇ」
「…崖のことはともかく。いいじゃん。わたしだってちょっと役に立ったでしょ?」
困ったような表情のゼロさん。
わたしにとって、守るも守られるもよくあったことだから、ゼロさんが「慣れていない」のが、よくわからない。
それにゼロさんが強いからって、守られなくてもいいとは違うような気がする。強いから、ちょっとその機会が少ないだけ。助けてもらう頻度が少ないだけだ。
わたしたちはお互い様のはずだし、むしろわたしは助けてもらってばかりだから、うーん…ちょっとだけ借りを返せた感じだ。きっと。
「とにかく!わたしはできることをしただけだし、やりたいようにやっただけだよ。ゼロさんが言うようにね。これからもそうするつもりだから、そのー、溺れた時とか、ちょっと助けてね!」
間があって、ゼロさんの喉を鳴らしたような笑い声が響く。少し目を細めて、口の端をあげて、いつものへたくそな笑い方だ。
「あーあ。馬鹿らしいな」
「そうだよ。ありがとうだけでいいんだよ。こういうのは」
「…じゃ、礼に俺のことを教えてやるよ」
「ええ!?」
突拍子もない一言。
ゼロさんは月を見上げながら言葉を続ける。
「知りたいんだろ」
「そりゃ…気になります。いっぱい聞きたいことはある」
「だから、礼に。俺の秘密をひとつな」
いや、だからありがとうだけでいいんだよ?わたしは。
と思うも、ゼロさんは言葉を繋いでいった。
「前、お前俺に言っただろ。ゼロって名前じゃないだろって」
「うん。言った」
「確かに俺の名はゼロじゃない。正直お前に言われたときは驚いた」
「ふふん、なんとなくだけどね」
あの時、ゼロさん驚いていた。
その後少し怖い空気がしていたけど、あれはなんだったんだろう。まぁいいけど。
「でも、間違いでもねぇんだよ」
「…ん?」
煙草に火がかちりと灯る。
口に含んだ煙はゆっくりと空に消えていった。
「俺は、俺の名前を知らない」
名前を、知らない。
「名前、自分でつけたり…誰かにつけてもらったりしなかったの?」
「あー…。俺は名前を知らないだけで、有るか無いかもわからねぇんだよ」
………ん?
「俺は最初からゼロと呼ばれてて、犯罪者として軍に追われてて、悪魔のティナ持ちだった」
ゼロさんの言葉を聞いて、わたしはその意味を考える。
最初から、ゼロと呼ばれてて。犯罪者で、悪魔のティナ持ち。
生まれたときから犯罪者なんてことあるわけない。ティナもそうだ。
そして、名前が無いんじゃなくて、『知らない』
「…ゼロさん、もしかして…」
「正解」
静かな波の音。
ゼロさんの目は遠く、まるで昔を思い出しているようだった。
「俺には、記憶がない」
ゼロさんはただ一言そう言った。




