「二十四歳、夏、私たちが変わるまで」
そんな雨に降られた数日後だった。世界が一変してしまったのは。午後九時過ぎ、バタバタと音を立てながら帰ってきた君におかえりと声をかけるも返事がなかった。
「あおい?」
玄関に向かえば靴を履いたままの君が頭を抱えて立っていた。
「何してるの?早く靴脱ぎなよ」
その腕を引っ張れば君は目を覚ましたように急いで靴を脱いで鍵を閉めた。君がまともに鍵を閉める動作を見たのはいつぶりだろうと感心してしまうが、その表情は焦っていた。
「あおい?」
もう一度名前を呼べば君は私の手を掴んでリビングに入っていく。ソファーの上にバッグを投げてカーテンを全て閉めた。突然の行動に驚いて声も出なかった私はただ、君を見ていた。
「何かあった?」
月並みの言葉だった。この行動を見て表情を見て何もない方がおかしいのにそんな言葉しかかけられなかった。君は無言で私に雑誌を投げつけてくる。驚きながらもキャッチすれば、それはエンタメ誌だった。しかし、普通のエンタメ誌とは違う。芸能人のスキャンダルを取り扱う専門の雑誌だった。赤色の付箋が貼ってあるページを恐る恐る開ける。
そこには数日前の帰り道雨に降られながらも手を繋いで歩いている私たちが写っていた。
「嘘…」
持つ手が震えた。私の目にはモザイクがかかっているが名前は出てしまっている。見出しは『大人気俳優、まさかの同棲スキャンダル!』だった。文章をよく読めば、大人気俳優Tは幼少期から交流の深かったSと六年前から付き合っていた。四年前から同棲し愛を育んでいた。関係者は二人の仲をこう語っている。
『Tがべた惚れですね。子供の頃から好きだったとか。映画の主演が決まったTだが、その映画は純愛物であるため今回の一件が響かないか心配』
手から雑誌がすり抜けた。バサリと音を立てて床に転がっていく。君はソファーに寝転んで顔を手で覆っていた。
「ばれた」
ただ一言。それだけだった。しかし、その一言にはこの関係性を変えてしまうほどの重さを持っていた。
「売られた。多分、映画の主演狙ってたやつ」
「売られたかどうかは分かんないよ」
確かにその映画の配役決めはオーディションだったという。君ともう一人、ライバル俳優が残っていた。彼と君は仲が悪く現場で鉢合わせては嫌がらせを受ける事もあったらしい。だからこそ、オーディションで彼から勝ち取った喜びも大きかったのだろう。しかし、それとこれとは話が違うのではないだろうか。
「分かるよ!!」
突然大きな声を出した君に驚いて肩が震えた。怒っても怒号は上げない君が、声を上げた。それだけで非常事態だと脳が警報を鳴らす。
「さっきマネージャーが確認したけど、情報源はあいつの事務所だって」
「そんな…」
「それで、映画降ろされた」
「え…?」
君の顔を見る。しかし、表情は手に隠されていて見えない。
「イメージダウンに繋がるからって。騒ぎになる前に、世間にキャスト公開する前に変えようってなって今日降ろされた」
「何それ…」
意味が分からなかった。イメージダウンが何だ。この映画は恋愛映画だからなんだ。勝ち取ったのは君だ。君が勝って手に入れたのに、これだけで降ろされるなんて。
いや、これだけじゃない。これだったからなのだ。今になって君が芸能人になってしまった重みに気付く。有名になっても変わらず傍にいてくれたから。関係性が変わらなかったから。私は自惚れていた。自分が有名人の彼女だという事実を客観視出来ていなかったのだ。普通の人にとって当たり前の事が君にとっては当たり前に出来ないという事を分かっていたはずだった。しかし、一緒にいる時間が長すぎて自覚が薄れてしまった。
これは君だけのせいではない。私のせいでもあった。
どうやって声をかければいいのか分からなかった。だって私のせいでもあるから。あの日ちゃんと家の前までタクシーで帰ればよかった。帰る時間をずらせばよかった。手なんて繋がなければよかった。しかし、起こってしまった事は変わらない。
「最悪」
身体を起こした君が頭を乱暴にかき乱していた。その様子を見ていることしか出来ない私はその場で立ち尽くしていた。ふと、顔を上げた君と目が合う。酷い顔をしていた。君の顔も、君の目に映る私の顔も。
「よるのせいじゃないよ」
こんな時まで、君は私を庇うのか。一生懸命取り繕って笑おうとするのか。
「これ明日に出るんだ。だからよるに迷惑かける。多分凄い誹謗中傷にあうかも」
「私のせいでもあるよ」
「何でよ。僕が不注意だった。自分の身分を分かってなかった」
「私だって悪かった。だって、あの時歩きながら帰りたいって言うあおいを止めてればこんな事には」
「だからよるのせいじゃないって」
「それでも!あおいの仕事を奪ったのは…」
「だからよるのせいじゃないって言ってるだろ!!!」
立ち上がって一際大きな声を出した君に、私はもう何も言えなかった。
「…ごめん」
君はそれだけ言って私の横を通って寝室に消えていった。私はただその場に立ち尽くした。視線に入った週刊誌を見て何をすればいいのか分からなくなって涙が流れた。
この日から、私たちの人生が狂い始めた。




